君が好きすぎて
アンリ様主催の、「告白フェスタ」参加作品です。滑り込み!
何かの大群のように、夜空に列をなす、星。
天の川が大きく空を横切る。
彼女はいつでも、空を見上げていた。
「私、今度東京行くんだ」
「いいなー」
夏休み前、終業式の日。蒸した暑さと浮ついた空気の中、俺がバタバタとシャツの襟首を掴んで扇いでいたら、背中をとんとんとつつかれた。振り向くと、後ろの席の級友が声を潜めて聞いてきた。
「おい」
「何だよ」
「上野、お前、この夏どうすんの」
どうするって、いつもの夏と一緒だ。
バスケ部の練習があって、お盆には親戚一同が集まって、それくらいで、これといった予定はないような。
そんなことを答えたら、そうじゃねーよ、と、そいつは、教室の隅、窓際の方に視線を向けた。教室の騒がしさの中で、そこだけ纏う空気が違うように、俺には見える。
窓際の席、文庫本を開いて手にしながらも、青い空と入道雲を眺めているのは、俺の幼馴染の、静だ。
「伊波さんだよ。デートに誘ったりとか」
「なっ、ば、馬鹿」
慌てて椅子ごと悪友の方に体を向けた。周りの誰かに聞かれていないか慌てる。
「幼馴染だからって安心してられるのもこの夏までだぞ? この辺で伊波さんにちょっかい出そうなんて誰も思わないけど、中学出て、本土の高校に進学した時までフリーだったら、すぐに彼氏ができるね」
「おい、」
にやーっ、と悪友は笑う。
俺が何か言い返そうとした時、ちょうど先生が入ってホームルームを始めたので、話はそこで打ち切られた。
俺は前を向いて、先生の話を聞きながら、横目で静の横顔を見る。長いまっすぐの黒髪に、いつも落ち着いた瞳。
幼馴染の俺が言うのも何だけど、とても真面目で、頭もいい優等生だ。おとなしいけど、決して人付き合いが悪いんじゃない。礼儀正しくて、他人に気遣いができて、……まあ、可愛くて。
いつの間にか、窓の方に首ごと向いていたらしく、後ろの席から手を伸ばされて、ぐいっと前に視線を戻された。小声とため息。
「じれったいから、早くくっついちまえよ。……この島で、お前が伊波さんを好きだって知らないのなんて、伊波さん本人くらいだよなあ」
――俺、上野大氣は、幼馴染の、伊波静のことが好きだ。
俺達の生まれ育った島は、ちょっとばかりの農業と漁業が中心の、自然豊かな――小さな田舎の島だ。島全体が、知り合い同士みたいなものだけど、特に俺と静の家は、家が隣同士で、もともと仲が良かった。
二つの家に同じ時期に子供が生まれて、農業の合間にお互い助け合って。俺と静と、あと俺の姉ちゃんと、三人で、兄弟みたいな感じで育った。
静は本当に、小さい頃から大人しかった。ガサツでうるさい姉ちゃんと比べたら、本当に同じ女かよと思うくらい。静はいつも、周りから一歩引いたところから、こっちを見ていたことが多かったと思う。
小学校に上がる時、学校行きの船に乗る前に、静のお母さんは静を心配して、同じ一年生で、ぶかぶかのランドセルを背負った俺に、言ってきたことをよく覚えている。
「大氣くん、うちの静のこと、よろしくね」
いつも遊びに行くと、美味しいおやつを作ってくれる大好きなおばさん。子供なりに、使命感を持った。
小学校と中学校は、近くの島の子供達が集まっていたけれど、全員集めても学校に一クラスができるかどうか。必然的に俺と静はいつも同じクラスだったから、何をするにも、俺は静と一緒で、俺が静を守るんだと一生懸命意気込んでいた。
まあ、それと同時に、大人しいというより、大人びてしっかりしている静の方が、俺の母さんに「うちの大氣は本当にぼんやりしてるから、よろしくね」なんて言われていたらしいんだが。
とにかく、そうこうしているうちに、俺といえば静、静といえば俺、みたいな共通認識が、俺の周りにはできていったみたいで――
「あれ、前歩いてるの、伊波って子じゃない?」
