こっちは太陽のせいじゃない
再びドアを叩く者があった。
「翔平、起きてる?」
孝太が俺の身体を引き剥がして聞いた。
「何で幸美が朝からお前んちに来るんだよ」
次の瞬間、おれは喉首を掴まれて罵られていた。
「お前らまさかそういう関係なのかいつの間に!」
息が苦しくて何も言えず、ただ首を左右に振るしかない俺。
幸美がドアノブを回す音が聞こえる。
危ないところだった。今、ドアを開けられたら、俺は間違いなくロリコンで両刀使いの犯罪者として未来永劫記憶される。
幼馴染の中里幸美に。
このまま息を潜めてやりすごすしかない。
居留守を決め込むのだ。
俺は手を伸ばして孝太の口をふさいだ。
孝太が俺のノドへと伸ばした手に、俺の腕が、クロスカウンターのように絡みつく。
この態勢はどれほど続いたろうか。
俺には無限の時間とも思われたが、ドアの向こうの幸美にとっては1分もなかっただろう。
コツコツという足音が遠ざかっていった。
アパートの外階段を降りるガンガンと言う音も、やがて聞こえなくなる。
そこでようやく、俺達は力の均衡状態を解くことができた。
共に床に転がって、荒い息をつく。
しばらくの沈黙。
横になったまま、先に口を開いたのは俺だった。
「問題、そっちじゃないだろ」
孝太も大の字に横たわって答えた。
「なんにせよ、そういう幸せは許せん」
「そんなんじゃない」
俺は事情を説明してやった。
俺と同じ大学を出た幸美は、この町にある中堅企業に事務職で勤めている。
早番で出勤する前と、定時に仕事を終えた後、必ず俺のところに来る。
手土産は、田舎の地元企業の案内パンフレットだ。
休日のたびに帰省する幸美に、俺の両親が、宜しくと手渡すらしい。
大きなお世話である。
つまり幸美は、田舎に帰って農業をするか、地元の企業に就職しろという談判に来るのである。
孝太にとってはどうでもいいことだが。
「たいへんだな、お前も」
納得はしてもらえたようだった。
だが、今度は孝太のお節介が始まった。
「幸美と田舎へ帰るのが嫌ならさ……」
「そういう誤解を招くような言い方よせよ」
「仕事紹介してやろうか?」
夜の街に生きる孝太の紹介というのは、かなり引っかかる。
俺は話をそらした。
「なんにしても、月水金に出勤前とアフターファイブで説教に来られるのはな」
「何で月水金なんだ?」
「早番なんだと」
「つきあってるわけでもないのにご苦労なこった、感謝しろ」
孝太は身体を起こして、部屋の中を見渡した。
「何か気になるか?」
幸美が去って、午後5時までは平和な一日が過ごせるはずである。
だが、孝太は怪訝そうだった。
「お前のあの子さあ」
「だからそういう誤解を招くような発言は」
遮る俺の言葉に、孝太は真顔で返した。
「いないぞ」
俺は飛び上がった。
さっきまで少女が包まっていた布団は、無造作に投げ出されている。
流石に、俺も慌てた。
「どこ行ったんだよ」
孝太は素っ気無かった。
「じゃあな」
ドアを開けて出て行こうとする。
「じゃあなって、おい!」
「もう、心配することないだろ」
俺は孝太の背後から肩を掴んだ。
「着る物、何もなかったんだぞ」
敷居をまたごうとする足が一瞬、ぴくりと止まった。
夏の朝の日は暑いのに、風はまだ涼しい。
その涼しさは、肌の大部分を露出している俺には、ちょっと厳しかった。
ひんやりした空気が身体をちぢこませ、鼻の奥をくすぐる。
俺は大きなくしゃみをした。
これは、太陽のせいではない。