菖蒲色、手繰る謀りに、嗤う猫
◇◇◇
「スゥちゃん……なんかすごく……え、えっちですね……!」
「いやぁぁぁ……! 言わないでぇぇ……! 思ってた感じと違うのぉぉ……!」
友人のハレンチな格好に顔を赤くする朱朱朱朱。
その視線の先では、そんな朱よりずっと真っ赤になったスゥがしゃがみこんでいる。
その手で、羽根で、大変なことになってしまった体を隠そうとしながら。長く尖った耳の先まで、夕焼け色に染めながら。
そんな中。
その恥じらう少女たちを遠くから見つめるガチ勢共もまた、別の意味で大変なことになっていた。
「――――見た!? 椎茸、見たー!? 揺れてた、揺れてたぞッ!! 見たかよあのたわわに実った双丘をー! えー!? うそー! なにあれー!! スライムの俺より断然ぷるっぷるなんですけどー!?」
「アァ……あの戦闘力は恐らくA~Cカップ、あるいはD~Fカップ! もしくはG、ないし、H! あるいはI!? ひょっとしてJ!? ……駄目だボクもうわかんないよォ! だってすごい揺れてたんだもん!!」
「しかも、しかもだ! 俺はあの体に――『調和』ッ! それをしかと見たぞッ!! そこらにいる無理なキャラクリ勢みてーなアンバランスさがなく、元からそうだったような自然なスタイル! あれはすごい、すごいぞー!!」
「アァ、わかる! わかるぜEAK! 今まで無数のアバターをエロい目で見てきたから気付ける、あのアバターの本物感ッ! 痩せすぎることもなく太すぎることもなく、全身の程よい肉付きによってデカパイの土台をしっかり支える女体造形の完成度たるや……! あの柔らかくも美しい腰の曲線が、オレの頭を狂わせるゥッ!!」
「ッヒィ~……キ○ガイじゃあ~……だれか、だれかきてくれ~」
突如訪れたサービスシーン。それをカメラ機能で凝視しまくるEAKと椎茸強盗の両名は、猛り狂って興奮しまくった。椎茸強盗はスキルを駆使して接写を試み、EAKにいたってはその体が半分溶けてしまっているほどだ。
そんなやべぇモノに隣で騒がれたマツダイはたまったものではなく、ホラー映画でも見るような顔で悲鳴をあげた。
と言ってもマツダイだって一応は男の子であるし、そういったことに興味がない訳でもない。それにサキュバスは男の基礎性癖であるので、マツダイも見たい気持ちはあった。
だが隣の2人があまりにも狂気全開でヨガり狂うため、そちらから目を離すことができなかった。
いやらしい女性とイカれた変質者が同じ空間にいた場合、どちらかと言えば変質者への恐怖のほうが勝るのだ。
「いやぁぁぁ……恥ずかしいよぅ……」
「むおぉぉ! あの服、つーか紐! もう紐ッ! それがまたキツめに巻かれて肉がこう……こう、なー! なー!? これもうスケベチャーシューでしょ!!」
「しゃがんで体を隠してるけど、俺らにはお尻が丸見えだぜェ! う~ん、助かるゥ! お尻、助かりますゥ! ちょうどそれを切らしてたのでェ!!」
「……あれ? 言ってることがマジで理解できにゃいぞ? お前らの音声出力機能バグってにゃい? ちゃんと日本語で喋ってる?」
「こ、こんな格好……聞いてないよぉ……っ」
「あわわわ、見てるだけでもドシコイのに、恥じらい混じりのささやき声が耳から入って脳をとろかすよぉー! お、俺の体をどうするつもりだこの淫魔ー! そのまま続けて!!」
「全身を使って発揮される圧倒的セックスアピール回し……!『DPS』は出てないけど、『EPS』はとんでもない数値だぜェ……!」
「…………やっぱり意味はわかんねぇ……」
「わ、私はもっと……魔法使いの女の子みたいになると思ってぇぇ……っ!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛、すごい。すごいえっち。なんてスケベ。とんでもないエロデビル。なんかもうえっちすぎて逆にえっちじゃない……? と見せかけて、えっち!!」
「えちえちデビルにマイクロビキニ、生まれる前から好きでした。多分来世も好きになりますゥ」
「……今すぐ来世スタートしろよもう……」
