9・モフモフわんこと厄介なファン
「……オーウ……」
ダンジョンマスターの『言語理解』で日本語に聞こえていても、海外ドラマで慣れ親しんだ外国人ならではの発音による『OH』が聞こえたのは、アーサーさんと一緒にダンジョンの前に来たときだった。
ダンジョンを封鎖する警察官と公園のころからある柵の前に、ふたりの人物が立っている。
ひとりはわたしも知っている葉山さん(大人のほう・弟)、もうひとりは顔だけ知っている、ニュース映像でアーサーさんといた金髪の女性だ。
「先回りかよ、ソフィア」
お名前はソフィアさんというらしい。
黒いスーツをスタイリッシュに着こなしたモデルのように整った体型の女性は、真っ直ぐにわたし達の前へと歩いてくる。
今日はサングラスをつけていないので、整った美貌がはっきりとわかった。
そして──
「ふえっ?」
「な、なにやってんだ、ソフィア?」
「ミズ・カロン?」
「わっふう!」
彼女はわたしの前に跪いた。
いや、違う。
「タロくーん!」
蕩けそうな笑顔でタロ君に飛びつこうとしたのだった。
「わふ?」
「ちょ、なんですか、いきなり!」
慌ててしゃがみ込み、タロ君を抱き上げて救出する。
「タロ君、タロ君ですヨネ? ワタシ、大ファンです。毎日動画見てマース」
「あ、えーっと……」
「わふう……」
ここでタロ君があの動画のタロ君だと知られるのは、あまり良いことではないと思う。
こういうときに備えて考えていた演技が炸裂だ!
「あ、あの動画ですね。わたしも好きですよ。柴犬はどの子もよく似てますが、うちの子は特にそっくりでしょう?」
「わふわふ」
そっと葉山さんに視線を送ると、察したのか軽く頷いてくれた。
ソフィアさんが立ち上がる。
「ウソでーす。タロ君はタロ君です。尻尾の角度が同じです」
うわー、めんどくさいな、この人。
というか、尻尾の角度ってなに。
タロ君はいつも尻尾フリフリしてますよ。
「ええ、名前もタロです。日本には多い名前なんですよ。桃太郎とか浦島太郎とかご存じないですか?」
「……」
ソフィアさんは背中を丸め、下から覗き込むようにしてわたしを見つめてくる。
というか、わたしが抱っこしているタロ君に顔の位置を合わせているだけか。
「……本当に? 本当にあのタロ君ではないのデスカー? 眉毛の角度も同じなんですケド?」
「わふー」
念話こそ送られてこなかったが、コイツめんどくさいのだ、という顔でタロ君が見上げてくる。
背後に立つアーサーさんの呟きが聞こえた。
「……俺と話すときも仏語のくせに、好きな動画の犬のためには日本語で話すのかよ……」
どうやら彼女が普段使っているのは英語ですらないようだ。
まだ聞きわけられないからなあ。ずっと日本語でお願いします。
あ、でもこっちの言葉はどう聞こえてるんだろう。
「ミズ・カロン。これ以上民間人に絡むのはおやめください」
葉山さんが言う。
これ、日本語かな英語かな仏語かな。普段とちょっと雰囲気が違う気がするから英語かも。
言われたソフィアさんは、剣呑な表情で振り返った。
「絡んでなどいないわ」
さっきまでと違う印象だから、これは仏語かな。
「絡んでますよ」
「わふ!」
「絡んでるだろ」
わたしとタロ君、アーサーさんの声が重なった。
ソフィアさんがこちらに向き直る。
これまた青い瞳が潤んでいた。
「タロ君、タロ君怒ってるデスカ?」
「わふ!」
「……えーっと、うちのタロ君は動画のタロ君ではありませんが、犬がお好きなら撫でてみますか?」
「タロ君怒ってマース……」
わたしはタロ君の頭を撫でた。
ごめんね、タロ君。でもとりあえずこの場を収めないとね。
タロ君はわかってくれたようだ。
「しつこくされるのは嫌だけど、優しく撫でてくれるなら歓迎しますって」
「わふふ」
「……タロ君……」
ソフィアさんの白い手が伸ばされる。
目を閉じた(ダンジョンマザーツリーのデータベースにアクセスしているのではない)タロ君の頭に、その白い手が降ろされた。
長いまつ毛が落ち、彼女の頬を涙が伝わる。
「モ……モフモフですうー」
「うちの子は動画のタロ君とは別犬ですが、可愛がってくれてありがとうございます。それでは失礼いたします。……アーサーさん、ここでいいんですよね」
「おう、ハル。サンキューな」
ありがとうとサンキューの違いは、わたしの頭が勝手に変換してるんだろうか。
ソフィアさんがボソッと「首輪の色も同じデース」とか呟いてた気がするけど、それは聞かなかったことにしよう。
葉山さんとは視線でだけ挨拶してアパートに向かう。アーサーさん達がダンジョンに来るのなら、しばらくタロ君の散歩コース変えようかな。
(吾が人気者なせいですまなかったのだ、マスター)
(動画を配信したのはわたしだし、タロ君が人気者になるのは当然だから仕方ないよ)
人気者に厄介なファンはつきものだ。