第34話 マイクロスコーピック・ジャーニー 4/5
〜異次元寄生虫アカリソプ登場〜
そんなこんなで、2人は遂にトンネルを抜け、開けた空間へと辿り着いた。そこは円形の広場のような場所だったが、床の中央にすり鉢状の大きな穴が空いていて、彼らが立っているのは穴の周囲のドーナツのような狭い足場だった。穴の底の方は青みがかった色の液体で満たされていて、溜め池のような印象を受ける。
もう一つ、目を引く物があった。天井部分に太い鍾乳石のような柱が生えていて、大穴の底に向かって伸びている。よく見ると柱の先端には小さい孔が複数穿たれており、時おりそこから青い液体が顔を覗かせ、一滴ずつ溜め池へと落下していた。
「妙な形の物が沢山あるが、ここは一体何なんだ?」
「あの青い液体を溜めている場所のように見えますね。上の方から落ちてくるみたいですが、一体何のために?」
辰真達が話し合っていると、不意に柱の裏側で光の粒子が煌めき、見覚えのある影が飛び出してきた。見間違えるはずもない。あれは彼らをここまで案内した、「幻の蝶」ことモルフォ・オルゴノスだ。モルフォ蝶は、忙しなく羽ばたきながら徐々に高度を下げ、溜め池の底の方へと近付いていく。
「あいつ、青い液体に反応してるのか。って事は、あれの正体は」
「そうですよ、オルゴンエネルギーです!ここを作った生き物もオルゴンを主食としていて、この部屋は貯蔵庫なんですよ!」
穴の底に溜まっているオルゴンに上から近付き、クルクルと巻かれた口吻を伸ばすモルフォ蝶。そのまま吸い取ってしまうように思えたが、吻が液体に接触する寸前、突然辰真達の横から蝶に向かってキューブが飛んでくる。真上に移動して直撃を回避するオルゴノスだが、更に2発・3発と追撃が続き、蝶は天井の柱の辺りまで後退を強いられる。そして、何発目かのキューブがモルフォ蝶の紫に輝く翅に直撃。バランスを崩した蝶は柱へと吹っ飛び、その表面に空いていた丸い穴の中へと落ち込んでしまった。
「ひょっとして、あそこに獲物を入れて、オルゴンエネルギーを抽出する構造になってるのか?嫌な仕組みだな」
「……」
「稲川?」
月美の方を振り向いて、辰真はようやく事態に気付く。キューブは勝手にモルフォ蝶に向かって飛んだのではなく、当然だが投擲主がいた。それも、辰真達のすぐ真横に。蝶を排除した今、それは辰真達の方を向いていた。頭部の鋭いアゴと触覚、やや後方に張り付いた巨大な眼。それだけの要素を見ると、先ほど1/80の世界で見たアリと同じだが、似ているのはそこだけだった。その全身は濃い琥珀色で、胴体は三つの節には別れておらず、丸っこい。脚は6本ではなく計8本。そして胴体からは体毛のような物が無造作に生えている。全体的な印象からして、それはアリというより、シロアリとダニを足したような生物だった。
そして、異次元寄生虫は辰真達の方へと首を傾け、威嚇するようにアゴを大きく広げていた。その背後の壁を伝って、同族の寄生虫達が続々とこちらへやって来るのが見える。否、恐らくそちらの方角だけではない。辰真が素早く背後を確認すると、予想通り反対側からも虫の軍勢がこちらに接近してきている。一刻も早く、来た道を戻って脱出するべきだ。しかし__
振り返って月美の様子を確認する。異次元寄生虫と正面から向き合っている月美の状態は予想通りだった。顔面は蒼白で唇を引き結び、両脚は震えていてまともに動けそうにない。ああ、結局こうなってしまったか。仕方なしに辰真は、月美に駆け寄ると正面に回り込み、広場の入口の方へと軽く押す。
「!?」
正面で月美が尻餅をつくのを視認したのと同時に、辰真は右足に違和感を覚える。直後、彼の視界は反転した。
