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第18話 南島の雷 1/4

 午後21時、揺木市南部繁華街。市内でも一番栄えているこのエリアは、この時間であっても暗闇に包まれることはまずない。飲食店、遊戯施設、はたまたオフィスビルに至るまで、見渡す限りの建物を眩い光が彩っている。そんな建物群の片隅、縮こまるように建つ小さなビルの壁面に、全長3mほどの影が密かに張り付いていた。


 その影はサーフボードを横に割ったような細長い形をしていた。胴体からは四対の歩脚が伸び壁面に張り付いていたが、一番上の一対の先端にはザリガニのような細長い鋏が付いている。細長い尾部は二股に分かれ、それぞれの先端は鉤針のように尖っている。そのシルエットは見るからに異様で、一度誰かに発見されれば街中がパニックに陥るのは間違いなかったが、ビル自体が隣の巨大なオフィスビルの陰になるような位置にあったため、誰にも気付かれることはなかった。


 突然、影が動き始めた。壁面を音もなく遡上しつつ、尾部をほとんど垂直に、地面とは平行に近い向きに起立させる。2本の鉤針の間でバチバチと音がしたかと思うと、黄色い光沢を帯びたシャボン玉のような物体が出現した。最初はビー玉大だった球体は、瞬く間にサッカーボール大にまで膨張する。


 影は滑らかに尾を揺らし、表面で火花を散らし続けるその光球を近くのオフィスビルに投げつけた。光る玉はふわふわと浮遊しながらビルの壁面に衝突し、弾け飛ぶように消滅する。次の瞬間、壁面に規則的に並ぶ窓から一斉に光が消えた。球体が衝突した場所を中心に半径数mの範囲だけ、ぽっかりと黒い穴が開いたように。

 影は何度も尾を振り、その度に球体が生み出されてビルにぶつかる。やがてオフィスビルが穴だらけのスイスチーズのような様相になると、影は音もなくそのビルに飛び移り、滑るように壁を這い上る。やがて繁華街の様子が一望できる屋上に辿り着くと、その夜景に向かって、影は再び尾を振り上げた。



 午後2時、揺木市南部繁華街外れ。気温は30度を超え、驚くほどに眩しい太陽光が地表に満遍なく照りつける。

「暑い……」

 森島辰真はふらふらと道路の片隅を歩いていた。苦労の末に現時点の全レポートを仕上げ、ようやく夏休みらしい事ができると思って街に繰り出してみたらこれだ。とっとと家に帰りたいが、たどり着くまで体力が保つかも怪しい。一刻も早く涼しい場所に避難しなければ……!


 ゾンビのような動きで彷徨っていた辰真の耳に、聞き覚えのある声が飛び込んでくる。

「タツマ、アロハ!何してるですカ?」

「ああ、メリアか……元気そうだな」

 その特徴的な声を間違えるはずはない。最近ハワイから揺木にやってきた留学生、メリア・ミサ・マヒナウリだ。今日はマリンブルーのワンピースに身を包んでいる。


「タツマは元気そうじゃないですネ」

「散歩してたんだが、もう暑くて倒れそうだよ」

「アウエー(大変)!ちょっとSDAHLに寄っていきませんカ?ドリンクをサービスしますヨ」

「あ、ありがたい……」

 南国の風のように爽やかな笑顔で、救いの手を差し伸べてくれるメリア。控え目に言って天使のようだ。


 辰真はメリアに連れられ、彼女のステイ先で、叔父夫婦が経営するレストラン「SDAHL」に向かった。辰真は夜しか来たことがなかったが、日中はハワイアンカフェをやっているらしい。

 簡素な木製の椅子とテーブル、天井でゆっくり回るシーリングファン。いつ来ても涼しげな店内には、辰真達以外にも数人の客が暑さから避難してきていた。


 辰真がぐったりと座っていると、メリアが飲み物を運んできた。

「エ アイ カーウア(どうぞ)!ハワイ流の紅茶、プランテーションアイスティーですヨ」

 アイスティーとパイナップルジュースの美しい二層構造、少し酸味の効いた爽やかな味わい。一口飲んだだけで体内から暑さが吹き飛んだ。


「あー、生き返った。ありがとうメリア」

「喜んでくれてワタシも嬉しいです。オゥ、ちょっと待っててくださいネ」

 メリアは奥で料理を作っている叔父のキエレに呼ばれてキッチンに行き、別の客に飲み物を運ぶと辰真のテーブルに戻ってきた。

「メリアはここの店を手伝ってるんだな」

「アエ。アルバイト扱いだから、ちゃんとお金も貰ってますヨ」

「バイトかー」

 考えてみれば、辰真の周囲の学生達はあまりアルバイトをしているイメージがない。辰真自身は去年まで祭香の手伝いで大学の試験監督なんかをやってたりしたが、研究室が忙しくなってからは暇がなくなってしまった。だから、バイトをしている学生の姿が妙に新鮮な気がする。

