クリスマス短編① お隣はヘンダクロース
あれは忘れもしない、一年前のクリスマスの夜だった。
五年つき合った彼氏にふられ、その日偶然彼氏と喧嘩した友達と一緒にヤケ酒ならぬ、ヤケ食べ放題に行った帰りの事。
わたしは奇妙な光景を目にした。
どこでその光景を見たかと言うと、わたしが住む二階建てアパートのローズ荘で。
階段を上がって二階の角部屋201号室がわたしの部屋。
その隣の202号室は半年近く空き部屋だったはず。
それが今わたしの目の前で、202号室の小窓から赤いお尻、いや赤いズボンに黒のブーツを履いた太い足がバタバタと必死にもがいている。
怪しすぎる。警察に電話すべき?
関わって逆恨みされたらヤダなぁ。
わたしは見ないふりをする事にした。
さっさと自分の部屋に入るため、バックに入れてある鍵を探す。
確か内ポケットに入れてあるはず……。
うちのアパートの玄関前は、自動点灯機能なんて便利な機能は付いてない。
だから暗くてよく見えないから困る。
ガサゴソ鍵を探していると。
「誰か助けて〜。体が抜けないよ〜」
無視無視、関わらない。
「お腹がつっかえて苦しいよ〜」
わたしは何も聞こえない。
「お隣さんとか帰って来ないかなぁ」
ギクリ……わたしがそのお隣さんですが。どうやら泥棒の類じゃなさそう。
だけどどうしよう……。
「ご近所さんが助けてくれたら嬉しいのに。誰にも気づいてもらえなかったらどうしよう」
ええいっ、こうなりゃ仕方ない!
わたしは赤いズボンを履いた黒ブーツの男に話しかけた。
「どうしましたか?」
どうしました、も何もないか。
見ればわかる。はまっているんだから。そう内心自分にツッコミを入れる。
赤いズボンの男は嬉しそうな声を出した。
「もしかして、君はこのアパートの人?」
「ええ、まあ」
「助かった〜。じつは僕今日からこのアパートに引っ越してきたんだ。よろしくね」
「こちらこそ。で、どうして窓に体を突っ込んでいるんですか? そこってキッチンの小窓ですよね」
至極まっとうなわたしの質問に赤いズボンはあははと笑った。
「いや〜じつは鍵をなくしちゃって、部屋に入れなくてね。窓の鍵を閉めてなかった事を思い出して、ここから入れるかなぁって。でも、ちょっと無理みたい」
エヘって笑われてもねぇ。
「ちょっとと言うか、かなり厳しいですよ」
「うん、僕もそう実感したよ。それでお願いがあるんだけど、そっちから僕を引っ張ってくれない?」
「はあ?」
なんとなくそう来るとは思っていたけど、鍵をなくしたからと言って、その体型で無理矢理小窓から部屋に入るだなんて無茶すぎる人だ。
どうしよう、面倒くさい。
「ダメかなぁ?」
すがるような声。
寒空の下このまま放置もかわいそう。
……困った時はお互い様か。
「わかりました」
数分後、わたしは赤いズボンの男を小窓からなんとか引っ張り出した。
「ありがとう。君って優しいね!」
顔もぷくぷくしてまん丸お月様のよう。
髪は金色、瞳は青。
外国の人にしては流暢な日本語を話す。
よく見たらサンタクロースの格好じゃないの。
ケーキ屋のバイトでもしているのかしら?
太っちょのサンタクロースは玄関前に落ちていた白い袋を拾うと、その中から小さな長方形の箱を取り出した。
うさぎ柄の可愛い包装紙には老舗和菓子屋『うさぎ堂』のロゴ入り。
「これ、助けてくれたお礼とお近づきの印に。つまらないものですが」
貰うべき?
