第十話 特災消防隊VS火焔蟹獣 1/4
~火焔蟹獣ダイガ登場~
午前7時、朧山の外れ。うっすらと朝靄が広がる中、若々しい緑の葉を揺らす木々が一面に茂っている。ここは揺木市当局によって外界から保護され、多様な生物相を擁する穏やかな土地だった。少なくとも昨日までは。
突然、木々の間に真っ赤な柱が出現した。燃え盛る柱は周囲に火の粉を振りまき、侵略を開始する。樹木は瞬く間に炎に覆われて苦悶の煙を上げ、火の粉は更に隣接する木々に勢力を広げる。こうして癌細胞のように感染が拡大していき、周囲一帯が炎の海に飲み込まれた後、赤い海の中心に鎮座する柱が動いた。正確には、柱の根元に蹲っていた巨大な影が動いた。巨大な甲羅を持つ怪物は、薪と化した木々を蹴散らしながら進んでいく。陽炎に揺らぐ大気の中、燃え盛る柱は一層勢力を増し、周囲を睥睨するかのように聳え立ち続けた__
「特別災害消防隊 成立の経緯
時は21世紀、人類は新たな危機に直面していた!前世紀から世界中で報告されていた異次元生物や異世界人との接触事件(以下、城崎教授に倣いアベラント事件と呼ぶ)は近年加速度的に増加し、巨大な異次元生物(以下怪獣と呼ぶ)が人間社会を脅かす可能性が現実味を帯びてきたのである。事態を重く見た日本政府は、アベラント事件や怪獣対策兵器の研究専門機関である異次元中央研究所(以下異中研と呼ぶ)に怪獣対策チームの設立検討を要請。地域性や即応性、現行法制度との兼ね合いの観点から、異中研では消防隊をベースとしたチームを理想形態と想定……」
(お、何書いてんだ?)
「兵器の試験的運用を条件に、東京消防庁と協力体制をとる事で合意……モデルケースとして、国内随一のアベラント事件発生率を誇る揺木市に怪獣対策専門の消防隊設置を決定した……」
(おーい袋田、聞いてるかー?)
「かくして日本初、いや世界初の特別災害消防隊、略して特災消防隊が……」
「あっ、あんな所で超常現象が!!」
「えぇっ!?どこどこ??」
デスクでキーボードに文章を打ち込んでいた小太りの男、袋田直己は慌てて立ち上がり急いで周囲を見回す。しかし超常現象など確認できない。見えたのはニヤニヤ笑っている同僚の高見慎吾だけだ。いつも通りハリネズミのような髪型で、防災服を着崩している。
「嘘だよ」
「なんだよ驚かせないでくれよ。せっかく文章がまとまりかけてたのに!」
ここは揺木消防署内部の某フロアにある特災消防隊専用待機室。現在室内では高見と袋田を含む4人の男性隊員が待機していた。高見ら3人は本職の消防士だが、袋田は異次元兵器のメンテナンス等を目的に派遣された異中研職員である。言わば客員研究員だが、高見達とは年齢も近いため既に馴染んでいた。
「で、何を書いてんだ?」
「本部提出用の報告書だよ。今週だけで提出書類が10件もあるからね」
「ふーん。前から思ってたけど、お前の文章って一行がひたすら長いよな」
「うるさいなあ。字が汚すぎて業務報告書を1日に3回も再提出した奴よりマシだろ。誰とは言わないけど」
「んん?そりゃあれか?俺への挑戦か?」
「さあね。まだ誰とは言ってないし」
「面白い。ならどっちのレポートが上かはっきりさせようじゃねえか!」
「いいとも!」
「お前達、騒がしいぞ!今は業務中だ!」
3人目の声が部屋の後方から高見達を咎めた。防災服をきちんと着こなし、短く刈り込んだ髪型も綺麗に整えている声の主は時島悟。本人の強い希望により先日配属になったばかりで、とにかく仕事熱心、高見に言わせれば暑苦しい男だった。
「あ、ごめん」
「何だよ時島、文句でもあんのか?」
「消防隊なる者、いかなる時でも常に出動可能なように気を抜かずにいるべし!いつ災害が起きるか分からないんだぞ?」
「うっさいな、宇沢の奴だって呑気に本読んでるだろうが」
高見は離れた席に座る長身の男を指差す。残る1人の隊員である宇沢光雄は物静かな男で、今は読書に勤しんでいた。
「読書は自己啓発だからいいんだ。どんどん読むべし!」
「なんだそりゃ」
「それ、何読んでるの?」
