第四話 百畳湖の怪物 後編
第四話 「百畳湖の怪物」 ~揺木水獣ヒャクゾウ登場~ 後編
翌日の夕方近く、YRKの四人は再び百畳湖畔に集っていた。
「さて諸君、我々は今日も引き続きヒャクゾウの謎に迫っていく。昨日は惜しくも取り逃がしてしまったが、百年来の伝説を解き明かす手掛かりは目前まで迫っているのだ!」
昨日とほぼ同じ服装の米澤が発破をかける。彼は昨夜、湖からの撤退後に「揺木怪奇事件情報局」の更新を夜通し行い、日中もほぼ不眠不休でヒャクゾウ情報を収集し続けていたのだが、それを感じさせないほど元気である。
「それで、何かヒャクゾウに近付く策はあるんですか?昨日の二の舞だけは嫌なんですけど」
米澤とは対照的にあまり元気のない玲が尋ねる。野外調査にあまり慣れていない彼女は一日経っても疲れが取れない様子だ。
「安心してくれたまえ白麦君、いいアイデアがあるんだ。僕は一足先に昨日の調査本部の様子を見てくる。君達はその辺で人祓いでもしておいてくれ。日没後まで野次馬にいられては敵わんからな」
そう言い残して米澤は生垣の奥へ姿を消した。
「……あの人のアイデアっていつもマトモだった試しがないんだけど」
「レイ、米さんを信じましょうよ。それにしても本当に人、増えてますね」
月美の言葉で辰真も周囲を見回すと、確かに観光客の数は昨日の1.5倍くらいに増えている。
「ヒャクゾウの噂は一層広まってるみたいだな。揺大のキャンパスでも皆噂してたし」
この調子では米澤の言うとおり、近いうちに湖の警備が強化され調査がやりにくくなるかもしれない。……もっとも、ヒャクゾウの噂を広めているのが米澤自身だという可能性は高いのだが。
「あ、何か売ってますよ!」
月美の指差した先には屋台が立ち並んでいた。昨日は見なかったが、急増している野次馬目当てに急遽出店したのだろう。特にやる事がなかった三人は露店を見て回ることにした。
人混みの中を歩く。ずらりと並ぶ屋台の上には焼きそばや焼きトウモロコシが並び、ちょっとした縁日状態だ。
「見てください、ヒャクゾウグッズが売ってます!」
屋台列の端の方にいる月美が興奮気味に辰真と玲を手招きする。二人が近付くと、商品台の上には小さな木彫りのヒャクゾウ人形がずらりと並べられている。その店は高校生くらいの少女が一人で店番をしていたが、何故か巫女装束を着ていた。客引きの一種なのだろうかと思って少女に視線をやった辰真は、彼女の顔に見覚えがあることに気付いた。
「あれ、確か角見神社の……」
「そうですよ、あなた神社の子ですよね?」
辰真と月美は以前アベラント事件の調査のため角見神社を訪れたことがあったが、そこで彼女に会ったことがある。
「大正解!お二人はきっと来てるだろうと思ってましたよっ」
巫女服の少女は早速セールストークを展開しはじめる。
「昔からヒャクゾウと角見神社は切っても切れない関係なんです。ヒャクゾウの公式グッズはここでしか買えません!この人形もブーム当時のものと全く同じ仕様なのですよ。ヒャクゾウ観光のお土産にいかがですか?」
「本当ですか?凄いこだわりですね!」
「嘘ではないと思うが……」
辰真の見たところ、この年季の入った人形たちは40年前の商品そのものだ。おそらく倉庫に眠っていたのを引っ張り出してきたのだろう。
「ねえ、こっちは何なの?」
玲が商品台の反対側の端を指差しながら尋ねる。そこには明らかに年代物の巻物や木箱、ガラス玉、木片などが雑多に並べられている。
「はい!こっちは倉庫から発掘された骨董品です。どれも一点限り、掘り出し物があるかもしれませんよ?今ならお買い上げ二つにつき裏庭で採れた揺木梨を一個付けちゃいます!」
「買うわ。あるだけ全部」
「毎度ありがとうございまーす!」
「……それで、在庫を全て買ってきたというのかね?全く理解に苦しむよ」
調査本部での合流後に三人の話を聞いた米澤が呆れた顔をする。反対に玲はこのうえなく上機嫌な様子だ。
「ええ。最近じゃ稀に見る収穫でした。ヒャクゾウには感謝しないといけませんね」
