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この子はあなたの娘です。  作者: 色川玉彩
第2章〜獅子と鼠〜
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鼠の決断

新しい顔ぶれが見ていて楽しい。

ツイッター▶︎飯倉九郎@E_cla_ss

「俺に、こいつの父親になれって、そういうことか?」

 幸司郎は座っていたコの字型のソファから立ち上がってそう聞き返した。

 子夜は冗談ではない、と言い張るように強く首肯した。考え込むように一瞬の沈黙を作り、二人は睨み合った。

「父親になれってことは、俺と血の繋がった子供じゃあない、ってことなんだな?」

 こくり、と子夜は静かに頷いた。

 それを見て、ふう、と幸司郎は強く息を吐いて、落ちるようにソファへと座り込んだ。

「そんなに、安心、した?」

「……そりゃそうだ。冗談だってわかってても、内心じゃあその可能性があるのかと考えて焦りまくりだったよ。俺はこの歳でまだ責任を負いたくは無いからな。それで、この子はじゃあ誰なんだ? あんたの子供……でもないんだろ?」

「……私が、生んだ、わけじゃない」

 言葉を選ぶようにそう返答する子夜。その子夜を観察するように幸司郎は彼女を見続けた。一挙一動を見逃さないように。もとより彼女の言動は信用していないのだ。

「じゃあ誰の子供だ? 年齢差的に姪っ子とかか?」

 ふるふる、と子夜は黙って首を振る。

「じゃあ誰なんだ」

 それを幸司郎は苛立ち気味に聞き返した。

「怒ら、ない?」

「怒らない。ていうか面倒臭いしゃべり方すんな。もうちょっとハキハキ大きな声で喋れないのか?」

「ご、ごめん、なさい」

 少女は幸司郎を恐れるように顔を下げた。

「この子は、隣のアパートに住んでる人の、子供」

「は?」

「だから、私の住むマンションの、隣のアパートに住んでる人の、赤ちゃん」

「……それが、どうしてこんなとこにいる? どうしてあんたがその子を連れてるんだ? 知り合いか?」

 彼女はもう一度頭を横に振るった。前髪が大きく揺れ動く。

「全然、知らない人。でも、私はこの子を、知ってる」

「悪いが、話が見えてこないな」

「あ、あのね、私の家の私の部屋から、この子の家のベランダが、覗けるの」

 何かを語り出した子夜を見て、幸司郎はそれを話し終えるのを黙って待つことを決めた。彼が苛立ちにまかせて急かしたところで、結局時間を無駄にしそうだったから。子夜は他人と話し慣れていないのか、終始ゆったりとしたペースだった。

「そのベランダはね、いつもゴミで溢れていて、汚かった。住んでる人も、碌な人間じゃないのは明白。だってそのアパート自体、近所の人間にとって、ゴミ貯め、みたい扱いだったから……碌な人が、住んでなかった。でもね、ある日そのゴミだらけのベランダの中に、何かが動いてるのが、見えたの。初めは猫かカラスかな、って思ってたんだけど、違うなって気付いた」

「……それが、この子だったって事か?」

 子夜は今度は首を縦に振るった。

「初めは、子供が出来たんだ、ってことくらいにしか、思わなかった。それでもこんな小さな子を、ベランダに、一人で放置するなんて酷い、と思った。やっぱりあの家の住人は、碌な人間じゃないんだって、そう思った」

 ゆっくりと、子夜は赤ん坊の頭をなで始める。それは本当に、彼女が赤ん坊の母親であるかのような、そんな仕草。

「可哀相だな、って思った。でも他人の家の事情を、私がどうこうできるわけ、じゃないし、私にはそんな勇気もないし……だから、私はただじっとこの子を見守ろう、と思ったの。あ、今日も生きてる。よかったって、そう確認するようになった」

