第25話 溟海の探索者 第2節 異界山脈を越えて 3/4
~酔嘴竜エブリンクス 他登場〜
辰真と月美は、薄暗い洞窟の内部に再度閉じこもる事を余儀なくされていた。岩陰から入り口の様子を窺っていると、時折光の中を、黒い影が翼の音と共に横切っていくのが見える。間違いなく例の翼竜だ。洞窟には侵入できないものの、未だに獲物を諦めていない様子である。
あの翼竜はこの山岳地帯で初めて出会った生き物だが、いきなり火を吐いてくるとは、流石は異次元生物の本拠地と言ったところか。この先もどんな奴が待ち受けているか分かったものではない。まあともかく、火炎を吹きかけられるかもしれない事を考えると、今あの入り口に近付くのはリスクしかなかった。
仕方がない。辰真は月美に向き直り、洞窟の奥を指差した。先ほど気まぐれで行ってみただけの場所だが、もしかすると別の出入り口があるかもしれない。辺りが薄暗いため月美の表情はよく見えなかったが、彼女は無言で頷き、光の差し込まない方角へ歩き出した。
洞窟奥の細い通路を辰真の記憶を頼りに進んでいくと、やがて例の三叉路へと辿り着いた。足元には黒い羽根も落ちている。辰真が羽根を拾い上げて月美に見せると、彼女は羽根を淡々と見つめ、やがて一本の道を指差した。
その道の下方をよく見てみると、辰真が持っているのと同じような黒い羽根が点々と落ちている。ということは、この先に異次元鳥類の集落があるのだろうか。彼が考えを纏めない内に、月美は早くも先に進み始めていた。もはや余計な言葉を交わす気は無いようだ。残された辰真はやりきれない思いを抱えながら彼女の後を追った。
2人が進んだ細い岩の通路は、終点でやや広いドーム状の空間に繋がっていた。懐中電灯の光を奥の方に向けた瞬間、バタバタという音が聞こえたかと思うと、彼らのすぐ横、脛のあたりを何かが通り過ぎて行くのを感じた。振り向いて後方を照らすと、黒と白の体色をした丸っこい毛玉がよちよち歩きで遠ざかっていく姿が見える。どうやらあれが、この洞窟の本来の家主である異次元鳥らしい。今度は月美につつかれて洞窟に向き直ると、彼女の懐中電灯は先ほどと同じ丸鳥が壁際に密集しているのを照らし出していた。改めて観察してみると、背面は黒、腹部は白の羽毛に覆われている。体型がほとんど球体に近いほどに丸いことを除けば、それは辰真達の世界に住むペンギンによく似ていた。
ふわふわとした羽毛に包まれた丸鳥達が一箇所に身を寄せ合っている姿は、かなりの緊張状態にあった辰真の心を思わず和ませた。同時に、先ほどすれ違いになった鳥のことが心配になってくる。自分達がここに入ったことで驚いて出て行ったのなら申し訳ない。あの翼竜が待ち構える洞窟の出口まで行かないのを祈るばかりだ。
鳥達のお陰で幾分気持ちが明るくなった辰真だったが、月美の方を振り返った途端に再び気分は沈んでしまった。彼女もその鳥達を見つめていたが、少しも心を動かされていない事は表情からも明らかだった。つい数時間前までの月美なら、鳥を見つけた瞬間に瞳を輝かせ、危険も考えずに近付いていったことだろう。だが、今の彼女の瞳から輝きは消え失せていた。
結局月美は鳥達に大した関心を示さず、広場の内部に向かってさっさと歩きだした。ドームの中央には直径2mほどのクレーターが掘られており、その下には洞窟に僅かに自生する植物の葉が敷き詰められていた。恐らくはここが異次元鳥の巣穴なのだろう。月美は巣穴を覗きに行ったのかと思いきや、穴の真横を素通りしてそのまま洞窟を横切り、反対側の端へと向かっていく。
「おい、ちょっと待てって」
