第七話 大怪獣揺木市街にあらわる 2/4
第七話 「大怪獣揺木市街にあらわる」~鉱石怪獣オブロス登場~ 2/4
揺木市南部、市の中心街と呼ばれる地域の更に中枢。右手に揺木警察署、左手に揺木消防署を従えて聳え立つ緑色基調の12階建てビル。こここそが揺木の司令塔、すなわち揺木市役所である。現在市役所の3階多目的室には、「怪獣オブロス緊急対策本部」が設置されていた。先刻命がけで逃げ出してきた城崎研究室メンバーから怪獣出現の情報が届けられ、その危険性を認めた市長は揺木市防災条例施行以来初となる怪獣対策本部設置を決定したのだ。ちなみにオブロスという名称は城崎教授が暫定的に命名したものだが、以前に同種が出現していたことが確認されない限りこのまま正式名称となるのが慣例となっている。
本部内は騒然としていた。部屋の手前側半分には机が等間隔に置かれ、市の職員や警察官などが慌ただしく資料を広げたり外部との連絡を試みたりしている。しかし、少し前から広域にわたって通信障害が発生。市外との通信は実質的に遮断されており、混乱に拍車をかけていた。奥側半分には即席の会議室が設けられ、市の要人達が対策本部メンバーとしてコの字型に並んだ机を囲んでいた。最奥の壁には月美が撮影したオブロスの写真が投影され、それを背景に城崎教授が怪獣の情報を改めて報告中だ。メンバーとしては下っ端である辰真、月美、そして味原警部補は、側面の壁際に立って会議の様子を見守っている。
「……以上が怪獣の特徴になります」
先生が報告を一通り終えると、写真が投射された壁に向き合う形で並べられた机の端に座る額縁眼鏡の男が口を開く。
「では、今この周辺で発生している電波障害も君の言うアベラントエリアとやらの影響ということですか」
「はい」
「俄かには信じられないが……」
男は口を濁すが、写真や動画、通信障害の事実がある以上受け入れざるを得ない様子だ。
「あれは副市長の安庭さんだな。揺木市外の出身だから怪物騒ぎとかに馴染みがないんだろう。ちなみに45歳で子供は双子」
味原警部補が頼んでもいないのに辰真と月美の2人に小声で解説してくる。
「今までアベラント事件については我々研究室メンバーが前線に立って対策に当たってきましたが、流石にあの大きさの異次元生物が街中に現れたとなっては我々の手に余ります。皆さんのご協力を頂ければと思います」
やたらと丁寧な教授の口調からは毎回アベラント事件を丸投げしてくる行政側への皮肉が僅かに感じられ、日頃不満を感じている辰真は小気味好い気分だった。一方、副市長を始めとする行政側メンバーはややバツの悪そうな表情をしている。
「そ、そうですね、では、本事件について各位が把握している情報を共有していきましょう」
副市長が隣席の市長の様子を窺うと、市長は無言で頷いた。そのまま流れで安庭副市長が司会進行役となり、情報の取りまとめを開始した。
「まずは防災課長、市役所で現在行っている災害対策活動について説明してください」
副市長の声に、いかにも気の弱そうな男性が立ち上がって答える。しかもかなり顔色が悪い。
「はい……災害対策基本法、及び揺木市地域防災計画に基づき、揺木街道の北側半分を警戒区域に指定。北部住民に避難勧告を出しています。同時に警察・消防・揺木大学・揺木総合病院等の関係機関に緊急連絡し協力を要請。更に県庁・県警にも連絡を試みておりますが、この通信障害で繋がらず、現在対応策を検討中です」
「避難勧告が市民に届いていない可能性があるな。その場合の対応策は?」
「は、はい……それも現在マニュアルを確認中で……」
防災課長なのにどうにも頼りなく、周囲に白けた空気が広がる。
「卯川さんだったかな?ずっと市長の下で条例作ってた人か。不測の事態に担ぎ出されたのは正直可哀想だよな」
今のは味原警部補の解説だ。確かに矢面に立たされて大変そうではあるが、その大変な立場を今まで押し付けられていたと考える辰真としてはあまり同情する気にはなれなかった。