恥ずかしがるサキュバス。
それを見て顔を赤くしながら黙り込む囚われの少女。
それを遠くから見つめるヤギ面は激しいヘッドバンギングで残像を見せ、半分溶けたマフィアはバチャボチャとのたうち回る。
マツダイはおうちに帰りたくなった。
◇◇◇
そんな混沌極まる中で、朱を捕えたヘビもまた、ふしだらサキュバスのスゥをじっと見つめていた。
と言っても、どこぞの万年発情期人外共のようにエッチだ性的だセンシティブだという理由で見ていた訳ではない。
[アイアタルの眷属]はちゃんとしたLiving Heartsのモンスターであり、あくまでも野生の獣という立ち位置だ。
そのアルゴリズムに胸や尻を嗜む情緒などはプログラムされておらず、小さな脳の中には食欲と生存欲だけをたぎらせるばかり。
それゆえスゥを見つめていたのも、《変身》スキルのエフェクトに警戒していたからであり、それと同時に悪魔化したスゥの並々ならぬ力を恐れていただけに過ぎない。
しかし、当の悪魔は登場してから地面にうずくまり続けるだけで何かをする気配は見えない。
その結果、警戒を解いた[アイアタルの眷属]は、いよいよ捕えた獲物を噛み殺すべく、口腔を開けて暗い喉奥を朱に見せつけた。
活きの良い獲物を飲み込む愉悦に、よだれを垂らして歓喜しながら。
「……あっ! わかりました! 朱にはわかりましたよ! 今このヘビは、心の中でいただきますをしましたよ! そういう感じがひしひしと伝わったんです! いよいよいただく気なんですよぉ!」
「うぅぅ~……恥ずかしいぃぃ~……っ」
そんなピンチな朱から目測10メートル。
しゃがみ込むハレンチ悪魔のスゥ・ラ・リュンヌは、露出度が何百倍にもなった自身の体を必死で抱きしめる。
周りはどんな状況なのかも、どうして変身をしたのかもすっかり忘れ、色んなところが見えちゃっている自分の体を、可能な限り隠そうと。
「ひえ~! 食べられる~! た、助けてくださ~い! えっちなスゥちゃん、助けてくださ~いっ!」
「……っ! あ、朱ちゃん……っ!?」
そんなスゥの耳に聞こえた、助けを呼ぶ声。
ものすごく余計な一言はあるものの、確かに自分を呼ぶ声だ。
出会ってほんの数時間。だけれど明るく優しい朱は、スゥの大切な友達だった。
そんな朱を守るため、スゥは決死の覚悟で前を向き、恥辱を振り切ろうとする。
「朱ちゃぁ……ん……んうぅぅ……」
しかし体は動かない。どうしたって恥ずかしいのだ。
何しろこんな格好は現実世界でだってしたことがないし、仮想世界でだってする予定はなかったのだから。
そうして決意と恥が入り混じり、脳と体がせめぎ合う。
“動かなきゃ” と “隠さなきゃ” が土俵際で競り合っていた。
「……うぅ~っ!」
そんな葛藤、そんな迷い。
それらがごちゃごちゃになった結果、自由になったのは腕一本だけだった。
しゃがんで丸くなった姿勢のままで、精一杯に右手を伸ばす。
それは傍目から見るとひどく小さな勇気だったが、スゥにとっては今が確かに、人生で一番にがんばった瞬間だった。
「朱ちゃ――……ひぁっ!? ……え、え? なんか急に……えっ?」
そうして伸ばされた、腕一本。
それがたまたまだったのか、もしくはシステムの補佐によるものか――それは誰にもわからない。
しかし結果として、それはスキルの適切な発動モーションだった。
変身師の変身状態に秘められた力。
それを発揮する準備が整い、スゥの耳に何かの声が聞こえてくる。
きっと友だちを救える力を、システムが教えてくれていた。
「えっ、あっ……えっと、えっと」
「わひゃー! このヘビ、口がくっせえですよー!」
「あ、"あやめのひ" っ!!」
そうして引かれる、スキル発動の最後のトリガー。
スゥが叫び、《変身》の真の力が開放される。
頭と腰の4枚の羽根が光を放ち、その手のひらから超常の力が真っ直ぐ伸びる。
そしてフィィと高い音が鳴り、糸のようにか細い紫色の光がヘビに照準を合わせた。
そして、数瞬後。
糸のようだった光の筋は突然膨れ上がり、バオンッと内蔵を揺らす音が鳴る。