満面の笑みを向けられているわ。
「困った時はお互い様です。気を使わないで下さい」
やんわり断ると、彼はがっくり肩を落とした。
「僕、間違えたのかな。日本人はみんなこうするって聞いたんだけど……」
そこまで落ち込まれると、受け取らざるをえないじゃない。
「えっと……やっぱりお言葉に甘えていただきます」
「貰ってくれるの? 嬉しいなぁ。これで僕たちお隣同志だね!」
ん? わたしが隣の住人だなんて一言も言っていないけど、まぁ良いか。
箱の中には紅白大福が入っていた。
紅はみそ餡、白はこしあんの珍しい組み合わせ。
彼の住んでいる町では引っ越し先でお菓子を配るらしい。
でもなぜ大福?
「大福はこし餡に限るよね〜! みそ餡もなかなかイケるでしょ?」
それがお隣の太っちょサンタとの出会い。
それから彼とはよく帰宅時間が一緒になり、スイーツ話で意気投合。
休みの日には二人でスイーツ店巡り。
大らかでちょっとぬけてる、そしてどこか憎めないそんなキャラの持ち主にわたしの心は癒されていった。
しかし、危機は突然にやって来た。
お風呂上がり、部屋着のまま気まぐれに体重計に乗って青ざめるわたし。
服の重さを引いても、これはヤバい。
最近ベルトがきついなぁ、とは思っていたのよ。
ここまで増えていたとはね。
原因はアレしかないか。
お隣さんとのスイーツ巡り。
よし、こうなったらダイエットあるのみ!
決意をした直後、ピンポーンとチャイムが鳴り。
「僕だけど〜」
こののんきな声はお隣さんだ。
玄関ドアのロックを解除し、ドアを開けるとぽっこりお腹が現れた。
「今日は幻の苺大福と、老舗和菓子屋のもっちりみそ饅頭を持って来たよ〜」
わたしの前で苺大福とみそ饅頭の箱を見せる。
「幻の苺大福……」
「淡いピンク色のお餅に中味はみそ餡、そしてジューシーで甘酸っぱい苺の組み合わせがまた良いんだよね〜」
食べたい……でも、これを食べたら体重計の数字が……。
ここは心を鬼にするのよ!
両手を前に突き出しわたしは決意表明。
「悪いんだけど、しばらく甘い物は絶つことにしたから。遠慮するよ」
お隣さんが瞳をまん丸くして驚いている。
「どうして、なぜ。何があったの!?」
乙女にそんなことを聞くなんて、この男は。
それも玄関先で、ご近所にまる聞こえじゃない。恥ずかしい。
わたしはお隣さんを部屋に入れ、玄関ドアを閉めた。
「最近カロリー取り過ぎてちょっとね。わたしのことよりそっちは……」
大丈夫なのか聞こうと思ったんだけど、このぽっちゃり具合だと、体重が増えたのかどうなのかわからないわね。
私は名案を思いついた。
「僕がなに?」
「お隣さんも一緒にダイエットしない?」
「僕も?」
旅は道連れ、ダイエットも道連れよ。
私はテーブルの上に置いてあったファッション雑誌を広げた。
「お隣さん元は良さそうだから、痩せたらこんな風になるのも夢じゃないよ」
雑誌を熱心に見つめるお隣さん。もう一押し。
「肥満は体に悪いって言うし、痩せたら女の子にモテモテだよ」
わたしは知っているのだ。
スイーツ巡りで町を一緒に歩いていると、お隣さんが周りの目を気にするように歩いていることを。
性格は悪くないんだから、自信さえ持てば人生開けるタイプじゃないかな。
「僕もこんな風になれるかな?」
「努力すればなれるよ」
「僕がこうなったら嬉しい?」
イケメンが増えて困る女子はいないからね。
「もちろん嬉しいよ」
おっ、やっぱりモテたいんだね。
お隣さんの表情にやる気がみなぎっているよ。
「じゃあ、僕も一緒にやってみるよ!」
私はニヤリとほくそ笑む。
ダイエット仲間ゲット!