「分かりました。引き続き対応策の検討を」
続いて副市長は、正面から見て右側の机に座る警察官らしき制服を着た男性2人に声をかける。
「オブロスの現況と周辺の交通状況について分かりますか?」
「現場からの情報によると、怪物は依然揺木街道を南下中。今のところ道を外れる様子はないものの、道沿いの建物に被害が及ぶ恐れあり。現在交通課が街道の北部に交通規制を敷いています」
色黒の男性が落ち着いた声で答えた。なお、先ほどから無線が通じないので連絡方法は口伝しかなく、白ヘルメットの隊員達がひっきりなしに本部に出入りしている。
「うちの交通課長の黒間警部だ。趣味はマラソンで、毎年市内のマラソン大会で優勝してる」
これは味原町警部補の解説。
「ありがとうございます。次に、救急体制について教えてください」
これに立ち上がって答えたのは高価そうな背広を着た老人だった。70歳を越えていそうな見た目だが立ち振る舞いは毅然としていて、老いを感じさせない。
「既に消防と協力し、総合病院及び市内各地の病院に通達を出した。念のために広域避難場所にスタッフを派遣済みで、負傷者が出た時の受け入れ体制も整えておる」
老人の隣の座席の消防官らしき男性が無言で頷く。加えて、辰真の隣に立っている月美も首をブンブンと縦に振っていた。
「市議にして揺木医師会代表の稲川陽造氏だ。まあ、嬢ちゃんには説明不要だな」
つまり月美の祖父である。やはり稲川一族はみんな眼力が強いな等と考えつつ老人の顔を見ていた辰真は、彼がチラチラと月美の方に視線を向けていることに気付いた。あ、ウインクした。孫に良い所を見せたいらしい。
「ありがとうございました。次に、肝心のあの怪物……オブロスへの対抗策については?」「は、はい。県庁と連絡がつき次第、陸上自衛隊に災害派遣要請を行う予定に」
「自衛隊など必要ない!」
突然の怒声が卯川課長の台詞を途中で断ち切った。周囲が一気に静まり返る。声の主は、黒間交通課長の隣に座る大柄な男だった。猛獣を思わせる厳めしい顔付きで、全身から威圧的なオーラを放っている。
「市民の秩序と安全を守るのは我々警察の仕事だ。あんな怪物、機動隊が出動すれば容易く粉砕できる。自衛隊の出る幕はない!」
反論を許さない口調で言い放たれ、卯川課長を始め全員が押し黙ってしまう。
「おお、とうとう泣く子も黙る冷田警部のお出ましだ。警備課長で、不眠不休で20件連続検挙を成し遂げた伝説を持ってるんだぜ。ああ見えて奥さんには頭が上がらないんだけどな」
そして、こんな状況でも小声で実況を続ける味原警部補。辰真は警部補の声が冷田警部に聞こえないか不安で仕方なかったが、幸い届かなかったようで、会議の場は冷田警部が支配する沈黙に包まれていた。その時だ。
「果たしてそうでしょうか?」
誰もが予期しなかった事だが、警部の意見に水を差すような声が上がったのである。
「……はあ?」
警部が不機嫌に唸り、周囲の空気が更に冷え込む。会議の参加メンバー全員の視線は発言の主、すなわち稲川老人の隣に座る消防官らしき男に集まっていた。
「あれは誰だ?どこかで見たような気もするが……」
味原警部補が呟く。見たところ男は30代後半くらいで、他のメンバーより年齢が低めなのに周囲の人々以上に老成しているような、達観した雰囲気を漂わせている。
「あんたはつまり、警察なんかにゃ怪物の相手は出来ないと、そう言いたいのか?」
その男は、噛み付くような警部の質問にも全く臆することなく、平然とした顔で答える。
「いえ、そういう意味ではなく、市民の平和の秩序を守るのは何も警察の選任じゃないという事です。もちろん自衛隊だけでもありません」
会議の参加者の多くは男が何を言いたいのか分からず困惑していたが、冷田警部にはすぐに分かったらしい。
「つまり、あんた方消防の仕事でもあると?」
「ええ、そうです」
「ほう。火災の相手しかした事がないあんた方が、未知の怪物を撃退できると言いたいんですかな?」