<< スゥ・ラ・リュンヌ の《アヤメの灯》
→→部位破壊成功!! アイアタルの眷属 に2219のダメージ >>
<< アイアタルの眷属の 首( C )がしおらしく倒れた >>
紫光一閃。
変身師唯一の技を浴びた三つ首の一本が、くたりと根本から倒れ込む。
レベル1の初心者が、推奨レベル52以上の[アイアタルの眷属]の鱗をぶち抜いた。
「でっ……できたぁ~」
「わー! なに!? なんですかっ、今の光はー!? まさか朱の隠れた力が目覚めてしまった感じですかー!?」
「エロいなー、エロいよー。“あやめのひ”ってなにかなあー? えっちな単語かなあー? おじさんはもう、何もかもがエロく見えてしまうんだよー」
「紫のビームとかエッチすぎィ~」
「……………………え? 2000て……は? マジ?」
ごちゃごちゃの戦場の中で、唯一冷静だったマツダイが、驚きで目を見開いていた。
◇◇◇
「あ、あれ? ……うそ……動いてる……!? そんなぁ……おしまいじゃないのぉ……?」
自慢の首をダメにされ、怒りに燃える3-1の二つ首。
それにシャァァと威嚇されてびくびく震えるスゥを見ながら、マツダイは思考を巡らせた。
(……なんだ今の? 魔法……じゃないよな、詠唱なかったし。じゃあ遠隔スキル? それで2000超え……? そんなに出るもんなのか?)
インターフェイスに残る戦闘ログ。そこに表示されたダメージを確認し、先程の状況を思い返す。
変身師については知っていた。
習得スキルは《変身》のみ。それは『何かに変身する』というシンプルなものだが、効果中はすべてのステータスが跳ね上がり特殊スキルまで開放されるというロマン仕様の職業だ。
しかしながら、そんな強化を相殺してあまるデメリットもあった。
まず、その《変身》は初期レベルで数十秒しか持続しないこと。
そしてさらには、一度使用したらゲーム内時間で24時間再使用が制限されるということだ。
つまるところ《変身》とは、1日1回だけ、数十秒間の超絶パワーアップを得られるヒーロータイムな技なのだ。
そんな一度きりの短期決戦型スタイルは、長時間狩りを続けることがレベリングのキモだと言われる現環境において、当然ヒエラルキーは最下層。
“夢はあるがひどく使い勝手が悪いゴミスキル” だというのがプレイヤー全体の共通認識であった。
それゆえ地雷や不遇、あるいは宴会芸と呼ばれていた《変身》だったが――それにしたってあの攻撃力は、マツダイにとって大きな誤算だった。
「えっと、も、もう一回っ! ……あやめのひっ!」
(……変身師、かぁ)
「あ、あれ? どうしよう、出ないよぅ」
自分がアイアタルの眷属と戦う際のメインのダメージソースである《飛爪》は、平均して530程度のダメージしか出ない。と言ってもそれは消費スタミナと再使用時間の兼ね合いを考えてで選択しているスキルであり、最大火力を出すなら他の選択肢は無数にある。
しかしそれでも、マツダイのようなスピード重視ビルドでは、精々一撃2500程度のダメージが限界だ。
十中八九はじめたばかりのド初心者。
強化も弱体化もない状況。
弱点属性を突いた訳でもない攻撃。
そんな無い無い尽くしで自身の最大火力に近いダメージを叩き出す変身師の性能は、マツダイの脳裏に深く刻み込まれる。
(スキルの再使用は5秒以上か……いやでも、悪くないな。うん。いいぞ。サブ枠で取るのもアリかな? ……いやでも確か、《変身》のクールタイムは変身師をメインにしてないとカウントされないんだったっけ)
意外なところで意外な職業の性能を見せられ、頭の中で情報を整理するマツダイ。
自分が知っている情報と、今ここで得た情報。それらを組み合わせて活用する方法を考えるその瞳は、いつもの殺人鬼のような眼差しと違い、夢を追う少年のようにきらきらと輝いていた。
(ってことは使うとしたらメイン変身師でサブに種族職業……実質単一職ビルドになるか。種族職業のレベルが上がりきった時のスキル構成にもよるけど、最初からPT内での運用前提なら問題ないのか?)
