濡れ場、PK、効率厨
□■□ Dive Game『Living hearts』内 □■□
□■□ ココノハ大森林 □■□
セックスがはじまりつつあった。
「ぁんっ……もぉ、だめだよぉ……モンスター来ちゃうからぁ……」
「平気だって。この辺は湧きポイントないみたいだし」
見慣れない配列の星がまたたく、どこまでも黒い夜の空。その半分を覆うほど大きな月。
その明かりに照らされた木々の枝葉は鬱蒼と生い茂り、周囲では青白い花がほのかに光る、幻想的な仮想現実の森。
そんなむせかえるほどの自然の中で、2つのキャラクターアバターが絡み合っていた。
「でもぉ……んっ」
ここは柔らかいベッドの上ではなく、森で野外で戦闘エリアだ。ならば当然野生のモンスターも、そして無粋なプレイヤーだって近づける。
そんな心配事を漏らす女の唇は、強引な口づけによって塞がれた。
「……いいだろ?」
「もぅ……しょうがないなぁ……」
ここはVRMMORPG、『Dive Game Living Hearts』の世界。モンスターを狩ることも、鉄を打って武器を作ることも、鍋を火にかけ料理をすることも――そして恋人と絡み合うことも、すべてが可能な仮想世界だ。だったらこうしていやらしいことをするのも、プレイスタイルの一つと言えるのだろう。
もっとも、それをする相手がいればの話ではあるが。
「……あっ……ん…………」
「……装備解除、してくれ」
首筋に舌を這わされ、艶めかしい声をあげる女。
そんな嬌声を引きずり出した男が、女の耳元で指示とも願い事とも取れる言葉を口にする。
いくらそうした行為が可能であっても、あくまでここはゲームの世界。他人の服を脱がせるためには、そういった効果のあるスキルの使用か、あるいは自主的に脱いで貰う必要がある。それを色気のない仕様だと思う者もいれば、この女のように劣情を掻き立てられるニクい仕様だと悦ぶ者もいた。
「……うん……」
色っぽく頬を赤らめ、こくりと小さく頷く女。その視界には薄緑色に発光する『インターフェイス』が表示されている。そこのキャラクター状態欄を細い指でタッチし、装備をひとつずつ解除していく。
<< [ウルブズケープ+3]解除 >>
<< [祝福された 亀甲の胸当て]解除 >>
<< [色味の悪い ケロリ皮のショートパンツ]解除 >>
ひとつ脱ぐにつれ体が軽くなり、あらわになった柔肌を夜風が撫でる。
どこまでもリアルで、しかし非日常的なファンタジー世界。その中で更に非日常的な、野外での脱衣。その両方が女の興奮を掻き立てて、ことさらに頬を色づけさせた。
「は、恥ずかしいから……あんまり見ないで……?」
「……これからもっと恥ずかしいことをするんだぞ?」
「……もぅ……ばか」
気持ちも昂り、イチャイチャは最高潮。月明かりによるムードも抜群。
この広い仮想現実の中で、今だけここは2人の世界。
女はその空気に酔ったような甘い声色に、嘘の罵倒と素直な照れを混ぜ、いたずらに笑う男の肩を軽く押す。
それを受けた男が少しだけ後ろに揺れ――――
「はは、照れた顔もかわいぐぇっ」
――――そして情けない声をあげながら、大きく真横に吹っ飛んだ。
<< マツダイ の《飛爪》
→→トオル・八代 の胴体部に618のダメージ >>
「えっ」
<< トオル・八代 は マツダイ によって 殺害された >>
前触れもなく、あまりに唐突な恋人の死。
呆気にとられる女の視界の隅っこで、それを告げるシステムメッセージがテテテ、と流れていく。
女は確かにそのシステムメッセージを見ていたがに、それでも理解はできていなかった。
「トオ、ル?」
一体何が起きたのか。
下着に革ブーツだけというあられもない姿のまま、口をぽかんとあけて闇に問う。
そうして呆ける女の近くで、“たし、たし”と音が鳴った。
一定のリズム。きっと足音だ。しかしそれはプレイヤーのものだとすれば軽すぎて、モンスターのものだというには落ち着きが過ぎる、何とも不思議な足音だった。
「……だ、誰!?」
女が体を隠しながらそちらを向く。
そこに姿を見せたナニカは、女の想定よりも、はるかに低く。
女の視線の行き先が、つい、と下方に動く。
深い夜の暗い色。それに紛れる漆黒の体。
空に浮かんだ月の色。それを模したような金の瞳。
尖った三角耳。ぴんと伸びたヒゲ。四足を交互に動かし歩く、小さな獣。
つまりは。
「ねこ、ちゃん?」
黒い猫だった。
それが2本のしっぽを揺らしながら、気品すら漂うしなやかな動きで近づいて来ているのだ。
そこで女は、はた、と気づいた。
その猫の頭の上に、プレイヤーキャラクターの証である名前表示――『マツダイ』という名が浮かんでいることに。
「い……異形種アバター!? じゃあ……うそ、まさか、ガチ勢クランの……っ!?」
「……はぁぁ~」
四本の足でゆっくり歩きながら、動物らしからぬ仕草でため息を吐く黒い猫、マツダイ。
