表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

心とは

作者: 妄想家

冒頭


心とは


「誰もが興味を持ち、誰もが興味を持たないもの」


繋がらない男の言葉

心とは


「誰もが興味を持ち、誰もが興味を持たないもの」


繋がらない男の言葉



 心は心臓にはない。心は脳にもない。気持ちは心ではない。気持ちは脳によるもの。つまり、感情も脳によるもの。心は脳が情報を認知して、もしくは脳が思考して初めて起きる現象である。つまり、脳があって心が起きる。そして心が脳から自立する。心が起きる原因となる思考が脳の許容を超えていればいるほど心は自立して暴走する。その逆はない。どんなに一瞬で心が起きても筋道としてまず必ず脳を通っている(人はあまりの速さに心が先に起きていると錯覚する)。そして心が起きたとき脳がそれを認知する。脳→心→脳である。心は思考しない。思考するのは脳である。その結果に心がある。また意識と無意識は脳の問題であって心ありきではない。そのためここでは意識と無意識については触れない。


 心は臓器的なものではない。心は心である。それは一般的に感じる心と私が体験した宇宙的な心(後ほど詳しく触れるが心が宇宙と関係しているという意味ではない)の2種類に分けられる。心は決して霊的なものでも魂のようなものでもない。脳と心は繋がっている。ただ私の体験をもってしても脳が心をつくっているのか、それとも脳とは別に心があるのかは断言できないということにしたい。現実的(かつ物理的に)に考えるのであれば、前者が有力であろう。また私の体験からも前者が有力ではある。



心の在りか



 心は胸のあたりにあると答える人が多い。いろいろな感情が起きたとき胸のあたりに心を感じる。心は輪郭を持たず、形や範囲そして数を変える。私の体験から心には基点があると思われる。心の基点は胸の真ん中、みぞおちの上(正面から立っている人体を見てみぞおちの上という意味)にある。正確には胸ではなく、胸の下である。胸の下かつみぞおちの上にある。平面的な場所を専門用語で表すなら、胸骨の剣状突起の上、胸骨体の下部である。ただ一般的に感じる心の在りかはその上らへんだ。しかも一箇所とは限らない。基点を知るにはまず心のある現象を体験する必要がある。私はこの現象を心のブラックホールと呼んでいる。自分には「ない」という認識から生まれる「ない」に対する強烈で強大な「執着心」と「孤独感」と「恐怖心」が相まって心が吸い込まれるような現象が起きる。ブラックホールが起きるほどの「執着心」だと考えてほしい。と言いつつ、それを想像することは無理である。精神障害者である私の当時の執着心は異常なほどのものである。ただの執着心という言葉で片付けたくない。うまく説明できないが、それはまるで違う思考のコースからやってくるので抗うことはできない。自分の意思とは関係ないコースにあるものだから触れることはできない。触れることができないものを止めることはできない。そして深く深くどこまでも深く考え込んでしまうのである。そして支配されてしまう。物理的に言うと、ある対象(一点)に対する「執着心」は引力(重力)に当たる。つまり重力が惑星の中心に向かってどんどん大きくなっていくと惑星はブラックホールに吸い込まれてしまう。その現象は「苦しい」ではない。一言で言うと「ヤバイ」である。とにかく「ヤバイ」。私の場合、その現象の発生要因は最初の彼女である。長年確固たる比較対象として私の頭の中にいた元カノの「ある」に対して自分の「ない」を病的に意識したときに発生する。もしくはその場面を自分の意思に反して想像しようとするとそうなる。つまり、彼女の情報が一つでも私の頭の中に入ればほぼ終わりである。


 私は彼女と別れてから心のブラックホールを何度か体験している。心のブラックホールは自殺したくなるほどの「ヤバイ」現象である。その中で私の精神状態が非常に危険で異常であったとき、同時に心のブラックホールが発生しており、その「ヤバイ」を和らげるために母に心を押さえるように頼んだ。自分で押えても和らげることはできない。はじめ母は心臓を押さえた。私が押さえてほしかったのはそこではなかった。それでは「ヤバイ」を和らげることができなかった。次に胸の中央の下を押さえてもらった。つまり、先ほど説明した箇所である。それで少し和らいだ。はっきりと心を認識した。そこで私は心の基点を確認した。「ヤバイ」状態の中で「そこか」と思った。心の基点を確認できたのはその一回だけであった。なぜ母に手で押さえられることによって心のブラックホールが少し和らいだのかは正確には説明し難いと言っておこう。それ以前の初期に発生したブラックホールについては元カノがブラックホール発生時にそばにいて手を繋いでくれてれば和らいだと思う。実際は全て一人で耐えるしかなかった。



