第十一話 深夜の怪獣グルメ 前編
~???????登場~
夕方、揺木大学。チャイムが鳴り終わると同時に、キャンパス内に点在する各校舎から明るい表情の学生達が群れをなして放出されていく。群れの中には社会学部所属の三年生である森島辰真もいた。彼もまた晴れ晴れとした気分だった。今週は珍しくアベラント事件に1件も巻き込まれず、レポートは全て提出済、そして今のチャイムは金曜五限の終わりを告げるものだ。つまり、久しぶりに何の束縛もない状態で週末に突入したのである。
辰真はキャンパス内を悠々と歩きながら、これから始まる金曜の夜をどう過ごそうかと思いを巡らせていた。
さて、揺木大学の学生、略して揺大生における週末(金曜の夜)の過ごし方は、大きく三つの派閥に分かれる。すなわち、繁華街派・商店街派・帰宅派である。ここでは前者二つについて説明したい。
まず最大派閥である繁華街派の学生は、授業が終わると連れ立ってバスに乗り込み(揺木駅前から大学まで無料の通学バスが運行している)、市の入り口へと向かう。駅前に広がるのは市内最大の繁華街で、居酒屋はもちろんレストランもカラオケもゲームセンターも何でもある。時間が有り余っている学生達には最適の環境で、若さにかまけて夜更けまで食べたり飲んだり遊んだり自堕落に過ごす事ができる。
一方商店街派の学生は、キャンパスから歩いて5分ほどの場所にある角見商店街へと向かう。この小ぢんまりとした商店街は、地元の常連客と揺大生を頼りに過疎化の波に抗い続けていた。開発と発展を繰り返してきた繁華街とは対照的に、店舗の多くは昭和時代から外観が変わっていないのだが、その独特の風情を好む揺大生も一定数いる。辰真が所属するYRK(揺木大学歴史研究会)も商店街派で、週末に会合があると喫茶店「スモーラー」や居酒屋「五郎亭」等で長々と打ち上げをするのが恒例になっていた。
そういうわけで、昔はバリバリの帰宅派だった辰真も最近では商店街に愛着が生まれつつあったのだが、今週末はYRKの会合も無い。ということは2人だけか。2人で居酒屋に行くのもちょっとなあ……と、ここまで考えた時点で彼は初めてこの場に居るのが2人ではなく1人である事に気付いた。思い返してみれば、金曜日のこの時間帯は大体いつもアベラント事件やらYRKやらがあって同期の稲川月美が一緒にいた。隣にいるのが当然のような感覚になっていたためか、居ないことに一抹の寂しさを感じてしまうのが自分でも不思議だった。
まあいいか、どうせアベラント事件が起きれば嫌でも合流することになる。自分自身に(何故か)そう言い聞かせながら学生寮の方向に歩き始めたその時、彼の携帯にメッセージが届いた。
『久しぶりに飯でも食わないか?』
メッセージの発信者は、辰真の数少ない友人である幕野紅介だった。
「とにかくさ、最近のうちの教授の人気ときたらすっごいんだぜ?市内のあちこちに引っ張りだこ。おかげで研究室に残された俺達が動物の世話に絶賛忙殺中なわけ。おまけに同期は休学やら蒸発やらでどんどん消えてくんだぜ。休学はともかく蒸発っておかしーだろ!」
ここは繁華街の一角でひっそりと営業している南洋レストラン「SDAHL」内部。辰真の向かいの席に座り、バナナジュースを飲みながら愚痴をこぼしている長髪の男こそが幕野紅介だった。揺木大学理工学部の三年生で専攻は生物学。辰真とは小学校からの友人で、大学でも昨年度まではよくつるんでいたのだが、今年の春から互いに研究室に入った事もあり疎遠になっていた。
「じゃあ最近連絡が無かったのも」
「連日の深夜残業で心が死んでたからだな。ニホンザルに文鳥、陸ガメにナメクジ。おまけに教授のペットのモグラの面倒まで見させられてたんだぜ。ペットの世話くらい自分でしろっての」
「帰宅派ですらない残留派か……やっぱり大変なんだな、理系って」
「他の研究室はもう少しマシだろうよ。うちの教授は異次元生物に夢中で学生の事なんざちっとも気にかけやしない。つい一昨日も、でっかい異次元ガニがいるとか何とかでホイホイ飛び出して行ったっきり今も戻って来てないんだから呆れたもんだ」
「ちょっと待った、マークの先生って何て名前だっけ」
「権田」
「あー……」
アベラント事件の後処理や異次元生物の標本製造作業には揺大の生物学教授も動員されるという話を、辰真は以前に城崎教授から聞いていた。そしてつい最近、ダイガの事件の時にそれらしき人物を現場で見た覚えがあるのだが、その人は権田博士と呼ばれていた。ちなみにマークというのは紅介の仇名で、苗字に由来する。
「マークも苦労してるんだな」
「ま、最近は休学組や蒸発組が何人か戻ってきたから、久しぶりに解放されたわけよ。そういやタツの方はどうなんだ?確かそっちも異次元生物絡みの調査してんだろ?」