そんなこんなで、スイーツ仲間はダイエット仲間に。
夜のスイーツ会議はダイエット会議になり、休日のスイーツ巡りは公園ウォーキングとなった。
ダイエットを始めて半年が経った陽射しが暑い日。
お隣さんは仕事で海外に行くことになり、ローズ荘を去ることに。
その頃にはわたしの体重は元に戻り、お隣さんは驚くほどの成果を遂げていた。
「半年頑張ったよね。まるで別人だよ。リバウンドには気をつけて」
お隣さんはやっぱり元が良かった。
金色の髪に青い瞳は変わらない。
痩せたことによって、顔の輪郭がはっきりして西洋人特有の彫りの深い顔立ちがはっきり現れたから。
どこから見てもイケメンだね。映画俳優やモデルだと言っても納得できちゃうよ。
変わらないところは中身かな。
季節は夏を迎えるというこの時期に、なぜサンタの衣装を着ているのか聞くのはやめておこう。
「僕、君がお隣さんですごく楽しかった。君がいたからホームシックにもならなかったし、今日までやってこれたんだ」
「大げさだなぁ。でもわたしもあなたがお隣さんで楽しかったよ」
イケメンに変身したお隣さんは涙を流しながらわたしに抱きついてきた。
「うっわぁ〜んっ。行きたくないよ〜。こんな楽しいところ離れたくない〜」
そんなにローズ荘が気に入ったのか。
たしかにアパートの人を含め、町の人たちは気さくで明るくて良い人が多いからね。
わたしはお隣さんの背中をよしよしとさすってから、バシッと叩いた。
「イケメンがそんな顔して泣いたら興ざめじゃない。綺麗な顔が台無し。ほら、笑う!」
ひっついて来たお隣さんを無理矢理引き剥がし、ハンカチで涙を拭いてあげた。
「僕はあっちに行っても頑張るよ。君にコレを預かって欲しいんだ」
そう言って、免許証サイズの小さな赤い手帳を渡された。
なんだかよくわからないけど、受け取って欲しそうなのでわたしはソレを受け取った。
クリスマスの寒い夜に出会ったお隣さんは、太陽が照りつける暑い昼にローズ荘を去って行った。
出会った時と同じサンタクロースのコスプレをして。
それが半年前のこと。
「お隣さんと出会った一年。去年の今頃、玄関通路で会ったんだよね。懐かしいな」
わたしは202号室の小窓を見た。
あれからこの部屋にはまだ誰も引っ越して来ない。
「今頃、何をしているのかなぁ。手紙の一つもよこさないなんて薄情者だぞ」
なんだかちょっと寂しい気持ちになりながら、わたしが部屋の鍵を挿した時。
アパートの階段を忙しなく上がってくる音に手を止めた。
「うふっ、やっと着いたわ!」
階段を上がってきた人物は赤いサンタクロースの衣装を着ていた。
サンタと言っても、赤いとんがり帽にサンタ風スカートに黒のロングブーツ。女性版サンタってとこだけど……。
サンタの格好で真っ赤なルージュにサングラスが、なんだかミスマッチに感じるブロンド美女。
アパートの誰かの知り合いかな?
今日はクリスマスだからパーティーで仮装をした人、そう考えれば違和感ない。
それにしてもすごく綺麗な人。
スタイル抜群、胸も大きい。
美人サンタがカツカツとヒールの音を響かせ、わたしの前までやって来る。
「こんばんは」
軽くお辞儀するわたしに美人サンタは、瞳を潤ませ両腕を広げる。
「あ〜ん、会いたかったわぁ〜!」
美人サンタがガバリとわたしに抱きついてきた。
なにこの人、なんなの!?
「ちょっと急になんですかって、あなた誰ですか?」
わたしにこんな美人の知り合いはいない。
美人サンタはわたしから体を離すと、わたしの肩に両腕を乗せわたしを見下ろした。
「やぁね〜、あたしのこと忘れるなんて。怒っちゃうぞ〜」
可愛らしく口を尖らせる美人サンタ。
なんだか面倒くさいな。絡みづらいし、どうしよう。
「すいませんが、わたしはあなたのような美人さんに心当たりがなくて。外国の方とお見受けしますが、わたしの知り合いでそのような方は一人。ですが、その人は男性で……?」
美人サンタがわけ知り顔でうんうんと頷き、自分を指差している。
はて、この人何が言いたいのか?
