第15話 飛ばし穴のツチノコ 2/4
問題の武道場は揺木大学西部、体育館と体連会館に挟まれる形で建っていた。数年前に新築されたばかりの真新しい建物は学生達にも人気が高く、武道系の部活間ではここの使用権を巡って水面下で勢力争いが繰り広げられているらしい。
辰真と月美が準備を終えて武道場に赴くと、そこには既に里中主将と、先回りしていた米澤がいた。そして少し離れた所には、数名の見知らぬ学生。全員がカメラを持っているあたり、綾瀬川記者と同じ臭いがする。噂を聞きつけて取材に来た新聞部だろうか。
「ちょっと米さん、あの人たち米さんが呼んだんですか?」
「うむ、そう言っても過言ではない。僕の噂を聞きつけて自然と集まってきたのだろうね」
そんな学生たちを無視して里中主将が近付いてくる。
「お待ちしてました、さあこちらへ」
辰真、月美、米澤の3人は武道場の中へと案内された(カメラ軍団は中まで着いてこなかった)。入ってすぐの場所は土間になっており、一段上には廊下を挟んで襖が並んでいる。靴を脱いで廊下に上がり中央の襖を開け放つと、奇妙な光景が視界に飛び込んできた。敷き詰められた畳の上に大岩小岩が無造作に転がっている。まるで巨人が武道場の屋根を外し、山で拾ってきた石を手当たり次第に投げ込んだかのようだ。
辰真達がその景色を呆然と眺めていると、「それではよろしく」という声と共に背後で襖を閉める音がした。どうやら里中主将は怪物退治に同行する気はないらしく、3人は畳の部屋に取り残された。
「それでは早速ツチノコ捕獲作戦を開始する!またとないチャンスだ、絶対生け捕りにして持ち帰り、YRKの名を日本UMA史に刻むのだ!」
「はーい!」
「白麦が聞いたら卒倒しそうな台詞ですね……」
「ともあれ、敵は不可思議な力を持っているらしいじゃないか。いいかね諸君。なるべく集団で行動し、ツチノコを発見しても冷静に対処するのだぞ」
一行は三角形の陣形を保ったまま、畳の上をじりじりと歩いていく。異常事態にも関わらず、道場内は凛とした静寂が支配していた。誰もが無言で、それぞれ周囲に気を配りながら進む。
「…………」
張り詰めた空気。足の裏には冷たい畳と時々砂利の感触。もうすぐ部屋の中央に達しそうなのに、岩だらけの景色に変化は見られない。
「止まれっ!」
先頭を歩いていた米澤が突然立ち止まり、2人に小声で呼びかける。彼が指差した先に視線を動かすと、岩陰から何かがこちらを覗いているのが見えた。
「米さん、あ、あれは」
「分かっている!まずは物音を立てずに見守るんだ。秩序を乱さなければ出てくるかもしれん」
3人はその場で動きを止め、息を潜めて岩陰を見守る。そして数分後、とうとう待望の怪生物が彼らの前に姿を現した。三角形の頭部にずんぐりした胴体、きらきらと水色に輝くウロコ。これはまさしく__
「ツチノコだぁーっ!かかれー!」
いきなり米澤が叫び、虫取り網を振り回しながらツチノコの方にダッシュし始めた。
「あ、ちょっと米さん!」
「何やってんだあの人は……」
念願のツチノコを目の当たりにして我慢できなくなったのかもしれないが、秩序も何もあったもんじゃない。2人も慌てて彼の後を追う。
その時だった。
「今行くぞツチノコォーッ!待っててく_」
一直線にツチノコを目指していた米澤の姿が、突然床下に吸い込まれるように消失したのだ。
「「米さん!?」」
手品のような事態を目の当たりにした2人が消失地点に駆け寄ると、畳の上には巨大な穴が出現していた。それも、単なる落とし穴ではない。覗き込んでも中に米さんの姿はなく、漆黒の空間が広がっているばかりだった。
「こ、これは……?」
「米さーん!」
月美が穴の縁にしゃがみこんで呼びかけるが、その声も空しく吸い込まれるばかり。
「待て、危険だから少し離れた方がいい」
「そ、そうですね」
辰真の言葉を受けて月美が一歩後ろに下がった瞬間、またしても異変が起きた。
「あれ……?」
振り返ると、月美の姿勢は傾いでいた。後ろに下げた左足は、その場に新たに出現した穴の中に吸い込まれている。彼女の姿勢は更に傾いていき、全身がゆっくりと沈んでいく。
「あ……」
それはあまりにも突然だったので、咄嗟に差し出された彼女の右手を辰真は掴むことはできなかった。しかし月美の全身が消失する直前、その右手は何かを掴むことに成功した。それは辰真の左脚だった。
「おいちょっと待_」
……一瞬後、月美と辰真の姿は完全に消え去り、武道場には誰もいなくなった。
「…………」
気付けば辰真の眼前には広大な宇宙空間が広がっていた。神秘的な紺色のキャンバスに、白く輝く星々や虹色の雲が散りばめられている。辰真はその光景にしばし魅了されていたが、やがて左脚に妙な感覚がある事に気付いた。下を向いた瞬間全てを思い出す。そうだ、すっかり忘れていたが、俺たちは落とし穴の中を落下している最中だった……次の瞬間、二人は真下から迫ってきた白い穴に飲み込まれた。
