少女と僕と違和感 その1
「あの、ヨロシクお願いします」と少女は静かに頭を下げる。
この子はとても礼儀正しく、少し大人びているような印象を受ける。
僕はゆっくりと少女の正面からやや右側に座る。
「お名前教えてくれる?」
「満月です!まんげつとかいてみつきと読むそうです!」
改め少女は右手をグーにして左手をパーにする。
それを胸元に合わせ合掌させ、一礼する。
勇気凛々、天真爛漫のようなアピールをしているのだろうか。
しかし「読むそうです」とはどういう事だろうか。
先ほどから店長もそうだが全く意味が分からない。
「満月ちゃんは学校には行かないの?」
「学校には」と言って少女は立ち上がる。
「行っていません。すみません」
そう言って少女は静かにお腹の下に手を合わせてお辞儀する。
なぜ、謝られたのだろうか。気の毒な質問だったであろうか。
僕は内心すごくテンパっているが焦ってはいけない。
そんなことよりなぜ学校にも行っていないのだろうか。おそらく小学生だろうに。
座布団の上にはランドセルではなく、汚い紺色のリュックがある。
「わわ。わかった、わかった。お父さんとお母さんは?一人で来たのかな?」
「おとうさんも……おかあさんも、いません」
少女はお辞儀したままそう言った。
これこそ気の毒な質問だっただろうか……。
僕自身も気が重くなる。早く店長来ないだろうか。
「あっ……ごめん、ごめん」
お辞儀を解除しない少女を見て困惑する。どうにかしないと。
腕を組み考えるポーズをとる。
腕組みって対人関係において他人を警戒している証なんだという。
防衛本能が働いて警戒しているらしい。この子ども相手に警戒している。
とはいえそうながらに人間だ。やっぱり人間って繊細な生き物だと思う。
些細なことであってもタブーを冒すと簡単に崩れ落ちてしまうこともある。
それはいかなる人間に対してもそうだと思う。
この少女からみた僕は立派な大人に見えるのだろう。
大学受験に落ち、人生の路頭に放り出されていることなんて露知れず。
少しばかり静寂が訪れた。個室の外のざわざわ感が伝わる。
「すみません。ご迷惑ですよね」
少女は唐突に口をひらく。
「そ、そ、そんな――――」
僕はこれに対して何も言い返せなかった。
「ひ、一人で来たの~?偉いね~?」
同じ質問をして誤魔化す。間が持たない。
子どもに何言わせているんだろう。
ご迷惑……その言葉はなにか違っている気がする。
僕はひどく困った。この気持ちを言葉で表すのなら『ドン引き』というのが一番近いだろうか。
子ども相手にすごく引いている。
それは突然の出来事である。
ゴホッゴホッ
ッゲッホゲッホ
突如、少女の咳が止まらなくなった。
大人があまりやらなくなった子ども特有の全力の咳。
とても汚い咳が空間を響かせる。
僕は慌てる。
「どした!?どうした!?」
女の子はうつむいたまま左手で咳を止めようとする。
そして立ち上がった僕に対し右手で静止を促す。
とはいえその右手の言うことも聞くことなく。
「ちょちょちょ、待ってて。飲み物取りに行くから待ってて!」
僕は慌てて個室を飛び出す。対処の仕方はわからない。
でもおそらくあれは喘息だ。
小学校の時クラスで時たまに拗らすやつがいた。
症状は似ているが僕には何もできなかった。
店の中にあるマシンからウーロン茶をジョッキに注ぐ。
僕は急いで個室に戻り、それをテーブルに置く。
少女の咳は落ち着きを取り戻しつつあった。
右手には多分喘息抑える薬でコシュッってなるやつなのか。
「す、すみません。ゲホッもうッ!大丈夫……ですっ」
少女は半泣きで辛そうなのだが笑顔で安心してくださいとアピールしている。
僕もその笑顔に安堵し一息つけた。
「飲んで飲んで」
「ありがとうございます」といって、両手でジョッキを掴む。
「喘息?なのかな?」
「はい、すみません。あの、ご迷惑をおかけ……」
「いや、違うんだよ」と僕は最後まで言わさずに言葉を遮る。
「え?」
「なんだろうか。最近ませてる子どもが多いってよく聞くけどそれに似たような」
満月はキョトンとしている。
「まだ子どもなんだし、皆大人になるんだし、今は子どもらしいのほうがそれっぽいと思う」
満月は掴んだジョッキを眺めながらまた下唇を噛んでいる。
少し発言を躊躇っているのだろうか。僕はただ待つ。
「……おとなになれるんですか?」
言葉が震えている。
その言葉が何を背負っているのかわからないがそれに恐怖すら感じた。
ゾワッという感覚を身に覚えた。全身がゾワッと。
「おお、大人になるさ!当然だよ!」
間を詰めるようにできるだけ安心できるようにそう言う。
「そ、そうですよね」
「うん!うん!なるなる!」
言葉に説得力のないなるなる。
とても不格好で気まずい雰囲気はもうすぐ終わる。
個室の外はザワザワからガヤガヤという雰囲気に変わっていた。
結構な時間が経過していたようだ。
忙しく階段を上る音が聞こえる。
店長が個室に入ってきた。
「すまーん忙しくなってきた。バイトリーダーはいらないから帰ってくれ」
「ひどい言い方っすね」
「冗談だよ~この個室も使うから外に出て行ってくれな。メシ食ったら帰って来い」
「もうこんな時間すか。了解です」
何とかこの場を一旦は凌げた様だ。
すごく息が詰まりそうっだったのでちょうどいいタイミングだった。
そもそも、僕は他人にあんまり興味を持ちたくなかった。
興味を持ったところで自分が傷つき相手が傷つく。それが嫌だから。
子ども相手に突っかかりたくないしそれこそ迷惑だし。