心のかたち



 心は一般的に漠然と胸のあたりに発現する。感動したとき、失恋したとき、、心に穴が空くような苦しみを体験した人も多いだろう。とてもとても苦しくて辛い。それらは私も体験した。しかしこれから話すのはそれらとは一線を画す。それ以上のことだということではなく、まるで別種だということである。私が《《心のかたち》》をはっきりと捉えたのは2種類である。一つは心の球体化。これは過剰な「不安感」と「孤独感」を脳が抱いているときに起きる。ここで言う過剰とはみなが想像するそれよりもはるかに大きなものである。20年以上ため続けた代物である。発生要因に過剰な「不安感」を挙げた理由は、最初の頃は偶然的に抗不安薬のデパスがその球体化を和らげたからである。しかし、その後心は思考から独立し、暴走したときは薬が全く効かなかった。心が基点を中心に直径約10cmの輪郭のない球体になる。見事なまでの球体だった。だが輪郭はない。そしてそれは継続する。この現象が起きているときも苦しいという表現は当てはまらなく、やはり「ヤバイ」である。宇宙的に「ヤバイ」のである。ただし、心のブラックホールとは異なる「ヤバイ」である。まるで違う。種類が違う。当時の私のメモにはこう書かれている。「心が異空間にあるようなヤバさでとにかくヤバイ。それが起きているときは無形(非物質的)なのでどうすることもできない」、「宇宙の起源と同じくらいの謎が僕の身に起きている。心の異空間状態」。当時の私はその無形の「ヤバイ」に対してとにかく嘆き、もがいていた。非物質的なので体をどう動かしてもその「ヤバイ」を全く和らげることはできなかった。同時に、夜中の雨音、暗さ、時計の音、この世の全てが異常にこわかった。自分の心が宇宙の裏にあるような強烈な恐怖を感じていた。私があまりの「ヤバイ」と恐怖で子供のように大泣きをするほどのものだった(同時に僕の心(ここで言う心は一般的な心を意味する)はその頃完全に折れていた)。家族に緊急病院に行こうと何度も言われたが、こんなものどうやって説明すればいいんだと、こんなの病院に行ってどうにかできる次元のものじゃないと、家族には意味がないと嘆きながら訴えた。またあらゆる神経が非常に過敏だったため深夜に吠える犬の鳴き声にも苦しんだが、耳を塞ぐのもこわくてできず、どこにも逃げられない状態だった。怖ろしくなり、下手に音楽を聴くことすらできなかった。そんな状態の中で体験した心だった。私はいろんな問題を抱えてる中で当時大きな大きな大きな不安を持っていた。そこに妄想の反動が加わった。私は本気で考え(しかも論理的に)、妄想を信じ、数年間一途に努力をした。そして妄想に気づいた。その時のその分の反動は人には想像もできないものだと思う。絶対にできない。緊急病院に行き、内科の先生に心が球体になってると伝えた。意味がないと思いながら。先生も「ん〜」といった感じで、精神科の先生がいないからと話していたが、仮に精神科の先生が私を見ても結果は変わらなかっただろう。私の心の球体化についての当時の話は浦安の順天堂大学病院のデータに記録されている。診察室に入り、仰向けになり、一応腹部を押したりして内臓に問題がないか調べられた。結局内科でも出せる抗不安薬のデパスを処方してもらった。私は診察台に仰向けになっていた時、あらゆる不安から一時的に解放され、心の球体化は治まっていた。ここに来るまでには車の助手席で言葉で表現することのできない異常、聞いたこともない異常と闘っていた。その中で病院に行く行かない、意味がない、そんなやりとりを普通ではない状況で母と繰り返した。そして再び家に戻ると、心の球体化がまた始まり、私は母を前に顔を歪めてまた子供のように嘆いた。「うぇ~ん」と。心の球体化は生き地獄だった。


 心の球体化の前、私の精神と神経は非常に敏感になっており、孤独という強烈な恐怖を抱え、一人でいると心が危なくなる状態であった。そのため起きると、すぐに父をリビングに呼んだ。母はパートに出ている時間帯、父はちょうど会社を辞めていた頃。そして夜中になると安定剤と睡眠薬を飲んだ。それを飲まなければ寝られないのもあったが、一人で夜寝ることが非常に精神的に危ない状態であって、精神も心も危なくなるため、すぐに意識を失えるようにしていた。薬の効果は4時間ほどで消え、起きると同時に異常な精神状態と孤独感と暗い静けさに対する強烈な恐怖と心の危ない状態などがやってきて、私は起きた瞬間にすぐにまた安定剤と睡眠薬を飲めるように机に水の入ったグラスと薬をきれいに並べて置いておいた。起きてすぐに一切の無駄のない流れで薬を飲めるように。1秒でも遅れたらいけない異常な状況であった。寝る前は必ず1時に寝るようにした。精神異常と神経過敏とピークを迎えた妄想(主に誇大妄想と関係妄想)に深夜1時まで耐えた。でなければ早い時間帯に起きてしまうからだった。できるだけ意識がない時間帯を朝の遅い時間帯にズラす必要があった。それは二度目の睡眠後に朝早い時間帯に起きないようにするためだった。朝早く起きてしまうと、早朝という状況的に恐怖が倍増する。だから1時まで待ち、薬を飲み、そして覚醒し、体を震わせながらまた薬を飲み、怯えながら、様々なものに耐えながら布団の中に潜り込み、意識を失うのを待ち、朝遅めの時間に起きる。その流れがその頃はベストだった。その頃どれだけ精神と神経が過敏だったか。精神鎮静効果のある熱いお茶を密封された状態で隙間から湯気とともに嗅ぎ続けなければいけないほどである。


