第29話 深海の旋律 エピローグ
合宿最終日。波崎に平和を取り戻したYRK一行は、海水浴場近くの佐藻温泉で疲れを癒していた。1日目、2日目と騒動続きで全員疲れ果てていたので、3日目はもう、ひたすらゆっくりすることにしたのである。
「いやー、やはり波崎の天然温泉は最高だな諸君!」
貸切状態の露天風呂内に、米さんの笑い声が響き渡る。同じ泉内には辰真とマークもいた。
「米さん、クルーザーはどうしたんですか?昨日は結局港に放置して帰っちゃいましたけど」
「ああ、今朝のうちに館長に返してきたよ。今回の戦利品である例の楽器も一緒に渡してきた。あれの入手と引き換えという条件でクルーザーを借りたからね。これで「波崎怪奇博物館」にも新たなる目玉ができたというわけさ!」
「マジですか……」
相変わらずの綱渡りっぷりに言葉を失う辰真。その隣でマークは、何やらブツブツ呟いていた。
「結局なかった……海水浴イベント……」
「しょうがないだろ色々あったんだから。それに温泉は入れたから良かったじゃないか」
「タツ、お前は分かってない、ロマンってものを!温泉イベントってのはこういうんじゃないんだよぉっ!」
「はあ」
一方、壁を挟んだ反対側では。
「あーー、効くわぁ……」
おじさんみたいな声を上げながら、玲が湯船に浸かっていた。
「……ふう、疲れた。せっかく久しぶりに波崎に来たのに、3回は死にそうになったわよ。まったく誰のせいだか」
「まあまあ、貴重な体験もたくさんできたじゃないですか。ナムノスとか、標島とか」
「そうね、今後の研究課題になりそうな事例は色々と見つかったわ。帰ったら資料を整理しなくちゃ。文化祭までに間に合うといいんだけど」
そんな会話をする玲と月美の隣では、湯船の中に潜水していたメリアが浮上してくる所だった。
「ンー!日本のオンセン、ワンダフルです!ハワイにもこういう広さのスパが欲しいですネ」
「メリア、温泉では潜ったり泳いじゃだめなんですよ」
「ソーリー。でも、スイムもしたかったですヨ。また今度、プールとか行きましょう!」
「そうですね!」
珍しいことに、この日に限っては特に異変も起こらず、のんびりと波崎の町を見物することができた。
やがて陽は傾き、揺木に帰る時間が刻一刻と近付いてくる。鈴虫やコオロギの鳴き声が鳴り響く坂道を、辰真はゆっくりと上っていた。出発時間も近いのに、月美の姿が見えないため探しに来たのだ。ここは波崎に来た時最初に訪れ、町を見下ろした場所。彼の直感は正しかった。坂道を上りきった瞬間、茜色に染まった町を、そして海を見下ろす月美の後ろ姿が目に飛び込んできた。
「稲川」
「あ、森島くん」
月美が笑顔でこちらを振り返った。その表情を見ていると、不思議と安堵感に包まれる。
「合宿の幹事、お疲れさまでした!」
「ああ。稲川は、その……楽しかったか?今回の合宿」
「はい!波崎でも色んな子たちに出会えて、すっごくワクワクしました。これだけアベラント事件に逢えるなんて、わたしたちの日頃の行いのお陰ですよね。……それに」
「それに?」
「ありがとうございます。嬉しかったですよ、森島くんがずっと心配しててくれたの。お陰でもう、すっかり元気になりました!」
やや上目遣いで話す月美の顔が赤く染まっているように見えるのは、多分夕陽のせいだろう。辰真は彼女の顔から目を逸らしながら言った。
「そ、それは気のせいだろ。でもまあ、元気になって良かった」
「ふふ、そういうことにしときますね。これからもよろしくお願いします!」
「探したぞ君達、そこにいたのか」
「そろそろ出発よ!」
2人を見つけた米さん達が、坂を上って近付いてくる。月美は笑顔でそちらに手を振ると、その手を辰真へと伸ばした。
「さあ、揺木へ帰りましょう」
こうして、2泊3日の波崎合宿、そして辰真達の長い夏休みは終わりを告げた。だが、休みの間に経験した波瀾万丈な出来事の数々さえも、新学期に待ち受ける事件の序章に過ぎなかったことを、彼らは間もなく知ることになる__




