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熱弁と衝撃と。

広人の語りは止まらない。話は梶井基次郎から陸奥A子の話に変わっていた。


「姉から聞いた話ですが、中学生の頃、非公式の陸奥A子先生のファンサイトがネット上にあったそうです。掲示板というものに自分の好きな作品の感想をファンの人たちが書き込んでいて、姉はそれを読むのが楽しみだったとか。そしたらある日、なんとA子先生本人が書き込みにきたらしくて。姉は偽者かと疑ったのですが、作品の裏話やファンレターの常連さんの話、これから描く作品のことなど、とても信憑性があって、ご本人登場にサイトはとても盛り上がったそうです。いいですよね、今から15年以上前の話だそうですよ」

「作者の方と繋がれるなんて、感動もひとしおですね」

「本当にうらやましかったです!俺ももっと早く生まれていれば、たくさん質問できたのに…!A子先生の作品に出てくる女の子達はどうやって生み出したのかとか、男の子のモデルはいるのかとか」

「女の子は一生懸命で、「かわゆい」ですよね。男の子は懐が深くてかっこいいですよね。女の子を影に日向に見守ってるところとか、気持ちをしっかり伝えてくれるところとか、キュンときます」

「わかります!桐馬くんも、日産くんも、雉田さんも、優しくて頼りになって、一途でがんばり屋の主人公とお似合いなのがいいんですよね」

「そういえば、広人さんは岩館真利子先生の作品はどうですか?」

「母の蔵書の中で「ふくれっつらのプリンセス」が一冊あって、それを読みました」

「私も好きな作品です。牛ちゃんより、俊さん派でした。あら、一冊だけということは、もしかして続編は読んでないですか?」

「続編?えっ、出てるんですか?」

「「ガラスの花束にして」という題名で2冊出てます。はじめちゃんと次子ちゃんが旅に出るところから始まりますよ。お貸ししましょうか?」

「ぜひ!うわぁ、早く読みたい!はじめちゃんが幸せになってくれればいいなぁ」

「ふふ、読んでのお楽しみです」


幸せな気分のまま熱弁を奮っていた広人のスマホがテーブルの上で振動する。


「あ、すいません。話の途中に…え?」

「どうしました?」

「友達から連絡きて、教授の体調不良で次の講義が休みになったって。あいつら3限で終わりなんで、今駅前にいるからそのまま遊びに行くらしくて」

「広人さんも誘われたんですか?」

「いや、俺は4限もあるんで帰れないんです。あの、唯子さんは、もう仕事に戻るんですか?」

「えっと、午後から有休をもらってて、もう少しゆっくりしてから家に帰ろうと思っていました」

「め、迷惑じゃなければ、唯子さんが帰る時間まで、い、一緒にいても、いいですか?」

「はい、もちろんです。迷惑なんてとんでもない。広人さんと話すのは、とても楽しいですから」


広人の目を見てふんわり微笑む唯に、広人は思わず顔を背けて咳払いで誤魔化した。


かわいすぎか…!


ちょうどオムライスを持ってきた店主としっかり目があったが、やはり寡黙な店主は耳を真っ赤にさせる広人にウィンクすると、ごゆっくり、と告げるだけだった。


◇ ◆ ◇


3ヶ月間毎週水曜日に会っていたが、お互いのことはあまり話したことがなかった。昼休みの貴重な1時間弱、趣味の話が盛り上がりすぎて、世間話まで及ばなかったからだ。


広人が唯子について知っているのは、隣の駅にある会社で働いていること、実家暮らしで広人と同い年の妹がいること、これくらいだ。多分4~5歳くらい年上。彼氏は、いるのかいないのかわからない。


