少女は求める、死に至る、肉を
◇◇◇
□■□ 首都セブンスターズ □■□
"エンジョイ勢のセックス(未遂)" という多少のイレギュラーはあったものの、当初の予定通りにストレージがいっぱいになるまで狩りをしたマツダイ。
そんな彼は万年発情期のパーティメンバー『EAK』『椎茸強盗』の2人と別れ、『首都 セブンスターズ』の中央広場を訪れていた。
目的はそこにある簡素なテーブルと木の立て看板だけの店、買取を専門に行うユーザー露店だ。
「――買取」
「あぁ? ……なんだ、どこの不審者かと思ったらマツダイか」
「早くしろ」
「はいはい、おっとと」
挨拶もないまま手に持っていたモンスター素材を置く人型状態のマツダイは、頭からねずみ色のフード付きローブをすっぽり被る格好だ。
それは周囲を歩く人間種アバターと何も変わらないように見えたし、そう見えるように変装しているものだった。強いておかしいところをいうのなら、ローブをかぶった頭に2つの出っ張りがあるところだろうか。猫耳の。
そんな怪しい格好のマツダイが、ストレージからアイテムを取り出す。何かの草や鉱石類、そしてモンスターの牙などがごろごろと転がり、テーブルの上を埋めて行く。
そうして雑に投げ出された一つが小さな木のテーブルから落ちそうになり、鉄兜にエプロンというエキセントリックな装備の買取露店主『ノックス』が慌ててキャッチした。
「おいおい、もっと丁寧にやれよ。どっか行っちまっても知らねぇぞ」
「そう言ってちょろまかすにゃよ」
「そんな真似するかよ。あの源丸を追い込んで引退させたの、お前らだろ?」
「ゲンマル? 誰それ?」
「港町で買取やってた総資産ランキング上位勢。査定の時に買取品抜いてたとかで、晒しスレで見ない日はなかったぞ」
「あ~……そんなこともあったかもにゃ。つっても俺は待ち伏せPK担当で、粘着晒しは別のヤツがやってたんだけど」
「担当て……他の人外共はまだしも、お前の見た目と語尾でやることじゃねぇだろ」
「知るか」
互いにぶっきらぼうで、物々しい会話の言葉は刺々しい。
しかしそれでも確かな付き合いの長さを感じさせるやり取りだった。
そんな会話をしながら一通りアイテムを出し終えたマツダイが、テーブルにどかりと尻を乗せる。それにはノックスもたまらず抗議した。
「……おい、そこ座るなよ」
「どうせ誰も来にゃいだろ」
「たまに来るわ。あぁ、どうしても座りたいってんなら元の猫状態で座ってくれよ。見た目だけは可愛らしいし、招き猫代わりによ」
「はぁ? するかボケ」
「いいじゃねぇかよ。かわいいかわいいってちやほやされたいがための猫アバターだろ?」
「ちげぇよ、殺すぞ。あれはキャラクリで振ったステータスからの自動選択だ」
「あん? そうなのか? じゃあその人化の顔も自動か?」
「……それとついでにこのふざけた語尾もにゃ」
黒猫状態、そしてそれから変化する、気取った服に中性的な美貌の人化。そのどちらであっても人目を引くマツダイのアバターは、仲間たちから "いくら自由に容姿を決められるゲームとは言え、こうまでのイケメン(イケ猫)も中々いない" とイジられるのが常だった。
しかしそんな容姿を望んだ訳ではない彼にとっては、それで注目されるのは要らぬ面倒でしかない。そうした理由があって彼がプレイヤーのいる場所を歩く時は、決まって全身を隠すようにしていた。
「なんだ、そうだったのか。俺はてっきり女にモテたいんだと――」
「うるせぇ、もう喋るにゃ。さっさと査定しろ効率悪い」
「――……はいはい」
雑談をしたがるノックスを無理やり黙らせたマツダイは、大きなあくびをしながらぼーっと空を見る。猫のなごりか伸びた犬歯がきらりと光った。
EAKと椎茸強盗と共に狩りを始めたのは日が落ちてすぐだったが、空はすでに白み始めているようだ。
(朝ってことは……リアルは昼の11時くらいか。ぼちぼち接続数も増えるかな)
このLiving Heartsの1日は現実と同じく24時間で、昼夜は季節を問わずきっかり11時間30分ずつだ。そんな昼と夜の間にある30分で、こうしてゆっくり空が切り替わって行く。
そんなゲーム時間の中で、夜から昼まで狩り通し。それはつまり、彼らが精神加速10倍のLiving Heartsでおよそ12時間――現実時間で1時間と10数分もの間レベリングを続けていたことに他ならない。それは一般プレイヤーにとって狂気の沙汰で、しかし彼らガチ勢にとっては平常通りだった。
(買取終わったら補充してもう一周狩りに行って……そのあと倉庫の整理……あ~面倒くせぇ。それは明日でいいや)
「ねぇ~! お願いですよぉ!」
「だから何度も言ってんだろ! 駄目なモンは駄目なんだよ、嬢ちゃん!」
(……ん?)
