懇願、自責、仮眠
甲府へは甲州街道をひたすらに西へと行軍していいく。
僕には第32歩兵大隊の車両手配が命じられた。
たった数時間、しかも3000人程度の移動にすぎなかったが、それでも人や装備を運ぶトラックはことごとく前線や他の師団に出払ってしまっていて、必要なだけの車両を用意するのはひどく骨の折れる仕事だった。僕は毎日けんもほろろになりつつも、それこそ1時間に1回は総司令部の兵站部に電話をかけつづけ、必要分のトラックを回してくれるように懇願した。
それでも兵站部の担当兵はなかなか首を縦には振らず、時には上の空で、時には激しく怒気を発して僕の懇願を拒否し続けた。
僕はその間にとことん兵站部の担当兵を嫌いになった。
結局、トラックは間に合わなかった。
ようやく兵站部の担当兵が首を縦に振ったと思ったら、その搬送日は行軍予定日の1か月も後だった。僕は、間に合わないことはわかっていつつも精一杯の明るい声で、
「ではよろしくお願いします」
と言って、電話を投げつけるように切った。
トラックは必要分の2/3程度しかなかった。やむなく僕は地元の民間企業を歩き回り、トラックの払い下げを要求した。要求されれば企業に拒否する選択肢はない。
軍はそれだけ法律によって守られる立場になっている。
突然似合わない軍服を着たわけのわからない小坊主が現れ、貴重な商売道具であるトラックをただ同然に持っていかれる。
時に殴られ、時に泣かれ、時に呆然と立ち尽くされた。
理不尽を強要する立場になることで、僕は初めて自分が戦争の被害者から加害者になったことを認識した。
ふと、そのたびに水野の顔が思い出される。
彼女と僕は今、違う立場に身を置いている。
もしこのまま戦いが長引けば僕らの間にもそのような強要や理不尽が生まれるかもしれない。その時僕はどのような顔をして水野に会い、水野はどのような顔をして僕に会うのだろうか。
僕はそのことを考え始めるたび、そのおぞましい想像をあわてて消し去り、ごまかすようにタバコに火をつけた。
ようやくすべてのトラックを手配し終えたのは信じられないことに出撃2日前だった。
やっとの思いで手配したトラックだったが、それはそれはひどいものだった。中でも兵站部に回してもらった中には銃弾で開いたと思われる穴と血痕がこびりついているものすらあった。
そのことからしても、僕らの出撃前の戦意はお世辞にも高いとは言い難かった。
行軍は夜に粛然と、そして漠然に行われた。夜にしか行軍がなされたのは関東上空の制空権を失っている今、昼間の行軍は解放軍にとって、ここを爆撃してくださいと言ってるようなものだからだった。
行軍の列は何度かの停止を繰り返した。
ところどころの軍用路が空襲によって破壊されてしまっており、時にトラックが道路に空いた穴にタイヤを落として立ち往生してしまったからだ。
僕はそのたびに現場へと駆けつけ、トラックを押し出し、土木工事の交通規制員のように行軍列を誘導した。
縦に長く伸びきった車列調整のために、一度八王子の郊外で車列を停止させた。僕と高井はそのときに喫煙所で出会った。
「ひどいもんだ。多摩川が三途の川に思えたよ」
高井は軽く笑いながらそう言ったが、僕には苦笑しかできなかった。
「花畑もないあの世なんて。穴ぼこだらけだ」
高井は乾いた笑い声をあげてタバコをつまらなそうに吸った。
「ごめん、こんな車列しか用意できてなくて。おまけにこんな調子じゃ」
僕がそう言いかけると高井は遮って言った。
「どうせ着いても待ってるのはタコ部屋と乾パンだけだよ。だったら、こことあまり変わらないさ」
高井は今回の出撃に際しては甲府基地における宿泊所の手配を担当していた。
「ひどいもんだよ。人が入ってはいなくなるものだから、先方ももうどの部屋に人がいて、どの部屋に人がいないかわからないんだ。うちらが行っても全員ベッドで寝れるとは限らない」
僕は、あまりに暗いその事実に言葉を失った。
甲府基地へ到着したのは予定を大幅に遅れた午前3時だった。
僕と同僚である行軍路の担当兵はその責任から懲戒処分を受けた。多少なりとも車両手配をしていた僕にも責任がある。僕は叱責を受けた同僚のもとへ行って詫びた。彼は、疲れた顔をしてうなずいただけだった。
装備を所定の場所へ運びいれ、各宿舎に散って仮眠をとれたのは夜が明けた後だった。