「ぐわっ」
いきなり視界が光で満たされたかと思うと、全身を軽い衝撃が襲う。気付けば辰真は土の上に転がっていた。
「ここは……?」
身体を起こして辺りを見渡す。どうやら屋外のようで周囲は草地、その外側に岩場が広がっている。そしてすぐそばには月美がへたり込んでいた。
「稲川、大丈夫か?」
「はいっ、少し痛いですけど大丈夫です!でも、ここ何処なんでしょう?」
「さあな。見覚えがある気もするが……」
月美を助け起こしていると、別の人影が遠くから近づいて来るのが見えた。胡散臭い迷彩服を着ているので、遠目でもすぐに分かる。米さんだ。
「おお諸君、無事で何よりだ!」
「米さんも無事だったんですね!時空の狭間に消えたのかと思いましたよ~」
「フッ、僕がそんな伝説的最期を迎えるのはまだまだ先さ」
「それよりここは何処なんですか?」
「ああ、大学西の裏山だよ」
飛ばされたのは別に遠い場所ではなかった。大学の西端、体育館の裏手にある小山で、武道場から徒歩5分ほどで行ける場所だ。
「良かった、じゃあ早速戻りましょう。でも今のって一体?ツチノコの仕業なんでしょうか?」
「それについて、もう少しで仮説が思いつきそうなんだ。あの穴とツチノコをもっと調べてみようじゃないか」
こうして一行は武道場へと戻ってきた。里中主将は外から帰ってきた3人を驚いた風もなく出迎えたが、事情を知ってるなら最初から話してほしかった。ともあれ辰真達は再びツチノコ捕獲作戦を開始したのだが。
「よし、あと少しだ!もうすぐツチノコに手が届くぞぉぉっ!!……あっ」
「えーと、確かこの辺に落とし穴があるんでしたよね。あ、あれ、どっちでしたっけ?確かこっちが……あっ」
「くそっ、岩だらけで足の踏み場がない!仕方ないこっちから……あっ」
……こんな調子でさっきから落とし穴に引っかかりまくっている。何しろツチノコはちょこまかと動き回る、落とし穴は踏むまで見えない、岩だらけで歩く場所が限られているなど、悪条件だらけの環境だ。しかもツチノコは穴に飛び込んでもすぐに出てこれるようで全然捕まらず、油断しているとすぐに裏山に強制転送である。落ちてもダメージが無いのは幸いだが、こうも何度も落ちていてはツチノコに翻弄されているようで屈辱感がある。
数十分後、月美と辰真は縁側に座り、里中が差し入れた茶菓子を食べて休憩していた。米澤は落ちた時に体を痛めたのか、襖の内側で横になっている。
「あー、もう疲れました……」
月美が緑茶でみたらし団子を流し込むと溜め息をつく。
「わたし、遊園地の落下する乗り物に何度も乗り続けてる気分です……」
「俺も、さっきから地球と宇宙を何往復もしてるような気分だ……」
覇気のない会話を交わしているうち、月美がぽつりとこんな事を言い出した。
「そう言えば、森島くんは「飛ばし穴」って知ってます?」
「飛ばし穴?確か前に漫画でそういうの読んだような……落とし穴の下に敷くやつだっけか?」
「いやそういうんじゃなくて、揺木の怪奇現象の一つに「飛ばし穴」というのがあるんですよ。わたしも今さっき思い出したんですけど。暗い夜道を歩いていると、突然足元に大穴が現れ、否応なしに落ちてしまう。そして、落下した先は少し離れた場所って感じの。落とすだけでなく遠くに飛ばすから「飛ばし穴」って呼ばれたんだと思います」
「じゃあ俺たちが落ちてるのって」
「はい、間違いなく飛ばし穴です!そして、飛ばし穴は中に煙玉とかを投げ込むと消えちゃうそうなんですよ。不思議ですよね〜」
「ふーん、でもあれだな。話を聞いてると、その飛ばし穴って今で言うワームホールに似てるよな」
「でかしたぞ諸君!」
いきなり背後の襖が開き、米澤が縁側に出てきた。もうすっかり元気そうだ。
「さっきからずっとアイデアを思いつきそうで思いつかなかったんだが、今の諸君の会話で全てが結びついた!仮説は確信へと変わったぞ!」
「はあ」
やっぱり頭でも打ってるのだろうか。
「何か分かったんですか?」
「うむ。時空のある一点と一点を直結するトンネル状の抜け道、これはまさしくワームホールの特徴だ。つまり稲川君の言う「飛ばし穴」、すなわち今僕たちを悩ませている穴の正体は森島君の言うとおりワームホールだったんだよ!」
米澤は喋っているうちに興奮し始め、どんどん早口になっていく。
「そしてもう一つの仮説ぅ!僕は以前からずっと疑問に思っていたのだ。何故ツチノコの体つきは他のヘビに比べあんなにずんぐりしているのか?だがたった今ひらめいたぞ!もしもワームホールの中は重力が強いとしたら?ツチノコがワームホールに住んでいるとしたら?何世代にもわたって生活しているうちに少しずつ圧縮されていったとしたら?あのずんぐりした胴にも説明がつくじゃないか!つまり、あのツチノコはワームホールに巣を作っているんだよ!」
「ほ、ほんとですかー!?」




