帰還、駄作、たんぽぽ
僕らが杉浦准尉の遺体を司令部に運び込んだ頃には、事態の全体像が明らかになり始めていた。
戦闘は数か所同時に発生しており、事実解放軍に占拠された歩哨も存在した。
事前に通信設備を破壊してからの襲撃だったことを考えても、解放軍にとって周到な準備の上の作戦だったのだろう。
結果的には杉浦大尉の司令部に対する迅速な無線通報が統一軍の反撃態勢を迅速に準備させ、僕らが防衛成功した歩哨を含め、大部分の歩哨は防衛に成功した。
解放軍は統一軍の前線歩哨占拠に続く第二段作戦として主力投入を計画していただろうが、統一軍はその主力投入への移行をなんとか防いだ。
両軍合わせて30名以上の犠牲が出たらしい。
戦闘初期の当時としては大規模なものだった。
僕らはその戦闘を評価されたが、杉浦曹長の殉職と、現場に残された遺体は、僕らに改めて戦争を戦争として認識させた。それはただの殺人行為だった。
その後徴兵を解かれたぼくと高井は東京へ帰り、大学生となった。前園は合格していた大学の入学を取り消し、軍へ残った。
映画が終わった。
今頃では珍しく内容のない映画だった。それでも水野は満足そうで、険しい顔をしていた僕も、その笑顔を見てつい微笑んでしまった。
水野はまだ銃声を知らない。
僕は水野と一緒にいるとき、戦争の話はあまり話さない。
水野も聞かない。
その話題は二人の間のグレーゾーンのようになっていた。
しかし、空襲が始まってからいつまでもそういうわけにもいかなくなってきた。
僕らは嫌でも硝煙のにおいと、友人の死に敏感にならざるを得なかった。鼻をふさいでもやはり三階から上が消失したビルは建っていたし、クラス名簿から消えた名前は忘れるわけにはいかなかった。
水野はけなげに笑い続けた。
遊園地のお化け屋敷にも入れず、ホラー映画は予告すら見られないのに、戦争の現実にはすこしも恐怖を見せなかった。
僕はそんなに強くなかった。
空襲警報が鳴り、徴兵時のことを思い出すと身がすくみそうになる程の恐怖にさいなまれた。そんな時、僕は思いきり強く水野を抱きしめた。
高井が水野の笑顔を見て、
「たんぽぽの笑顔だよね。」と僕に言ったことがある。
僕は水野を抱きしめるたびに、その言葉を思い出した。