第38話 夢幻からの襲撃 1/4
揺大祭2日目。辰真と月美は、朝から揺木大学正門の入り口付近にいた。学園祭に来場してくる学生や市民に、以下のような言葉が書かれているチラシを次々配っていたのである。
「YRKプロデュース 異次元社会学教授の城崎先生、そしてARAのドクター・ソルニアスによる緊急対談!揺木における異次元事件の歴史、そしてあるべき未来とは?本日17時より開催 入場無料!」
いかに揺大祭の来場客が多いとはいえ、米さんが今日の対談に備えてチラシをあまりにも大量に刷ったせいで、配り切るのにそれなりの時間を要した。
「ふう……ようやく捌けましたね。まだ教室に山積みですけど」
「はあ、これ以上配んなくてもいいだろ。どうせ異次元社会学の講演会なんて、興味あるやつそんなにいないだろうし」
「そんな事ありませんよ。絵理さん達が頑張って記事にしてくれるお陰で、最近は市民の皆さんの間でもアベラント事件に対する熱が高まってるらしいです。城崎先生もちょっとした有名人なんですよ」
「本当かそれ?」
そんな事を話しながら2人が一旦YRKの展示教室に戻ろうとしていた時、月美のスマホに着信があった。電話の主は、今しがた話題となっていた人物・城崎淳一その人だった。
揺木大学が誇る異次元社会学の専門家である城崎教授は、最近のアベラント事件急増に伴い全国の自治体や都内の異中研本部から頻繁に呼び出されるなど多忙を極めていたが、今日は久しぶりに根城の研究室に戻り、一息ついている所だった。
「先生、東京から戻ってらしたんですね!お身体は大丈夫ですか?」
「ああ、君達も元気そうで何よりだ。昨日まで異中研に居たんだが、例の異次元人騒ぎで突然呼び戻されてね。事後調査も終わった事だし、夜の対談まではゆっくりするとするよ」
「異次元人って言うと、昨日の浮遊能力を持った?」
「結局あいつ、どうなったんですか?」
「そうだな、君達を呼んだのも、それについて話すためだ」
先生はコーヒーを一口飲んで、改めて話しだした。
「昨日の揺大祭に現れた異次元人事件については、君達からのメールで事件のあらましは分かっていた。僕が市役所に呼び出されたのは、捕獲された異次元人の調査のためさ。でも実は、僕が着く前の段階で、ある事実が既に判明していた。昨日捕まったのは異次元人じゃなく、単なる人間だったんだ」
「!!」
先生は一旦言葉を切り、辰真達の反応を見る。2人とも驚いてはいるものの、それほどショックを受けた様子ではない。
「やっぱりそうだったんですね」
「という事は、あの隕石の方が……」
「大したもんだ。流石に事件慣れしてるだけあって、勘が鋭いね。そう、男の方は単なる学生で、自分が何をしていたのかの記憶は全く無かった。学生バンドの一員で、背負っていた楽器ケースは自前らしいけど、中に入ってた物については何も知らなかったんだ」
「中に入ってた物……」
「メンダス、ですか」
「AMシートは君達の案だろう?お陰で解析が早く進んだよ。確かにあれは、我々が知る異次元生物のメンダスとかなりの点で情報が一致していた。だが、自分以外にも浮遊能力の影響を及ぼすことができるという点が、既存のメンダスと決定的に違う。暫定的に、メンダスの亜種として「メンダス・マニュピュラス」と名付けたよ」
「じゃあ、マニュピュラスがその男を操ってたって事ですか?」
「それで間違いないとは思うが、少し引っかかる点はある。メンダスが学生の体を動かしていたにしても、楽器ケースにどうやって入ったのかが分からない。ケースは落下するまで、きちんとロックされていたのが確認されている。考えられるのはメンダスが自らケースの中に入り、学生にロックさせたというパターンだが、僕にはどうも違和感がある。今までのデータからしても、メンダスにそこまで高度な知能があるとは思えないんだ」
「確かに……」
辰真達の記憶を思い返してみても、メンダスは本能に従って動いていたように思える。人間の動作を完全に制御するなんて芸当が可能なのだろうか。
「それじゃ、メンダスに命令を出してた黒幕が別にいるって事ですか?異次元人とか」