「まあ、そうだな」
今度は辰真が城崎研究室の活動を話す番だった。偶然研究室に入った所から始まり、毎週のようにアベラント事件に駆り出されるようになった事。毎回とんでもない目に遭っている事。愚痴交じりの報告は、いざ話し出すと長時間に及んだ。
「へえ、なかなか楽しそうじゃん!」
紅介はSDAHL 名物「南海の悪魔スープ」の真っ赤な海に浮かぶタコ脚を齧りながら辰真の話を聞いていたが、一段落したところで羨ましそうに言った。
「いやいや、実際やってみれば分かるが、ちっとも楽しくないぞ。厄介で危険なだけだ」
「なに言ってんだ、室内でモグラに餌やってるより余程面白いぜ。いいよな、俺もたまには怪獣と追いかけっこしたいよマジで」
「そうか、動物の世話なら俺も喜んで代わってやりたいね。少なくともモグラは研究室を壊さないからな」
往々にして隣の芝生は青いものである。
「それにしても」
紅介は(常人なら3口でギブアップする)真っ赤なスープを一気に飲み干すと、突然真面目な顔になって言った。
「タツが研究者を志す日が来るとは思わなかった。やっぱり人間だったんだな」
「どういう意味だ?」
「だってさ、俺の知ってるタツは中学・高校と帰宅部で通して趣味は瞑想、大学でもサークルにも入らずそこそこに勉強をこなしてるだけのアンドロイドみたいな奴だったんだぜ?将来の事とか考えてんのか正直心配だったんだが、少し見ない間に社会学者見習いになってんだから。驚いたけど少し安心したわ」
紅介はまるで保護者のような事を言い出す。
「おいマーク。何か勘違いしてるようだが、別に好きで参加してるわけじゃない。入ったのも偶然だし、それも無理やり入らされたようなもんだし」
「でもさっき話してる時、今まで見たこと無いくらい生き生きしてたぜ」
「……」
「いいんだよ、きっかけなんて何でも。俺だって最初は動物なんか大して好きじゃなかった。何にしても、打ち込めるものができたのはいい事だ」
生き生きと話していた?本当にそう見えたのだろうか。正直なところ、今までの調査を振り返っても思い出すのは大変さばかりで楽しかったという印象は無い。まあ、嫌な思い出しかないという程でもないが……
そんな事を考えていた辰真だったが、我に帰るといつの間にか目の前に皿が置いてあった。皿の中には真っ赤な海が広がっている。
「……これは?」
「俺からの奢りだ。遠慮なく飲んでいいぜ」
そうだ。うっかり忘れていたが、こいつはかなりの辛味中毒で、油断してるとこちらの皿にまで辛味を盛るような男なのだった。そして辰真は、目の前に出された物は可能な限り完食するというポリシーを持っていた。辰真は溜息をついて皿に向き直る。試練の時だ。
時は流れ、深夜1時過ぎ。辰真とマークは揺木市東部の住宅街を歩いていた。「SDAHL」での試練を乗り越え、近くのコーヒーショップ(チェーン店)に拠点を移して話し込んでいたら気付けばこの時間だ。
「お土産も手に入れたし、久しぶりにうちに寄ってかないか?飲み物くらいなら出すぜ」
「飲み物はいい。どうせ唐辛子ジュースだろ」
「何言ってんだ、俺が地獄の研究室ライフを生き延びたのも唐辛子のお陰なんだぞ!」
二人はそんな事を話しながら桐ヶ丘の夜道を進む。桐ヶ丘は東部住宅街の一区画で、彼らが生まれ育った場所であり、幕野家が居を構える場所であり、森島家が住んでいた場所でもある。軽く説明すると、ちょうど辰真達が揺木大学に進学する頃に森島家が転勤により市外に引っ越してしまい、辰真はそれを機に大学付近の学生寮で一人暮らしを始めたという事情があるのだが、彼にとっても馴染み深い場所である事に変わりはない。彼らがいつものように近道として自然公園を通り抜けていた時、事件は起こった。
「何度だって言うけどな、唐辛子ジュースの効能は_」
先ほどから延々と辛味の素晴らしさを力説していたマークの声が突然途絶えた。辰真は視線を横にやり、すぐに立ち止まった。一瞬前までそこにいた筈の友人の姿がない。
「……マーク?」
返事は彼の頭上から降ってきた。
「うわああぁぁぁ!!」
見上げると、地上5mほどの高さにマークの姿はあった。その胴には細長い紐のようなものが巻きつき背後へと伸びている。あの紐に吊り上げられたのか?辰真が考えを巡らす暇もなく、マークは後方に吹っ飛ばされるように水平移動を始めた。
「マークゥゥゥ!!」
辰真が彼を追跡していくと、木々の間から巨大な筒状物体が飛び出ているのが目に飛び込んできた。マークを引っ張る紐は、掃除機のコードのように筒の中に吸い込まれていく。当然マークも筒に吸い込まれるかと思いきや、口径が小さすぎて中に入れず、筒にぴったりくっついた状態で空中停止した。