辰真は思わず声をかけるが、月美は聞こえる素振りも見せずに奥の暗がりに消えていく。この状況下で、彼女に単独行動させるのは悪手だ。辰真が慌てて後を追うと、意外にも月美は、暗がりに入ってすぐの所で彼を待っていた。そこはもう一本の通路の入り口だった。足場となる岩が段差を形作りながら、斜め上方に積み上がっている。そして通路の遥か先から、僅かながら光が射し込んでいるのが見える。どうやらこの道を通っても頂上を目指すことができるらしい。こうして二人は、山頂に向かって再度の登攀を開始した。
山頂を目指すという点では同じでも、外側を登るルートに比べると内側の道はかなりの急斜面だった。それどころか、ロッククライミングのように重なった岩を登らないといけない場所まである。段差の大きさから考えても、先程の鳥達が作った道だとは思えない。だとすると自然にできた可能性が高く、途中で崩落しないという保証は無いのだが、先頭の月美はそんな心配は全くしていないとばかりに淡々と岩に組みつき、先に上っていく。まるで、この道を必ず通り抜けられるという確信があるかのようだ。辰真に話しかけたり、後ろを振り返ったりする事も一切しない。そもそも、2人で探索しているいう自覚が彼女にあるのかどうかも最早分からなかった。
こんな孤立した状況で、唯一の仲間に疑惑の目を向けるのは賢明ではない。理屈では分かっていても、月美への疑念を抑えることはできなかった。一切の迷いなく先へ進める理由。ひょっとすると、この道の存在を予め知っていたのかもしれない。外側の道を登ると翼竜に襲われるリスクがある。それに備えて、以前ここに来た誰かがこの道を開拓したのではないか。月美はその情報を事前に知っていた。では何処であいつはそんな情報を手に入れた?いや、それならまだいい。得体の知れない何かが彼女に取り憑いているとしたら?一体そいつは、俺を何処に連れて行こうとしているんだ?
辰真の精神がじわじわと疑念に侵食される中、月美が大きな岩の上で唐突に立ち止まり、荷物を下ろした。以前と同様に休憩の時間はしっかり取るらしい。辰真も付近に荷物を下ろして座り込む。だが休息している間も彼の心は休まらず、数m離れた場所に座っている月美の様子を頻繁に窺ってしまう。彼女は相変わらず彫像のように静止して虚空を見つめていた。見れば見るほど、人間離れした何かの気配を感じるような気がする。そんなはずはないと理性では否定しようとしても、その姿を見るたびに辰真の考えは揺らいでいく。確かに外見は月美のままだが、どこかに違和感を感じてしまう。無理やり言葉にするなら、内部から禍々しいオーラのようなものを発散しているような。
……そうだ。辰真は唐突に思い出す。オーラといえば、今自分は波動測定器を持ってるじゃないか。それどころか、ラジオのような形の銀色の箱、謎の測定装置も手元にある。これが何を測っているのかは未だに分からないが、前回周囲を測定してみた結果は覚えている。その時は確か月美の方にも向けていたはずだ。それなら、ここでもう一度あいつを測定してみて、以前と同様の結果が出れば、この違和感が気のせいだったと言い切れるのではないか。辰真にはそれが、月美の正気を証明することができる現状唯一の冴えたやり方のように思えた。彼は早速銀色の箱を取り出すと、アンテナをこっそり月美の方に向けてスイッチを押した。
数秒後、測定装置のモニターに結果が映し出される。その結果を一目見た瞬間、辰真の抱いていた僅かな希望は粉々に打ち砕かれた。浮かび上がったグラフの分布は、以前測定した時とは明らかに違っていた。緑のゲージが5割、赤が3割と減少している一方で、一番下の青のゲージは7割まで増加している。そして青色の侵食を見た瞬間、辰真は言いようのない悪寒に襲われる。詳細な意味は分からなくても、月美の状態が以前と決定的に変わっていることは明らかだった。突如として足元が崩壊し、全身が暗い闇の中に沈んでいくかのような感覚が彼を襲う。しかし最終的に、辰真はその事実を受け入れた。




