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インセイン・テイルズ  作者: 銀色オウムガイ
『赤い靴』
1/18

赤い靴1

赤い靴

デンマークの童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンによって書かれた創作童話。

呪いを受け、赤い靴を履いた少女はそれを脱ぐこともできず踊り続けるという部分が特に有名。

呪いは解けることなく、少女は足を失う事になる。

 ――これで今月は十人目だ。

 現場に居た警察官がそんな言葉を漏らす。

 現場保全のために張られた規制テープが風に揺れ、その風が異臭を運ぶ。錆びた鉄のような臭いだ。

 この日の気温は例年の同時期よりも高く、その臭いに混じって顔をしかめるような悪臭も漂っている。

「こりゃあ酷いな、いつ頃やられた」

「今日の昼十二時頃。つい三時間ほど前です。死因は……まあ見ての通りこの大穴だわな」

 狭い路地の壁にもたれかかるようにした人だったモノの胸には、普通なら考えられないほどの大きな穴が開いていた。

 一人の成人男性の身体を貫通した穴は子供の腕くらいなら簡単に入ってしまうほどで、人間技だとはとても思えなかった。

「遺体の状況から見て、これまでのと同一犯かと」

「だろうな。こんな気味の悪い殺し方、そうそうできるもんじゃねえ」

 大穴を開ける際におびただしい量の血が飛び散ったはずだ。返り血も相当な量を浴びているはずだ。

 事実、犯行時の凄惨さを物語るかのように遺体の周囲には赤黒く染まっている。だというのに、犯人がこの場を離れた際に残るであろう足跡などが見当たらない。

 不気味すぎる。それがこの一件に当たる警察官達の共通認識であった。

 これだけ派手で印象的な殺しをやっておいて、その証拠を一切残さない。

「それにしても、ここまでの殺し。あの噂(・・・)に似てませんか?」

「あ? んなもん都市伝説だろ」

「いや、でも。目撃情報も警察に届けられてるんですよ。『赤い靴』が出た、って」

「んなもん迷信だメ・イ・シ・ン。第一、都市伝説が本当に人を殺す事があるってのか? 口裂け女だって実際の被害はなかったんだろうが」

「そうですけど」

「バカ言ってねえで手掛かり探せ。髪の毛一本でも落ちてりゃ重要な証拠だ」

 規制テープをくぐり、現場へと足を踏み入れる。

「あ、待ってくださいよ」

 若い刑事はその背を追いかけようとするが、ふと自分が誰かに見られているような感覚を覚え立ち止まる。

 背筋が凍るような――あるいは生物的に感じた危機感は到底無視できるものではなく、周囲を見渡してみる。

「あれ、は……」

 最後に、後を見た。

 瞬間。息が出来なくなった。

 氷のように冷たく。槍のように鋭い。まるで射殺そうとしているかのような視線。

 逆光で顔はよく見えないが、それでもその視線から感じる圧は感じられる。

 脳が危険を訴える。逃げろと叫ぶ。だが、身体は動かない。

「あっ、あれ、あれっ、はっ……」

 なんとか振り絞った声は震え、思うように言葉を紡がない。

 本能的な恐怖が、思考力を奪う。

 ――見てしまった。

 自分で口にしながらも信じていなかったモノが、そこに居る。

 勘違いだと思いたい。そんなものはいないのだと、あくまでもジョーク。ただのフォークロアであったはずなのに。

 ――いるはずがない。

 ならこの命すら削られるような感覚はなんだというのだろう。

 姿がぼんやりとしているのに、そこだけはっきりと見えるあの赤い靴(・・・)はなんなのだろうか。

「あ、ああ……」

 何を言おうとしたのだろうか。何と言葉にしようとしたのだろうか。

 結局、若い刑事はその赤い靴の人物の姿が背を向けて去るまで、瞬きすらできなかった。

 姿が見えなくなった直後、肺が一気に酸素を求め、呼吸が荒くなる。

 全身から嫌な汗が出ている。気温のせいだけだとは思えない。

「なんだったんだ、あれは……」

 わからない。それが答えだろう。

 ただ確かなのは、巷でささやかれる都市伝説『赤い靴』は存在していると言うことだ。



 この街にはいろいろな噂話がある。

 例えば、通りがかった人を細い糸で絞め殺す『蜘蛛女』。

 例えば、何もないところから炎が上がる『不審火』。

 例えば、突如眠り続け二度と目を覚まさない『眠り病』。

 それらは一絡げに都市伝説という括りで纏められ、ネットの掲示板やSNSを中心に拡散していった。

 かつての口裂け女の時と同じように、人々は恐怖に慄く……なんてことはなく、一種のジョーク――ネットスラング的な表現をするならば『釣り』であると、誰も本気でそれらを相手にしようとしていなかった。

 当然だろう。大多数の人間にとってそういった都市伝説は所謂オカルトというジャンルの娯楽でしかない。娯楽である以上、実在する誰かを攻撃するような内容でない限りは誰もがそれを容認する。

 だがそんなある日、一件の殺人事件が起き状況が変わる。

 深夜に公園を散歩していた女性が殺害された、という事件である。それだけならばただの殺人事件(・・・・・・・)であり、メディアにもそこまで大きく取り扱われる事はなかっただろう。

