天使
ライザのいる塔をあとにして、アルは月明かりを頼りに軍のキャンプ場へと戻る。
ライザと出会ったことによって何かが変わり始めていることをアルは少しずつ感じ始めていた。
胸の奥がじわじわと熱を帯びていくこの感覚。人生で初めて強くたった一人の少女のために生きたいと願った。
人生で初めて忠誠を誓いたいと思った。
胸が滾るような、感覚。
名前の分からない未知の感情に少年は困惑するばかりだ。
姫様のことを考えると胸がポカポカして、顔が赤くなるのは何故なんだろう。
アルはボーッと考える。それから、はっと我にかえると頭をブンブンとふった。
今はライザのことよりもライザの側にいられるように昇格試験に受かることが先決だ。
とにかく時間がない今、寝る時間を削って少しでも受かるように頑張ろう。
アルは決意を新たに拳を握りしめた。
キャンプ場に戻る前に森へ寄って魔法の訓練でもしよう。
アルは森へと歩みを進めた。
アルは決して頭が悪いわけではない。どちらかというと要領は悪いが、聡明な方だ。何より記憶力に優れている彼は筆記試験の心配はしていなかった。
問題は実技の方だった。
緑の魔法はなんとか成長を自由自在に操れるまでには出来る様になったが、風の魔法は未だに微弱な風を操れるだけだ。
なんとかして実技試験をこの二つの魔法で乗り切らなくてはならなかった。
二種類の魔法がつかえることはかなり稀有なことではあるがそれが使いこなせなければただの宝の持ち腐れだ。
二種類の魔法が使いこなせて初めてそこに価値があらわれるのだ。
『〜♪』
「…歌?」
こんな夜遅くに女の子の…歌声…?
遠くからではあったが少女の歌声が聴こえる。
アルはどことなくその歌声にライザを重ねた。
とても透き通っていて美しい歌声だった。
まるで何かを祈るような、そんな歌声。
その祈りにも似た何かはアルが森へ近づいていくと同時に大きくなっている。
森で女の子が歌っているのか…?こんな時間に…?
ガサガサと葉を分け、歌声のする方へと進んでいく。
腕で視界を覆っていた葉をかき分けたとき。そこにいたのは。
「え…姫…様…?」
月光に照らされ、金の粒子を纏い、白いワンピースを着た天使を彷彿とさせる美少女がいた。
その天使はアルの放った声に反応した。
「……誰…?」
振り向いて正面に捉えた天使の顔は、ライザの顔に瓜二つだった。
もっともライザは目に包帯を巻いているので、あくまでもアルが想像をしていたライザの顔ではあるが。
それにしても。
「ライザ姫では…ないのですか…?」
アルは恐る恐る天使に問う。その美貌の前では話しかけることすら罪のような気がした。
美しさに怯まないよう、そっと拳を握る。
天使はゆっくりと口を開く。
「私、私は…エリザ。ライザの双子の姉よ」
真っ直ぐに、アルを捉えて眼前の天使はそう言った。