第0話 角見神社の霊鳥 4/4
十数分後。学生2人は研究室で、城崎教授に状況報告をすると共に戦利品を見せていた。
「おお、そのネムノキに類似した複葉型の羽形。明らかにトバリの尾羽だね」
「ですよね!」
「……トバリの尾羽ってそんなにメジャーなんですか?」
「まあ、トバリの伝承は数多いからね。尾羽に限定しても思いつくのは複数ある。というわけで稲川君の依頼通り、いくつか資料を探しておいたよ」
先生はテーブルの上に積まれていた一冊の古書物を手に取る。
「トバリの尾羽には生命の力が宿ると言われていた。この『揺木霊獣目録』には、ある商売人がトバリが落としていった尾羽を玄関先に飾っていたら、いつの間にか立派な樹に成長し、商売も繁盛しはじめたという逸話が載っている。他にもトバリの緑色の尾羽を葉っぱと結びつけたタイプの話は多く見られるね」
「その、尾羽の色の話なんですけど」
月美が口を挟む。
「前に読んだトバリについての記載で、尾羽が緑じゃないのがあった気がするんですよ。確か『角見説話集』の2巻だったと思うんですけど、ここにもあります?」
「ああ、さっき電話で言ってたやつだね。見つけておいたよ。恥ずかしながら僕はチェックしてなかったんだけど」
月美は先生が差し出した書物を受け取ると、中のページをパラパラとめくる。
「あったあった、これです!「紅き尾羽を持つ翠の霊鳥渡羽璃、空の扉を開けて旅人を導かん」。前に読んだ時は、編集した人が赤と緑を間違えたのかなって思ってて、先生に報告してなかったんです」
「民話を収集してるとその手の間違いはよくあるからね。でも今はそう思っていない?」
「はい。森島くんが手がかりを見つけてくれましたから」
月美が目配せすると、辰真がポケットからもう一枚の尾羽を取り出す。研究室に戻る前に中庭でもう一度探してきたその尾羽は、最初のものと形こそ同じだが、綺麗な赤色をしていた。
「私たちが会ったトバリの尾羽は緑一色でした。でもこれは間違いようのない赤色です。つまり、この本の記述は間違ってなくて、赤い尾羽を持つトバリの近縁種か何かが存在するんじゃないでしょうか」
「ふーむ……」
月美の話を聞いた教授は、赤い羽根を観察しながらしばらく考え込んでいたが、やがて話し始める。
「空間を超越する能力を持つ異次元鳥類のことを、僕たちは「次元航鳥」と呼んでいる。木の幹に異次元空間の巣を作るコツツキや、影を自在に行き来して狩をするカゲセミなんかが有名だね。そして異世界間を飛び回るトバリも、この次元航鳥の一種ではないかと考えられている。しかし、僕にはずっと気になる点があった。というのは、色々な伝承を調べてみても、トバリ自身が異世界への扉を開けたと解釈できる記述はほぼ無かったんだ。多くの場合、最初から開いていた次元の穴をトバリが利用したというような流れだった。だが、次元の裂け目なんて偶然できるものじゃない。つまり、トバリのために異世界間を繋いでいる存在がいるんじゃないか。君達の話を聞いて、そういう仮説を立てていたのを思い出したんだよ」
「トバリ以外の存在……」
「そう。今までは手がかりが足りなかったから仮説止まりだった。でも今は違う。森島君が見つけた赤い羽根と、稲川君が探し当てた説話集の記述。それらを合わせて考えると、その正体が見えてくる気がするんだ」
「記述っていうのは「空の扉を開けて旅人を導かん」って所ですよね。つまり、赤い羽根のトバリは異世界同士を繋ぐ力を持っている……?」
「推測だが、可能性は否定できない。そして森島君、ひょっとして赤い羽根を手に取った時、何か不思議な力を感じたりしなかったかい?」
「言われてみればこの羽根、さっき持った時は振動してた気がしますね。すぐにトバリが来たので忘れてましたけど」
「なるほどね。よし、その羽根を持って一旦外に出よう。僕に考えがある」
3人は、再び大学中庭へ戻って来ていた。赤い羽根を持った辰真が1人で中央に立ち、月美と先生は少し離れた場所で彼を見守っている。先生の言う通りにして本当にうまく行くのだろうか。半信半疑ながらも辰真は目を瞑り、手の先の羽根に意識を集中させる。間もなく、手の中に羽根の振動が伝わってきた。一心にある場所を思い浮かべ続けていると、振動はどんどん強くなり、やがて羽根が指先からするりと抜ける。
目を開けると、赤い羽根は彼の眼前で静止している。そしてその背後の空間には、いつの間にか黒々とした穴が出現していた。