 だが、その事件はただの殺人事件で済ますには異様過ぎた。

 目撃者はおらず、犯人の手掛かりになるような物はなく、何も盗まれていない。そして遺体には――身体を貫通した大きな穴が開いていた。

 その異常性から、すぐさまメディアは大騒ぎ。だがそれ以上に大きく荒れたのが、ネット掲示板やSNSで新たな都市伝説を拡散した若者たちであった。

 理由は至極単純。拡散した都市伝説の一つに、この事件の殺害方法と同じような方法で人を殺すものがあったからだ。

 その名を『赤い靴』。

 出会った人間を蹴り、蹴られた人間は大穴を開け大量の血を撒き散らして死ぬ。そんな都市伝説だ。

 それに次いで『蜘蛛女』を始めとする他の都市伝説にも似た殺人が起き、『眠り病』を始めとした不可思議な現象まで起き始めた。

 世間はそれらをあくまでも都市伝説だとし、殺人事件に関連性はないのだと言う。

 ――本当にそうなのだろうか。

 幾度となく起きる殺人。不可思議な現象。

 さまざまな憶測が流れ、そして消えてはまた現れる。

 答えなどないのだろう。だがそれでも、人は議論する。

 意味がないと解っていても、恐怖を紛らわす手段として、幾度となく議論を重ねるのだ。

「……」

 ――つまらない。

 最も盛んにこの街の都市伝説について議論するスレッドを閲覧していたが、内容は似たようなものばかりで飽き飽きしてきた。

 口裂け女に鼈甲飴とポマード。カシマレイコにお決まりの呪文。そんな風に弱点を作って恐怖を紛らわせるものがいた。

 掲示板に書きこまれた都市伝説を元にした殺人を実際に行っている人間がいると、比較的冷静に書きこむものもいた。

 人間が恐怖を感じるというのは、その理由が解らないからだと言われている。故に、何かと理由を付けて恐怖をより形のあるものにしようとしているのだろう。

 それでどうなるというのだろう。どうにもならない。

 いくら口だけ立派にやったって、そいつが何かを出来た訳ではないし、殺人を止められた訳ではない。

「ねえ。あんた。こいつ、知らない?」

 少女は虫の息となった男の顔にスマートフォンを近づけ、その画面を無理やり見せる。

 狭い路地で人通りもない。助けも呼べない状態で、男は恐怖の中で答える。

「し、しらな……い」

「あっそ」

 瞬間、興味が失せたのか、そのままスマートフォンをポケットしまうと、男の顔を蹴る。

 ごきん、という鈍い音がしたが、少女は気にする様子もなくピクリとも動かない男をその場に放置して歩きだす。

「今回もハズレだったか」

 ここにもう用はない。次の目標を定める為にSNSで情報収集を始める。

 といっても掲示板以上に更新速度が早く、より広い利用者のいるSNSでは情報が錯綜していて必要な情報が中々出てこない。

 とはいえ新聞やニュース番組のような真っ当なメディアをアテにするよりも、SNSのような雑多とした情報源のほうが、彼女にとっては有益な情報をもたらしてくれる。

 例えば、人間が行方不明になったという不確かな呟き。

 例えば、警察が取り合ってくれないような恐怖体験。

 例えば――都市伝説そのものの目撃情報。

 特に都市伝説の目撃情報というのは重要である。

 何せ、彼女の探しているものというのは、そういう類のものであるからだ。

「……」

 スマートフォンをポケットにしまう。

「さて。確かに首の骨を折ったと思ったんだけど」

 振り返ると、確かに先ほど首を蹴られた男がゆらゆらと揺れながら立ち上がる。

 その首は不自然な方向に折れ曲がり、その人間が既に息絶えている事を示していた。