そうしてテーブル上で小休止を取るマツダイの猫耳に、穏やかではない声が聞こえて来る。特にすることもなかったマツダイは、何の気なしに目を向けた。
「いいじゃないですかぁ! ちょびっと! ひとくち! ひとかじりでいいんですよぉ!」
「かじられたら売りモンになんねぇだろうが!」
「じゃあ、骨っ! 骨をしゃぶらせてくれるだけでもいいのでぇ! 丹精込めて丁寧に、一生懸命しゃぶりますのでぇ!」
「ちょ……っ!? おいおい、変な誤解をされるようなこと言わんでくれよ……」
(あれは……肉屋か)
マツダイ自身は利用したことこそ無いものの、何度か目にしたことはある骨付き肉の食べ物屋台。その店主である『Fresh meeeeat』と赤い髪の少女とが、焼き網を挟んでしゃぶるだのしゃぶらないだのとやりあう。
どうやら肉を少女が買おうとしており、それを店主が断っているようだ。
「ったく……なぁ、嬢ちゃん。アンタ初心者だろ?」
「にゅうび? 子供の歯のことです?」
「それは乳歯な。俺が言ってんのはニュービー、ショシンシャって意味だ。見たところ装備は全部初期装備だし、もしかすると初ダイブしたばっかりなんじゃないか?」
「わ、おじさんすごいですねぇ。確かに朱は始めたてのほやほやですよ」
“なのでニュービーというかベイビーなんですよ”、と続ける少女。マツダイはほんのりイラっとした。
そんな少女の格好は、確かに店主の言う通りに一目で初心者とわかるものだ。
クリーム色の半袖ジャケットに、ポケットのついた茶色いホットパンツ。腰には雑草を散らすくらいにしか使えないであろうなまくらナイフが下げられて。そのどれもこれもが、キャラクタークリエイト時に選べる3種の内の1つ、『冒険のはじまりシリーズA』のもの。
その何の防御効果もない“ぬののふく”に身を包むのは、昨日今日ゲームを始めた証だ。
そんな初心者丸出しの少女は、赤髪を少しほぐれた2つのお団子にまとめ、その上に『朱朱朱朱』というプレイヤーネームを表示させている。
その同じ漢字が4つ並んだ名前をなんと読めばいいものか、マツダイにはわからなかった。と言っても、さしたる興味もなかったが。
「おじさんじゃないが……しょうがない、先輩として教えてやろう。いいかい嬢ちゃん。このLiving Heartsで遊び続けたいのなら、とにもかくにもまずはカネ。それを大切にしなきゃあいけないんだぞ」
「そうですねぇ。お金は大事よ~ってお母さんも言ってました」
「それはまぁ、うん。そうだけど、そういう意味じゃあなくってな。いいか? このゲームのカネは、リアルマネーと同じ価値を持ってるんだ。嬢ちゃんも持ってるこの世界の通貨『アース』ってのは、ダイブアウトすりゃそのまま電子マネーとしても使えるし、何なら現実のカネにだって交換できる凄いやつなんだぞ」
「……ほへぇ~」
「本当にわかってんのか、嬢ちゃん」
とぼけた相槌を打ちながら、首をかしげる初心者の少女。
それに少しだけ呆れる肉屋の店主は、それでもめげずに説明を続ける。
「だからな、ゲームを始めたご祝儀で貰える5000アースってのは、現実のカネと同じくらい……いや、それ以上に大切にしなきゃ駄目なんだ。何せそいつは武器を買うなり道具を買うなりして、稼ぐ基盤を見つけるための支度金だからな」
「したくきん」
「あぁそうだ。まずはそのカネで準備を整えて、Living Heartsの月額料金をLiving Heartsで稼げるようにする。それが初心者に与えられた最初の課題で、ゲームを続けたいなら絶対にクリアしなきゃいけないことなんだ」
「……月額料金、ですか」
「現実の貯金がいくらあっても、出ていくだけじゃあすぐにすっからかんだ。とにもかくにもアースがなけりゃあ、続けたくっても続けられない。最初から一ヶ月だけやるって決めてたとしても、遊びに使うカネがなけりゃあ何も楽しくやれないだろ? だからまずは無駄使いせず、稼ぐ準備を整えるんだ」
「むむむ」
「わかるか? いくらダイブ初日で世界一うまい肉が売ってる店を見つけられたからって、それを食うために大事な初期アースを使ってちゃあ駄目なんだよ」