空中に刻まれた弾痕のような穴は、やがて周囲を押し退けるように膨張を始め、直径1mほどにまで成長した。そして穴の向こうに、こことは違う場所の景色が見えてくる。それは辰真が思い浮かべていたのと同じものだった。先程まで滞在していた御神木の上に載っていたトバリの巣。そこに残してきた彼の鞄が、今や手の届く場所にあった。
「……!」
背後でビデオカメラを構えていた月美が息を飲む。辰真も驚きを隠せなかった。まさか本当にこの羽根に空間を捻じ曲げる力があるとは。だが、今こそが絶好のチャンスである。辰真は迷わず穴に手を突っ込み、鞄を手元へ引き寄せた。
ようやく鞄を奪還できたことで、思わず気が緩む辰真。だがその時、突然穴の向こうからバサリという羽音が響く。そして、「避けろ!」という言葉と共に、城崎教授が背後から彼の肩を掴んで引き寄せる。
「え?」
よろめきながら後ろに下がる辰真。次の瞬間、穴の中から鋭い嘴が突き出てくる。続いて黄色の冠羽に彩られた頭部、僅かに光の粒子を纏った赤茶色の両翼、見慣れた緑色の尾羽が順番に出現し、大学の上空へと飛び上がった。
霊鳥トバリは、中国神話に伝わる鳳凰のごとく壮麗な佇まいで翼をはためかせ、何度か上空を周回した後に中庭に降り立つと辰真達3人を見下ろす。
「……」
実際にこうして至近距離で見てみると、霊鳥と言われるのも納得の神々しさがある。だがそれ以上に威圧感が凄まじい。事実、辰真はトバリの眼光に射すくめられ、その場を全く動けなくなっていた。
人間達を黙って見つめ続けるトバリ。体が石になったかのように身動きがとれない辰真、そして月美。時間が止まったかのように静かな空間の中で、城崎教授だけが動きを見せていた。穴に近付き赤い羽根を回収すると、今度は臆する様子もなくトバリに接近し、腕を伸ばして羽根を手渡そうとする。少しの間トバリは先生を見つめていたが、やがて嘴で赤い羽根を咥える形で受け取ると、再び翼を広げた。揺木の霊鳥は光の粒子を振りまきながら一直線に飛び上がり、空を目指す。そして、その真上に突如として出現した穴に飛び込み姿を消した。トバリの姿が見えなくなった後、空間に開いた2つの穴は再び閉じられ、後には何の痕跡も残らなかった。
数日後、辰真は城崎教授に呼び出され、再び研究室を訪れていた。先生はトバリ事件に関する報告書などを書いていたらしいのだが、それらの諸手続きも無事に終わったらしい。
「今回の事件でトバリについての新たな研究材料がたくさん出てきたよ。君たちのお陰だ」
先生はかなり上機嫌そうに話す。
「特に、赤い尾羽を持つトバリの上位種の存在可能性が浮上したのは大きい。今回の数百年ぶりのトバリ来訪にも関わりがあるのかもしれないし、もっと資料を集める必要があるね。稲川君、映像記録はちゃんと撮れてるかい?」
月美も負けず劣らず上機嫌そうに答える。
「はい、バッチリ残ってます!途中からピントがぼけてしまいましたけど……」
「問題ないさ。史上初のトバリの映像記録ってだけで価値があるからね。今後発生するであろうアベラント事件調査のいい練習になったと思うよ。ところで森島君」
先生は急に話題を変える。
「はい?」
「学生課の森島さんに聞いたんだけど、君、まだ研究室が決まってないみたいだね。うちに入ってみる気はないかい?今回の調査に協力してくれたたし、特別に試験は免除してあげるよ」
「……」
やっぱり来たか。この数日、トバリのインパクトで研究室問題をすっかり忘れ去っていた辰真は、気付いた時には完全に単位の危機に陥っていた。そこに来てこの勧誘は、渡りに船としか言いようがない。
確かにここなら人間関係に問題はなさそうだ。だが、ここに入るということは今後も同じような事件に巻き込まれる可能性が高い。今まで満喫していた平穏な学生生活は失われそうだし、何より単純に危険すぎる気がする。
辰真はメリットとデメリットを冷静に比較し、結論を出した。
「……分かりました。この研究室に参加します」
「やった!」
月美が歓声を上げて飛び跳ね、辰真に駆け寄って握手してくる。
「研究室が開かれなかったらどうしようと思ってたけど、これで安心して研究できます。森島くん、一緒に頑張りましょうね!」
こうして森島辰真は異次元社会学研究室に参加し、波瀾の研究室生活が幕を開けた。
一方トバリについては、辰真達の観察によると数週間は巣に滞在していたが、角見神社がトバリ饅頭を発売し始めた頃には異世界に旅立ったらしく、揺木から姿を消していた。
辰真達がトバリに再会するのはしばらく先、揺木市全域を揺るがす大事件の発生を待つ事となる。