「誰か、誰か下ろしてくれえ!」
空中でもがくマーク。彼を助けようと足元に駆け寄った辰真は、木々の奥に筒の本体が隠れているのを発見した。筒に見えたのは細長い口吻であり、奥には丸い頭部が見える。さらに頭部の下側には4本足の胴体があり、脚先には鋭い鉤爪が生え揃い、後方はふさふさした毛で覆われている。その全容はおおむねアリクイに似ていたが、背中から円錐形の物体が何本も突き出ている点が違っていた。
巨大アリクイ怪獣(仮称)は、口吻の先に捕らえたマークをしばらく振り回していたが、やがて吸い込むのを諦めたのか彼を地上に放り出した。
「ぐわあっ!」
奇声を上げながらも咄嗟に受け身を取り、ゴロゴロと地面を転がるマーク。巨大アリクイは、こちらも奇怪な唸り声を上げると突然その場にうずくまり動かなくなった。それを確認した辰真がマークの元に駆け寄る。
「おい、大丈夫か?」
「何とかな……」
答えは弱々しいが、どうやら怪我はないようだ。辰真は動かないままのアリクイ怪獣に視線をやると、ため息をつきながら電波状況の確認を始めた。遺憾ながら、急いで連絡すべき相手が何人もいる。
辰真達がアリクイ型怪獣と出会ってから1時間後、自然公園は静かに封鎖されていた。結界のように張り巡らされた黄色い封鎖テープを乗り越え、辰真にとっては顔馴染みの関係者達が続々と集まってくる。
「ったく、休む暇もねえぜ。カニ野郎の片付けも終わってないってのに」
愚痴を言いながら資材を運び込んでいるのは特災消防隊の高見隊員だ。その向かう先には未だ動かない巨大アリクイの行く手を阻むように停車しているクリッターと、他の隊員達の姿が見える。
「実に興味深い!やはり虫舌亜目の異次元収斂種の可能性が高いかね。幕野君、口吻に吸い込まれた時の体験をもう一度頼む」
「もう何回も話してるじゃないですか。正直もう思い出したくないんすけど」
「何を言っとる。大アリクイに食べられかけるなんて羨ましい経験、私でもないというのに」
少し離れた場所でマークと妙な会話を交わしているのは、揺大生物学教授の権田先生だ。特災消防隊共々、ダイガの解体現場から駆け付けてきたらしい。
「夜中にこっそり出現した怪獣にばっちり遭遇するなんて、さすが森島くんですねっ!」
そして辰真の隣には、研究室の同期である稲川月美が立っていた。アベラント事件を目前にしているためか、深夜なのにテンションがやたらと高い。もっとも十数分前、辰真に電話で起こされた時のテンションは常人並みに低かった。
「う〜ん、むにゃ、森島くんですか?こんな時間に電話してくるのは、ちょっとマナー違反かな〜って……」
などと眠そうな声で話していた月美だったが、怪獣が出現した事を知らされた途端に
「えっアベラント事件!?どこどこ?すぐに行きます!」
瞬く間にテンションが急上昇し、十分後には元気に現場入りしていた。ちなみにこのやり取りを横で聞いていたマークは
「なんだよタツの奴、いつの間に女子と連絡先交換してたのかよ……俺なんて画面の中にしか出会いがないってのに……」
等とぶつくさ呟き始めたので辰真は聞こえないふりをした。
「それにしても、こんな時間なのに良く集まってくるもんだ」辰真は周囲を見回しながら一人ごちる。
封鎖テープの入り口付近では、事件を嗅ぎつけてきた揺木日報の綾瀬川記者が門番の味原警部補と押し問答している。その奥では市役所の卯川防災課長が多くの職員に囲まれて指示を仰がれ困り果てていた。
「みんな仕事熱心ですからね。わたし達も見習わなきゃ!」
月美が無邪気にそんな事を口走る。辰真としては見習いたいとは思わなかったが、仕事熱心な点については感心せざるを得なかった。このように多くの人が集合していたが、市の判断により、怪獣の対処はなるべく静かに行う事が決定されていた。自然公園は周囲をマンションに囲まれ、多数の市民が就寝中である。いくら巨大生物に慣れている揺木市民とはいえ、深夜に至近距離で怪獣が現れたとなってはパニックになりかねない。
「やあ君達、こんな時間に来てくれて悪いね」
「先生!」
辰真達の研究室の主である城崎教授も現場に姿を見せた。それに引き寄せられるように卯川課長を始め関係者も続々と集まってくる。
「権田先生、この怪獣が動かない原因について何か分かりましたか?」
「はっきりと分かってはいませんが、ま、先程検討した通りでしょうな」
「そうですか」
「城崎教授、原因というのは?」
卯川課長が問いかける。城崎先生は集まった一同を見回しながら答えた。
「まだ推測の段階ですが、おそらくこの怪獣は空腹なのです。早急に何か食べ物を運んでくるべきですね」