そうして店主が話すのは、このDive Game Living Heartsの大きな特徴であるゲーム内クレジットの価値についてだった。
国民の誰しもに振り分けられる国民管理ナンバー。それと紐付けられたアカウント情報には、自動でゲーム内通貨『アース』を管理する国営銀行口座が作られ、それがアイテムストレージ内の所持クレジットと連動する。
そのアースと呼ばれる通貨は、専用アプリケーションの利用で各種スーパーやコンビニエンスストアの支払い、更には役所での納税すらも可能であり、果ては円やドル・ユーロ等にも両替可能ですらあった。
すなわちこのLiving Heartsとは、娯楽でありながらリアルマネーを稼げる世界でもあり、一種の仕事とも呼べる夢に溢れたVRMMOなのだ。
「で、でもっ、そのお肉は1200円なんですよね? それなら3800円も残るし……」
「円じゃなくってアースな、アース。それに肉を売れない理由は他にもある」
「ふむぅ? なんです? 教えてください! 朱は世界一おいしいお肉を食べてみたいんですよ!」
しかし少女は怯まない。
それどころか、店主の "世界一うまい" という言葉に感化されたのだろう、そうして会話をしながら目だけは骨付き肉に釘付けで、今にもむしゃぶりつきそうなほどだった。
そんな肉食獣じみた少女から肉を守るように体を割り込ませた肉屋の店主は、続けて少女に向かって話す。
「嬢ちゃん、ちょっとほっぺをつねってみな」
「わかりましたっ!」
「ちょ、俺のじゃねぇよ! 自分のだ!」
「あ、はい……あいたっ」
「どうだ、わかったろ? このゲームはな、『痛み』を感じるんだ」
「いたみ?」
「あぁ、そうだ。確かにここはゲームの中だが、それでもちゃんと痛いのは痛い。頭をぶつければ本当に頭が痛いし、腹を斬られたらリアルに腹が痛む、痛覚のフィードバックって仕様があるんだよ。つっても、現実に斬られたのと同じくらいに痛い訳じゃあないがな」
「ふむぅ……でもそれとお肉にどんな関係があるんです?」
ほっぺをさすっていた手をそのままアゴへと移動させ、むむむと言った顔で悩む少女。
それに対する肉屋の店主は、待ってましたと言わんばかりに胸を張り、ここ一番の大声を出した。
「聞いたか? 聞いたな? ……よぉし! ならば聞かせてやろうじゃねぇか! ウチの肉はピリリと辛い『レッド・ホット・チリミート』! その旨さの秘訣が――そこにあるッ!」
「おぉー!?」
「辛いってのは一体何か!? そいつは間違いなく、刺激だろう! 刺激ってのはぁ、痛さだろう! しからばピリッと辛いってのは、舌をガツンとぶん殴り、喉をカッカと焼き尽くす、口内への物理攻撃ってモンだろう!」
「ほほー!」
「つまりこの肉は――食うとダメージが入る! 口の中がヒリヒリと痛み、辛さという刺激をしっかり感じる、Living Heartsならではの食い物ってことだ!!」
「なんとー!」
「そいつが俺の珠玉の逸品、五感で味わう『レッド・ホット・チリミート』! お値段いつでも1200アースぽっきり、首都の広場で好評販売中! ってな」
「ワ~オ!!」
ゲームシステムとして存在する、痛みを感じる仕様。
それは近年社会問題化している『ヴァーチャル自殺遊び』の抑制や、五感をリアルに再現するために必要なものだとして実装されていた。しかし同時にあまりにも挑戦的な仕様だったため、常々賛否両論でもあった。
だが、ネットゲームプレイヤーというのは往々にしてたくましいものだ。こうした『痛み』という本来マイナスにしかならない仕様でも、それをうまく工夫することで新たな楽しみ方に変えてしまう。
こういった、遊び方を求めるだけではなく自らで見つけ出すという自立心。そうして自分で世界を満喫する意欲を持ったプレイヤーはこのLiving Heartsのあちこちで見られ、そんなところもこのゲーム独自の売りとして強い宣伝効果を持っていた。皮肉なことだが、その痛みを感じる仕様こそが、世界最大級の同時接続数を支える形となっているのだ。