「あー、本当だ。あの清楚な黒髪ストレートは間違いない。よし、じゃ、お邪魔虫はここで失礼するぜ!」
「え? ちょっと待てよ」
バスケ部の練習帰り、友達と帰っていたのに、前に静が歩いているのを見つけるだけで、みんな、波が引くように、素早くトウモロコシ畑の角を曲がって消えた。
俺が口をパクパクさせていると、俺の声に気付いたのか、静がこっちを振り向いた。
「大氣くん?」
「あっ、静。今、帰り?」
「うん」
静はわざわざ、来た道を戻って、俺の方に寄ってきた。少し傾きかけた西日が、眩しい。
俺と静は、同じ船着き場まで一緒に自然に歩くことになる。
「明日から、夏休みだね」
「だな」
「夏休み、どうするの?」
「えっ!?」
学校での、クラスメイトとの会話を思い出して、つい変な声が出た。すると、静は首を傾げた。
「高校見学、とか、大氣くんは行くの?」
「ああ……」
だよな。夏休みの予定を訊いてるに、決まってるよな。
この島々の中学生の夏休みの予定で多いのは、本土への高校見学だ。
小中までは、家から通える範囲の近くの島に学校があるけれど、高校に進学する場合は、家を出なくてはいけないから、学校選びは重大だ。俺達は中学二年だから、進路を決めるのはまだ先でもいいけれど――静は、もう考えてるんだろうか。
「……静、行きたい高校あるの?」
「お父さんとお母さんに、勧められてるところがあるよ」
「ふうん……」
うちの親は、今は姉ちゃんの高校受験でいっぱいだから、俺には何も言わないけど、俺も来年にはそういうことを言われるようになるんだろうな。
蝉の鳴き声の下を通って、海からの潮風が吹き付けていく、いつもの道。子供の頃から、ずっと一緒に歩いてきた道を、もう再来年には一緒に歩くことはないんだろうか。
横を歩く静の長い髪が、揺れるのを見ていたら、静が視線に気付いて、なあに、と少し笑った。
「お、俺さ――」
結局、何も言えなかった。
言おうとした。顔が、体が熱くなって、喉まで出かかった。
だけど、怖かったんだ。
分かっている。家が隣同士で幼馴染だって、島の外にそれぞればらばらに出てしまえば、何の意味もないことだって。
静が好きだ。
つなぎとめておきたかったら、それを伝えなくちゃいけないんだって。
だけど、それでうまくいかなかったら?
今まで通り、一緒に帰るなんてできるはずもないし、お互いの家は普段から頻繁に行き来する中なのに、恐ろしく気まずい。
部屋の布団に突っ伏して悶えていたら、ぴしゃっと襖が開いて、姉ちゃんが鬼の表情でこっちを見下ろして来た。
「うるさいっ、このヘタレ!」
「うるさくしてないだろ!」
受験勉強でストレス溜まってるからって、八つ当たりするな!
「そっちこそ自分が不甲斐ないストレスを暴れて解消するな! どーせ静ちゃんに告れなかったんでしょうが」
「はあっ!?」
心が読めるのかと後ずさる俺に、姉ちゃんは鼻を鳴らした。
「静ちゃんと、馬鹿みたいにでかい声で話しながら帰ってきて。うまく行かなくて、面白くもない冗談言って誤魔化しながら帰ってきて、それで帰ってくるなり、黙って布団の上でジタバタして」
「ぐっ」
俺は物音が筒抜けな、日本家屋の風通しの良さを恨んだ。
「というかさ、本気で告白するなら今年の夏がリミットよー? 島を出る直前に告白してめでたくカップルになったところで、即、遠距離じゃうまくいく訳ないじゃない。東京の男はあんたと違ってみんなカッコいいのよ」
「偏見がすごい。いいから、勉強に集中しろよ」
俺は姉ちゃんを部屋から追い出して、襖を閉め、布団に仰向けに寝転がった。
――みんな好き勝手言いやがって。
何もない島にも、一応の娯楽はある。
それが近所でやる夏祭りだ。といっても、子供たちに冷やしたスイカと流しそうめんを出して、大人は焼きトウモロコシ片手に、ビールを持ち寄って飲むだけの、祭りと言うには大袈裟な集まりだが。
