エリザ
ライザに姉がいることは知っていた。
塔に行くたびに必ず家族の話を彼女が幸せそうに、嬉しそうによく話すからだ。
時折少しだけ寂しそうに見えるのは、塔に親族が誰一人として会いに来てくれないからだろう。それでもライザは必ず家族の話をアルにしたあとは『愛しているの』とまるで決まり文句のように言うのだった。
この方が姫様の双子の姉君…。姉がいるとは聞いていたがまさか双子だったとは。
アルはライザの顔を見たことがない。それは病気で目を患っているため、包帯がかかせないからだ。
けれど、アルはいつも想像していた。ライザの瞳の色、大きさ、鼻筋、その想像していた端正な顔立ちが今まさに眼前にあった。
そこにあったのは圧倒的な、ため息がつくほどの美しさ。
今にも消えていきそうなその儚げな美しさが消えてしまわないか不安になって気づいたら…ー。
「何をしているの」
エリザの頬に手で触れていた。
「え?」
「何を、しているの」
天使の声は無機質さを感じさせるほどに冷たく響いた。
その一言でアルは我に返る。同時に今、自分が誰に、何をしたのかを自覚した。
身分ある姫の体に、たかだか少年兵である自分が気安く触れてしまったこと。
さっと血の気が引く音がした。
「あ、そ、あ…っ‼︎‼︎‼︎‼︎大変失礼致しました‼︎‼︎ぼ、あ、いえ…っ、私は、あ、あのあのあのあの…‼︎無礼なことをしてしまい申し訳ございません‼︎」
ライザだと思ったけれどライザではなかった。
こんなにも似ているのに。
双子の姉だと眼前の天使は言った。本当に?本当はライザで、塔から逃げ出して自分を驚かせるつもりだったのでは?嘘ということはないか?
いや、けれど。確かにこの無機質な話し方はライザではない。
何よりも瞳の奥が…ー。
「別に気にしていない。それより何故ほっぺを急に触ったの」
「それは…」
正直アル本人も分かっていなかった。
ただ、眼前の少女があまりにも儚く、綺麗すぎて消えてしまうのではないかと、急に不安になって触れられずにはいられなかったのだ。
何故そう思ったのかは分からない。けれど、少女にはそんな危うさがあると思った。
「えっと、姫様が綺麗すぎて消えそうだと思った…ので…本当に生きてる人間なのかな、て…思って…みたり…あ、はは」
「そう」
エリザはじっとアルを見つめる。
その瞳は何を考えているのか分からない、まるで何の感情も抱いていない人形のような瞳をしていた。
何回も想像してきたライザの顔はエリザの顔に重なったが、瞳だけはまるで違った。
自分も他者も自然も、あらゆる物事を写していない瞳は、それでも透き通った綺麗な青色だった。
「で、ではあの、私はこれで!あ、でも夜も遅いですし城まで送ります!」
今来た道をまた戻ることは二度手間だったがさすがにこの国の姫を夜遅く一人で帰すわけには行かないので、アルはエリザを城まで送ることにした。
しかしエリザは瞬きすらしないでじっとアルを見つめ続ける。
「あの、姫様…?」
「貴方、ボロボロね」
今日の訓練でウィングにボロボロにされたアルはそこでやっと自分の見すぼらしい格好に気づいた。
華奢な体に合っていないブカブカの隊服はところどころ破けて素肌が見えているし、顔には擦り傷が、頭はボサボサのままだ。
いつも隊にいるときやライザに会いに行くときには決して気にしないことだったので、初めて第三者から身なりのことを指摘され、アルは急激に恥ずかしくなった。
意識すればするほど顔に熱が集まっていくのが分かる。
どうあがいても自分は汚くてボロボロに汚れているただの少年兵で、眼前に立っている少女は華美な、シワひとつもないドレスを着たお姫様だ。それを否応なく意識させられた。
なんだか彼女と同じ空間にいるのが場違いな気がしてきた。
いや、そもそも場違いなのだ。
もともとライザにしたってエリザにしたってアルの身分では絶対に関わることのない人達なのだ。
たまたま会って、話すことが出来ているだけ。アルはそのことを忘れていた。浮かれていた。勘違いを、していたのだ。
「…、すみません。今すぐ消えます」
踵を返し、エリザの目の前から消えようとしたとき。
「待って」
百合の花を連想させる白い腕に掴まれた。
その腕は死体のような冷たさだった。
「とりあえず、そこに座って」