恋慕の開花
少年兵の訓練は過酷を極める。
あまりの過酷さ故、訓練中に命を落とすことも珍しくない。
アルが少年兵になった時、同期は100人以上もいたはずなのに今では10人残っていればいい方だ。
エーミールの国では半年に一度、城の側近、いわば国を守る軍から、城を守る騎士になれる昇格テストが実施される。
騎士になれば城の中にある寮で暮らせ、軍のようにせまい風呂や不足気味な食事に困ることもない。騎士になればエリート街道まっしぐら、将来が安泰することは約束されたも同然だった。
騎士という地位は軍である者ならば誰しもが羨み、憧れ、目指すべきところであった。
アルはその話をつい最近聞いたばかりだった。
孤児の彼にとって食事や風呂、一人部屋の寮暮らしはまさに夢のような話だった。
軍に所属するものならば誰もが昇格試験を受ける権利を持っているため、アルも他の軍人同様、昇格試験を受けることにした。
試験内容は筆記と実技の二種類であり、筆記はこの国の歴史と様々な武器の扱い方、戦いの心構え。
実技は剣術と魔法だ。
エーミールの国では10歳を過ぎた辺りから個々によって力と能力に差はあれど、魔法が使えるようになる。
ある者は炎や水、またある者は風や雷といった魔法が使える。
もちろん昇格試験では力が強く、ある程度の応用が利く魔法が使える者が有利にはなるが、適性が認められさえすれば受かることもある。
一概に強く、応用が利く者が必ずしも受かるわけではないというのがこの試験の難しいところだ。
アルが使える魔法は緑と風の魔法だった。
二種類の魔法が使えることはこの国ではかなり稀であったが、その分威力が弱く、ないに等しかったため周囲からは馬鹿にされ続けてきた。
二種類の魔法が使えることがどれだけすごいことだったとしても、所詮微弱な風を操れるだけだし、緑の魔法にいたっては植物の成長速度を早めるだけの力しかない。
「素敵じゃないの!」
ライザはそう言って、慰めてくれたが、アルにとってはお世辞以外のなにものでもない。
手のひらで小さい竜巻が創れても、植物の成長速度を早められても、何一つとして騎士を象る要素はないように感じられた。
「僕本当に受かるのかな…」
アルは月夜に照らされた、塔の頂上へと続く階段を今夜も一段ずつ昇っていく。
あと一ヶ月後に試験がある。
待遇が良く、将来を約束された騎士という役職に憧れはある。
けれど。
騎士になれば、可哀想で、哀れで、健気な少女の側に一緒にいてあげられる時間が増えるかもしれないということが、アルにとっては一番大事なことだった。
今はアルが休みの日か訓練が終わった夜にしかこの塔へは来られないけれど、騎士になれば城の中にある寮で暮らせることになるわけで。
今よりももっと彼女との時間が作れるかもしれない。
アルはそれを希望にして試験に臨むことにしたのだ。
「アル!来てくれたのね!アルしか来ないから、もうアルの足音を覚えてしまったわ!」
ライザの部屋の扉をいつものように持っていた鍵であけると、嬉しそうに弾んだ鈴のような声が響いた。
「姫様、本日は如何でしたか?」
アルは、夜風を感じていたライザの元へと歩み寄る。
今日も金の粒子が夜風に舞っている。相変わらずこの少女は美しい。
「今日も退屈な一日だったわ。最近お医者様もお母様も、家族のだぁれも来てくれなかったの。きっとみんな忙しいのね」
ぷくっと頬を膨らませると、ライザはでもね、と続ける。
「アルが来ることは分かってたわ」
にこりと、口許に笑みを浮かべる。
目に巻かれている包帯は未だに取れない。
医者も家族も来なくなったということは、いよいよ本格的に見放されたのだろう。
床に転がっている食器を見れば、どうやら生かすつもりはあるらしい。
けれど、それはこの先戦争で利用できるかもしれないという打算で生かしているに過ぎない。
愛という幻は等の昔に無くなっていたのだ。
アルは傍らに置いてある、水もなく、枯れ果てた花が一輪差してある花瓶を見て、たまらなく切ない気持ちになった。
両手で枯れた花を包み込むと、花は枯れる前の、生命力がみずみずしい、美しい花に戻っていた。
最近アルがやっとの思いで使えるようになった緑の魔法だ。
植物の成長を自由自在に操る魔法。
以前は早めることしか出来なかったが、今は戻したり、遅らせたり、種の状態に戻すことができる。
成長を止まらせることもできるこの能力は意外と便利だ。少なくとも荒れたモノクロの寂しい部屋に彩りを添えることができる。
「あら?なんだか今良い香りがしたわ」
「今日はお花を持ってきたんです」
枯れ果てていた花の成長を戻したことは伏せた。
言ってしまえば彼女が悲しくなることは目に見えていたからだ。
「まぁ、どうもありがとう!この香りはフルムーンかしら?」
花に疎いアルはぎこちなく、そうですと答えた。
枯れ果てていた花はどうやらフルムーンという品種だったらしい。
アルはこの綺麗に咲く花の名前を忘れないよう、脳内で繰り返した。
ライザは花に詳しいのだろうか。
「私ね、昔は花冠を作るのがとてもうまかったのよ。今はもう目が見えなくなってしまったけど、また作りたいなぁ」
「姫様は器用なんですね」
ふふ、と悲しそうに笑うライザにアルは何とも言えない感情を覚える。
この少女を前にすると、アルは名前の分からない感情に押し潰されそうになる。よくわからない感情に最近は戸惑うばかりだ。
ライザの目は既に回復の兆しがない。そのことをアルは知っている。
堪らなくなって、何か言いたくなって、言わなくてはと思って、アルは体内から迫り上がってきた感情のまま、無意味にあの!っと叫んだ。
自分でもこんなに大きな声が出るなんて知らなかった。そもそも何を言うかも決めていない。
僕は何が言いたかったのだろうか。
アルは恥ずかしくなり、だんだん小声になっていく。
感情のままに絞り出した無意味な言葉は、だんだんと、彼女の顔を見れば自然と形になって口から出ていった。
「も、もし良ければ私がお作りしましょうか…。不器用なので姫様のようにうまくできるかは分からないですが」
何故、そんなことを口走ってしまったのかアルは自分でもわからなかった。
アルは決して器用な少年なんかではない。花冠だって作ったことがない。
ただ、悲しそうに笑う彼女を見たくなかった。いつものように笑っていてほしかった。
そう思った瞬間に、溢れ出た気持ちが言葉になっていた。
この気持ちは何だ?
何で彼女を見ているとこんなにざわざわとした感情になる?
この胸が暖かくなる感情はなんだ?
名前の分からない感情がアルを覆い尽くしていく。
「本当に?!ありがとうアル!!」
ライザは満面の笑みでアルの手を握った。
心臓がうるさくて、顔に熱が集中するのがわかった。
頭が、胸が、心地よい暖さに包まれる。
なんだ?これは…。一体なんなんだ…?!
今まで感じたことのない感情にアルはひたすら困惑した。
同情だったはずの気持ちは熱を帯びて、同情なんかではなくなっていた。
齢13の彼はその感情が恋だということをまだ知らない。