第29話 深海の旋律 2/4
「皆さん、見えてきましたヨ」
そうこうしている内に、クルーザーは標島へかなり接近していた。米さんが船の速度を上げる。やがて彼らの眼前に、半世紀以上前からタイムスリップしてきたような古ぼけた漁港が姿を現す。道路も建物も朽ちている上に風雨に曝されて白っぽく退色し、モノクロ映画の撮影セットに迷い込んだかのようだ。古びた埠頭にクルーザーを停泊させ、一行は標島へと上陸した。
かつては倉庫や市場として使われていたと思しき廃墟の間を抜け、辰真達は内陸部に進む。玲は廃墟が気になってしょうがない様子だが、残念ながら今は足を止めている暇はない。
「あっちだ」
米さんが指差した先、島の中央にあたる方角には小高い丘があり、その上には小さい塔のような建物が建っている。おそらくあれが展望台だろう。
雑草が生い茂ったアスファルトの道を超え、崩れかけの階段を何段も上って丘に近付くと、ようやく展望台の細部がはっきり見えてきた。木製の灯台のような外観で、螺旋階段を登った先に360度を見渡すことができるという円形の広場が設置されている。
「よし、一旦上に行くぞ諸君」
「ここ、本当に登って大丈夫なんですか?」
「これくらいの人数なら平気だろう。とにかく急げ、我々には時間がないのだ」
力強く言い切る米さんに押し切られ、老朽化した木製の階段を上がる一行。一歩ごとに軋り音を発する足場には不安しかなかったが、6人全員が屋上に到達しても、展望台に異常は起きなかった。
聞いていた通り、展望台からは古びた港と、そこを中心に広がる小さな漁村を一望することができた。沖合に目を転じると、クルーザーが辿って来た進路の方角、つまり南西側で大きな波飛沫が立っているのが見えた。ここからは遠すぎて詳細は見えないが、おそらく女王蜂ザメとナムノス達の激闘が未だ続いているのだろう。
辰真達5人が海を眺めている一方で、米さんは港とは反対側の森が広がっている景色を眺めながら地図を広げていた。
「米さん、その地図は?」
「怪奇博物館秘蔵の標島マップだ。半魚人の洞窟の場所についてのヒントが記されているらしい。今回の遠征にあたり、館長に特別に貸してもらったのさ」
「オー、館長サンは何でも持ってるですネ、アメイジングです!」
「むしろ、そこまで館長の信頼を得てる米さんも一周まわって凄いな……」
辰真達が呑気に感想を言い合う間にも、米さんは迅速に地図と景色を見比べ、怪しい所に目星を付けながらスマホで景色を撮影していく。
「怪しい場所はだいたい分かった。早速出発したい所だが、誰か1人見張り役が必要だな。……白麦君、頼めるかね?好きなだけ建物を観察していいから、海に異変があればすぐに連絡してくれ」
「分かりました」
「よし、他の諸君は早速出発だ!」
玲を見張り台に残し、米さん率いる5人は再び地上に下りて洞窟の捜索を開始した。
ちょうど島の中央に存在する展望台を挟んで港の反対側、つまり島の東側へと一行は足を踏み入れる。港を中心とした漁村が存在し、かつての賑わいが見て取れた西側とは対照的に、こちら側ではいくら歩いても視界に入ってくるのは木々と崩れた岩肌くらいで、文明の痕跡は見られなかった。しかし足元をよく見ると、人為的に地面に刻まれた轍を思わせる窪みの跡が薄っすらと残り、木々の間を抜けて奥地へと伸びている。彼らが辿っていたのはその窪みだった。
「米さん、この先に一体何があるんですか?」
先頭に立って進む米さんに、辰真が問いかける。
「この地図と、僕の記憶が正しければ、この先にある建物は一つしかない。漁師達の信仰を集めていたとされる、島で唯一の神社こと「深海堂」さ」
「漁師達の信仰?それって__」
「ピンと来たようだね稲川君。深海堂には漁業の神が祀られていた、と一般には言われている。だが、半魚人伝説を知っている者ならそんな嘘には騙されない。実際に彼らに漁業を授けたのは神様ではなく、半魚人種族ソノンゴなのだから。つまり?」
「深海堂周辺には、ソノンゴについての手掛かりが残されている可能性が高い、って事ですか?」
「その通りっ!地図や写真の情報を総合して考えると、深海堂が鍵になっているに違いない。さあ行くぞ諸君!」
「タツ、本当にあんなノリで大丈夫なのか……?」
先頭の盛り上がりを一歩下がった位置で見ながら、マークが引き気味に辰真に問いかける。
「……やっぱり白麦を残してきたのは失敗だったかもな。俺たちだけじゃ、あの2人を止められない」
早くも不安を感じ始めた辰真達。その横で、もう1人のメンバーであるメリアは先ほどから無言を貫いていた。いや、よく見ると彼女はずっと瞳を閉じながら歩いている。
「メリア、どうした?」
「モリの声を、聞いてるですヨ」
「森の声?」
「アエ。どんな生き物にも、マナは宿ってます。もちろんラーアウ(樹木)にも。だから、ここでも色んな声が聞こえるですネ。カイワはできないですけど」
「そうなのか。何か気になることは?」
「ひとつだけ、声が聞こえてこないサイレントな所がありました。あっちです」
メリアが指差したのは、ちょうど彼らの進む先、深海堂があると思われる方向だった。やはりこの先に何かがあるのは間違いなさそうだ。
「メリア、ちょっと頼みがあるんだが__」
数分後。森の中を進む彼らの視界に、突然見慣れぬ物が飛び込んできた。小高い丘の斜面に石で階段が作られ、丘の頂上には木製の小さい祠が鎮座している。これが彼らの探していた「深海堂」に違いない。
「ようやく見つけたぞ」
米さんはそう呟くと、一息に階段を駆け上る。後に続く辰真達も石段を登り、社殿へと接近した。神社とは言っても小さい祠が一つ残っているだけで、加えて何十年も放置されているため老朽化も激しく、崩壊寸前といった趣である。正直言って、有効な手掛かりが残されているようには思えない。
「うーん、ソノンゴの情報は無さそうですね」
「ふむ……」
米さんは祠と地図、スマホの写真を見比べながらしばらく考え込んでいたが、突然祠の斜め後方あたりを指差して叫んだ。
「そうか、こっちだ!」
「え?」
「地図に記された場所と実際の神社の場所が微妙にズレているのが気になっていたのだが、今確信した。この祠は文字通り一般向けのフェイク。真実はこの奥に隠されている、ということさ!」