その姿から色んなことを察した女は、解除した装備を再装着するのも忘れ、イヤイヤと頭を振りながら後ずさる。
涙が浮かんだその目には、半裸の女に対する遠慮など一切ないままずいずい近寄る猫だけが映っていた。
「な、何……? 何なの!? どうしてPKするの!? どうしてトオルを殺したの!?」
「…………」
「何が目的!? お金!? 装備!? そ、それともまさか、私の体を……」
「邪魔」
「……へっ?」
「俺の狩場で盛ってんじゃねぇ」
それだけ言った黒猫は、おもむろに右前足を持ち上げ、ピンクの肉球を見せつける。
異業種アバターを扱う嫌われ者に心当たりがあった女には、その動作が恋人の命を奪ったものであり、今から自分の命を奪うものだということが、すんなり理解できた。
「――ま、待って! わかった! わかったから! 狩りの邪魔してごめんなさいっ! 今すぐどこか行きますから! だからっ!」
「いやもういいよ」
「え」
<< マツダイ の《飛爪》
→→カナエ・八代 の胴体部に946のダメージ >>
「そん、な……どう……し…………」
<< カナエ・八代 は マツダイ によって 殺害された >>
<< あなた は 死にました >>
容赦なく振り下ろされた、小さな右前足。
そこから大きな爪撃が飛び、女の体を通り抜ける。
「こっちのが効率いいしにゃ」
哀れなPK被害者カナエ・八代は、自身の体が光となって霧散して行く中で
(“にゃ”って……猫アバターだから“にゃ”って…………安直すぎるでしょ……)
とツッコんだ。
◇◇◇
死亡したプレイヤーのアバターが弾け、無数の光のエフェクトに変わる。『死に戻り』と呼ばれる登録地点への帰還だ。そうして光が遠くの空へと飛んでいく様子は、まるで流星群を横から見るように幻想的な光景だった。
しかしそれを作り上げたPK黒猫のマツダイは、それには一切目もくれていない。ただ機械的に地面のアイテムを回収し、仏頂面でインターフェイスを確認するだけだ。奇しくもそのマイペースさは、見た目通りに猫らしい仕草だった。
<< カナエ・八代 は マツダイ によって 殺害された >>
<< あなた は カナエ・八代 を殺害しました >>
<< カルマ値/善行値 が減少します >>
<< カルマ値/善行値 は下限のため変動しません >>
<< あなた は 世界の敵です >>
<< 固有職『十三夜の化け猫』の経験値+ >>
<< 『爪』の熟練度++ >>
<< 戦闘が終了したため スキル《夜装》が有効化されます >>
<< -あなた は 月の下を歩く- >>
(熟練度上昇が2段階? あいつらアレでレベル30以上かよ)
職業のレベルとは別にある武器種の熟練度システム。その上昇率が思いのほか高く、自分が殺したプレイヤーがそれなりのレベルだったことに驚くマツダイ。
その驚きは自分のような襲撃者に対する対応のお粗末さもあったが、何よりこんな森の中でイチャコラするエンジョイ勢ぶりに対するところが大きかった。
そうした思わぬ戦果を確認しながら、周囲をきょろきょろと見回す。この位置に湧くようにしたはずのモンスター、[アイアタルの眷属]の姿を求めて。
(……つーか、いないな)
先程マツダイがここで狩りをしてから、すでに11分は経っている。検証の結果わかった再配置までの時間は10分30±5秒なので、すでに出現していなければおかしかった。
しかしその姿は見当たらず、視界内のミニマップにも敵性存在を示す赤い光点は見当たらない。
(んだよ、面倒くせぇ。どこ行ったんだ。スキル使うか)
「……《追走》、[アイアタルの眷属]」
嫌な予感に眉をしかめ、モンスターの居場所を探るスキルを使う。そのターゲット指定には対象モンスターを100体撃破という厳しい条件があったが、すでにその10倍は倒しているので問題はない。
そうして《追走》を有効化させながら、ミニマップをじっと見つめた。
<< あなた の《追走》が発動しました >>
<< -逃げられると思っているのか- >>
<< ターゲットモンスター[アイアタルの眷属]の位置をミニマップにマークします >>
「うわ……遠……」
自然と漏れる声。マツダイの視界に浮かんだミニマップには、追跡対象の位置を示す矢印が、ここからずっと離れた場所に表示されていた。
猫面の眉間がきゅっと歪み、はみ出た犬歯が月光できらりと光る。
「はぁぁ~」
イチャついていただけのカップルを殺した無表情と、狩りの効率が落ちたことへの苛立ちの表情。その対照的な2つの顔が、彼の持つ価値観を雄弁に物語る。
曰く、他プレイヤーの命などはどうでもよくて、自分の狩り効率だけが重要なのだ、と。
「あ~めんどくさ。ほんとエンジョイ勢って邪魔だにゃ」
そう腐った独り言を呟いた黒猫は、草木の合間にしゅるりと消えて行く。
今度のシステムによって自動変換された語尾は、誰に聞かれることもなく森のざわめきに溶けて行った。
◇◇◇