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第三話 街角の迷宮 前編

 第三話 「街角の迷宮」 ~迷宮怪獣ラビュラ登場~ 前編


 昼過ぎ、揺木市内の住宅街。ユカリは道に迷っていた。任務は簡単なはずだった。一人で近所のスーパーに行き、ボックスティッシュと石鹸を購入する。実際、スーパーを出るまでは極めて順調だった。当然だ、彼女はもう小学生なのだから。だがその帰り道、公園に寄り道したあたりから何かがおかしくなった。気付いた時には、本部(つまり自宅)へのルートが分からなくなってしまったのである。この辺りは学校への往復で毎日通っているはずなのに、路地の左右の家はどれも見覚えがない。よく見ようとすると再び視界がぼやけ始めるため区別もつかない。十字路の角を曲がっても同じ光景が広がっていた。無表情に立ち並ぶ家々。白い石壁と灰色のアスファルト。走り抜け、再び角を曲がる。やはり同じ光景。隅の方には白いもや。何度か角を曲がるうち、ユカリは自分がどの方面から来たのかも分からなくなってしまった。足が痛み、石壁にもたれるように道路に座り込む。これでは任務を完了できない。いや、それどころか、二度と家に辿り着けない可能性もあるのではないか。ユカリは急に、心に黒い穴が開いたような不安感に襲われた。

「お母さん……」

 ユカリの呟きに反応するかのように、近くで何か大きな音が鳴った。動物の声だろうか。今まで聞いたことのない、透明でどこか悲しげな声だ。声は次の角を曲がった先から聞こえてくる。反射的に立ち上がったユカリは、足を震わせながら、声が聞こえてくるのとは反対方向に歩き始めた。最初はゆっくり、すぐに駆け足で。このまま声からできるだけ遠ざかろう。後ろを確かめながら角を曲がる。だがその直後、ユカリは何か柔らかい壁に激突した。跳ね飛ばされて尻餅をついた彼女の目に飛び込んできたのは、白い地に黒い線で迷路のような模様が書かれている壁だった。いや、よく見ると、それは道全体を塞いでいる巨大な動物の背中だった__


 揺木大学の敷地の北の端。キャンパス中央部の喧騒から遠く離れたこの地帯にはかつて多くの校舎が建てられていたが、現在は多くが廃墟となり、解体も受けずに放置されている。この校舎遺跡の片隅に、真新しいプレハブ小屋がぽつんと建っていた。小屋の中に二人の学生が大量の書物を運び込んでいる。

「ふう、これで全部ですよね」

 書物を積んだ台車を押し、女生徒が室内に入ってくる。彼女の名前は稲川月美、揺木大学社会学部専攻の三年生だ。

「ああ。それにしても……」

 後ろから続いて入って来た男生徒、森島辰真も抱えていた書物を床に置き、小屋の中を見渡した。部屋の中央、約四分の一を大きめのテーブルが占領。その上には写真やら地図やら地球儀やらが散乱している。残りのスペースの半分にはテレビやソファが置かれ、残りの区画には彼らが運び込んだ資料が山と積まれている。

「……やっぱり狭いな」

「いいじゃないですか、前の部屋に比べれば数倍マシです」

 ここは、彼らが所属する城崎研究室の臨時建屋である。本来城崎研究室が使っていた旧社会学研究室棟がゾグラスに破壊されて以降、彼らは狭苦しい図書館自習室の一つに閉じこめられていたが、つい最近ようやく独立した研究室に移ることができた。ちなみに工事を請け負ったのは、電波塔建設の仕事が中止となり手が空いていた中村建設である。この小屋も一室しかなく、内部は相変わらず資料に圧迫され気味ではあったが、三人がくつろげる分の余裕は充分にあった。現在城崎先生は、資料室を併設してもらうべく更に交渉を重ねている。

「この資料、図書館に預けっぱなしじゃ駄目だったのか?」

「それは良くないですね。いつの間にか図書館の所有物になってしまいますよ。それが彼らの常套手段だって先生が言ってました」

「そういえば先生は何処に行ったんだ?」

「あ、ここに書き置きがありますよ。えーと、アベラント事件絡みで警察の人に呼び出されてるみたいですね。行方不明事件が発生してるそうです」

「行方不明事件?」


 二人は揺木大学前の交番に向かった。揺木警察署には市内各所から毎日事件情報が集まるが、当然怪奇事件(城崎研究室風に言えばアベラント事件)の疑いがある情報も多く寄せられる。その中で信憑性が高く、かつ犯罪性が薄いと判断された情報は研究室に流れてくる仕組みになっていた。地域の各所にパイプを持つ城崎先生の手腕は見事と言えたが、実質的に行政から仕事を押し付けられているのではないか?と辰真は常々思っていた。