宇沢は無言で本を閉じ、表紙を彼らに見せる。表紙には巨大なカニのイラスト。
「彼が読んでいるのは『世界のカニ類大全』だ!現役甲殻類学者が世界各地のカニ情報を集めた決定版で……」
「なんでお前が説明すんだよ!というかそんな本で何を啓発するってんだ、まったく。まあいいや、それにしても……」
高見は腕を伸ばしながら室内を歩き回る。
「せっかく面白そうな職場に来たってのに、こんなに暇だとは思わなかったぜ」
「仕方ないよ」
袋田が首を横に振りつつ答える。
「いくら揺木市といっても、毎日大型怪獣が出るわけじゃないからね。アベラント事件の中でも小規模なやつは城崎教授のところのゼミ生とかが対応してるらしいよ」
「ああ、この前いたあいつらか。……ちょっと待て、少し前に繁華街の方で異次元犯罪者だかなんかが暴れてなかったか?あれも小規模な事件なのか?」
「カラビアンの事?残念だけどアベラント事件の中でも異次元人絡みは警察の管轄らしいよ。東京で消防庁と警察庁のお偉いさん同士が話し合って決めたんだってさ。メンツの問題とか色々あるんだろうね」
「ふーん。ま、俺達の活躍を邪魔しなけりゃ別にいいけど。にしても暇だ!怪獣でも何でもいいから早く出てきてくんないかな」
「高見、不穏な発言は慎め!」
時島が高見の言葉を咎める。
「お前が言っているのは「早く火災が起きないかな」と同義だぞ。いいか、ここでも普通の消防隊でも、我々のやる事は変わらない……事件があれば現場に急行する。それだけだ!事件が無くても色々やることはある。事務作業、トレーニング、自己啓発。消火活動の支援に行ったっていい!とにかく常に業務中であるという自覚を持ち……」
「ああもう分かったよ!じゃあ俺筋トレしてくっから!」
高見が延々と続く時島の説教を中断して部屋から逃げ出そうとしたその時、室内に突然警報が鳴り響いた。
「揺木市北部にて怪獣出現。推定UQ6。特災消防隊は直ちに出場せよ!」
一瞬だけ室内が静まり返る。
「来たか」
「いきなりUQ6!?」
「よし、準備は1分以内だぞ高見!」
「分かってら!」
警報が始まると同時に動き出していた高見と時島が部屋の別の出口に風のように駆け込み、宇沢もすぐ後に続く。
「ちょ、ま、待ってくれよ〜!」
出遅れた袋田は慌てて机の中の書類をかき集め始めた。
約1分後。書類を集め終わった袋田が1階駐車場に駆け下りてくると、高見達は既に防火服に着替え終わっていた。
「袋田おせーぞ!」
「いや、まだ時間内だ」
高見を制して前に出てきたのは、これまた防火服に身を包んだ男だった。30代後半程度の年齢に見合わない貫禄と落ち着きを備えたこの男性こそ、特災消防隊隊長・駒井靖典その人である。
「袋田、装備のメンテナンスは済んでいるな?」
「はい、万全ですっ」
「よし。全員乗り込め」
隊長が率先して駐車場の端へと歩き出す。端には一台の大型ポンプ車が停めてあった。屋根に置かれた大砲のように巨大な放水管。大型のタンクを抱え、壁面には多数のホースが設置された積載部。オブロス事件の際にはまだ赤かった車体は鮮やかなオレンジ色に塗り替えられ、側面に白字で「特災」と書かれている。
揺木消防署駐車場内で一際異彩を放つこの車両こそ、特災消防隊専用車「クリッター」であった。
クリッターに全員が乗り込んだところで、改めて駒井司令が指示を出す。
「現場は北部の朧山周辺。怪獣の詳細は不明だが火を吐く能力があるらしく、念のためにうちの消防車を何台か先に向かわせている。山火事にでもなったら面倒だからな」
「火を吐く怪獣ですか!我々特災消防隊の初出動の相手に相応しいですね!」
「うるさいぞ時島。我々もすぐに出発する。袋田は現場に着くまでに装備を再点検してくれ」
「は、はい!」
「宇沢、場所は把握しているな?」
機関員を兼ねる宇沢は既に運転席に乗り込んでおり、返事代わりにエンジンを吹かした。
全員の視線が隊長に集まる。駒井司令は一瞬の沈黙ののち、堂々とした声で告げた。
「特災消防隊、出動!」
「了解!!!」
直後にクリッターは唸るようなサイレン音を上げながら、街道へと飛び出した。