「それも有り得るが、未知の異次元人を想定するのは話が複雑になってくるから、もっとシンプルな可能性を考えてみよう」
先生は一旦そこで言葉を切り、辰真達2人の顔を見回した。
「君たちは昨日、第一校舎の裏で知り合いの少女に会ったと言ったね。以前の報告でも「第3の眼」を持っていると情報があった子だ」
「ああ、イェルナですか」
「確かにあの子は色々怪しいですけど、メンダス達の近くにはいなかったですよ?」
「そうだ。だがそれなら、彼女はどうして校舎の裏、この研究所の近くにいたんだろう?揺大祭を見にきただけなら、そんな場所には入らない筈だ」
「……つまりイェルナは、キャンパスの奥で何かを探していた?昨日の騒ぎに便乗したか、それとも騒ぎを引き起こして」
「第3の眼の特性を考えれば、充分有り得る話だ。ただ、怪しいのは彼女だけではない。どうも最近、超常の力を持つ人物が市外から揺木に集まっている気がするんだ。占い師のシェセン君もそうだし、ソルニアス教授もそうだ。何か作為的なものを感じるな」
「うーん……」
確かに最近は変わった人と遭遇することが多い印象はあるが、月美達としては、既に友人であるシェセンを疑うことはあまりしたくない。ソルニアス教授に関しては、イェルナと同レベルで怪しいが。
「まあ、この件に関してはもう少し探ってみよう。丁度この後、教授と対談の打ち合わせがあるからね」
事前準備に向かった教授と別れ、辰真達は残りのチラシを捌くため、再び大学正門の方に向かっていた。その途中、入り口付近の広場のあたりで辰真が足を止める。
「あれ、シェセンじゃないか?」
「本当ですね。あいさつに行きましょう!」
彼女は普段通り臙脂色のローブに身を包み、広場の中央付近に佇んでいた。
「シェセンさん、こんにちはー!」
「稲川さん、森島さん。おはようございます」
「今日も占いを?」
「いえ、元々昨日だけの予定でした。今日は一般参加者として来ています__少し気になることもあるので」
そう言うとシェセンは後ろを振り返る。そこには広場の中央に鎮座する、小さなオブジェの姿があった。グノーミー事件の時にも3人の待ち合わせ目印になっていたそのオブジェは「夢幻」という題名で、風変わりな気球のような形をしている。具体的に何を表しているのか、辰真には何度見ても分からなかった。
「前も見てたけど、気になってるって言うのはそのオブジェか?なんの変哲もない像にしか見えないけど」
「確か、初代学長が作ったんですよね」
「今朝、水晶玉を通して三つのお告げがありました。叫ぶ民衆、天を覆う傘、アメジストの空。それを見た時、このオブジェの事を思い出したのです。オブジェそのものが問題というわけではありません。ですがこの姿は、とある異次元生物そっくりなのです。異次元の空より現れる半透明の怪異、ヴォラージェルに」
「ヴォラージェル……」
「知らない子ですね」
「この生物の外見は、こちらの世界で言うクラゲによく似ています。白みがかった半透明の傘と、多数の触手。ですが、ヴォラージェルは空中に浮遊して移動しますし、その全長は20mを超えています」
「それはデカいな」
「そして何よりの特徴は、触手の先より紫色のガスを噴出する事です。これは一種の異次元エネルギーらしく、周辺の空間に浸透して紫色に染め上げていくのです。その結果、ヴォラージェルの周囲にはアメジストのような色合いの空間が形成されます」
「アメジストか……」
「でも異次元エネルギーって事は、近付くだけでも危険なんじゃ」
「その通り。300年前に地中海沿岸に出現した際の記録では、数ヶ月に渡る活動の結果、半径数十kmの広範囲に紫色の空間が形成され、多数の人々に異次元由来と思われる健康被害が発生しました。ヴォラージェルが異次元に退去するまで、複数の町を丸ごと放棄して避難するしか対策法がなかったようです」
「そりゃ思ったより危険だな」
「もしもそんな子が揺木に現れたら……」
「非常事態になるのは間違いありません。私がここに来たのは、ヴォラージェル出現に備えて手がかりを探るためです」
「それなら、わたし達も協力しますよ!」




