19・モフモフわんこの起こした奇跡
ぴらりらりーん♪
ホテルの屋上に立つわたしの耳朶をスマホの着信音が打った。
一応パジャマの上にカーディガンを羽織って、そのポケットに入れて来たのだ。
ダンジョンマスターなんて冗談みたいな存在になっていても、スマホなしでは生活できない。電話してきたのは真朝ちゃんだった。
『晴っ!』
「真朝ちゃん? どうしたの?」
『足っ! 足が治ったの、今突然!……僕にとって晴と玲奈は大切な親友だから、嫌なことや辛いことは聞かせたくないんだけど、嬉しいことはすぐに伝えたくて』
「そっか。教えてくれてありがとう」
『……なんか冷めてるね。信じてない?』
「ううん、そんなことないよ」
『はは、ごめん。信じられないほうが普通だよ。僕自身が信じられないんだもの』
「玲奈ちゃんにも伝えてあげてね」
『うん、そのつも『八雲!』』
会話の途中で部屋にコーチが入って来たようだ。
『信じられない話だと思うけど、今突然私の古傷が治ったの。だからもしかしてあなたも怪我が治ったんじゃないかと思って……』
『はい、治りました』
『本当? 本当よね? 夢じゃないわよね?』
『夢じゃありません、コーチ。……晴、ごめん。電話切るね』
「うん、お休み」
『お休み』
どうやら成功したようだ。
「タロ君ありがとう」
「吾はボスモンスターだからな。マスターの願いを叶えるのは当然なのだ」
「フヨウもありがとう。また真朝ちゃんの護衛に戻ってくれる?」
「……オォオオオ……」
フヨウも真朝ちゃんの怪我が治ったことを喜んでくれているようだ。
「真朝ちゃんとコーチさん以外の人も治ったかな?」
より多くの人が回復していれば回復しているほど、ひとりひとりの重要度は低くなる。
真朝ちゃんの怪我が治ったことについて、とやかく言う人も少なくなるだろう。
このホテルでそういう現象が起こった。それだけのことになる。
タロ君の『騒霊』でホテルの裏手に降ろしてもらい、玄関に面した大通りへと移動する。
ロビーからは歓喜と驚きの叫びがあふれてきていた。
泣き声も聞こえる。
「生えた、俺の腕が生えたぞ!」
「早く先生を呼んでくれ。間違いない、わしの体から癌が消えたんじゃ!」
「良かった、本当に良かった。神よ、奇跡をありがとうございます」
いろいろな国の人がいるようだが、まだ言葉を聞きわけることはできなかった。
「神じゃなくて吾とマスターなのだ」
タロ君は少々ご不満のようだ。
「アパートに帰って、寝る前にアイス食べようか」
「食べるのだ!」
この前の買い出しで買った箱のアイスが、一本だけ残っているのを半分こしよう。
もうすでにお家の買い置きアイスを食べていたハル君ふー君が、ふたりで一本を半分こしたので余りが出たのだ。
わたしはタロ君を抱いて『転移』した。
★ ★ ★ ★ ★
晴のアパートでカレーをごちそうになった鷹秋は、定時上がりの後の食事で時間が遅くなっていたにもかかわらず、浮かれる気持ちを抑えきれなくて、持ち歩いているジャージに着替えて線路の横を走っていた。
背負ったリュックサックからスマホの着信音が聞こえたのは、隣を電車が駆け抜けて行った後だった。
「フォッグ氏。こんな夜更けにどうなさいました?」
『ハヤマ! これからダンジョンに入れるか?』
「自衛官が交代制で待機していますので、いつでも入れます」
『そうか、じゃあすぐに手はずを整えてくれ。昨日俺が変身したときと同じように録画の用意も頼む』
「かしこまりました。フォッグ氏はホテルですか?」
『ああ、そうだ。お前もホテルだよな?』
「いいえ、俺はまだこちらの町にいます」
『なんだよ、残業か? 日本人は働き過ぎだぞ』
「違います。仕事が終わったので走って帰っていたところです」
『そうか……健康的だな』
「ホテルで待機しているDSSSメンバーもいますので、こちらから連絡して車の用意をさせます。ダンジョンには俺から連絡を入れておきますので、フォッグ氏はそのまま部屋でお待ちください」
『わかった』
いきなりどうしたのだろう、と首を傾げながら、鷹秋はホテルで待機しているDSSSメンバー、定時で帰ったはずの同僚平野風太に電話をかけた。
たぶんひとりなら酒を飲みにも行っていないだろう。
もし酔っぱらっていたら、ほかのメンバーに電話を代わってもらうだけだ。
「……フータか?」
『アキか? アキすげーよ!』
「どうした、酔っぱらっているのか?」
『違う。このホテルで奇跡が起きたんだよ! これもダンジョンの影響かな。だとしたら俺が魔法使いになるのも夢物語じゃなくなって来たよねー!』
「落ち着け。奇跡? なにが起きたんだ」
『ウェインさんの腕が生えたんだよ!』
「?」
風太が口に出した名前の人物は知っていた。
DSSSともアーサーとも関係なく、ダンジョンでポーションが出たという噂を信じて日本にやって来た冒険者だ。ダンジョンのモンスターによって右腕を失っている。
風太とエレベータで一緒になって、ダンジョン好き同士意気投合したと聞いていた。
(……ポーションを飲んでも腕は生えないだろう……)
と思いはしたが、先ほどのアーサーも妙に興奮していた。
なにかが起こっているのは間違いないのかもしれない。
鷹秋は必要な手続きを済ませ、とりあえず自分もダンジョンへと引き返すことにした。