赤い靴3
また殺された。これで何人目だ。
次は自分ではないのか。警察は何をやっているのか。
そんな声が、マンションの前に集まった主婦達の会話や、カフェやファーストフード店に集まった若者達の会話から聞こえてくる。
当然だろう。人間は見えない存在には恐怖を感じ易い。理解できない、把握できない事象に恐怖を感じるものだ。
心境としては穏やかではないだろう。
今の彼等の心境を例えると、ホラー映画の登場人物たちとまさに合致する。
自分の理解を越えたモンスターに襲われる。科学的に解明できない現象を目の当たりにする。それに恐怖を感じ、パニックを起こす。
それを視聴する側の人間としては、絶対に安全だと保障された状態で、登場人物に感情移入しつつ彼等の恐怖を追体験することにより一時の快楽を得る。
追体験しつつも、自分は安全だと確信しているからこそ人間は恐怖を快楽に変換できる。
だが、この現状はどうだろう。
既に十一人殺されている。それも普通じゃない手段で。
どうやったら子供の腕が通るほどの大穴を開ける事が出来るのだろうか。
不可能ではない。物理的には可能だ。鋭い杭のようなものを突き刺すことで、容易に人体を貫通する穴を作ることが出来るだろう。
しかしそれを殺しの手段として使うだろうか。そんな得物は目立って仕方がない。殺人を行おうとする人間が、そんなに目立った得物を使うだろうか。まず使わない。
仮に偶然そのような殺し方、あるいは死に方をした人間が発見されたとしても、それが十一回も繰り返されれば偶然などという言葉では片付けられない。
はっきり言って異常だ。異常な殺し方をしている。その異常なものが、身近にいる。隠れ潜んでいる。
まさにホラー映画の世界そのものな状況だ。
いつ襲われるのか。誰が襲われるのか。まだ続くのか。一切分からない。
ただ一つ確かな事は、この町に猟奇殺人犯が潜んでいると言う事だけ。
「うわ、また掲示板が祭りみたいになってるじゃん」
「マジかよ。どうせ警察叩きだろ?」
「いいや。『赤い靴』の目撃情報と『蜘蛛女』に襲われたっていう体験談だってよ」
「『蜘蛛女』に襲われて生きてたのかよ。マジか」
「なんでもでっかいハサミを持った女が糸を切ってくれたんだとさ」
「……いや、それはそれで怖えーよ」
どこにでもあるハンバーガー店。その窓際の席を三つ陣取り、外を眺めながら男子学生達がポテトを口に運んでいる。
二人の間にある一席は重たそうな鞄がおかれ、完全に荷物置き場として使われていた。店としては迷惑な席の使われ方である。
そんな彼等の話のネタは、この町の都市伝説。所謂『祭り』と呼ばれるほど盛り上がっているネット掲示板がそのネタを供給してくれていた。
彼等にとって都市伝説は、過激で刺激的な娯楽でしかない。たとえそれが直近に起きた事件を元にしているものであったとしても。
――都市伝説『赤い靴』。
赤い靴を履いた女の姿で現れ、出会った人間を蹴り殺す。その際に必ず胸のあたりを蹴り穿ち、蹴られた人間は大穴を開けられて死ぬ。
この頃起きている十一人連続で殺された殺人事件はこの都市伝説『赤い靴』の情報に合致する部分が多く、より刺激的に見えたことだろう。現実に近づけば近づくほど、その刺激は強い。
彼等にとってそれは安全の保障された恐怖――スリルでしかない。
たとえ実際に人が死んでいようが、いまいが、結局殺されたのは家族や友人どころか隣人ですらない赤の他人である。
自分に直近の人間が襲われでもしない限り、彼等の意識はそう簡単には変わらない。人間とは、自分の身近な部分以外にはとにかく無関心なものなのだ。特に、この国の若い世代の人間は。
「ハサミもった女なんて聞いた事ねえな」
「ていうか、都市伝説っていう割に目撃情報多すぎね?」
「まあ、釣りが大半だろ」
「ねえ、君たち。面白い話してるね」
突然現れた第三者の声に、男子学生達は身をすくませながら声のしたほうに振りむく。
だが誰もいない。気のせいだったのか、と視線を窓の外に戻す。
「お姉さん、気になるなあ」
「うわあっ!?」
「何時の間に」
見知らぬ女性が二人の間の席から荷物を勝手にどかして座っていた。
彼等からすれば少しだけ年上の大人の女性。御世辞を抜きにしても美人であると言い切れるほど整った顔。艶やかで長い金髪。その輝きや色合いからして、染めたものではないのだろう。
