第33話 1/80計画(アンティッシュ・プロジェクト) 4/4
「じ、地震だ」
揺れは然程強いわけではなく、立っていた先生と袋田は、姿勢が多少崩れる程度で影響は少なかった。しかし、今まさに1/80スケールに縮小している月美達にとって、それは大地震にも等しい脅威だった。なお悪いことに、彼らが立っているのは乱雑なことで悪名高い研究室テーブルの上。結果として、2人は以下のような事態に見舞われた。
まず、月美の横に置いてあったペン立てが大きく左右に揺れ、金属製のボールペンが斜めに傾き、巨大な柱が倒壊するかのような迫力で床へと倒れてくる。同時に辰真の脇のマグカップが激しく揺れ、中の黒い液体の一部が飛び出してテーブル上に着弾する。2人は急いでその場から距離を取るが、間の悪いことに、彼らの進行方向に設置されていた地球儀が大きく傾くのが見えた。
「!!」
2人の眼前で地球がテーブルに激突し、その衝撃でフレームが外れ、大きく弾みながらこちらへと転がってくる。地球から避難するため、辰真は近くにあった3段積みの洋書によじのぼり、月美を引っ張り上げる。本の横を地球が通過し、ほっとしたのも束の間、いつの間にか斜めの階段状になっていた洋書の塔の一番上の段が、辰真達を乗せた状態でテーブルから滑り落ちた。
「お、お、落ちてますっ!」
幸いにも落下先に寝袋が放置されていたことで衝撃が吸収され、床面への激突は避けられたが、2人は本から弾き飛ばされて床の上をコロコロと転がっていく。揺れが一段落し、城崎教授と袋田が落ち着きを取り戻した頃には、この一連の流れが既に起きてしまった後だったのである。
「ふぅ、大したことない揺れで良かったですね」
「……しまった!森島君と稲川君は!?」
遥か上空で巨人たちが異変に気付いた頃、2人の学生はプレハブ小屋の床を滑るように転がり続けていた。そして壁際まで達した所で、以前グラゴンの被害にあった時に生じた床と壁の間の裂け目に突っ込んでしまい、そのまま床下へと落下した。
「痛てて……」
「だ、大丈夫ですか森島くん?」
「ああ、何とかな」
2人は地面の上で姿勢を起こす。服は土まみれだが、幸いどちらも怪我は無さそうだ。周囲は薄暗く、頭上は灰色の板がびっしりと敷き詰められている。
「ここは?」
「多分、研究室の床下です。床のどこかに穴が空いてたんですよ。先生たちが気付いてくれるといいんですけど……」
月美が心配そうに上を見上げる。一方の辰真は周囲を見回していたが、やがて視界の片隅で見覚えのある光が瞬くのを見た。
「稲川、あれ」
彼が指差した先で羽ばたいていたのは、先ほど目撃したのと同じ飛行体だった。すなわち幻の蝶、またの名をモルフォ・オルゴノス。その大きさは相変わらず彼らの腰くらいなので、体長は1cm程度のようだ。
「やっぱり居ましたね。あの蝶を捕まえれば、元の大きさに戻れるかもしれませんよ!」
こちらから遠ざかるように飛んでいくモルフォ蝶を、喜び勇んで追跡する月美。少し遅れて辰真も後を追いかけ始める。だが2人の追跡は、数センチも行かない内にストップする事になった。正確に言うと、突如として彼らの眼前に、ある存在が立ちはだかったのである。
「!!!」
それを見た時2人は、一瞬呼吸をするのも忘れてしまった。それは、辰真達にとって馴染み深い存在であると同時に、初めて見たかのような衝撃を与える存在でもあった。3つの節に分かれている、3連の団子のような黒光りする体。中央の節からは左右に3本ずつ細い脚が地面に向かって伸びている。そして、先頭の節には巨大な顎と触角が生え、更に後ろに張りついた巨大な目が、虚ろにこちらを見つめていた。
そう、それは別に珍しくもない、公園や軒下でよく見かける小さな生き物。もっと簡潔に言えば、単なるアリだった。何の変哲もない一匹のアリなのに、この大きさ、この距離で見ると、モンスターと言って差し支えないほどの迫力と威圧感だ。辰真でさえそうなのだから、いわんや月美においては。
辰真はゆっくりと首を動かし、隣の様子を伺う。月美の顔面は蒼白、歯を食いしばっている様子だが、脚の震えは抑えきれていない。これは厳しいかもしれないな。
辰真はゆっくりと月美の前方に回り込み、アリの顔と正面から向き合う。改めて見ても厳つい顎だ。この状態で挟まれたら、腕くらいは簡単に千切れそうではある。今のところ襲ってくる様子はないが、どうにかして距離をとらなければ__
辰真が思考を巡らせていたその時、彼は不意に気付いた。眼前のアリの体躯が、少しずつ肥大化している事に。
……いや違う。辰真はすぐに認識を改めた。アリが巨大化しているのではなく、こちらが再度縮小を始めたのだ。どうやらオルゴンエネルギーの効果は、まだ残存していたらしい。やがて、2人の大きさはアリから見ても人間から見たアリレベルに縮小し、やがて視界から消え去った。
(次回に続く)




