第25話 溟海の探索者 第2節 異界山脈を越えて 4/4
それから更に数時間。黙々と岩棚を上がり続けていた2人を照らす光は強さを増し続け、とうとう深夜から夜明け寸前程度にまで周囲が明るくなってきた。そして彼らのすぐ頭上で、直径2mほどの光の穴が口を開けている。そここそが洞窟内と外の世界を繋ぐ穴、すなわち暗闇からの脱出口だった。上がった距離から考えても、外に出ればほぼ山頂目前なのは間違いない。
近い位置にいた辰真が先に出口に辿り着き、ゆっくり外部に顔を出して様子を窺う。紫の空と黒々とした坂道。やはりそこは、表側の山道に繋がっていた。上方に首を傾けると、漆黒の三角尾根がすぐ間近から彼を見下ろしている。どうやらあと10mも登れば山頂に到着するようだ。かなりの遠回りになってしまったが、この道を来て正解だったらしい。ほっとした辰真は、後から来る月美(ひとまず正体考察は後回しにした)を引き上げようと洞窟内に視線を戻そうとする。
その時、彼の頭の後ろから物音が響く。嫌というほど記憶に残る、巨大な何かが羽ばたく音。そして、出口の光を一瞬覆う影。辰真は慌てて頭を引っ込め、洞窟内に身を潜める。予想はしていたが、翼竜の脅威はまだ去っていない。どうにかやり過ごして先に進む方法はないか__
しかし、彼らのかなり近くで聞こえた翼の音は、次第に下方へと遠ざかっていった。まるで、坂道の下の方で何か興味を惹く物を発見したかのように。辰真は気が進まないながらも穴に戻り、身を乗り出して外の様子を窺う。翼竜は翼を大きく広げ、斜面の下方に向かってまっすぐ滑空している。その進行先、先ほど辰真達が翼竜の襲撃を受けた辺りの場所に、何か丸っこい物体が複数置いてあるのが見えた。あんな物、さっき登っている時にあっただろうか。辰真は記憶を巡らせるが、合致するような物は思い出せない。その間にも翼竜は丸い物体との距離を詰め続け、ほぼ接触寸前にまで近付いた瞬間、それらは甲高い鳴き声をあげた。彼らには聞き覚えのない声だったが、それが悲鳴なのは疑いようもない。丸い球体、いや丸鳥達は、よちよち歩きで翼竜から遠ざかろうとする。しかし速度の差は歴然だった。逃げられる筈もなく、翼竜の口から臭気と共に放たれる火炎が鳥達を包み込む。再び上がる鳴き声。そこに容赦無く襲いかかる爪と嘴。その光景から辰真は思わず目を背けた。
そのまま目も耳も塞いでしまいたかったが、そんな余裕がないことは分かっていた。翼竜が狩りに夢中になっている今こそが、先に進む最大のチャンスだ。辰真の背後から無表情で様子を見ていた月美も、そこは全く同意見のようだった。
鳥達の鳴き声と強いアルコール臭気、そして肉が焼ける匂い。それら全てを背後に置き去りにしながら、辰真達は坂道を急いで登る。自分達が洞窟内に侵入しなければ、あの鳥達も不用意に外に出ることはなかっただろう。それどころか、自分達は鳥達を翼竜への囮として利用して逃げ去ったのだ。そんな思いが辰真の胸の中で渦巻く。同時に肉の匂いが彼の空腹を否応無く刺激し、それに対する自己嫌悪が更に心を揺さぶる。だが、湧き上がる濁った感情を全て胸の奥で押し殺し、今は足を動かすしかなかった。
そうして、二人の足元の斜面は遂に終わりを迎えた。辰真と月美は三角の尾根の頂点、山頂へと到着したのである。辰真はまずその場に荷物を下ろして地面に座り込み、息を整えた。素早く背後を見下ろすと、翼竜の影は随分と小さくなっていた。その場から動く気配はなく、当分はこちらに来ない可能性が高そうだ。続いて近くに座り込む月美の様子を確認する。相変わらずの無表情だが、特に調子が悪いということはなさそうだ。
辰真はひとまず安堵する。何はともあれ、目標の一つを達成することができたのだ。穏やかな気持ちに包まれた彼は、ここで始めて山の反対側へと目を向け_精神が凍りついた。
視界一面に広がるは、海底を思わせるような青白い砂漠と、淀んだ紫色の空。そして砂漠の中央、幾重にも張り巡らされた城壁の内側に、巨大な石造りの神殿が聳え立っていた。遥か古代から荘厳さを失わず、薄暗い砂漠に君臨し続ける異世界の神殿。
その光景が目に入った瞬間、辰真の脳裏に沈んでいた記憶が次々と浮かび上がってくる。そうだ、昨晩のあれは幻影などではない。異世界に旅立つかなり以前から、あの神殿は夢の中に繰り返し現れていた。数々の記憶は未だに断片的なものではあったが、一つだけはっきりと言えることがあった。あの場所こそが、この旅の最終目的地に違いない。
脳内情報の過多による目眩に襲われ、辰真は目頭を押さえる。あの場所にどんな危険が潜んでいるのかは想像もつかない。だが、全ての謎を解き明かすためには、あの神殿に向かうしかない。そう、その名は_
「溟海の神殿」
不意に月美が声を発する。随分と久しぶりに聞いた気がするその声は、辰真がよく知る彼女のものとは、やはり何かが決定的に異なっていた。彼女は疲れを感じさせない様子で立ち上がり、力強く神殿を指差す。その顔は感情を取り戻したかのように活き活きとしていたが、その瞳が湛えているのは、魔石と同じ冷たい光だった。今の月美は霊園の事件の時に感じたのと同じくらい、いや、それ以上に人間味が感じられない。最早彼女は、以前とは別の存在だった。
「森島くん、何も恐れることはありません。あの神殿に行けば、全ては解決するのですから」
口元に薄く笑みを浮かべながら、彼女は言った。
「さあ、先へ向かいましょう」