唯子と会うようになってしばらくしてから、彼女の薬指に指輪がないことを安心したとき、広人は気付いた。


会うたびに、唯子のことが知りたくなる。

会うたびに、唯子に自分を知ってもらいたくなる。

会うたびに次に会う日が待ち遠しくなる。


それらが意味することを。


◇ ◆ ◇


文学論や少女漫画の話が落ち着いたところで、二人ともお代わりのコーヒーを頼む。広人はキリマンジャロ、唯子はモカ。

先程までいた他の客は既に会計を済まし、店内には店主と二人しかいない。

BGMは「亡き女王のためのパヴァーヌ」。しっとりしたピアノの音色と店主がコーヒーを用意する音が微かに聞こえる。コーヒーの香りが店内に満ち、至福の空間が出来上がる。


よし、いきなり恋人の有無を聞くのは無粋だから、さっきの話題に絡めながら世間話に移行していこう。


広人は口を開いた。


「そういえば、唯子さんが昔の少女漫画を好きになった経緯って何ですか?」

「母の姉である叔母が漫画が大好きで、大量に保管していたんです。叔母は息子が三人いて、少女漫画は誰も読まないから売ってしまおうかと母に話しているを聞いて、妹と試しに読んでみたんです。そしたら、見事に二人してはまってしまって。「小さな恋のものがたり」なんて、全部初版本なんですよ。チッチの詩集もあったり、時間を忘れて読んじゃいました。叔母は大切に読んでいたので保存状態もとても良くて、本当に好きなんだなって、何だかとても嬉しくて」


小恋かぁ!THE少女漫画!数年前に最終巻が出て、1巻から足かけ50年以上の歴史の終わり方としてはなかなか予想外だったっけ。あー語りたい!いやここでまた話したら、いつもと同じだ。耐えろ自分。


広人は苦渋の思いで相槌を打った。


「なるほど。俺も母親の影響なんで、経緯は似てますね。じゃあ、近代文学を好きになったきっかけは?俺は以前話した通り、高校時代に高村光太郎を知ってから佐藤春夫や萩原朔太郎などにはまっていきました」

「えっと…私は、知り合いから「智恵子抄」を借りたことがきっかけ、です」

「知り合い?」

「はい…」


急に口数が少くなり、具体的な関係性を口にしない唯子を不思議に思って見ると、色白の頬が少し赤くなってきた。今まで見たことのない照れている様子に、広人は胸が締め付けられるような痛みを覚える。


「どんな、知り合いなんですか?」

「…大学の読書サークルの人で、いろんなことを知っていて、ちょっと意地悪なところもありますが、どんな話でもちゃんと聞いてくれて、周りの人たちからとても慕われていたんです。あるとき、突然読んでみてと渡されたのが、「智恵子抄」で」

「その人は、唯子さんの恋人、とか…」

「…いえ」


なんだ、違うのか!さっきの様子だとそれがきっかけで恋心が芽生える流れだけど、違うのか!良かった!


恋人ではないと否定され、広人が内心喜んだ瞬間、唯子の口から衝撃の事実が明かされた。


「婚約者、です。来年の春に結婚するんです」

「…は、え、ええ?婚約、者?」


予想もしていなかったことに、広人は頭の中は婚約者という三文字でいっぱいになった。


婚約者?結婚を約束する者と書いて、婚約者?ということは、結婚したら、既に結婚した者って書いて、既婚者?いやまず婚約者って、え?聞き間違い?蒟蒻じゃ?今昔や?こん…婚約者?


唯子は唯子で、自分が発した言葉を思い返したのか、突然慌て出した。


「…あっ!違うんです!いえ、違くなくて、そうなんだけど、いえやっぱり違うんです!あの…」

「…こんやく、しゃ」


フリーズする広人に気付かず、俯いていた唯子は真っ赤な顔で覚悟を決めたように顔をあげた。


「あのっ、ずっと広人さんに話さなければいけないことがあって!それについて謝らなければいけないことが…!」

「ヒロ?…あらごめんなさい、話の途中に声をかけて」


必死な唯子の言葉に、涼やかな声がかぶる。広人がのろのろとカウンターに目をやると、よく知った人物が立っていた。驚きのあまり、思わず広人は呆けた声を出してしまった。


「…美麻?なんでここにいるの?」

「ここでバイトしてるからよ」

「え?」

「店主の辻内さんと父が知り合いなの。ここならバイトしてもいいって言うから。いつもは火、木、土曜に働いてるけど、今日は急きょ代わりに入ったの。知った顔があると思ったら、女の子連れとはね。さすがヒロ…あら?」


