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第25話 溟海の探索者 第2節 異界山脈を越えて 1/4

紫の空を割り 崛起する峻嶮なる山嶺 龍神を求める者 その頂を越え 深淵に連なる砂海を目指すべし

(『滅魏洲翔の書』より)



 異界の力を秘めた煌石に導かれ、朧山の魔境から異次元の世界へ突入した森島辰真と稲川月美は、祭壇の眠る洞窟を抜け、山岳地帯へと足を踏み入れていた。周囲の地形は見渡す限り黒ずんだ岩で構成されていて、草木の一本も生えている様子はない。ひたすらに殺風景な山道が彼らの足元から遥かに伸び、眼前に聳え立つ山の稜線と一体化していた。


 彼らを威圧するように聳えるその尾根は真っ黒い三角形を形作り、背後に広がる薄紫色の空との間で不気味なコントラストを描き出している。菫色の空と漆黒の大地。そんな陰気な世界の中で、路傍の平たい岩に腰を下ろした辰真は、歩き始めてから3度目となる備品の確認を行なっていた。50分歩いて10分休憩というペースで歩いてきたので、単純計算で3時間ほど経過したことになるが、天候や気温の変化は一切感じられなかった。ザックを始めとするアウトドア用品は、今のところ特に問題はない。水や食糧にもまだ余裕がある。飲み水に関しては、先ほどの洞窟で水源を見つけていたので、最悪の場合でもそこに戻れば補給はできるだろう。オーラメーターや波動発信機も、特に妙な挙動は起こしていない。銀色の箱については判断が難しいが、少なくとも周囲の測定結果は今までと同様なので、まあ問題なさそうだ。


 そう。現状、備品に関しては心配するような事態は起こっていない。問題なのは、あちらだ。辰真は右方向をちらりと見やる。その視線の先には月美がいた。同じように平たい岩に腰掛け、虚空をじっと見つめている。その顔は無表情で、何の感情も読み取ることができない。

 数時間前、洞窟内で例の祭壇を見つけてから、月美の様子は徐々におかしくなってきていた。再び瞳から光は消え、口数は減り、何かをじっと思案しているような様子で沈黙を続ける。あの祭壇をきっかけに、束の間忘れていた何かを不意に思い出したかのようだ。出発の時や赤い小魚の群れと遭遇した時の快活な月美と、今の彼女とは別人かと思うほどの変わりようだった。


 その姿を見ている辰真の脳内にも、再び疑念が渦巻き始めていた。すなわち、今ここにいる月美の正体に関する疑念である。別に、今いる月美が実は偽物と入れ替わったなどと疑っている訳ではない。だが、彼女を見るたびに心をざわめかせる不安感は何だ?幽霊に背筋を撫でられたような寒気は?そして、気を抜くと引き摺り込まれそうになる強烈な誘引力は?

 何か異質な存在が、月美に取り憑いている。それが一番納得のいく説明に思えた。だとすれば結局、今の月美が本当に彼女自身だとは言い切れないのではないか。一度は心の奥底に沈められた疑念が再び湧き上がり、何倍にも増幅されて思考の枠を覆っていく。


 いや、ここで疑心暗鬼に陥っていても仕方ない。とにかく今は、先に進もう。辰真は強引に思考を打ち切り、立ち上がって月美に呼びかける。

「い、稲川、そろそろ出発しないか?」

「いいですよ」

 月美が辰真の方を振り返る。彼女の透明で無感情な視線から、自分が無意識に目を逸らしていることに辰真は気付いた。だが月美はそれを気にも留めず、てきぱきと荷物をまとめ始めた。



 登り続けるにつれ、岩の山道は徐々に険しさを増し始めた。斜め上方に連なる岩の断層を、一歩一歩踏みしめて進む。整備もされていない不安定な足場を、重い荷物を背負って登るのだから、一瞬たりとも気を抜けない。安全を確保するため、進行は自然とスローペースになる。

 辰真は進行の合間にちょくちょく頭上を見上げていたが、延々と続く岩道の先にある三角の尾根は、先ほどから全く位置を変えていない。このペースでは、山頂に辿り着くのに何時間かかるのか分からなかった。


 彼は頭を振り、視線を足元に戻す。その途中で、自分の少し先を登る派手な赤色のザックが目に入った。言うまでもなく月美の後ろ姿だが、辰真にとってはそれも心配の種だった。上からの落石が心配という話ではない。先ほどから月美は黙りこくっているのだ。登山に集中しているのかもしれないが、洞窟の頃とは違いこちらを振り返る事すらしないのには違和感がある。かといって辰真の方から話しかける気にも何となくなれず、結果としてあの休憩以降、2人は言葉を交わしていなかった。

 そのまま赤いザックを眺めているうち、辰真は心の中に再び疑念が湧き出すのを感じた。だがその時、浮き石を踏んで足元が大きくぐらつく。おっと、他人に気を取られている場合ではなさそうだ。辰真は視線を下に戻し、意識を足元に集中させた。



 更に数時間が経過した。辰真の計算が正しければ、総移動時間は7時間近くになるはずだ。休憩を多めに取っているとはいえ、肉体に蓄積された疲労が無視できないレベルになってきている。辰真としても月美の動向を気にする余裕は最早なく、次の休憩と水分補給の事ばかりが頭に浮かぶようになっていた。もっとも、次の目的地まであと少しの所だったので、それほど絶望的な状況というわけでもない。


 遥か遠くに見えていた尾根も、ここまで来ると流石に近くにまで迫ってきている。そして何より、あと少し登れば坂道が一旦途切れた、言わば山の肩の部分に辿り着く。下から見る限り、そこには大きい穴が幾つか空いているのが確認できた。つまり洞窟があるらしいので、そこで一旦探索を中断して睡眠を取ることを、辰真は半ば確定事項として考えていた。

 この世界には昼も夜も無いのか、相変わらず天候や気温が変わる様子はないが、体内時計のコントロールを考えるとそろそろ休むべきだろう。


 そう、あと少しだ。あと少しで休憩場所に到着する。辰真は熱に浮かされたように考える。

 痛みを訴える両脚。圧迫される肩。全身に纏わり付く疲労。そんな要素が積み重なり朦朧としてきた意識に、休息と水分という言葉をカンフル剤のように打ち込みながら足を動かしていく。

 そして数十分後、辰真はとうとう坂を登り切った。荷物を地面に放り出し、その場に崩れるように倒れ込んで空を仰ぐ。一瞬、両脇に篝火を備えた神殿が見えた。周囲には甘い匂いが漂い、暗い窓からは一筋の光が……


 瞬きすると、神殿はかき消え三角形の尾根へと変わる。幻覚を見るほどに脳も疲れ切っているようだ。辰真は体を起こし、一足先に倒れ込んでいた月美と視線を合わせる。今回ばかりは、2人は完全に以心伝心だった。大きめの洞窟内に入り、比較的広くて平らな場所を探す。手頃な場所が見つかったら荷物を引きずってきて、中から寝袋を取り出し地面に並べる。後はもう、説明の必要もない。2人はそれぞれ寝袋の中に潜り込み、泥のような眠りに落ちて行った。


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