「なんだ、お前たちまだ先生のアシスタントやってるのか?学生は大人しく校舎で勉強してろよな」

 などと言いながら入り口で二人を出迎えてくれたのは、揺木警察署地域課の味原警部補である。40代に差し掛かったベテラン警察官で、揺木署と研究室のパイプ的役割を受け持ってもらっている。

「まあ、本当は俺も部屋に籠もってたいんですけどね、残念ながら調査しないと単位が貰えないんで」

「何を言ってるんです。社会学の基本は現地調査!情報を貰い次第すぐに現地に向かいますよ!」

「相変わらず元気のいい嬢ちゃんだな。先生なら中にいるぜ」

 城崎先生は交番奥の小会議室で待っていた。

「やっと来たね。早速だが、これを見てほしい」

 城崎がテーブルに広げられた揺木市東部地域の地図を指さす。よく見ると地図のあちこちに×印が書き込まれている。

「先生、これは……?」

「行方不明事件の通報場所だ。短時間のうちにこれだけの情報が集まるというのは珍しい。味原警部補、すみませんがもう一度説明をお願いします」

「はい。今日の午前中くらいから通報が寄せられてるんですが、内容はどれも似たり寄ったりでした。いずれも行方不明者本人からの情報で、町内を歩いていたら急に方向感覚が無くなって、何度も同じ所をぐるぐる回るようになった、携帯電話も通じなくなった、でもしばらくしたら元に戻り、目的地に着くことができた。何とも曖昧な話ですから警察としても対処が難しく、先生に連絡させていただいたわけです」

「ずいぶん小規模な行方不明事件ですね……通報してる時には事件終わってるし」

「でも、事件中に電話が通じなくなったっていうのは重要ですよ。ほぼアベラント事件で間違いないんじゃないですか?」

 月美の言う通り、通信機器が使用不可能になるのはアベラント事件に特有の性質である。その性質が災いし、情報の拡散が妨げられたために存在が明らかにならなかった事件も昔から数多くあったとされている。そういう意味では、110番通報で情報が寄せられた今回のようなケースは珍しいと言えた。

「ああ、確かにアベラント事件の可能性は高い。同じような事件は過去にも何度か報告されている。だが少し引っかかるな。森島が言うように、事件が妙に小規模だ」

「どういうことですか?」

「人々を道に迷わせる能力を持つ怪獣で最もポピュラーなのはラビュラだ。全長10mくらいの生物で、体表に複雑な縞模様が描かれている。ラビュラの周囲では空間がねじ曲がり、方向感覚も失われるため延々と付近を彷徨うことになる。だがラビュラは警戒心が強く、本体はあまり動かないんだ。お陰で過去の事件では数日間彷徨い続け、本当に行方不明になりかけた人もいたらしい。しかし今回は、行方不明になるのが最大でも数時間だ。となると小刻みに移動している可能性が高い。報告のあった場所自体は集中しているから、大きく移動しているわけではないようだが、ラビュラにしては行動に違和感がある」

「つまり、ラビュラじゃない別の生物の仕業かもしれないわけですか」

「確かに、通報でもそんな巨大な怪物を見たなんて話は聞きませんでしたね」

「勿論ラビュラである可能性もある。現段階では断言できないが、放置するわけにはいかない。私はラビュラや類似能力を持つ生物の情報を集めるために一旦研究室に戻る。君たちは先に警部補と一緒に現場に行ってくれ」

「味原さんも捜査に参加されるんですか?」

「ああ、さっき同じ地域で、小学生の女の子が帰ってこないと母親から連絡があってな。誘拐事件の可能性もあるからそっちの捜査に行く。怪奇事件の方はお前たちに任せた」

「でも、全員揃って迷ったらどうするんです?エリア外にいる先生に連絡が取れなかったら、何人で行っても意味が無いと思いますが」

「対策として幾つか道具を用意したから、困った時には使うといい。では、早速調査に向かってくれ」

「了解!大丈夫ですよ、初めて調査するわけじゃないんですから、そう簡単に迷ったりしませんって」


 十数分後、辰真と月美は住宅街の外れに立っていた。揺木市東部に広がる住宅地エリアは近年再開発が進み、大型スーパーや高層マンションの建造も各所で始まっている。だがこの一帯は開発の波も届かず、数十年前から変わらぬ佇まいを見せていた。味原警部補は行方不明の少女の家に向うとのことで、少し前に二人と別れている。