何より思春期男子の視線を釘づけにしたのは、その大きな胸である。
思わず視線がそちらに誘われそうになるが、女はそれすら計算していたかのように微笑みかける。
「どこ見てるのかな?」
「えっ、いやっ、その……」
「えっちー」
からかうような言い方に、赤面して顔を反らす。
そりゃあそうだろう。自分の視線を向けている場所が場所だ。それを指摘されれば、恥ずかしくもなる。
とはいえ年頃の男子としてはある意味では健全な反応であろう。
女はそんな反応にも慣れているのか、にやにやとからかうような笑みを浮かべている。
「それで、さっきの話なんだけど、都市伝説がどうとか言ってたよね」
「えっ。あ、はい……」
「お姉さん、そういう話興味あるんだけど。教えてくれないかな」
柔和な微笑みに警戒心など微塵も芽生えないのか、男子学生達は女性にありとあらゆる情報を話しはじめる。
自分たちの見ている掲示板の事。最近話題になっている都市伝説。世間を騒がす十一人連続殺人犯の殺し方が都市伝説に登場する『赤い靴』に酷似していると言う事。
少しでも女性の気を引いておこうと、自分の知っている限りの情報を口にする。
「ありがとう。いろいろ知ってるのね」
「いえ。そんな……」
「こいつ、美人相手に舞い上がってるな」
「バッ! んなことねえよ。ただ、その。な? 分かるだろ?」
「まあ、な」
二人とも目線がやや下のほうを向いている。
下心丸出し。年相応に煩悩まみれである。
「さて。いろいろ聞けたけど、最後にこれだけ聞いていいかな?」
「はい。なんですか?」
「最近、行方不明になった知り合いとかいないかな。親や兄弟、親戚とか。あとはクラスメイトとか」
女の質問に二人の表情が少し変わる。
素直な反応だ。心当たりのある言葉を投げかけら、自然と反応してしまったようだ。
本人たちにしてもこれは隠す事でもないし、そもそも特別な訓練を積んだ訳でもない一般人の彼等に表情を変えるなというのは無理だろう。
女は細かな表情の変化を見て、口元を釣り上げた。
「一応は心当たりがあるんだ」
「えっと……」
「まあ、つい最近学校に来なくなった生徒は何人か」
「へえ。それ、教えてくれるかな」
女の言葉にすぐ応じる事はできなかった。
消えかけていた警戒心が警鐘を鳴らしはじめた。
「なんでそんな事を聞くんです?」
「お姉さんね。探偵なのよ。警察から頼まれてね、報告の上がっていない行方不明者のリストアップを頼まれてるのよ」
そういうものなのか、と男子生徒達は女の言葉を受け入れる。
が、女の言葉は嘘にまみれている。
警察が探偵に頼るというのはドラマの世界の出来事だ。現実の警察が探偵を頼ると言う事は滅多にない。
そもそもである。どうして把握していないのに、把握していない行方不明者がいると言いきれたのか。
だがなぜか男子生徒達がそれに違和感を覚える事はなかった。
しかし頭のどこかで、もっと言えば本能的な部分が叫んでいる。
――逃げろ。と。
「これまでにも結構な数が行方不明になってます。あ、これはウチの学校以外の人間も含めてですよ」
「最近だと隣のクラスの赤井花蓮って女子生徒が行方不明になったって」
「え、でも学校来てたぞ?」
「ばーか。そりゃ双子の妹のほうだ。一卵性だから見分けつかないだろうけどさ」
「お前は見分け付くのかよ」
「おう。眠そうなほうが姉の花蓮。そうじゃないほうが妹の真理だ」
「ちょ、なんかお前気持ち悪いぞ」
二人の会話を聞きながら、女は少し考えてから口を開いた。
「……その子の写真とかある?」
「ありますよ」
「ちょ、お前なんでそんなもの持ってんだよ!」
「うっせーな! ファンだったんだよ、ファン!」
「いや。ないわー。お前やってる事ストーカーみたいだわー」
「うっせ!」
スマートフォンの画面に表示された少女の写真。
女はそれをまじまじと見つめて微笑む。
「ねえ。この写真のデータ貰えるかな?」
「いいですけど……?」
「はい、連絡先」
女からメールアドレスの書かれたメモを渡され、それを受け取った少年は直ぐさま書かれたアドレスへ画像を添付したメールを送る。
すぐに女の懐のスマートフォンから音がし、女は送られてきたメールを確認して微笑んだ。
「ありがとう。必ず役立てるわ。それじゃあ、またね」
「あ、はい」
去る時はあっさりだった。