「ふぅ……って訳で嬢ちゃんみてぇな初心者には、おいそれと食わせられねぇのさ」
「……えっと、どういう訳です?」
「いや、だからな? これを食うとダメージがあって、嬢ちゃんみたいな初期レベルのヤツは死んじまうんだよ」
「死んじゃう……ですか?」
「あぁ。そりゃあ軽減やら防御率によっても変わるが、一口で大体10ダメージくらいは入っちまう。初めたばかりの嬢ちゃんだったら、HPは20もありゃあいいほうだろう。つまりは二口食ったらお陀仏の、死ぬほどうまい肉ってやつだな」
「食べたら、死んじゃう……」
食べるたびにダメージを受ける諸刃の美食。そんな『レッド・ホット・チリミート』は、それでも好評を得ていた。
他のVRゲームではありえない、痛みを感じられるという特色がゆえのリアルな辛さ。それは珍しいもの好きのプレイヤーや、口をヒリヒリさせることが何より好きな辛党の者に愛され、後追いのダメージ付き食べ物屋台がちらほら見られる程度には人気があるのだ。
それを証明するように、この屋台の周囲広場でも、骨付き肉を片手にこのやりとりを見つめるプレイヤーは少なくなかった。そしてそんな光景があったから、初心者の少女はこの肉に興味をそそられたのだろう。
「…………わかりました」
「おぉ、わかってくれたか」
「はい! 朱はすっかりわかりました!」
「そいつはよかった。そんじゃあ――」
「お肉を売って下さい! 死ぬ覚悟はできてますっ!」
「いや何もわかってねぇな!?」
「朱はおいしいお肉のためなら、この命だって差し出しますよっ!」
きりりと強い眼差しで、いらぬ覚悟を見せる少女。
その意外な思いきりのよさに焦る肉屋は、急いで言葉を続ける。
「いやいや、待て待て待て。覚悟だとか差し出すだとか、そういう問題じゃあねぇんだよ。いいか? 万が一それで嬢ちゃんが死んだら、俺が殺したってことになっちまう……それが一等に問題なんだ」
「でも朱は、あとになって文句を言ったりしませんよ? ごちそうさまは言いますが」
「そいつは行儀のいいことだが、そうじゃあなくてよ。プレイヤーを殺す行為――PKってのは、そりゃもう絶対しちゃいけねぇことなんだよ」
「ぴーけー……?」
「詳しいことを話していたらキリがねぇから省略するが、とにかく俺は殺しはゴメンだ。そんなことしたらようやく確保したこの場所で商売ができなくなっちまう。……俺はよ、ずっと夢だったんだ。この広場で肉を売るのがな」
「夢……」
「だから、な。わかってくれよ、な?」
「……そう、ですか……」
見るからに ぷしゅう と意気消沈する初心者の少女。
それを見つめる肉屋の店主は、きっと悪い男ではないのだろう。自分に非などまったくないにも関わらず、バツの悪そうな顔をしていた。
「……すまねぇな、嬢ちゃん。もうちょい金を稼いで、いくらかレベルを上げてから出直してくれよ。その時のためにこの一番イイやつを取っといて……ええと嬢ちゃん、名前は? それはなんて読むんだ?」
「……朱の名前は、朱朱朱朱……です」
「そんじゃあ、朱ちゃん。その時になったら一番いいのを売ってやるから、今日のところは諦めてくれよ、な?」
「はい、わかりました……ありがとうございます、えっと……お肉のおじさん」
まるで子供を諭すように話す店主に、こくりと頷く朱朱朱朱。
そしてぺこりと一礼をすると、おぼつかない足取りで店を離れる。
「……はぁ」
とぼり、と歩き、ぽそり、とため息。
朝焼けで長く伸びた影。それを背負ってとぼとぼ歩く姿は哀愁に包まれ、少女の感情をありのまま伝える。
「……お肉、食べたかったですねぇ…………」
そうして呟く一人言は、ひどく悲しい声色だ。
そんな少女に対して向けられるのは、たくさんのプレイヤーの何とも言えない視線だった。
この広場はプレイヤーが待ち合わせや休憩をする憩いの場。そこであんなに大きな声でやりとりをしていれば、否が応でも目立ってしまう。それが初心者であったら尚更だ。そんな背景もあり、朱の物哀しい背中を見つめるプレイヤーの視線は決して少ない数ではなかった。
しかしそれでも誰一人として、少女に声をかけることはしない。