広人と美麻が話している間に、唯子は荷物をまとめ自分の伝票を持って立ち上がっていた。

なんだか無理をしているような微笑みを浮かべる唯子に広人は戸惑う。


「じゃあ、私はそろそろ行きますね。今日もたくさん話せて良かったです。ありがとうございます」

「え?唯子さん?」


レジで支払いを済ますと、唯子は会釈をして足早に扉から出ていってしまった。あわてて広人も追いかける。

すぐに唯子に追い付き、彼女の腕を掴んだ。


「唯子さん!ちょっと待って、話の途中でしたよね?すみません、知り合いがいたので思わず話しかけてしまって。聞きます。聞かせてください」

「いえ、いいんです。またの機会で。彼女、話したそうにしていますよ?行ってあげてください」


チラリと店を振り替えると、窓から美麻がニヤニヤしながらこちらを見ている。広人は美麻を少し睨んだ。


「あの子は、いいんですよ。俺は唯子さんと話したいんです!」

「…お願い、離して、ください」

「あ、すいません」

「それでは」


あわてて手を離すと、唯子は足早に駅へ向かってしまった。その背中に拒絶の文字が見え、それ以上追いかけられなくなった広人は、のろのろと店へ戻った。

さすがに申し訳なさそうな顔をした美麻が、注文していたキリマンジャロとモカのコーヒーカップを持ってきた。


「なんか邪魔しちゃったみたいで悪かったわね。このモカ、どうする?」

「本当にね。二杯とも飲むから置いといて」

「あら、そんな顔見たことない!やだ、さっきの女の子に本気なのね。色恋沙汰に縁のなかったヒロがついに!大紀に報告しなくちゃ」


黙っていると迫力のある美女だが、実際は感情豊かな美麻は、きゃあと手を叩いて喜んだ。

美麻は広人の唯一の女友達だ。高校の同級生で、彼女が大紀と付き合ってからよく話すようになった。見た目はバランスのとれた女性らしい体つきにクールビューティー、中身はざっくばらんで思っていることを何でも言う性格で、広人にとって男友達と同じくらい付き合いやすかった。実家は金持らしいが何をやってるか広人は知らない。


早速大紀へ電話しようとする美麻に、広人は頭を抱える。


「やめてくれ…仕事中にスマホをいじるなよ…辻内さん美麻を叱って…」

「あら、取り乱しちゃってごめんなさいね。それよりさっきの女の子…」

「さっきから女の子ってさ、唯子さん社会人だぞ。たしかに童顔だけどさ、年下から女の子扱いされるってどうなんだよ」


広人の抗議の言葉に、美麻は綺麗な手を頬にあてて首を傾げる。


「…ねえ、名前は何て言うの。さっきの人」

「金原唯子さん」

「金原、唯子…。ねえ、ヒロ。今週末のうちの文化祭、大紀たちと来るのよね?」

「ああ、そういう話があったな」

「そう、わかったわ。絶対来るのよ」

「あーはいはい」

「何よそれ!さっきの彼女と全然態度違うじゃない!失礼しちゃうわ!」


美麻の憤慨をスルーしながら、広人は先程の唯子の言葉を反芻しながら落ち込む。


婚約者がいるんだ…やっぱり大学生が社会人を好きになってもしょうがないのか…。話したいことって、何なんだろう。来週の水曜日にどういう顔で会えばいいのかわからない。


この世の終わりのような顔をした広人とプリプリ怒る美麻を見比べ、店主の辻内は静かに二人を見守ることにした。

最初のファンサイトの話は、私が高校生のとこに経験した実話です。

大興奮でした。

ちなみに、今の若い子は掲示板はわかるのかしら。

電子掲示板もそうだけど、いわゆる駅に置いてあった掲示板も。


チッチとサリーは本当にかわいいカップルで、大好きなお話でした。


次話で最終回ですー。

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