「さて、そろそろですね」

 月美が地図を広げる。会議室のものをコピーしてきた地図には、通報場所の×印の他に半径1kmほどの大きさの円が書き込まれている。×印は大体その円の中に収まっており、今二人がいるのはその円周ぎりぎりの所である。

「森島くんどうですか?道に迷ったような感覚あります?」

「どんな感覚だよそれ」

 辰真が携帯電話を確認する。正常に通信が可能だ。空も晴れ渡っており、霧が発生している様子はない。

「今のところは大丈夫だな」

「それなら進みましょう。目的地はここです」

 月美が指さしたのは円の内部にある小さな公園だった。

「確かに円の中心に近い場所だが、何で公園なんだ?」

「前に先生が言ってたんですけど、異次元の生物がこっちの世界に紛れ込む時には、向こうでの生活環境に近い場所に現れるという説が有力らしいんです。だから怪獣も市街地に直接出現することはあまりなくて、まずは自然が豊富な場所に出現することが多いんだそうですよ」

「なるほど、この辺で自然が残ってるのはその公園だけ、という訳か」

「そうです。……この話、森島くんも一緒に聞いてませんでしたっけ?」

「どうだったかな……それよりもう出発するのか?もう少し周囲を調べてからの方が安全じゃないか」

「いえ、そんな回りくどいことをするより、直接乗り込んだ方が早いですよ!ゾグラスの時と違ってそれほど危険なわけでもないですし」


 二人は公園を目指し、住宅街の中を歩いていく。視界の隅にはありふれた景色が広がる。綺麗に手入れされた庭を持つ一軒家。古びたアパート。路上に停められた赤い自転車。一つ一つに注目すると個性的でも、俯瞰して見ると全体が影絵に変わったかのようにぼやけ、見分けがつかなくなる。

「なあ」

「どうしました?」

「今回の騒ぎの正体は何だと思う?やっぱりラビュラとかいう奴か?」

「そうですねー。私はラビュラじゃない方に期待してるんですが」

「先生はラビュラの可能性が高いって言ってるのにか?」

「先生が言ってるのは、今まで起きた同様のケースの中ではラビュラの確率が高かったって事ですよ。あ、そこを右です」

 角を曲がっても見えてくるのは似たような光景だ。綺麗に手入れされた庭を持つ一軒家。古びたアパート。近所に住んでいない人間ならば、怪獣の手を借りるまでもなく迷ってしまうのではないか、と辰真は思った。

「確かに経験則から言えばラビュラの可能性は高いかもしれません。でも、そもそも人を迷わせる生き物の記録自体が少ないですし、記録も正確とは限らないんですから、別にラビュラじゃなくたって何の不思議もないわけです」

「つまり、過去の記録を信用してない、と」

「うーん、そういうわけでもないんですけどね。言うなれば、過去に人類が出会ったことのない生き物に会ってみたい!そんな感じですよ」

「なるほど、それは分かるかもしれない」

「ですよね!未知の生き物と触れ合えるなんてワクワクしますよね?」

「ま、ラビュラも充分すぎるくらい未知の生き物だけどな」

「それもそうですね。もしラビュラでも、何か新しい情報を持って帰りたいな……あ、そこ左です。そろそろ公園が見えてくる筈ですよ」

 新たな路地の左右に、またしても既視感を覚える景色が立ち並ぶ。この一帯は区画だけでなく建物の種類まで一律に定められているのだろうか。綺麗に手入れされた庭を持つ一軒家。古びたアパート。路上に停められた……

「ってちょっと待った!」

「え?どうしたんですか?」

「あそこの赤い自転車、前の通りでも見なかったか?その前の通りでも」

「……うむむ、あまり気に留めてませんでしたが、確かにあんな色を見た覚えもあるような」

「稲川、ちょっと地図で今の居場所を確認してくれないか」

「いいですよ。まずここをこう曲がって……次にここで、だから現在位置は……あれ?」

 月美は地図の向きを何度も変えながら思案していたが、やがて首をかしげると言った。

「……ここ、最初の路地みたいですね」


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