挑発するような警部の口調にも、男の態度は揺らがない。
「怪獣というのも一種の自然災害ですからね。災害防除は消防の使命ですよ。それに、県警との連絡はまだ取れないんですよね?このままではあなたの自慢の機動隊も到着しませんよ?」
「何だとぉ?」
敵意剥き出しで男を威嚇する冷田警部。その威圧を受け流しながら見つめ返す消防官らしき男。完全に固まった空気の中で2人は睨み合っていた。壁際の3人を含め、会議メンバーは言葉もなくその光景を見守ることしかできなかった。
その均衡状態を打ち破ったのは会議の参加者ではなかった。
「通信障害一部回復しました!」
市の技術職らしい男性が叫びながら駆け寄ってくると、プロジェクターに持って来たコードを差し込んだ。壁に投影された画面が切り替わり、漆黒の怪獣オブロスの姿が大写しになる。画像ではなく動画で、揺木街道四車線分の道路を独占しながら画面の方に進んで来ている。どうやら生中継らしい。
小山のような怪獣が真正面から向かってくる光景は、圧倒的な迫力だった。動きは緩慢だが、一歩踏み出すごとに地響きが起こり、大地が、そして画面が揺れる。体重を考えれば、アスファルトにヒビが入らないのが不思議なくらいだ。ドーム状の背中の後ろに時々見える丸い物体は尻尾のトゲ球だろう。オブロスにしてみれば何の気無しに尻尾を振っているのだろうが、その度に先端のトゲ鉱物は高速で左右に動いて衝撃波を引き起こす。街道付近に建っていた民家やガソリンスタンドのガラス窓が衝撃波で砕け散ったり、トゲ球がかすった電柱が音もなく倒れていったり等の小災害が動画の背景でナチュラルに起こっている。街道にいてこの有様なのだから、本格的に町に出たらどうなることか。
対策本部のメンバーは、後ろの方にいた職員を含めて全員この衝撃的な光景に釘付けになった。やがて何人かが席を立ち、騒ぎ始める。
「あれはマズいぞ……」
「早く自衛隊を!」
「通信は回復したんだろ?県との連絡はまだ取れないのか?」
「申し訳ありません、外部との通信はまだ不能です」
「一体どういうことなんだ!?」
やはり、実際に怪獣が暴れている所を見せつけられたのはショックが大きかったのだろう。一部の人が騒ぐのにつられて他のメンバーも落ち着きを失い始める。
「自衛隊が駄目なら猟友会を呼べ!」
「いや、うちの市には猟友会はもうなかった筈」
「こういう時はどこを頼るとか何かに書いてないのか?」
「分かりません。防災計画にも怪獣対策は盛り込まれてないです」
「そもそも自衛隊って怪物の相手してくれるのか?」
「ああっまた電柱が倒されたっ!今年度の予算が無くなっちまう!」
今や本部は無統制状態となり、多くの人は席を立って部屋のあちこちで議論したり画面をみて叫んだり受話器を取ったり置いたりと好き勝手な行動をしていた。
「皆さん落ち着いてください!アベラントエリアが拡大したためにエリア内での通信が部分的に可能になっただけです!外部との連絡は未だ不可能です!」
城崎教授の声も他の声にかき消されてほとんど届いていないようだ。もっとも、聞いたからと言って安心できるような説明でもないのだが。
「……どうすればいいんでしょう?」
「さあ」
人間台風が渦巻いているような状態の室内で、辰真と月美はなるべく被害を避けるために入り口付近にまで避難していた。対策本部がこんな状態ではオブロスに有効な対策が打てるとは思えないが、今の自分達にこの状況をどうにかできるわけでもない。どさくさに紛れて部屋から脱出してしまおうかなどと辰真が考え始めた時、入り口の方から聞き覚えのある声が響いてきた。
「ちょっと、ここを通しなさい!取材じゃないから、私は城崎研究室の一員ですっ。取材じゃないってば!あ、そこの2人知り合いだから!おーい、月美ちゃんと……アシスタントくーん!」
入り口付近で職員に行く手を阻まれながらこちらに手を振っているのは、揺木日報の社会部記者・綾瀬川絵理だった。