「ん、もうっ! わからないの〜。それあたしよ、あ・た・し」
「…………どなたかと間違われているのでは?」
「間違えるわけないでしょ。自分の大事なライセンスを渡した相手だもの。ね、お・と・な・り・さん!」
「………………!!」
ま、まさか。まさかのあの元太っちょサンタ。いや、太っちょサンタからイケメンに変身したお隣さん!
「ちょっとどうして、そうなったの!?」
あんなイケメンだったのに、この格好にそのしゃべりはまるで……おネエサンタ。
この人はいったいどこでどうやって道を踏み外しちゃったの?
「あら、あなたが言ったのよ。こうなったら嬉しいって」
おネエサンタはスカートの裾を持ってターンする。
「わたしが言った?」
おネエサンタは玄関通路に置いてある白い袋から雑誌を取り出しページを開いた。
「ダイエットを始める前に、この雑誌を見たの忘れちゃったの〜?」
その雑誌には見覚えがある。
おネエサンタがコレコレと指差しているのは、かっこよくワイルドにポーズを取るイケメンモデルではなく。
その隣で妖艶に微笑む美人モデル。
「わたしが言ったのはこっち! 普通に考えてこっちでしょう?」
おネエサンタが雑誌を覗き込む。
「あ〜ら、あたしったら間違えちゃったの〜? 女性は綺麗な物が好きだから、こっちだと思ったのよ〜」
「胸まで美容整形しちゃったの!?」
実はそこが気になる。体は、どうなってるのその胸は!
「あら、気になっちゃう〜?」
おネエサンタは私の手を取ると、何のためらいもなく自分の服の中に突っ込んだ。
「えっ、ちょっと何?」
何このむにゅっとした柔らかさ。
これが今の整形技術なの?
「あらん、わからない?」
本物より柔らかい、と思っていたらおネエサンタはガサガサと胸から何かを私の手に持たせた。
私はソレが何か確認するべく、おネエサンタの服から手を出すと……!
「大っきい! 何コレ大福?」
私の手には透明フィルムに包まれたジャンボ大福紅。
「もう一つあるわよん」
おネエサンタが取り出したのはジャンボ大福白。
「大福って胸代わりになるんだ」
いやいや、違う。何かがズレている。
おネエサンタはイタズラが成功した子供のように青い瞳を輝かせ、凄く嬉しそう。
「コレは今夜のためにオーダーした特注品なの。ここ見て」
ジャンボ大福の真ん中にうさぎの焼印が入っていた。
この焼印はうさぎ堂の印。
「あたし達を結んでくれた大福。とってもロマンチックでしょ?」
大福がロマンチックとはとても言い難い。
なんだか責任を感じるわね。
この世界からイケメンを一人減らしてしまった責任。
「ねえ、元に戻る気は」
「あたし、綺麗じゃない?」
瞳を潤ませて見つめないで!
「いや、その、綺麗だけど」
更生させることはできないのだろうか?
「嬉しい! あたしあなたに綺麗だって誉めてもらいたくて頑張ったのよ」
わたしが元お隣さんをダメにした原因!
そんな……何てことをしちゃったの。
「あなたに渡したライセンスはあたしにとってはとても大事な物。それを渡した意味は、あなたに一生を捧げます、ですもの」
もはや言葉が出ない。なんなのそれ?
「あなたにはこれからあたしのハニーとして一緒について来てもらうわよん」
呆然とするわたしにおネエサンタからの衝撃発言は右から左に流れていった。
そんなわたしに御構い無しに彼、いや彼女か? は、わたしの腕に自分の腕を絡ませると、わたしをずるずると引きずってどこかに連行したのだった。
クリスマスに、いやいやその前からかも知れない。
わたしがイケメン人口を減らし、おネエサンタを誕生させてしまったなんて。
なんてこった!
******** END ********