俺もその手伝いに駆り出されて、倉庫から組み立て式の机を運んで並べていた。汗だくになりながら、机を運ぶと、会場では、静がうちの母さんと一緒に、そうめんを茹でていた。
「……。」
今日は、長い黒髪を、邪魔にならないように結い上げている。そういえば、体育の時はポニーテールにしてたっけ。
「何、穴の開くほど静ちゃんを見てるのよ」
「見てねーよ」
「どうせ、うなじが可愛いとか思ってんでしょうが。我が弟ながら、恥ずかしいわ」
姉ちゃんが濡れたスイカを抱えて、いつの間にかここに後ろにいた。言いがかり……ともいえないので、何も言い返せず赤くなっていると、静の方がこっちに来た。
「美空さん。スイカありがとうございます。こっちで切っておきますね」
美空、というのは姉ちゃんの名前だ。姉ちゃんはひらひらと手を振った。
「あーいいよ、スイカはうちでやっとくから。それより、大氣の面倒みといてくんない?」
「え」
「はあ?」
大氣の面倒をみといて――うちの親と姉ちゃんが、よく静に言ってた言葉だ。だが、俺はもう中学生で、どこかにふらふら行くような年じゃない。
「そうめんの下準備が終わったんだったら、静ちゃんはもう遊んできなよ」
「……ですが」
困惑する静をよそに、母さんも頷いた。
「そうそう、静ちゃんのお陰で助かったしねえ。大氣も、もういいわよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて、失礼します」
静はエプロンを外すと、俺に向かって、笑いかけた。
そんなわけで、俺は今、静と海岸を散歩している。
「久しぶりだね。こうして一緒に海を歩くの」
「ああ……」
小さい頃は、よく砂浜で、静と姉ちゃんと、ずぶ濡れになって遊んでいたっけ。いや、ずぶ濡れの砂まみれになって怒られていたのは、上野家の子供だけだった気もするが。
目の前を、小さい子供が笑いながら走っていく、遠い日の風景が見えた気がした。
静は髪留めを外す。自由になった髪が、ふわりと落ちて流れた。暮れていく空を見上げる。空の東側はもう星が光り始めていた。
俺も静も黙っているから、波の音だけが聞こえる。そこに、うるさいくらいの俺の心臓の音。
この音は、静にも聞こえているんだろうか。
「俺、静のこと、好きだ」
気付けば、そう言っていた。
波の音を背に、静が振り向いて、大きな瞳が、こっちを見た。
――え? 俺、今何言った? ……え? ええっ!?
まさか、好きすぎて、うっかり無意識に言ってしまうとか。そんなのありか!?
「……大氣くん」
「いや、その、違うんだよ」
「ちがうの?」
オウム返しに聞かれた言葉に、何かが吹っ切れた。何も、違わない。
「好きだよ! 俺、静が好きなんだ! ずっと前から――」
握りしめた手は、汗でいっぱいだった。
静は、少しだけ唇を開いて、俺の言葉を真っすぐ聞いていた。俺も真っ赤になったけど、今、静から目を逸らせば、全部嘘になってしまう気がして、真正面から見つめ返した。
それから、どれくらい時間が経ったのか。多分、大した時間は経っていないと思うけれど。
静が息を吸う音が、はっきり聞こえた。
「あのね……大氣くん。実は、私――」
少し言い淀んだ。髪が夏の風に揺れる。
瞳が揺れ、言うかどうか迷っているように、俺には見えた。声の調子は、とても思いつめたような、大切なことを告げるような声だった。
俺も息を止めて、静の言葉を待つ。
私も――あなたが好き、とか。言ってもらえたらいいな、とか。
私、残念だけど――その思いには答えられない、とかだったら。泣く。とか。
色々ぐるぐる考えて、心臓がばくばく鳴る。
ただ、静は張り詰めた表情で、本当に真剣で、全然分からない。
そして、静はとうとう、俺を真っすぐに見て告げた。
「私、こことは別の星から来た――宇宙人なの」
夜空に、天の川がかかって、星が一筋流れた。
大氣くんの恋は、島民一同で生暖かく見守られています。プレッシャーがすごい。
次回は別視点。あと2話で完結します。