「っ!」
辰真の視界には、ダニのようなシロアリのような寄生虫の胴体が逆さに見えていた。そう、彼は右足首を寄生虫のアゴに咥えられ、そのまま空中に持ち上げられていたのである。
「も、森島くん!」
宙吊り状態から逃れるため、辰真は激しく空中でもがく。結果、寄生虫は無造作にアゴを足から離し、彼は地面へと放り出された。
「だ、大丈夫ですか?」
「平気だって、それより早く逃げるぞ。立てるか?」
「はい!」
辰真と月美は広場の入口に向かって逃避行を始める。寄生虫達は脚が多い割に動きが鈍いらしく、走り出すにつれて辰真達との差はどんどん広がっていく。とはいえ数は圧倒的にこちらが不利であり、一刻も早くコロニーから脱出すべきなのは間違いない。先ほど通ってきた広いトンネル状の道を駆け抜けていく辰真達の眼前に、やがて一つの障害が迫ってきた。そう、先ほど登ってきた壁が、今度は切り立った崖として現れたのだ。しかし、ここをゆっくりと下っている暇はない。
「滑り降りるぞ」
「了解です!」
2人は多少の危険は顧みず、キューブによる凸凹をストッパーにしつつ、ずり落ちるようにして壁を下っていく。身長の3倍の段差をスムーズに突破し、月美は見事に崖下へと着地した__直後、辰真が着地に失敗して地面へと激突し、そのまま前方へと転がっていく。
「森島くんっ!?」
「くそ……」
辰真は顔をしかめて右足首に手を伸ばそうとしている。よく見ると、2本の赤い傷跡が靴下の上からでも分かるほどはっきりと刻まれていた。
「こ、これってさっきの虫に……?」
「ああ。大したことないと思ってたが……降りてきた時の衝撃で痛みだしたっぽいな」
「そんな……た、立てますよね?」
月美が差し出した手を掴んで立ち上がろうとする辰真だが、すぐに呻き声を出して倒れ込んでしまう。足だけでなく全身にダメージがあり、どうやら1人での歩行は無理なようだ。
「そ、それならわたしが肩を貸しますから__」
「いや、そんな事してたらすぐに追いつかれる……俺はその辺に隠れるから、稲川は先に逃げるんだ」
「そんなの、できるわけないじゃないですか!森島くんが怪我したのはわたしのせいなんですよ!?」
「いや、事前にきちんと話し合わなかった俺にも責任がある。とにかく、共倒れするよりはどっちかが逃げ延びた方がマシだ。奴らはもう来るかもしれない。急ぐんだ」
辰真の言葉通り、崖の上方では、複数の追手が迫りつつあるような気配があった。しかし、だからと言って彼を見捨てて逃げるなど、出来ようはずもない。とはいえ、現実問題として辰真を連れて逃げ延びるのは困難である事も、月美は頭で理解していた。では、どうすればいいのか。どれだけ頭脳を回転させても、有効なアイデアは浮かんでこない。焦燥の中、無力感がじわじわと心を侵食していく。そもそもこんな事態になったのは、自分の不用意な言動のせいだ。未だに苦手を克服できないのに危機感を持たず、無意識のうちに彼にフォローを丸投げして__結果、この様だ。情けないにもほどがある。
無力感はやがて、自分への冷たい怒りに変わっていった。このまま森島くんが危険に晒されるようなことになったら、わたしは自分を許せない。城崎研究室のメンバーとして、この程度の危機を自力で乗り越えられないでどうするのか。
……実は一つだけ、アイデアを思いついていた。ただ、それはあまりに博打要素が強く、何より自分に実行できるか大いに疑問だったため、無意識の内に却下していたのである。だが、もはや選り好みしている場合ではない。不安要素が自分であれば、自分自身を変えるしかない。今すぐに。月美は目を瞑り、深呼吸して、考えをまとめた。




