過去のトラウマ
「ロビン、もうすぐ夕方になるわよ。そろそろ家に帰った方がいいんじゃない?」
「まだ平気だもん。それよりお姉ちゃん。まだ何か手伝う事はない?」
バタバタしたお昼の食事も終わり、皆思い思いに庭で遊んでいたが、夕方が近づくにつれ、一人また一人と家に帰って行った。
今マリアの家にいるのは保存食づくりを手伝ってくれていたロビンだけだ。妹のヒルダは先に家に帰っている。
ロビンはこう言っているが、これ以上遅くなると親御さんが心配をする。マリアはもう大丈夫だよ。と伝えようとした時、馬車が止まる音がした。
「あ、お客さんかな! 俺出てくる!」
マリアが引き止める間もなく、ロビンは玄関の方へ駆け出して行った。
マリアは苦笑しながら、遅れて玄関の方へと歩き出す。その時、ロビンの怒鳴り声が聞こえた。
「――――っ! どうしたのロビン!?っひ……!」
マリアが慌てて玄関に向かうと、そこには肩までかかる金髪を1つにまとめ、切れ長のアイスブルーの瞳が特徴的な、美しい青年将校が立っていた。
年頃の女性が見たら、皆彼の妻になりたいと願うだろう。しかし、マリアにとっては恐怖の対象でしかなかった。彼こそが、マリアが男性と結婚をためらう理由そのものだったからだ。
「り、領主様の息子であるあなたが、こんな所にな、何のご用でしょうか……?」
震える歯の音を必死に抑え込み、何とかそれだけ告げると、青年将校は艶やかな微笑みを見せた。
「どうぞ、エドワードと呼んでください。マリア、家がどうあれ、私は一介の軍人にすぎません。……そう緊張なさらずとも良いのです」
エドワードはそう言って、手の甲にキスをするために、マリアの手を取ろうとする。
しかしマリアは無礼に当たると知りながらも、エドワードに手を取らせなかった。
彼の冷ややかな目線が伝わってくる。けれど絶対に、彼にキスをして欲しくなかった。
昔、マリアがまだ10歳だったころ、父のおつかいの帰りに、人通りの少ない小道を歩いていた。
すると、いきなり後ろから口を塞がれ、林の中に引きずりこまれた。
草むらに押し倒され、布で目隠しをされ、混乱し恐怖で固まる身体に、明確な意思を持った手が、這いずりまわる。
「ひぅうっ……! あぅ!」
気持ちの悪い感触に、布越しからでも涙があふれた。叫び、助けを呼びたいが、恐怖で口からは吐息しか出せない。しかし一瞬マリアの両腕の拘束を解かれた。
その隙にマリアは自分にされていた目隠しをはぎ取る。目の前にいたのは18歳になる領主の息子のエドワードだった。
顔を見られたエドワードが怯んだすきに、マリアはエドワードの下から這いずり出し、そのまま林を駆け抜けた。後ろからエドワードが追いかけてくる気配がする。恐怖で足がもつれそうだったが、ここで捕まったら更にひどい事が待っているだろう。
無我夢中で走っていると、マリアより年下の子供たちが遊んでいる場面に出くわした。優しく人気者だったマリアは子供たちから一緒に遊ぼうと誘われた。マリアはすぐに頷き、子供たちの輪に入る。
ふと、遠くを見ると、悔しそうな表情をしたエドワードがマリアを睨んでいた……。
マリアはこの事を誰にも言えなかった。エドワードにされた事が普通じゃない事を、子供ながらに薄々と知っていたからだ。
しばらくマリアは一歩も家から出歩けなかったが、エドワードが軍学校の寮に入り、この村から出て行った。
それからやっと、マリアは外に出ることができたのだ。