暑苦しいのも太陽のせい
ドアを叩く音がした。
「おい、傘持ってきたぞ! 起きろ!」
孝太の声だった。
ノドを絞めつける腕は既に解かれている。
そこを開けろ! カギは掛かってない!
叫ぼうとしたが、声が出なかった。
俺の背中に貼りついていた、しっとりとした素肌の感触はもう、ない。
腹の下にざらついた畳があるのがわかるばかりだ。
だが、何も見えはしない。視界が真っ白に灼けている。
俺は苦しい息の中で、音だけを頼りにじりじりと這っていった。
孝太はドアを叩き続ける。
「翔平~。そろそろ起きろ~。バイトがあるんだろ~」
ドアノブを掴んで引っ張れば万事解決する。
だが、人間、思い込んでしまうと、そこから抜け出すのは難しい。
「美味しいバイトの話もあるんだけどな~」
孝太! 気付いてくれ! そのドアをちょっと引っ張ってみるだけでいいんだ!
普段ならドアまで一歩か二歩で済む四畳半の部屋。
今の俺には、水なしで抜けなければならない無限の砂漠だ。
いったい、どこまで行けばいいんだ!
気付いてくれ! 孝太!
「で、何やってんだお前?」
ぼんやりとであるが、次第に晴れてくる視界。
呆れ顔のヤサ男が、俺を見下ろしていた。
九段孝太だった。
生地の薄い洒落た服をちょっと着崩した、長身の男が身体を直角に曲げて、俺を見下ろしていた。
傘で俺の頭を小突いて毒づく。
「カギぐらい掛けとけ」
「どの口で言うか~!」
やっとの思いで出た声がこれである。
なんのことはない、いつの間にかこっそり入ってきていたのだ。
必死の思いで這っていた俺の醜態を、ドアを叩きながら鑑賞していたわけである。
無性に腹が立ったが、今はそんなことでケンカをしている場合ではない。
「孝太! 孝太! 俺、今!」
床につっ伏したまま訴える。
だが、命尽きる寸前だった俺の魂の叫びは、孝太の耳を超特急でスルーしていった。
「おい、なんだコレおい!」
孝太は狭い玄関口に、ふらふらとひざまずいた。
それは、信仰厚いものが神の化身にでも遭遇したかのようだった。
「翔平! お前、なにやってんだ!」
それを今から説明しようと思っていたんだよ!
だが、孝太が心配していたのは、俺ではなかった。
トランクス一枚で床を這い回るという俺の奇行……。
だが、孝太の虚ろな眼差しは、あさっての方向に向けられていた。
孝太にはもっと衝撃的なことが、この部屋の中に起こっていたのだった。
ようやく自由が利くようになった身体を起こした俺は、孝太の視線を追った。
くどいようだが、部屋は狭い。
そう時間はかからなかった。
俺の目が孝太の見ているのと同じものをとらえるのに……。
長い黒髪の少女が。
それもまだ10代初めごろの幼さ。
俺の布団で胸から下を隠して。
無邪気なウサギのようにうずくまっている。
孝太は叫ぶ。
「いくらなんでもこれはおまえ、ええ?」
俺は孝太の口を押さえた。
「分かってんだったらさ!」
これで隣の部屋の人にでも怪しまれたら、ということは孝太にも分かったらしい。
口をふさがれたまま、ドアに手を伸ばして鍵をかけた。
二人並んでふうっと息をつき、少女に背を向けてへたり込む。
そこで孝太は同じ質問を繰り返した。
「これはまずいだろこれは」
そういっている声に心配の色はない。
どっちかというと興奮している。
俺は孝太の背中を、ぽんと叩いて言った。
「俺がそういう男に見えるか」
返答の代わりに、 孝太は一気にまくしたてる。
「斯波翔平、二十四歳彼女ナシ歴以下同文独身無職の大学だけ卒業したフリーターが今朝未明、年端も行かぬ女の子をアパートの自室に連れ込んで云々、お昼のニュースにこれだけ流れ
りゃ充分かな」
味方ナシ。
俺は孝太にすがりついた。
「助けてくれよ、友達だろ!」
孝太は顔を背けた。
「近寄るな暑苦しい、ロリコン変態犯罪者」
暑苦しいのは太陽のせいだ。