というよりも、声をかけることができなかったのだ。
「……ねぇ、どうする?」
「えぇ? いや、そりゃあかわいそうだとは思うけどさぁ……もしこのお肉をあげてあの子が死んじゃったら、私が殺した扱いになるんでしょ? それはちょっと……ねぇ」
「まぁねぇ……」
あんなに肉を求めていた初心者。そんな少女は今もなお名残惜しそうに肉屋を振り返っている。
そんな彼女の願いのままに肉を分けてあげられれば良かったが、それでは自分の身が危ない。誰だってPK扱いは望む所ではなく、それが見知らぬ初心者のためともなれば、尻込みをしてしまっても仕方がなかった。
そんな中でできることと言ったら、結局は肉屋の店主と同じ "レベルを上げてまたおいで" と言葉をかけるくらいのものだろう。しかしそれで少女が笑顔になるはずもない。
そうした理由で周囲の野次馬プレイヤーたちは、初心者の少女に無言のエールを贈ることしかできなかったのだ。
「はぁ……」
「…………」「…………」「…………」
誰も、何も、悪くない。
しかしそれでも少女の背中は、しょんぼりと小さくなっている。
それを見つめるプレイヤーたちは皆、何ともいたたまれない気持ちになっていた。
「ゲームって、思ってたよりむつかしいですねぇ……」
「……あ~、ちょっと良いっすか?」
そんな静まる広場の中。
力なく歩く少女に対し、声をかける者が一人現れる。
「はい……?」
「これ、よかったらいります?」
地味な男だった。何の変哲もない顔に、平々凡々な服装で、更には中肉中背という一切の特徴もない平均的男性プレイヤーだ。
だが、この騒動を見つめるたくさんのプレイヤーの中で唯一少女に手を差し伸べる変わり者であり、見ず知らずの初心者のためにPK扱いされる覚悟を決めた勇者でもあった。
そんな男が白い服装の少女と仲睦まじくベンチに座り、片手の骨付き肉を朱に向かって軽く差し出す。
それを見た朱の顔が、どんよりとした曇り模様からみるみるうちに明るさを増して行く。そしてついには、朝焼けよりもぱあっと輝いた。
「え……えっ!? い、い、い、いいいいいっ! いいんですかっ!?」
「えっと、見ての通り食いかけで、あと一口くらいしか残って無いんすけど……それでもよければ」
「あぁぁ……だ、だいじょぶです……っ! 朱はそういうの、平気なのでっ!! 全然平気なのでぇ!!」
「あ、うん……いや、なんかすげぇな……」
あまりの興奮、熱狂ぶりに、若干顔をひきつらせる地味な男。その情けない表情に頼もしさは微塵もない。
しかしそれでも朱にとっては、紛れもない救世主だった。
そして男は呆れ笑いをしながら、可食部位がわずかになった骨付き肉を朱に優しく手渡す。
「一口だから大丈夫だとは思うけど、食って死んでも知らないっすよ」
「はい、はいぃっ! 心得ておりますぅぅ! ありがとうございます……っ! ありがとうございますぅぅぅ!!」
「……いや、まぁ、別に。困った時はお互い様ってことで」
「あぁぁはぁぁぁぁぁ!!」
それを騎士が誓いをたてるか如くのうやうやしさで受け取る朱は、もはや言葉にもならない声をあげて平服した。その全身からは歓喜が溢れ、遠目から見てもぷるぷると震えているのがわかるほどだ。
「ありゅがとうぉざいましゅぅぅ!」
「……お、おう…………なぁ、もう行こうぜ。なんか居づらくなっちゃったし」
「…………」
「ん? どうした?」
「あげる」
「え、いらないのか? あぁ、お前って肉より豆腐のほうが好きなんだっけ」
「……おとうふの おみそしる すき」
オーバー過ぎる朱の反応に居心地を悪くしたのだろう。何事かを会話しながらそそくさと立ち去る黒い服の男と、その隣にいた白い服の少女。
そんな2人の背中に深いお辞儀をしていた朱は、がばっと顔をあげて手の肉を凝視する。
「はぁ~……っ! す、すごい……! お肉だぁ……本当に、お肉……っ!」
まるで初めて肉を手にしたようなリアクションで、角度を変え高さを変えて舐め回すように肉を見つめる。そんな動きの中でただよう芳しい香りが朱の鼻孔を刺激して、くるくると小さくお腹を鳴らした。
そうなってしまったらもう、辛抱たまるはずもない。
