廃病院の穴
1 夏の怪談
……夏らしく怪談? ……何言ってんだか。
好きな連中でやれば。
……何よ、皆参加してるって?
だから私も、ってどういう理屈よ。まったく。赤信号を皆で渡れってやつ?
……はあ。まあいいけど。
言っとくけど、私、その手の話って詳しくないの。
霊とか、祟りだとか呪いだとか、そういうのは。
怖いのは、だって、……現実に起こる事だもの。
……そう。現実に起きた事の方が、いるかいないか見えもしない幽霊よりも百倍怖いって話。
一応体験談って事になるけど聞く? ああ、そう。それでいいって。
じゃあ話す。
ただ、信じるか信じないかはそっちの勝手ってことで。
2 廃病院
前に住んでた町には山奥に病院があったのよ。
そう。緊急手術もできるし入院も受け付けるそこそこ大きな病院ね。
……なんで山奥にそんな病院があったんだって?
ああ、リアリティが無いと。
残念。
そこは元々温泉療養施設があったのよ。
温浴療法とか、地熱療法とか。
オンドルって知ってる?
なんか銭湯の映画で出てたけど、地面にゴザを敷いて寝っ転がるだけなんだけど、地熱で体をゆっくり温めて血行を良くするとかなんとか。
それで人が結構集まって、そうなるとお店とか宿泊所とかできるでしょ?
で、そうなると本格的な病院もあった方が良いかって話が出た。
それで病院が誘致されたわけ。
だから山の天辺じゃなく、谷間に建ってたの。古い温泉って川沿いに湧くのが普通だからね。
湯治も兼ねた病院って事なのかしらね?
……ただ、建てた当時のコンクリートって結構粗悪品が多くてね。
学校なんかでもそうなんだけど、戦後のある一時期に建てた鉄筋コンクリート建築って、材料の関係で結構もろい事があるのよ。築二十年でかなりボロボロになったって話も聞いた事があるわ。
その病院も利用者は多かったみたいだけど建物の老朽化には耐えられなくてね。
ただでさえ温泉の成分で建造物が劣化しやすかったみたいなんだけど。
何度も補修したんだけど、結局大きな地震が来た時に基部が割れて、それで廃止が決まったのよ。
……問題は、そこから。
結構大きな病院な上に山の中なものだから、建物を解体する折り合いがつかなかった。
それでまあ、お約束というか。
取り敢えず自治体は無期限放置の方向性を打ち出したわけ。数十年スパンの計画を立てたって事ね。
残しておくと問題のある物は撤去したけど、持ち運びにくいものはそのままになった。
でさ。そうなると、地元の悪ガキは考えるわけ。
肝試しに使えないか、って。
そりゃあ手術も入院もする病院だもの。
円満な閉鎖とはいえ、そこで死人が出なかった筈はないわね。
そういう事には格好の場所だったわけ。
もちろん厳重に閉鎖されてたけど、元々人が出入りする建物なんだから入る方法なんて幾らでもある。
私の仲間が見つけたのは半地下のボイラー室の外扉だった。
普通なら施錠されている筈のところなんだけど、たぶん老朽化で鍵が壊れて、それで外からチェーンと南京錠で閉めてたんだと思うんだけど、まあ腐食して壊れてたんじゃないかな?
……奇麗なもんでね。いや、火を使用していたから壁とかは黒く汚れてはいたんだけど、資材とかそういう物は置きっぱなしじゃなかった。
すごく歩き易い。
……不自然なくらい、ね。
実際、まるで定期的に掃除しているんじゃないかってくらい何も無かった。
こういう廃墟って、人のこと言えないけど結構侵入する連中って多いの。
廃墟マニア? ……それだけじゃなくって、もっと別な事に使ったり、普通に雨露を凌ぐ為に。
そうすると、人が居たっていう痕跡が残るの。
何かを食べたとか、寝る為の寝具とか。
最初は、やっぱり自治体が定期的に管理してるんじゃないかって思ったわけ。
でも、だんだんとおかしい事に入った連中が気付き始めた。
綺麗過ぎる。蜘蛛の巣すら張られていない廊下。
そんな事ある? 蜘蛛の巣って半日もあれば一メートル四方のサイズが出来上がるの。
人が頻繁に通る場所ならともかく、閉鎖された廃病院の中の話よ?