 二つ目の心のかたちの認識は心が基点を中心に横に広がる現象である。縦に狭く横に広がる。これは精神状態が危険で異常なときにうたた寝しようとすると起きた。目をつむると脳が自動的に思考を始める。無意識に過剰な「不安感」を抱くのである。この現象はかたちが違えど心の球体化と同類の現象と言える。やはり「ヤバイ」、とにかく「ヤバイ」。だからそれがある時は目をつむることができなかった。ただし一つ目は自殺を強く考えさせられるほどの現象であった。何度も言うがその頃は一人でいることなんて考えられないほどの精神状態であった。外に出ることも非常に危険なことだった。ここでは触れないが、他にも様々な危険な精神状態と体の異常を経験している。よく生き残っているなと思うほどだ。本当によく耐えた。というより耐えるしかなかった。先が全く見えなかった。いつ終わるのかと。これがずっと続くのはキツすぎるぞと。それが経過の中で何種類もあった。毎晩嘆き苦しんだ。嘆いて、嘆いて、もがいて、もがいて、、、耐えた。耐えた。正確には耐えたという言い方は正しくないかもしれない。ただ地獄を味わい続けたといった感じだろうか。周りから見れば何も起きてないように見えるものでも、私の中ではすごいことになっており、そんな中で一人耐えるということも多々あった。先ほどの心の状態が終わり、新たな状態、心から全身にシーンとなる状態、これはとても説明できるものではないが、とにかくこれも「ヤバイ」状態でその時にヨガを勧められてやったが、死ぬかと思った。チーンと音を講師が鳴らすたびに私はそのシーンとなる「ヤバイ」に苦しんだ。何が言いたいかというと、その状態の時の私には本来なら癒しの効果となる様々なもの、精神を統一するような様々なものがただ私をさらに苦しめるものでしかなかったということである。特に宇宙を連想させるようなものは危なかった。その頃、宇宙に関わるグロテスクなエイリアンのような映画や電脳世界に入り込んだ類の映画を観たが、内容が内容でそのシーンとなる状態がより強さを増し、観れたものではなかったし、ただただそのシーンとなる「ヤバイ」に必死に耐えた。そのシーンとなる状態はしばらく続いた。ジムに連れてかれたが、走ることもままならなかった。シーンとなって、あー、、やばい、やばい、、、と。



追記



・心のブラックホールの発現にはもう一つの要因がある。それは元カノの「ある」を確認でき「ない」状態であること。それによってさらに「ない」に対する病的な執着心が増す。私はこの長年の執着心をある方法で決着をつけ、落ち着き、そして再燃し、そしてまたしばらくして落ち着いた。その時私は元カノには会わず、決着をつけた。その件に関しては結果的に元カノに多大な迷惑をかけた。正確には多くはなく、一つだがその一つがものすごい大きいといった感じだ。ただその方法しかその執着心を消す手段がなかった。元カノには会ってない。迷いに迷ったが、異常な執着心に耐え、綺麗に終わらせた。今ではその方法に恥を感じている。ただその時は妄想の中にいたのもあり、それ以外は考えれなかった。そして今、長年逃れることのできなかった彼女に対する強烈で不可避な執着心は幸いにもほぼ消えた。本当に良かった。本当に。記憶に関しては今でもフラッシュバックはするが。


・気持ちは脳によるものと話したが、脳から心に事象が発展したとき、脳と心が同時に起きていると感じる点から気持ちは心も含めると言える。つまり、気持ちは脳によるものでありながら、脳と心を合わせたものも気持ちと呼べる。また後者が一般的に解釈されている気持ちというものに当たるだろう。当たる。



