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第26話 溟海の探索者 第3節 眠れる龍の神殿 2/4

 2人は魔石に導かれ、黄泉の迷宮を進む。古びた壁と石畳のみで構成された景色が延々と続き、無限に広がっているのではと錯覚を起こさせる薄暮の回廊。静寂に包まれた通路の中を、辰真達の小さな足音だけが響き渡る。

 彼らを導くのはメギストロンの煌めき。魔石は常に2人の斜め前方あたりを浮遊し、別れ道に来ると迷いなく一本の通路を照らし出す。既に幾つもの分岐点を過ぎ、自分の現在位置などとっくに把握できなくなってはいたが、不安は全く感じなかった。それどころか、あの紫色の光を眺めていると、安らぎすら感じるような__

 いや、惹き込まれては駄目だ。辰真はジャケットに複数付けられたポケットの一つを握りしめ、上空の魔石から視線を逸らしてそのまま下に落とす。その先には月美の後ろ姿があった。辰真より数歩先を歩く彼女は、先ほどから無言で光を追い続けている。背後を振り向く事もないので表情は分からないが、恐らくそこに人間味を見いだすことはできないだろう。そう、今のあいつには。


 今の稲川月美は、以前と同じではない。そう直感が告げていたものの、彼女がどういう状態なのかについて、辰真は今一つ確信が持てないでいた。魔石に完全に魅せられているのか、何かが取り憑いているのか。まだ正気が残っているのか、全ては演技なのか。いずれにせよ、あの冷たい眼差しが真っ当な人間にできるとは思えない。自分同様魔石に導かれて進んでいるように見えるが、実は既に魔石と共謀して、自分を神殿へと誘導しているのかもしれない。だとすれば、このまま着いて行っても平気なのだろうか。……だが、今すぐここから引き返したところで、いい結果になるとは思えなかった。迷宮を逆走し、再びあの山を越える。上りに比べると下山はさほど時間がかからなかったとはいえ、今の状態で再度の登山に体が耐えられるとは思えない。それ以前に、この迷宮を抜けられずに行き倒れになる可能性の方が高いだろう。


 結局、彼らはもう引き返せない所まで来てしまっていた。それに、正直に言えば辰真にも、魔石の光やその先の神殿に惹かれる気持ちがあるのは否定できない。戻る時の心配事を全て後回しにしてでも、溟海の神殿に辿り着くのには測り知れない価値がある。一歩進むごとに、心の奥底の想いが強まっていくような気さえもした。……駄目だ、また気持ちが揺らいでしまっている。辰真は再びポケットに手を伸ばした。そこに入っているのは、金色の絹糸で編まれたココムの繭玉。幸運のお守りと言い伝えられ、出発前にメリアにマナを込めて貰ったものだ。お守りとしての効力はともかく、こうして握っていると温かいマナの力が体内に伝わってくる気がする。魔石の誘惑から彼を守護してくれるかのように。辰真が今でも辛うじて理性的な思考を保てているのは、この繭玉のお陰なのかもしれなかった。そして、恐らくは同等の効力を持つであろうイカイカと呼ばれるハワイのお守りを、辰真はこっそり月美のバッグに入れておいた。彼女にもマナの加護がもたらされているのだろうか。それは、今の彼には預かり知れないことではあるが。


 果てしなく続く石畳の通路。時が流れてもまるで変化を見せない、憂鬱な菫色の空。稀に内部の赤い球体を脈動させ、旅人を先導する濃紫色の多面体。代わり映えのしない景色の中を、2人は無言で歩き続けた。内部に入ってからどれだけの時間が経ったのかも分からない。だが、メギストロンの光に従っている間は、間違いなく出口に近付いていると確信できる。あの魔石の光に惹き込まれてはいけないが__果てのない迷宮を巡る中で、辰真の思考は身体の動きに似て、頭の中で堂々巡りを繰り返す。


 時折やや広がっている通路に行き当たると、2人はどちらからともなく荷物を下ろし、10分ほどの休憩をとった。腰を下ろした瞬間、身体に纏わりついていた疲労が一段階重くなるような錯覚に襲われるが、極力無視してザックから食糧を取り出す。すっかり見慣れた水筒の水とブロック携行食を、辰真は物憂げに見下ろした。当然のことながら、食糧は目に見えて減ってきている。この先の事を考えると全く安心できる量ではない。歩いている途中はなるべく考えないようにしていた現実から、彼は再び顔を背ける。


 何とはなしに月美の方を見やると、彼女はこちらに背を向ける形で座り込み、視線を下に注いでいた。また手帳に何か書いてるのかと思ったが、手を動かす様子はなく、手元に置いた何かをじっと見つめているようだ。一体この状況下で、何をそんなに凝視しているんだ?疑問は瞬く間に増幅され、辰真の心を占領する。無視した方がいいと理性が訴えていても、疑念に彩られて疼きだした好奇心を抑えることはできそうになかった。辰真は静かに立ち上がり、なるべく音を立てないように月美の方に接近していく。