まるで遊園地のお化け屋敷。
どんなにおどろおどろしい造りをしていても、足元には決して余計な物を置かない。危ないから。
感覚が少しずつ狂っている。
何人かはそう思い始めた。
決定的だったのは、そう。
崩落した一階の霊安室で『それ』を見た時だった。
3 壊れた顔
霊安室を探そうと、誰かが言った。
入院や緊急を受け入れる病院は、死と切り離せない。
だから、遺体を安置する場所は必ず設置される。
イメージだと地下っぽい気がするけど、普通霊安室は一階か、あるいは車が出入りしやすく作られた地階にある。まあ一般の出入りとは重ならないように作るわね。機材搬入用の裏口が妥当かな。
なんでかと言うと、ぶっちゃけここで遺体は葬儀業者に引き渡されるから。遺体を運ぶには車が必須だし、この時点では霊柩車は使わないけど、それでも葬儀業者の車が一般出入り口付近に居たら気分悪いでしょ。
もちろん警察病院や大学病院だとまた別の要素が絡んでくる。遺体は証拠だから簡単には入り込めない場所に置く事もあるらしいわね。
ありきたりな考えだったけど、誰も反対しなかった。
定番と言えば定番だし。
……それに、もう心がマヒしていたのかもしれない。
何かがおかしいと思いながらも、進みやすい状況に流されているかのような、そんな状況。
せせらぎだと思っていたら、抜け出せない激流だったというか。
私たちはほどなくしてそこを見つけた。
たぶん持ち出してもしょうがないと判断されたんだろう。
亡骸を据える剥き出しの寝台。部屋の隅には祭壇だった物。
宗派にもよるけど、ここでは焼香も行うから、その為の器具ね。
けれど、部屋の半分は無かった。
文字通り、部屋が崩れて深い穴になっていたのだ。
離れた位置でも、その穴が大きく深い事がわかる。
……基部が壊れたという噂は聞いていたわ。
でも、これは規模が全然違う。
この建物がいつ崩れてもおかしくないほどの大穴。
……温泉がある場所。特に地熱が高い場所っていうのは要するに火山地帯だから、水蒸気爆発やガスが出る事も稀にある。
そしてそういった現象に伴って地面が崩落する可能性も無くはない。
……ただ。
これは違うと思った。
爆発したのならこんなに奇麗な穴になる筈がない。
崩落したのならコンクリート製の床が奇麗に削られる筈がない。
この穴は、何かがおかしい。
私の足は部屋の入り口で自然と止まっていた。
正確に言えば、脚が無様に震えて動こうとしなかったの。
他の連中はその穴に近付いていった。
その瞬間だった。
まるで何かに絡めたられたかのように、二人が穴に滑り落ちた。
思わず駆け寄ろうとしたけど、私の足はもつれて床に転んでしまった。
……結果として、そのおかげで、私は助かった。
穴の奥から人の姿が見えたの。
場違いにも程がある、裸の女性の上半身。
闇の中、さらなる闇の奥から現れたそれは、あまりにも美しいオブジェだった。
その表情は女神のように美しく、肌は輝くよう。
……でも、違う、……そんなものじゃない。
人の姿のように見えたそれは、次の瞬間、正中線で真っ二つに割れて、バカみたいな口になった。
口。
そうとしか思えない器官。
縦に裂けた鰐の顎のような、しかしまるで彼岸花のような、両手を広げたような、形容し難い形をした、しかし明らかに捕食を行うのであろう器官。
そして穴から飛び出してきたのは二本の巨大な蜘蛛の脚。
大きな穴よりも尚巨大であろう大蜘蛛がそこに存在した。
……けれど。本当に恐ろしいのはそこじゃない。
この大蜘蛛は、あまりにも神々しい。
さっきのオブジェ以上の美しさが脳を揺さぶる。
グロテスク極まりない大顎すらも、神に生贄を捧げる神殿のように思える。
開いたその大顎に、さっき穴に落ちた二人が糸で巻かれた状態で放り込まれる。
悲鳴も無く。
……いや、むしろ二人は恐怖どころか歓喜の声を上げていたのかような。
私の目の前で二人は神の贄となった。
私は振り返って一目散に逃げた。
そして気付いた。
さっきまで見えなかった蜘蛛の糸が廊下中を張り巡らされていた事に。
ここはそういう場所なのだと唐突に理解する。
神に生贄を捧げる為の場所。
そしてあの蜘蛛神がその気になれば、私はあっさりと捕まり彼らと同じ運命を辿っただろう。
否。
頭のすぐ後ろで、それが当然だと囁く自分がいる。
……幸運か、それとも気紛れか。
私は無事に外に飛び出した。
どうやって帰ったかも覚えていないほど取り乱して、正気を取り戻したのは町の診療所だった。
4 神の糸
これで私の話はおしまい。
二人は帰ってこなかった。
あの廃病院は今でも残っている筈。……あの穴が病院を廃棄した理由であり、取り壊しができない理由なんじゃないかと思う。
……ああ。でも。一つだけ。
私には今でも聞こえる。
あの神の御許に戻れと囁く自分の声が。
だから私は故郷を離れた。あの場所に二度と近付かないために。
……でもね?
なんとなくわかるのよ。
あの穴と同じものが、あそこにも、ここにもあるって。
逃げ場なんてどこにも無い。
それはそうよね。
神の糸から逃れる事なんてできやしないんだから。
そうそう。私の感じたこの近くの場所で、動画とかやってる廃墟マニアが行方不明になったってウワサも聞いた事あるよ。
だから、近付こうだなんて思わない方がいい。