「んほぉー! ズームしてよく見てみたら、顔のクオリティも高くて尚えっちだなー!? おーん!?」
(もしくは休憩中だけメインを変身師にして……いや、それだと咄嗟の戦闘では使えないし、奥の手すぎて使えるタイミングが限定されすぎるか。現状で瞬間火力が必要になるのって対人くらいしかないしな)
「フム……オォ、確かに。気弱な感じの顔がイイなァ。あと声と髪と目もイイねェ。っていうか全部イイ。……あ、ダメ、わたし恋しちゃう……トゥクン、トゥクン」
(いや……対人……そうだ、対人戦だ。PvPで遠距離から無詠唱の初撃をぶっ放せるのか。え、それ開幕ぶっぱしてヒーラー落としたら大体勝ち確だよな? マジかよ、メチャクチャ使えるじゃん)
思考の合間に聞こえてくる雑音をガン無視し、さらにその応用を考え進める。
メイン職業1種+サブ職業1種というゲームシステムの都合上、今まではとにかくレベル上げに有利なものばかりを注視していた。だから変身師は眼中になかった。
しかし今後を考えると、変身師という切り札を入れるビルドもなしではない。
――否。なしではないどころか大変結構だ。
そればかりか、その不遇職と認定されていることこそが、マツダイの心を踊らせた。
変身師は使えないという共通認識。
それによって得られるのは、確実な勝利を掴む使い捨ての片道切符――いわゆるひとつの『わからん殺し』だ。
それを自分の好きなタイミングで使用できるというのは、ゲームをする者にとって至上の喜びだろう。対戦相手に “そんなのアリなん!?” と言われることが嫌いなゲーマーはいないのだ。
(……単発のロマン砲、か。いいな。他クランとの抗争が激しくなってきたら組み込むのも全然アリだ。あぁ、うん……うん。いい。まさかの拾い物だ。ラッキーだ。いい人柱だ。儲けもんだ)
誰かが作為的な情報を流せる攻略Wikiや噂話などは信じない、というのがマツダイの持論だ。データはすべて自分の目で見るか、信頼足りうる仲間たちの口から聞くようにしていた。
そんなマツダイであったから、思わぬ職業の有用性をこの目で見ることができたのは、たまたま転がって来た幸運に思えた。それこそ下手なレアドロップよりも、ずっと満足できる程度には。
(いや、はは。あの女には感謝しないとな。あんな低レベルで魔法防御高めの眷属相手に2000超えとか、久々にいいもん見たわ。あの射程であの火力なら他にも使い所ありそうだし、タイミング次第じゃボスのラストアタックとかも取れるんじゃ――……)
そうして浮かれる思考の中で、自分の言葉にヒントを見つける。
この奇遇の中で見つけた、新たな幸運のヒントを。
自分の悩みのタネを解決するかもしれない、たった一つの冴えたやり方を。
(……ボスの、ラストアタック?)
呼吸もまばたきも忘れて静止したのは一瞬だけ。
その後濁流のように思考が溢れ出し、熱を持った仮初のシナプスの間を電気信号がせわしなく駆け巡る。
脳内のあちこちで情報の精査と処理が行われ、その閃きから来る体の痺れは電流にも似た速度で背筋を通って尾骨へ届く。人型になって失われたはずのしっぽが、びびびと震えた気さえした。
……『領域守護者』『キーアイテム』。
……『初心者変身師』『アヤメの灯』。
……『アイアタルの眷属』『【The Weeder】アイアタル』『ココノハ大森林』。
偶然重なり合った幸運が、さらなる幸運を産み落とす。
それを確信した瞬間、とうとう口の歪みを抑えきれなくなった。
「ふぅ……エロくてかわいくて最強だわー。やっぱサキュバスは安定の属性だよなー……ん? マツダイ、何笑ってんのー?」
「オイオイ、えちえちサキュバス見て興奮してんのかァ? 気色の悪いやつだなァ」
「いやお前にだけは言われたくねぇよ…………にゃあ、お前ら」
「んー?」
「ンだよ、どしたァ」
「森のボス、あの初心者に殺させねぇ?」
自分ではボスを倒したくない。名前と顔を知られたくないから。
ライバルクランには倒させたくない。負けたくないし出し抜かれたくないから。
だから、あいつらに。
あの初心者で不遇職なエンジョイ勢たちに、ボス討伐者になって貰おう。
純度100%の私利私欲によって作られる悪巧み。
それを提案するマツダイの顔は、付き合いの長い2人ですら見たこともないほど邪悪な笑みを浮かべていた。
◇◇◇