「梨もこんなに貰いましたよ!」
月美は紙袋いっぱいに入った揺木梨を嬉しそうに見せる。
「これだけあれば色々作れますよ。確か揺木梨ってジュースが有名なんですよね?」
「いや、揺木梨は生で食べるに限るな」
「諸君、梨の話はいいから、さっさと準備を始めてくれたまえ。もう霧が発生し始めているのだぞ」
月明かりの下、四人は再び百畳湖に乗り出した。湖上の光景は昨日とほぼ同じで、中央に霧が立ち込め、その奥に巨大な影が見え隠れしている。相変わらずオール担当である辰真の技術向上により、ゴムボートは以前よりは真っ直ぐ進むようになっている。中央に近付いてきたあたりで米澤がボートを止めさせた。
「さて、そろそろ諸君にも、僕のアイデアについて話しておきたい」
「そういえば、何かヒャクゾウに近付く策があるんでしたね。早く実行してくださいよ」
「まあ落ち着きたまえ。いいかね、昨日我々が何故ヒャクゾウに近付けなかったのか?答えは明白、あの水の壁のせいだ。オールを入れても弾かれる堅牢さ、飛び越えることも不可能な高さ。無理やり突破しようとしても内部のヒャクゾウにすぐ気付かれてしまう。そうだね?」
「そうですよね。きっと臆病な子なんですよ」
「もっと大きなボートで行けばいいのかもしれないが、残念ながら我々にはこのボートしか移動手段はない。さて、どうしたものか」
「勿体つけずに教えてくださいよ。それとも、本当はアイデアなんて無いとかいうオチですか?それはちょっとありえないですけど」
「分かった分かった。では、ちょっと静かにしてくれたまえ。何かが聞こえてこないかね?」
一同が息を潜めると、遠くから獣の唸り声のような低音が聞こえてくる。どこかで見た流れだ。
「まさか、あれを利用するってわけじゃないですよね……?」
「そのまさかだよ。使用できる物は何でも使う。それがYRKのモットーだからね」
「……もう帰っていいですか?」
玲がうんざりした顔で呟く。だが米澤は不敵にニヤリと笑ってこう言い放った。
「残念ながら少し遅かったね。僕が何でこんな場所にボートを止めたのか、少し考えれば分かるだろう。この位置、そしてこのボートの向き。つまり__」
米澤が台詞を言い終わらないうちに、後ろから迫って来ていた強風が船尾に激突し、ボートは猛烈な勢いで加速し始めた。玲の悲鳴が湖面に響き渡る。突風の加護を受けたボートが湖面を暴走する。ジェットスキーに乗っているかのように左右の景色が高速で後ろに流れていくが、ボートに突っ伏している辰真に景色を楽しんでいる余裕はない。それは他の三人も同じだ。シートベルトもないので、ボートに掴まっていないと風圧で飛ばされるかもしれない。
「__君、森島君!」
辰真の耳に絶え間なく叩きつけられる風音に交じって、誰かの声が聞こえてくる。恐らく米澤の声だ。
「霧の方に舵を切りたまえ!このままじゃ陸地に激突するぞ!」
いくらなんでも無茶苦茶だ。だが、今やゴムボートは高速ウォータースライダーと化して湖面を滑走している。仮にこのまま陸地に突っ込めば酷い結果になるのは明らかだ。それならば、中央に向かった方がまだましかもしれない。一か八か、辰真は右側のオールを思いっきり湖中に突き差した。
ボートは衝撃で斜めになりながら湖面に大きな弧を描いてカーブし、湖の内部へと進路を変えた。そのまま勢いを崩さず、軽く水面を跳びはねながら中央へと突っ込んでいく。一瞬で虹色の霧をかき分け、透明の壁が眼前に迫る。一秒後、ゴムボートは水の壁に激突した。
「うわぁぁぁ!」
ボートが弾丸の如く壁を突き破り、水柱が再び砕け散る。衝撃が四人を襲う。その衝撃がボートの加速を相殺し、ボートは激しく揺れながら湖面に着地した。
「…………」