夢について



 夢日記をつけ、妄想を経験し、そして至った答えは、夢は単なる思考の整理であるということ。あくまで私の結論ということにしておきたい。と言うこと自体がズルいかもしれないが。起きている時の思考、想像、不安、恐怖、経験、情報、知識などバラバラになっているものを睡眠時に整理するその過程で脳の想像力が働き夢(物語)を見る。ちぐはぐな夢も見る。それは思考の整理でしかない。その延長に予知などがあるが、これも脳がいろいろな情報を紡いで予想して、たまたま当たるだけである。もしくはその予知と事実を無意識にか意識的にか近づけて、あたかも予知が起きたように感じるだけだと思う。原理としては起きているときに何かを予測するのと同じである。そのため人生が薄っぺらい人は薄っぺらい夢しか見ない。現実的な物語しか見ない。いろいろな情報があればあるだけ、想いが強ければ強いだけ夢は良くも悪くもバラエティと深みを増す。ただし、夢は単なる思考の整理だと思わない方がロマンチックである。こう言う私も豊かな人生を送るにはそちらを推奨する。


 私は夢にもいろいろな形で散々苦しめられてきた。精神状態が異常で危険な時にこんな夢を見た。マンホールの下、私がいる。暗い。上には太陽の光の中人々が歩いて通っていく。私の声は届かない。私はそこから地上に出ることができない。一生。この夢を見た後の私は強烈な恐怖と心の異常を体験し、苦しむ。怯える。それがしばらく毎日続いた。普通の悪夢のように起きたら終わるのではなく、起きてもその苦しみが続くのである。



科学的見解



 私は精神障害者である。紙面上では統合失調症である。脳のネットワークをまとめることが困難で社会的能力、コミュニケーション能力、運動能力、記憶力など様々な能力に制限がかかる病気である。ただ私は他の統合失調症の方とは異なると思う。というよりそう強く感じてきて今に至っている。心を知る様々な体験(心のブラックホール以外)は私が自分で脳の神経伝達を統合しようと独学で、つまり自己流で努力し、精神を追い込んだ結果の先にある現象である。そのため私が体験したことは全て神経伝達(電気的なもの)における不具合だと結論づける見方も可能である。心を生み出すのも神経伝達の結果ということである。しかしどちらにせよ、私が体験した事実は変わらない。一つ確かなことは、脳は心ではない。心は心である。脳とどういった関係があるにせよ、心の場所は脳ではない。


 脳は人によって違うが、心に違いはない。心はもっと単純なもの、現象、結果である。また何度か「宇宙」と書いたが、今の私は心が宇宙と繋がっているとは思わない。あくまで私という個(物体)が脳の回路の異常によって体験する現象だと思う。



さいごに



 結果的に人生を、未来を、時間を、繋がりを、自分の能力と才能と性格の全てを犠牲にして(漫画的な言い方をすれば、あらゆる人間力を封印されて)、そして様々な無限地獄と引き換えに体験した心(そうゆうことにしないと私の人生の全てが否定されてしまう)。その体験から言えるのは、魂はない。神もいない。それらは全て人間の想像力によるものであるということ。神や魂に対する恐怖はやはり人間の想像力に強く起因する。しかし、私は神や魂を病的に信じ込んでいた時期があった。誇大妄想(ただ誇大妄想を抱いたのでは全くなく、あくまで論理的にと言っておきたい)に囚われていた頃の一時期。そこからいろいろ思考と経験を重ね、苦しみ、自分の中での確かな証拠とともにその結論に至っている。この心の体験談の趣旨に添わないと思うのであまり多くは語らないが、人よりも神を信じ、人よりも神に喧嘩を売った。いろいろな過程を経て、全て否定され何もかもどうでもよくなり、かつ前述の通り精神状態が普通ではない状態の中にあった時、浅草寺で仏に向かい「ファ◯ク」と言ったこともある。まっすぐ生きてきたのにあまりに意味不明な異常が続いたのでそんな言葉を吐いた。でも何もなかった。何もなかった。正直もう一度する必要はないが、またやれと言われれば何度でもやれる。ただ今の私にはそんなことする気持ちはない。もう神もお化けも全く怖くない。その恐怖は人間が自分で作り出したものに過ぎないからだ。しかし、しかしだ。魂や神というものが本当か否かは別にして、何かを強く信じることは信念となり、人を強くする。弱さから救ける。そしてそれを目標として自身を鍛えることには具体的な効果があり、その想像力はいろんなかたちで人生を豊かにする。またそれに関わる儀式は美しいと思っている。意味がある意味がないというものではなく、それらは人生における一種の娯楽とも言えるだろう。



 私は断言する。脳がなければ心はない。いや、現状では心は起きないと言った方が正確か。ただし、脳があれば心は起きるとは言っていない。その例が昆虫である。今、私が言えるのは感情を持つことのできる脳が心をつくりだすということである。


 最後に、私の極めて特殊な体験が二千年以上前から続く心脳問題を解決する今後のヒントになればと思っている。



これは考えではなく、体験談である。



※小さな子供に前世の記憶があるという事例についてはここでは論外なので触れない。


拝読ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