 では、何故起き上がるのか。

 答えは単純だ。

 この男が、普通の人間(・・・・・)ではなかったからだ。

「成り損ないだったのね、アナタ」

 にやり、と少女は笑う。

「そうよね。だって、疼いて仕方ないのですもの」

 男が膨れ始め、口から黒い泥のようなものが噴き出す。

 べちゃり、べちゃりと不快な音を立てながら黒い泥が次第に人の形を作って行く。

 泡立ちながら歪んだ人型となった泥は、少女に向かって走り出した。

 明確な敵意を持って。悪意と害意を吐き出すかのように手を伸ばす。

「疼いて、疼いて疼いて疼いて! 今度こそ殺してあげる。徹底的に!」

 少女のものとは思えない凶暴な相貌を見せ、地を蹴ってその場で縦方向に一回転して見せる。

 その際、黒い泥人形の手を蹴り飛ばし、消失させる。

 一瞬、泥人形が困惑に動きを止め、失った手のほうを見つめるような動作をする。尤も目など確認できない故、ただの行動模倣だろう。

 しばらくして、蹴り飛ばされた泥人形の手が地面に落ち、黒い染みを作る。

 サマーソルト。動きそのものはそう呼ばれる魅せ技の一種であるが、その威力はとても魅せ技のものとは思えないものであった。

 たとえ相手が泥の塊であったとしても、不定形のものを不定形のまま蹴りあげるなど、通常は不可能。

「さあ、次はどこがお好み?」

 にやりと笑い一歩ずつ泥人形へ近づく。

 近づかれる事を嫌がるかのように腕を振る泥人形。が、その腕も蹴りによって消失する。

 両腕を失い、狼狽する泥人形。その胸めがけて脚を突きだす。泥人形の胸には大きな穴が開き、そのまま形を保てず崩れ出す。

 それに呼応するかのように、この泥人形を吐き出した男の胸にも大穴が開き、大量の血を撒き散らした。

「……まあ、成り損ないならこの程度か」

 今度こそこの場に用はなくなった。

 少女は既に滅びた敵対者に対し、スカートの裾をつまんで頭を下げる。

 実にわざとらしい動作で。口元を釣り上げながら。

 が、その笑みもすぐに消える。

 空気が変わる。少しでも動けば崩れる薄氷のように、少女の言動ひとつで今この場に訪れている不気味なまでの静寂は崩れ去る。

 ゆっくりと頭を起こすと、少女の眼の前にはドレス姿の女が立っていた。

 一体いつからだろう。

 それを考える間もなく、ドレスの女は手刀を突き出してくる。

 身を反らしてその一撃を回避するも、かすった頬が熱くなる。

「有無を言わさずなんて、随分と乱暴な方。そんなに蹴り殺されたいのかしら?」

「何人殺した」

「はい?」

「何人殺したか、と聞いている」

 ドレスの女は少女に訊ねる。それに対して少女は笑いながら答える。

「いちいち数えてられないわ。貴女も呪い持ちならば、デメリットのある呪いがあるってくらい知ってるでしょう」

 愉快そうに、笑う。恍惚とした表情。殺した事を思いだし、愉悦に浸っているかのように。

 直後、少女の右肩に女の指が突き刺さる。

「え……?」

 一瞬の沈黙。あまりにも速過ぎた一撃は、感覚を置き去りにした。

 女の指が引き抜かれ、傷口から血が噴き出す。

「あがああああああっ!?」

「お前が悪人でよかった。躊躇わなくていい」

「お前、お前えっ!」

 距離を取りつつ姿勢を低くし、サマーソルトを放つ態勢を取る。

 指に付いた血を舐め取りながら、女は少女へと近づく。

「シェァッ!」

 間合いに入った瞬間、一気に足を振りあげて蹴り上げる。

 ――確実に()った。

「私の蹴りはなんでも切り裂き、なんでも穿つ。そういう呪いだから! 誰かを蹴り殺すまで踊り続ける。それが私の呪いなのよ!」