「……それは、酷いな」

 幸司郎はたまらずそう愚痴をこぼした。生後間もない赤子をベランダに放置するなど、本当におおげさじゃなく、時期によっては死んでいてもおかしくないことだ。

「そうやって毎日、少しずつ、この子を観察していくうちに、あることに、気付いたの」

「あること?」

「そう。この赤ちゃん、どこか変だと、思わない?」

 そう言われて幸司郎は赤ん坊を見た。しかし特段、何か変だと思う様子は無く、幸司郎はわからないと伝えた。強いて言うなら、臭いがキツイのだが、それもゴミの上で寝かされていたのだと知れば、なるほどだと納得がいく。

「この子、泣かないの」

「……ああ、確かに、そう言われれば」

 それは確かにそうだった。

 赤ん坊はとても繊細であり、慣れた環境、慣れた相手でなければ、心を開いてはくれない。今子夜(しや)の来客によりどこかへ避難してしまった彼の飼い猫と同じ。基本的に、臆病である。しかしそんな赤ん坊が、見も知らぬ幸司郎の腕の中で、泣きもせず大人しくしていた。それに違和感を覚えていた。ただそんなもの、赤子の性格による差異だと解釈していたのだ。

「この子、本当に、ほとんど、泣かないの」

「それが、何か問題なのか?」

「問題。子供がどうして泣くか、知ってる?」

「そりゃああんた、オムツ変えて欲しい時とかじゃないのか?」

「それも、ある。それもあるけど、でもそれだけじゃない。赤ちゃんはね、自己主張を泣いてするの。泣く事でお腹が空いた、オムツを変えて欲しい、寂しいってアピールするの」

「まぁ、そうだよな。じゃあどうしてこの子は泣かないんだ?」

 幸司郎の質問に、子夜はその返答をしばし留めた。

「この子はたぶん……諦めてる、の」

「……諦めてる?」

 当然の如く、幸司郎は意味がわからないという顔でその言葉を繰り返した。

「うん。諦めたの。泣くことを。ううん、違う。この子はね、自己主張することを、諦めてしまったの」

 それでも言葉の意味が上手く理解できず、幸司郎は疑問の表情を浮かべる。その疑問を解消するように子夜は続けた。

「泣いても、アピールしても、この子は、誰にも構ってもらえない……ご飯ももらえないし、オムツも換えてもらえない。そして誰も、自分を抱いて、あやしてくれない。実際、この子の親が、この子に構っているの、私ほとんど見たことない。必要最低限、この子を殺さないように、防寒具を着せ、餌を与えるだけ……だからこの子は泣く事を、止めた。ただ黙って、無駄な体力を使わないようにして、じっとしてる。それが自分にとって、生き残るために、最も有用だと考えたから……だから、この子は、泣かないの」

 子夜はそう確信を持って言う。そうである――と。

 幸司郎はどうしてそこまで確信を持てるのか、と思ったが、しかし彼女の真剣な顔つきに、横やりを入れることを阻まれた。赤ん坊に視線を向けても、やはりその赤ん坊は目をきょろきょろとさせるばかりで、泣こうともわめこうともしない。端から見れば、とても大人しい、理想的な子供。

 しかしそれが異常――らしい。幸司郎にはそれがそこまで異常事態なのかどうか、それがわからなかったが。

「なるほどな。この子が泣かない理由はわかった。でもそれが何なんだ?」

「この子は、親に見捨てられているの。それは明白。しかも、泣くのを諦めてしまうほどに、この子は他人を、信用していない」

「それが?」

「可哀相」

「は?」

「誰からも助けてもらえなくて、誰からも、受け入れてもらえなくて……それでもこの子はそれを訴えること、できなくて……それで、全てを諦めて……こんなに悲しい事ある?」

 初めて、平坦だった子夜の声に、明確に悲しげな色が浮かび上がった。

「そりゃ、確かに可哀相だとは思うけど……」

「だから、私は決めた。この子を助けようって。この子の無言の訴えに、私だけでも気付いてあげよう、って」

「それって……ッ! お前……まさか……?」

 幸司郎は何かに気付き表情を一変させ、子夜を睨みつける。

 それに対し、子夜はどこか言いにくそうに視線を逸らして、言った。


「私、この子を、誘拐した」


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