 一歩、また一歩。__気のせいだろうか、見慣れた筈の後ろ姿に、何か得体の知れない気配を感じるのは。かなり疲労が溜まっていたのか、少し歩いただけで心拍数が上がり、足元は無意識に震えていた。そんな状態でも渦巻く好奇心が彼の背中を押し続け、気付けば月美の真後ろまで接近していた。


 肩越しに、そっと月美の手元を覗き込む。やはり彼女は手帳ではなく、何か別の書物を開いていた。随分と年季が入った物のようで、紙自体が黄色く変色し、文字も古めかしい草書体で書かれている上に掠れていて、この距離からでは何と書いてあるのかまるで分からない。だが不思議なことに、辰真はその本に不穏な、それでいて懐かしいような雰囲気を感じていた。どうして内容も分からないような本にそんな感覚を得る?いや、本当にあれは知らない本なのだろうか。あの古びた紙と灰色の表紙、どこかで見たような気がしてならない。あるとすれば、それは__

「魔石の発見」

 記憶を遡り始めた辰真の脳内に、月美の声が突然割り込んでくる。辰真に気付いた訳ではなく、単に書物の内容を読み上げているだけらしかったが、彼の思考を中断させるには充分だった。間髪入れず、淡々と文章が読み上げられていく。


「古の神官、嘶く驢馬の足元にて、菫色に輝く魔石を拾い上げたり」

「揃いし魔石、黄泉の扉を開き、溟海より龍神を招来せしむ」

「大いなる龍神、その名は……滅魏洲翔羅メギストラ


 迷宮内に、いきなり突風が吹いたような気がした。少なくとも辰真の背中に怖気が走ったのは事実だ。あの本と何処で接触したのかについては、疑問の余地はない。魔石と出会ったあの日、揺木図書館の閉じられた書庫。色々なことが起こりすぎて忘れていたが、確かにあの本を見た時、何か奇妙な印象を抱いた気がする。今にして思えば、あの感覚はメギストロンに感じたものと非常によく似通っていた。


 石壁にもたれかかる辰真の脳内で、忘却されていたあらゆる記憶が蘇り、繋ぎ合わさっていく。2人が連日の悪夢にうなされ、溟海の幻影に取り憑かれ、遂には異世界を放浪するに至ったのは、あの異次元煌石メギストロンの導きに他ならない。

 その魔石を見つけたのは、魔境にも近いゾグラスの出現場所、怪獣の足跡の中だった。そもそも、何故2人はそこに向かった?大学の図書館で、揺木の神獣に関する古書を見つけたからだ。では、あの大量の書物の中から、どうして特定の一冊を見つけ出すことができた?2人があの時惹かれたのは、本当に神獣の書だったのか?実際には、すぐ近くにあったもう一冊の本が彼らを誘引し、神獣の書を手に取らせ、彼らがメギストロンを入手するよう仕向けたのではないのか?

 つまりはあの書物、「滅魏洲翔の書」こそが全ての元凶だったのではないのか。


 あまりに強い戦慄に揺さぶられながらも、彼は思考を止めることができない。仮にそうだったとして、あの書物なり魔石なりが俺達をここまで連れてきた最終目的は一体何だ?それも今なら断言できる。この迷宮の先に君臨する溟海の神殿に2人を導くことだ。そのためにあの忌まわしい書物は、自らも密かに書庫を脱け出で、稲川に禁断の知識を吹き込み続けた。俺達が確実に異次元に向かうように。結局全ては最初から仕組まれていたと言うことか。


 そして……そして。これから向かう溟海の神殿、その内部に広がる深淵の中に潜む存在。既に月美はその名を唱え、辰真もその影を幻視している。しかし、その存在について考えが及びそうになると、体全体に冷気が纏わりつくかのような悪寒が彼を襲った。

 この先で待ち構える、直視することが出来ない何か。だがそれを認識しても尚、神殿への思慕を止める事は不可能だった。大いなる存在というものが実在したとして、自分達のような只の人間がその力に対抗できるはずもなかったのだ。外部からの助けなど望むべくもない。今更歩みを止める事は出来ず、最早どこにも逃げ場などなかった。


 辰真は頭を抱え、その場にうずくまる。恐怖と歓喜、絶望と憧憬。全ての感情が溶岩のように全身に流れ込み、思考を侵食し、脳内を焦がしていく。


 …………


 __いつしか辰真の心中からは恐怖や疑念の感情は消え、諦念にも似た穏やかな気持ちが芽生え始めていた。積み重なる懸念や動揺から精神を守るために、彼の心の防衛本能が働き始めたのかもしれない。だとしても、今となってはこの状態に何の不都合も無かった。

 辰真はそっと立ち上がり、元の休息場所へ引き返す。瞑想に臨む時のように、心を静めながら。そして、いつになく穏やかな気持ちで荷物を背負った。


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