第24話 溟海の探索者 第1節 朧山の魔境 3/4
〜星鱗類イミルコ登場〜
異次元の扉を抜けて数分。辰真と月美は、薄暗い洞窟のような場所を進んでいた。周囲は地面から壁、天井に至るまでゴツゴツとした岩肌に覆われている。足元は非常に歩きにくい上、先ほどまで2人を導いていた魔石の光はいつの間にか姿を消していたが、進行方向から差し込む僅かな光のお陰で、懐中電灯を取り出す必要はなかった。洞窟内に響くのは、2人の足音と時折遠くで落ちる水滴音のみ。水滴音がするという事は、どこかに水溜まりがある可能性が高い。いざという時にはそこを探すか。歩きながらそんな事を考えられるほど、今のところ辰真には余裕があった。
地面はやや傾斜しているらしく、先頭を進む月美の帽子が辰真の視線よりも上方に見えているが、体力を消耗するほど急な勾配というほどでもない。後ろ姿を見る限りでは月美の足取りも軽く、時折こちらを振り返ってくる余裕もあり、辰真が心配するような事態にはならなそうだった。
十分ほど洞窟内を進み続けると、ふいに開けた場所に到達した。光が差し視認できる範囲だけでも大学の体育館ほどの広さがあるようだが、光の届かない場所は闇に覆われており、全体的な広さは分からない。2人は足を止めて荷物を降ろし、適当な大きさの岩の上に腰掛けて休憩することにした。
ブロック状の携行食と水筒の水で簡単な食事をとった後、月美は持参した手帳に文章を書き込み始めた。おそらく探索の記録を取っているのだろう。辰真はその傍で、再度異次元装置の点検に取り掛かった。ラジオニクスや波動発信機は問題なく作動する。しかし、先生や特災消防隊に信号が届いているのかは不明だ。やはりあの裂け目を通り抜けた後、どこか別の次元に入り込んでしまったのかもしれない。
そして、もう一つ気になるのがこれだ。辰真は例の銀色の箱を手に持って眺めた。この、古びたラジオのような装置は一体何なのか。試しにボタンの一つを押してみると、それが電源だったのかモニターに光が灯った。縦長の長方形のモニターには、灰色の横棒が3つ並んでいる。かと思うと、三本の棒は上からそれぞれ緑・赤・青に変化した。その状態でアンテナをあちこちに向けてみると、それぞれの棒の色は右端から灰色に戻ったり、再び伸びたりを繰り返す。どうやらこれはゲージのようなもので、周囲にある何かしらのエネルギー量を測定しているようだが、何を測っているのかまでは分からない。周囲を一通り測定してみた結果、緑と赤はどこを指しても全体の8〜9割と高い濃度で安定しているが、青は1割程度しか伸びない。色々な物を測ってみれば、各色が何を示しているか分かるのだろうか。
辰真が測定装置をいじり回していると、突然月美に声をかけられた。
「森島くん!」
「ん?」
「出発する前に、ちょっと周りを探検してみませんか?」
どうやら、光の届かない場所を見て回りたいらしい。特に反対する理由もないので、辰真は月美と共に洞窟奥の暗闇に向かった。
懐中電灯の黄色い光が、闇を蹴散らすように地面を照らし出す。そして、相変わらず2人の足音と水滴以外に一切の物音はない。しばらくの間進んでも壁らしき物は見えず、そろそろ戻ろうかと考え始めた頃、辰真は突然暗闇の奥に赤い輝きを見た。
彼は慌てて立ち止まり、懐中電灯の光を消した。すぐ後ろを歩いていた月美が辰真にぶつかり、声を上げようとしたので右手を口に当てて制すると、左手で奥を指差す。月美も赤い光を認識して頷き、2人はなるべく音を立てないように赤い光に接近を開始した。
近付くにつれ、赤い輝きの正体が少しずつ分かるようになってくる。当初は巨大な球形の発光体が宙に浮いているように見えたのだが、どうやら多数の小さな光点が密集して球を形作っているらしい。小さい頃に読んだ絵本で、多数の小魚が集まって巨大な魚のふりをするというのがあったが、丁度そんな感じだ。これは辰真が勝手に抱いた感想だったのだが、思った以上に的を射ていることがすぐに分かった。というのも、群れをなす小さな赤い光点は、全て魚の形をしていたのだ。
ギョロリとした目玉が特徴的な小魚の群れ。密集した赤い鱗が懐中電灯の光を反射し、四方八方に小さな光を撒き散らす。その様子は真っ赤なミラーボールか、もっと詩的に言えば暗闇に突如現れた太陽のようで、一瞬で2人の心を魅了するほど美しかった。
「うわー、綺麗ですね!」
月美が思わず声を弾ませ、光る魚群へと駆け寄っていく。
「ちょっと待てって」
辰真も後から追いかける。普段の言動に戻ったのはいいが、そうやって好奇心のままに行動されるのはやはり不安だ。まあ、あれはそんなに危険は無さそうだが。辰真は念のため、銀色の測定装置を魚群に向けてみた。赤が8割、緑がほぼ10割、青が1割。緑がやや多いが、他のゲージ量は周囲とそんなに変わらない。もっとも各色が何を示しているのか不明なので、この測定で安全と言い切れる保証は全くないのだが。
赤く輝く魚達は人間を気にしていないのか、月美が接近しても逃げようとせず、その場で球形を保ち続ける。月美が球の中に手を突っ込むと流石に避けられ、捕まえることはできなかったが、それでも球体が崩れる事はなかった。
「森島くん見ましたか?この子達、すごく統率が取れてます!こんなに綺麗な形の魚群は初めて見ました!でも、どうして常に球形なんでしょうね?」
今回の探索で初の異次元生物との遭遇に興奮した月美は、魚に触ろうとしたり写真を撮ったり考察したりと大忙しだ。確かに、彼女はこういう時が一番生き生きしているかもしれない。
「いや確かに綺麗だけど、球形がどうとか以前に、どうして魚が宙に浮いてるんだ?そこは気にならないのか?」
「あ、そこですか?前に本で読んだんですけど、異次元に棲む魚類の中には、特殊な鱗の力で空中生活ができるようになった子達がいるらしいんですよ。ほら、ハーハラニとかも飛んでたでしょ?」
「ああ、そう言えばあれも魚だったな」
「じゃあ、あいつらの事も知ってたのか?」
「えーと、ちゃんとした資料には載ってなかったと思うんですが、どこかで読んだことがあるような気もするんですよね。何だったかな……」
月美は腕組みをして考え込む。
「うーん、記述は確か……『現世と溟海との狭間にて 太陽神の遣い 赤き星鱗の輝きが旅人の進路を照らさん』 こんな感じだったと思います」
「変な記述だな。どんな本に載ってたんだ?」
「名前は思い出せないんですが……かなり古い文献じゃないかと思います。ほら、昔は懐中電灯なんて無かったですから、洞窟の中でこの子達が輝いていれば、近くに出口の光があることが分かるとか、そういう意味なんじゃないですか?」
「なるほどな。流石は稲川だ」
辰真は月美の読解力に感心し、その話は一旦終わった。だがこの時、月美が記述を誦んじた辺りで、彼女の表情にちらりと影が差したことに辰真は気付かなかった。それは、一瞬後には消え去ってしまう程に微かな兆候ではあったが、水に零した一滴の墨のように、徐々に周囲へと拡散する性質を持っていた。間もなく彼らは、身をもってそれを体験することになる。