どうやら自分が無事であるらしいことに気付いた辰真がゆっくりと顔を上げる。他の三人も次々と顔を上げた。周囲を見回した四人の視線が湖上の一点で収束する。そこには全長30cmほどのデコボコしたツチノコのような生物が浮かんでいた。シルエットこそヒャクゾウそのものだが、辰真達が見つけようとしていたヒャクゾウは3m以上だったはずで、これは遥かに小さい。ヒャクゾウの子供だろうか?いや、その前に大きい方はどこに消えた?思考を巡らせていた辰真は、やがて一つの可能性に思い至る。この小さい生き物こそ本当のヒャクゾウで、水の壁を周囲に巡らせることで自分の影を大きく見せていたのではないか?それならばヒャクゾウの異様な用心深さも納得できる。周囲を見回すと、他の三人も同様の結論に至ったようだった。一方のヒャクゾウは、突然壁を突き破って現れたボートに驚愕したのか、こちらを向いたまま固まっていた。緊張状態が解ければ、即座にヒャクゾウは水中に逃げ込むだろう。四人もまた微動だにせずヒャクゾウと見つめ合う。
不意に、辰真の真横で何かが動いた。月美の手がゆっくりとジャケットの内側に入り、緑色の物体を取り出す。揺木梨だ。そして彼女はそれを湖面に投げ入れた。梨はヒャクゾウの手前あたりに落ち、水面にプカプカと浮く。ヒャクゾウは少しの間梨を見つめていたが、やがて齧りつきはじめた。
「いいぞ!」
月美がフラッシュの音を鳴らす中、ヒャクゾウは梨を食べ続ける。辰真と玲、そしてどこか虚ろな目をした米澤は何をするでもなくヒャクゾウの姿を眺めていた。やがてヒャクゾウは梨を完食し、もう一度四人の方をちらりと見ると、水中に飛び込んで消えた。
翌日。辰真、月美、玲、米澤の四人は調査を終え、YRKの部室でくつろいでいた。
「それにしても、ヒャクゾウちゃんにあんな秘密があったなんて大スクープですね!発表が待ちきれません!」
「俺はちょっと残念だけどな。もっとこう、怪物っぽいのを想像してた。他の連中もそういうイメージが多いんじゃないか?」
「あら、却って人気が出るんじゃない?」
「そうですよ!あんなに可愛いんですから」
既存のヒャクゾウのイメージを覆すことに不安を覚える辰真に対し、女性陣はヒャクゾウをすっかり気に入ったようだ。二人とも湖畔で買ったヒャクゾウ人形を鞄に着けている。ヒャクゾウの想像図をデフォルメしたような姿をした人形は、偶然にも本物と細部までよく似ていた。
「それで米さん、いつ外部に公表するんですか?」
米澤は部室の隅で難しい顔をして考え込んでいたが、玲の呼びかけに顔を上げた。
「諸君、率直に言って、僕はヒャクゾウの秘密を公表するのを控えたいと思っている」
「え?」
「どういうことなんです?」
「うむ。昨晩、ヒャクゾウと対面した時のことだ。僕は僅かな時間、ヒャクゾウと無言で見つめ合っていた。その時、頭の中にヒャクゾウの考えが雪崩れ込んで来たんだ。そう、言うなれば僕はあの時ヒャクゾウになっていた!」
「……はあ」
「僕は僕の考えを理解した。すなわち、自分の正体を明かされたくないということをね。そして僕、つまり米澤法二郎は考えた。この秘密を公表すればヒャクゾウは百畳湖で穏やかに過ごすことはできなくなるだろうと。僕たちの意見は真実を隠すことで一致した。手伝ってくれた諸君にも口出しする権利はある。だが、今回は僕たちの顔を立ててはくれないか?」
三人は顔を見合わせた。米澤の意見自体は至極真っ当だ。ヒャクゾウが本当は小さく臆病な生物だという話が広まれば、YRKの名声と引き換えにヒャクゾウが捕獲されてしまうかもしれない。彼らの誰もそんな事は望んでいなかった。玲が三人を代表して答える。
「いいんじゃないですか?外部には口外しないって決まりにすれば」
「ああ、ありがとう諸君。君達こそ本当のYRKメンバーだ」
「じゃあ決まりですね!ということは、森島君のレポートも書き直しになっちゃいますけど、また頑張るしかないですね」
「ちょっと待て、城崎先生には伝えてもいいだろ?期限明日までなんだぞ……」
こうして、ヒャクゾウの詳細情報はYRKの四人と城崎先生だけの秘密となった。百畳湖は先生の手引きですぐに立ち入り禁止になったが、湖畔は今日に至るまで観光客で賑わい続けている。というのも、湖中央に発生した異次元との境界面は、40年前と同様に固定されたようなのだ。今宵も百畳湖に霧が発生し、ヒャクゾウの巨大な影が浮かび上がる__




