それは太陽のせい
ある夏の朝のことだった。
冷房もろくについていない四畳半のアパートに敷いた布団の中で、裸のまま不愉快な夢から目覚めると、俺は傍らに裸の少女が横たわっているのを発見した。
ウサギのように身体を屈めて、俺の方に顔を向け、早朝とはいえ暑い日射しの中で気持ち良さそうに眠っている。
多分小学生くらいだろう。
色の白い、細い眉と薄いピンクの唇をした女の子だ。
長い髪が、露になった小さな両胸を上手い具合に隠している。
俺は思った。
これは、夢だ。
夢に違いない。夢であるべきなのだ。夢であってほしい、何とか。
状況そのものが、すでに犯罪なのだ。だいたい、こんな子供を相手にする趣味があってたまるか、俺に。
静かな寝息を立てる少女に手を伸ばす。布団に投げ出された細い腕に触れてみる。
温かかった。
柔らかかった。
間違いなかった。
これは、現実なのだ。
目を覚ましたら同じ布団の中に年端も行かぬ女の子が全裸で横たわっている……。
俺はすぽんと布団から抜け出し、枕元の箪笥をいそいそと漁って自分の下着を探した。
何よりもまず、服を着ろという叫び声だけが頭の中でこだましていた。
まずい。とにかくまずい。
布団の中に一糸まとわぬ姿で横たわっている少女が誰かは、今のところ重大ではない。
場合によっては間違いなく、犯罪。
問題はそこだった。
斯波翔平の名前は今日の昼までに、不名誉なニュースで全国に知れ渡る。
田舎の両親と親類縁者、幼稚園から小中高、去年卒業した大学の同窓生の知るところとなる。
そして、俺の置かれた状況は、極めて不利だった。
前の晩の記憶が、ほとんどないのである。
まず、昨夜は大雨だった。
これは覚えている。
俺は夜遅くまで、夜の街でバイトをしていた。
「ハッシュドボーイ」という、なんだかよく分からないホストクラブみたいな店の皿洗いだの掃除だのといった雑用である。
それも覚えている。若いオネーチャンが多かったような気がする。
営業時間が過ぎてから、そこで勤めている連れの九段孝太と大酒を飲んだ。日付けはとっくに変わっていたから、午前3時4時は平気で回っていたと思う。
そこから記憶がない。
俺は手がかりを求めて、部屋の中を見渡した。
まず、散らかっているのはいつものことだ。
何週間分かの週刊誌やマンガ雑誌、半年分くらいの映画雑誌、スポーツ新聞などが、部屋の隅で雪崩を起こしている。
飲み残したジュースの2リットルボトル、食べさしのポテトチップの袋。
ゲームソフトの山。
とりあえず俺は、シャツだのトランクスだのがごちゃごちゃ詰め込まれた引き出しから探し出したトランクスを付けながら立ち上がって、洗面所まで行ってみた。
洗濯機の端に、昨日着た服が掛けてある。
触ってみると、ぐしょ濡れだった。
つまり、俺は傘もささずに帰ったことになる。
バイトに行くときは傘を持っていった覚えがあるので、もしかすると孝太が持っているかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
不可解なことがひとつあった。
まだ布団のなかで眠っている裸の少女が何者で、どうしてここにいるのかというのは当然の疑問だが、それよりもまず、あるべきものがここにはなかった。
彼女の衣服である。
濡れていようが乾いていようが、裸でいる以上は脱ぎ捨てたものがあって然るべきなのだ。
それが、ない。
ただし、ただひとつだけ考えられる状況があった。
そんなことを思いついたのは、たぶん、夏の太陽のせいだろう。
ある映画を思い出したのである。
未来の世界を変えるために、タイムマシンで現代へやってきた殺人アンドロイド。
タイムマシンには過去に存在しないものは載せられないため、殺人アンドロイドはむさ苦しい図体を晒して、裸一貫で現代にやってくる。
もちろん、そんな絵空事はありえない。
だが、、そうでない限り、この子は裸で歩いてきたことになる。
何にも着ないで。
この白い素肌を晒して。
雨の中を。
……この子が正気なら、そんなことは、まずあり得ないだろう。
……そんなことがあったとして、俺は泥酔していたわけだから……
俺はそれ以上の展開を考えるのはやめた。
他の可能性を探ってみる。
まず、ドアの鍵を確かめてみると、かかっていなかった。
すると、彼女がいつ部屋に入ってきたかということについては、二つの可能性がある。
まず、部屋を出るときに俺が鍵を閉め忘れ、留守中に入ってきた。
おとぎ話の『赤ずきん』のように。
あるいは、帰ってきてから鍵を閉め忘れた俺が寝てしまってから入ってきた。
……どっちにせよ、服がないことの説明がつかない。
なんにせよ、不毛な詮索である。
とにかく、こんな状況でこんな格好はまずい。
俺は急いで部屋の鍵をかけ、押入れを開けた。
服が二人分必要だった。
俺と、この子と。
もっとも、この子に会うサイズの服など、俺がいくら小柄でも持っているはずがないが。
とりあえず自分の服を選んで着ることにして、グレーのTシャツを頭からかぶった。
だが、慌てていると、普段は当たり前にできていることでも上手くいかないものだ。
頭がシャツの穴を通らない。視界を灰色に塗りつぶされた世界でじたばたもがく。
その時だった。
背中にひんやりとした、しかし、柔らかいものが貼りついた。今まで経験したことのない、微かな快感を伴う感触だった。
何だ何だとうろたえていると、俺の背中に感じるのと同じ感触の、しかし細いものが首筋に絡みついた。
人の腕のようだった。
すると、俺の背中に張り付いているのは、人肌ということになる。
誰の……。
考えているうちに、灰色の世界が真っ白に変わっていった。
最後に、脳裏に閃いたものがあった。
布団の中で見た、黒髪の少女の素肌……。
いや、これは幻かもしればい。
だったらそれは、きっと太陽のせいだ。