「――い、いただき……ますっ!」
骨に残った、一口分の肉の欠片。
そこをめがけて大きな口でばくりと食いつき、思い切り肉を噛みちぎる。
「ん~~っっ!!」
目を見開き、まばたき、閉じてまた開く。そんなキラキラした目で肉……というか骨を見直す朱。
その表情にはこれほどの幸せはないと言った感情がありありと浮かび、頬に手を当てる仕草はグルメリポーターも顔負けのものだ。
そしてそのままゆっくりと、口の周りについた脂のことなどどこ吹く風で、ひと噛みひと噛みを楽しむようにもぐもぐする。
「すっごく、すっごく! お~いし――」
――――そして、死んだ。満面の笑みを浮かべたままで。
いきなり目の前で倒れた初心者に驚く錬金術師が、ぎょっとして薬瓶を落としそうになる。調教師の連れていた炎の鬣を持つライオンが、舌なめずりをしながら近寄ろうとして縄を引っ張られた。
プレイヤーのメイン集落、首都セブンスターズのど真ん中。
この世界で一番安全な場所で死亡した、初心者プレイヤー朱朱朱朱。
その体が光の粒に変わり、すぐ近くの初期登録地点『首都 セブンスターズ ゲート』へと還って行く。
<< 一部地域のプレイヤーの皆様へ お知らせいたします >>
<< クラン『正義の旗』支配領域 首都セブンスターズにおいて プレイヤー・キルが発生しました >>
<< 【七色】サクリファクト が 朱朱朱朱 を殺害しました >>
<< 支配者ルールにより プレイヤー・キラーには懸賞金がかけられます >>
<< 今回の懸賞金は 1,000,000アース です >>
<< それでは引き続き Dive Game Living Hearts の世界をお楽しみ下さい >>
そして流れる、プレイヤー・キルの発生を知らせるアナウンス。それはこの首都内にいるすべてのプレイヤーの耳と視界に表示された。また、この首都セブンスターズの支配クランである『正義の旗』のエリア設定により、その大罪人へと懸賞金がかけられたことも合わせて告知がされる。
「……え、100万PK!?」「二つ名持ちだぞ!」「100万だ!」
「祭だ!」「ハンドレッドが出たぞ~」「PKK祭だー!」
支配クランによって自由に設定できる懸賞金額の基準は様々だが、ほとんどの場合は『初心者狩り』を厳しく扱う。
それは今回も例外ではなく、ゲーム開始初日の初心者をキルした大罪人の首には、"ハンドレッド" と呼ばれる最高設定額の100万アースがかけられた。
「PKどこ!?」「どっかで聞いた名前だな」「お金、ほちい!」
「あっちだ! 駅のほうにいる!!」「早いもの勝ちだ! 殺せー!」
ゲーム内クレジットが現実のカネになる世界。そこでそんな大金を掴み、更には名もあげられるという未曾有のチャンスに、首都中のプレイヤーが目を輝かせて武器を取る。
祭りだなんだと騒ぎ立て、初心者狩りをする性根の曲がったPKを取り囲んでボコボコにしようと、正義感と金銭欲とで色めきだって駆けていく。
それを見つめる1人のガチ勢――マツダイは、そんなプレイヤーたちとは対照的にひどくつまらなそうな顔をしていた。
「…………」
Dive Game Living Heartsにありふれる、たくさんの普通なプレイヤー。
ゲームで美食を求める者。初心者に手取り足取り教える者。祭だなんだと些細な事で騒ぐ者。
そして浅はかな行動でデスペナルティを受ける者と、他人のために自分の犠牲を厭わない者。
その全部が何にもならない無駄な行動で、とにかく非効率的なエンジョイ勢の遊び方だった。
そしてそうだからこそ、マツダイは冷え切った目でそれらを見下すのだ。
「馬鹿じゃねぇの」
「…………」
エンジョイ勢を心底毛嫌いするマツダイは、猫目の瞳孔を全開にしながら、不機嫌さを隠すこともなく吐き捨てる。
それを聞いた買取屋のノックスは、その声に自分とじゃれあっていた時とは比べ物にならない殺気を感じてそそくさとアイテムの査定を進めた。
それが原因なのかはわからないが、傷だらけの[アイアタルの眷属]の皮は、マツダイが想定していたよりも高値で売れた。
◇◇◇