女は席を立つとそのまま出口のほうへ向かって歩いていく。
「あの、お名前を……」
「私? 私はね。神永シエル。そうそう。君たちさ。それ以上動かない方がいいよ。だって――」
「あっ?」
「急に、息が……」
女は苦しみ出した少年たちを見て笑う。否。嗤う。
「私の髪が絡まってるんだもの」
そう伝える頃には、少年たちは動かなくなっていた。
「頸動脈の圧迫なら平均して七秒。ま、長く持ったほうじゃないかしら」
出口付近の席に腰掛け、スマートフォンを取り出して、連絡先から通話相手を選んで発信する。
「……出てくれるかなぁ」
そういう女――神永シエルはまるで恋する乙女のような表情で、相手が電話に出てくれる事を待つ。
何度目かのコールののち、繋がった音が聞こえた。瞬間、シエルの顔が明るくなる。
「ハァーイ。あなたのシエルちゃんでーす」
『……切るよ』
「ああん。つれない。いい情報持ってきてあげるっていうのにぃ」
『……』
通話の相手のテンションは非常に低く、シエルとの温度差が激しい。
「そっちに画像送ったから見てネ」
『じゃあ切るわ』
「えー。そのアドレスパソコンのほうのでしょう? 別に通話切らなくてもいいじゃないの」
『チッ。バレてたか』
「で、画像は確認してくれた?」
『……ああ、うん。こいつは?』
「名前は赤井花蓮。つい最近行方不明になった女子生徒、らしいわ。まあ、間違っていてもすぐには確認できなくなっちゃったけど」
『はあ。また殺したのか』
その言葉を聞いて、シエルは身悶える。
軽蔑しているような、あるいは嫌悪を示したような言葉。
電話の相手から伝わる一言一言の刺激が、シエルを興奮させていたが、先ほどの一言は強烈であった。
全身を電気が駆け巡ったような快感。思わず人には見せられないような笑みを浮かべる。電話越しでこれなのだ。直に会って会話などしようものならどうなっていただろうか。
それはそれで楽しい事になりそうだ、とシエルは笑う。
「だって。仕方ないじゃない。私、男なんて大っ嫌いなんだもの。やっぱり男の子は男の子と。女の子は女の子と恋愛するべきよ」
『その理屈はおかしい』
「何よ。私の愛が受け入れられないっていうの!?」
『お前の愛は重いんだよ! 第一、私はノーマルだ』
「嘘でしょ……こんなに愛してるのに。本当、殺しちゃいたいくらいに」
『……お前のそれは洒落にならない』
シエルの声は楽しげに。電話の相手はそんなシエルにうんざりした声で返す。
事実。シエルは人間を殺す事などなんとも思っていない。
こうしている間にも、先ほど彼女が情報を聞きだした少年たちは首を絞められ続け、刻一刻と死に近づいてきている。
既に五分は経過しているだろう。こうなると回復したとしても脳に障害が残る可能性が非常に高い。十分を越えれば――待つのは死だ。
少年たちがこのような目に遭っているのには理由がある。
それは、シエルの傍にいた男だから。そんな理由。そんな下らない理由である。
ましてや今回はシエル自らから接触したにも関わらず、絞殺されようとしているのだから被害者側としてはとばっちりも良いところである。
だがそれに関してシエルは何の罪悪感も抱いていない。むしろそれが当然だと割り切り、苦しみもがく姿すら嘲う。そういう思考をもった人間が神永シエル――『ラプンツェル』の呪いを持つ女である。
「それで。見覚えは?」
『ある。この前殺した女だ』
「へえ。味は?」
『最悪。久々に口にした食事がアバズレとか思い出したくない』
「なら私のを――」
『お? 自殺志願者かな』
「まさか。私達は最後の二人になる時まで協力関係を続ける。そういう約束でしょう? それとその花蓮とかいうコ。双子の妹がいるみたいよ」
『双子の妹……? ああ。そうか。そう言う事か』
「何かお役に立てたかしら?」
『勿論。ありがとう。愛してる』
「ふふ。素直な子は本当に好きよ。私も愛してるわ、絵理沙」
通話が終わる。
その瞬間、シエルの脳内を通話相手――羽鳥絵理沙の最後の言葉がリフレインする。
「ふひ、ふひひひ……」
危ない笑みを浮かべている事は理解できていた。
テーブルに突っ伏して肩を揺らして楽しげに笑う。
そうしている間にも少年たちは細い糸のような金髪に首を絞められ続け、それがほどける頃には十分を――デッドラインを越えてしまっていた。