「なら、その足は要らないな」

「!?」

 少女はその時、純粋に対峙した相手に恐怖を抱いた。

 その恐怖を抑え込み、いつものように着地し、次の行動へ移る――事ができなかった。

 足をついたはずなのに、身体が後へ倒れる。

 何が起きたのかを理解できないまま、少女は大地に背を付け空を見上げた。

「えっ、なん、で……?」

 混乱。理解が追い付かない。状況が見えない。

 何故だ。何故だ何故だ何故だ。

「ちょっと綺麗にやりすぎたか。お前にはもっと苦しんで欲しかったんだが。まあ、この呪いは身体(そっち)じゃなく、(こっち)にあるし。そっちはどうでもいいんだけど」

「え、何。貴女。手に持ってるの、何なの……?」

 次第に感じ始める熱。その熱の異常さに、身体が冷えて行く。

 その答えは聞きたくない。視界に入っているのに、見たくない。見てはいけない。それを認識してはいけない。

 もしそれを認めてしまったら。その恐怖が思考を支配していく。

「何って。言うまでもないでしょう。癖の悪い右脚よ」

「嘘、嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘! なんで、なんでそんな……!」

 心が砕けそうになる。だが不幸な事に、理性がそれを(とど)めてしまった。

「ほら、顔の横に並べてあげる」

「やだ、こっちこないで……! 嫌。嫌ぁ!」

「……お前は嫌がる人間をそうやって殺したんだろう?」

「ちがっ、私は呪い以外では殺してない!」

「呪いの所有者以外は殺してない、と?」

「それ、は……」

 言葉に詰まる。正常な思考をしていれば、女の言葉を肯定できただろう。

 だが今、少女にはそんな余裕はない。

 気付かない内に右脚を失い、切断面からは絶え間なく血が流れていく。流れ出る命の熱。失われていく命の熱。

 間近に迫る死に、理性や思考能力など消し飛んでしまっていた。

「お前はやりすぎた。呪いと無関係の人間を九人も殺した(・・・・・・)

「仕方ないじゃない! この呪いは……!」

「呪いのせいにするつもり? だったら私もそうさせてもらう」

 女は手を払うような動作をする。瞬間、左の脚が宙を舞う。

 もはや痛みすら感じない。恐怖が全てを麻痺させた。

 痛みを失わせる。思考を失わせる。理性を捨てさせる。心を壊す。

「あは、あははは……」

 女は少女の頭を掴んで持ちあげると、その首筋に噛みついた。

「あははははははははははははは……あ、は……」

 みるみる血の気を失い、少女は意識を失った。

 抵抗もせず、ただなすがままに。

 女が首筋から口を離した時。少女の身体はまるでミイラのように干からびており、一目ではそれが少女の姿をしてたのだと判別すらできないような状態になっていた。

「……この味。こいつとんだアバズレだったみたいね」

 ミイラを捨てるとそれは粉々に砕け散り、風に吹かれて空に消える。

 残されたのは少女の両脚。

 女がそれを手に取ると、少女の両脚は光の粒子に変換。女に吸い込まれていく。

「ここまで派手にやらなければ、目に付く事もなかったのに」

 女はゆっくりと歩きだす。だがその足は決して地面に触れることはない。

「『赤い靴』履いてた、おーんなーのーこー。なーんて」

 下らないジョークだ、と自嘲気味に女が笑う。

 街には正午を知らすチャイムが鳴り響いていた。

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