「俺も久々にバイト探そうかな。遊びに行こうにも金が無いし」

「それじゃ、タツマもお店手伝いませんカ?ヒトデブソクですから、いつでも大歓迎ですヨ。ね、キエレ?」

 いつの間にか叔父も奥から出てきて頷いている。

「フム、この店を手伝いたいのか。若いのに中々見所があるナ」

「あ、はい」

 10分後には、辰真はエプロンを着けてSDAHLのキッチンに立っていた。


「スチュワードを頼むヨ」と言われ、よく分からぬまま向かったのはキッチン奥の洗い場。メリアが下げてきた食器をシンクに浸して磨き、小さな洗浄機に次々と放り込み、綺麗になった食器は端から叔母のオレナが持っていく。ついでに言うと、キエレが調理、オレナが配膳を行い、できた料理をメリアがお客に運ぶというサイクルになっていて、注文が続く限り食器はサイクルに乗って回り続ける仕組みである。


 スチュワード自体は単調な作業だが、これが中々に体力を使う。洗う食器が無くなれば理論上は暇になるはずなのに、使用済の食器が次々と運ばれてくる。

 不思議に思って奥からでも辛うじて見えるホールの様子を覗いてみると、店内は満員御礼の状態だった。あまり広くない店とはいえ、こんなに客が来ているのを見たことがない。


「アロハ!こちらの席にどうぞ」

「エ アイ カーウア!コナパンケーキですヨ」

「マハロ(ありがとうございました)!また来てくださいネ」


 メリアは席の間を歩き回りながら、てきぱきと注文を捌いていく。手慣れているし、愛敬もあるので評判も上々のようだ。

 ……って、メリアの仕事ぶりをずっと眺めているわけにはいかない。辰真もグラスや皿の方に向き直り、ふたたび飲食サイクルの中に身を埋めた。


 その後も、夕方に一旦閉店になるまで客の入りは続いた。一部の客が時間になっても店内に居座り続けようとするので、最後には辰真もホールに駆り出され、半ば強制的に客を追い出した。


「疲れた……」

 店が無事にクローズした後、辰真は入り口近くの席に座って休憩していた。久しぶりの労働で、足はともかく腕が痛い。

「森島クン、お疲れ様」

「今日は特別忙しかったから、手伝ってくれて助かったヨ」

 叔父夫婦が労いの言葉をかけてくれる。

「やっぱり、いつもよりお客さんが多かったんですか?」

「アエ。こんなに盛況だったのは数年ぶり、いや、開店以来かもしれない」

 キエレがそう言うくらいだから、普段は今日ほど忙しくはないのだろう。個人的には、もうすこし余裕のある日に始めたかったのだが。


「タツマ、お疲れ様でした!」

 キエレ達がキッチンに戻るのと入れ替わりにメリアが2人分のアイスコーヒーを運んでくると、辰真の隣に座った。

「メリアの方こそお疲れ。休みなしだったけど、大丈夫か?」

「アエ!このお店にいると、ホームを思い出して元気になります」

「メリアのホームっていうと、南の島だよな。どんな場所なんだ?」

「ステキなところですヨ。青くて光る海、高いヤシの木、気持ちのいい風。小さい頃からずっと変わりません。でも日本みたいに、シキがあるのもステキだと思いますネ」

「そっか」

「タツマも今度、遊びに来ませんカ?ワタシの島の近くなら、強いマナを持った生き物がいっぱい見れます。きっとケンキュウの役に立ちますヨ!」

「ああ、余裕ができたら絶対行くよ」

 マナ関連を抜きにしても南の島は普通に行きたい。今は研究室に酷使されてるせいで海外に行く暇はとても無いが、来年くらいには暇になってる筈だ。いや、なってて欲しい。


「オゥ、忘れてました。余ったクッキー、一緒に食べましょう」

 メリアが辰真の口にクッキーを近付けてくる。こ、これはちょっと気が引けるが……いや、ここで断るのはむしろ失礼か?そうだ、これは向こうの風習なんだ。現地の流儀には従わないといけない。大丈夫だ、誰も見てないし……

 自問自答の末、辰真はクッキーを食べるために口を開いた。……が、後ろの方で妙な物音がするのに気付き、中断して振り返る。

 背後の窓ガラスの向こう側には、依然として多くの人影が見える。店は夜まで開かないのに、そんなに入りたいのだろうか。そして、そんな人影の最前列、辰真のすぐ向こうである人物がガラスを叩いていた。


「メリア!森島くん!入れてくださいっ」

 それは稲川月美だった。


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