七十一話:殿下の用事
カラカラカラ、カツカツカツと。ある程度は整備された、けれど路面の悪さがまだ残っている街道を、一台の馬車と一頭の騎馬が駆ける。
なるべく快適な旅に出来るよう工夫を凝らされた馬車だけど、技術的な至らなさ、そして限界までスピードを出している事もあって、乗り心地はあまり良くない。時折大きく揺れ、吸収しきれなかった衝撃が座席を通してお尻を襲う。
とはいえ乗り心地に文句は言えない。襲撃が起こり、その犯人を逃がしてしまった現状、速度を緩める訳にはいかないのだ。
とりあえず、今は速く安全に帰れるよう各自が出来る事をしているのだけど。俺と殿下は、二人きりで馬車の中に座っているだけだった。
……何か手伝いたいのだけど、俺に出来る事が何もないのだ。
御者さんは全力で馬車を操り、エイミィは護衛さんと一緒の馬に乗って周囲を警戒している。そんな中、何もせずただ待機しているというのは、なんかこう罪悪感が凄い。
けど、俺がしゃしゃり出ても足を引っ張るだけだ。余計な事はしちゃダメ。
一応索敵魔法を使おうと思ったんだけど、使い慣れてないせいでエイミィの鼻と耳の方が範囲が広いし精度がいい。正確には違うけど、あれはいわゆる超音波の反射によるソナーみたいな物だから、俺が処理出来る限界があるのだ。
それなら馬車を引く馬を強化しようかとも思ったけど、そうすると速くなりすぎて事故を起こしかねない。
……うう、俺は無力だ。役立たずだ。
「……ねぇ、ルーシー」
「あ、はい。なんでしょうか」
自分の不甲斐なさにしょんぼりと肩を落としていると、隣の殿下に声をかけられた。
殿下は揺れる座席に少し顔をしかめながら、それでも笑顔で俺を見つめている。ただ、目が笑っていない。
「君、何か襲われるような事に心当たりある?」
「……はい」
責めるような物ではない、けれど嘘は許さないという視線。
それに俺はあっさりと白旗を上げた。本来ならもっと早く伝えておくべき事だったのだし。
脅迫状の事を白状すると、殿下は眉をひそめて顎に手を当てる。
そんな彼に俺は頭を下げた。
「殿下、申し訳ありません。私のせいで殿下を危険な目にあわせてしまいました」
「うん、その謝罪を受け入れよう、顔を上げて。まあ、悪いのは君じゃないけどね。それにしても、『心優しい聖女様が悲しむような事が起こるだろう』か……」
言われた通り顔を上げて、驚きに目を見開く。殿下の表情は、始めてみる怒りのそれ。
いつもニコニコ笑っている太陽のようなその相貌を、不愉快そうに、目を細めて口元を歪めていた。
「あの、殿下。本当に申し訳ありませんでした」
「いや、君は気にしなくて良い。むしろそんな大変な時に連絡もなしにのこのことやって来た僕の方こそ責められるべきだ」
「そんな、私は殿下に助けられたのです。感謝こそすれ、責める事などありません。殿下がいらっしゃらなければ、私はあの矢に射られてました。……ありがとうございました」
そっと笑う。人を助けた時、ひたすら謝られるよりも一言ありがとうと感謝される方が嬉しいだろうから。それにいつまでも辛気くさい顔をしていても仕方ないしね。
俺が笑うのを見て、殿下も少し頬を緩めた。そしてほっと嘆息する。
「そう言ってくれると助かるよ。……それにしても、本当に君が無事で良かった」
あの矢が当たって君が傷つけられていたのなら、僕は犯人への怒りを押さえられなかったかもしれない、と殿下は嘯く。軽い冗談だろうけど、そう言われて悪い気はしない。
ただ、彼は近い将来一国の主となる人間だ。そんな人が、他意はないだろうけどそんな事を言って良いのかな。相手によっては口説いていると取られかねないと思うんだけど。
まぁ、二人きりの場での軽口だし、特に意識していなかったんだろう。とんだプレイボーイだね。
「まぁ、それは置いておこう。ところで、もう一つ質問なんだけど」
「はい、なんでしょう?」
「さっき君がくれたこれ。いったい何なのか教えてくれないかな?」
そう前置きして、殿下は黒く滲んだ線で魔法陣が描かれている一枚の紙をひらひらと振る。転移魔法のマジックスクロールだったものだ。
……ああ、やっぱり。魔力が消え去ってる。俺を助ける時に使ったんだね。
御者さんより離れた位置、遅れたスタートだったのに、御者さんより先に俺の元にたどり着いたのは、転移魔法のお陰だったのだろう。
なぜ勝手に使ったのか、なんて文句を言うつもりはない。ただ、問題はもう余りがないという事だ。これではいざという時に殿下を逃がす保険がない。
……助けられた分、全力で守らないと。
「それは転移魔法のマジックスクロールです」
そう意気込みつつ、殿下の質問に答える。
その答えに、殿下は興味深そうに目を輝かせた。
……これは、もしかして。
「あの、殿下。もしや、それは珍しいものなのですか?」
「珍しい、なんてものじゃないね。初めて見たよ。魔法を発動させる際の補助器具として魔法陣を扱う事があるとは聞いた事があるけど、他人が込めた魔法を使えるなんて……。これは、君が作ったのかい?」
「いえ、違います。貰い物です」
「誰から貰ったんだい? 作った人は知ってる?」
矢継ぎ早に尋ねられる質問に答えた後、内心でウェルディに謝る。どうやらマジックスクロールは、ザッカニアにも教えていなかったノーベラル独自の技術だったらしい。「ふむ、ノーベラルがこんな物を隠し持っていたなんて」と殿下がちょっと悪どそうに笑っていたし、ノーベラルは今後色々と追及されるに違いない。
どうしよう……ま、まぁウェルディにはかなり煮え湯を飲まされたし、これはその仕返しみたいなものだよね、うん。だから俺は悪くないっ!
◇
結局その後は襲撃もなく、無事に屋敷に帰ってくる事が出来た。
これでようやくゆっくり出来ると、そう思ったのだけれど。
「……で、どういう事か説明してもらおうか?」
エイミィと御者さん、俺と殿下に雷が落ちた。
より詳しく言えば、エイミィと御者さんは、俺と殿下という護衛対象を危険に晒したとしてお父様に。殿下は危険な事をし過ぎだと、護衛さんに叱られている。
お父様に「これは、もっとしごく必要があるな?」と告げられ震える二人。護衛さんにクドクド叱られながら、時折頭をチョップされる殿下。
「……目を反らすんじゃない。こっちを向け」
そして俺の目の前には、バドラーが仁王立ちしていた。
横を向いていた頭を掴まれ、無理やり前を向かされる。食い込んだ指がちょっと痛い。
「ど、どういう事と言われても、さっき護衛さんが伝えた通りだよ?」
「そういう事を言っているんじゃない。俺が聞きたい事を分かっているクセに、誤魔化そうとするな」
空いている手で眉間を抑えながら、バドラーは声を振り絞る。その声は震えていて、でもそれは恐怖などに由来するものじゃなく、怒りを爆発させないようにこらえているもの。
……これは、本気で怒っているっぽい。
「……なら、率直に聞こうか。なぜ、俺を呼ばなかった?」
じっと俺の目を見つめ、彼は問う。そのための使い魔ではなかったのかと。
口をつぐむ俺に対し、一度溜息をついてから、更に続ける。
「そしてもう一つ。百歩譲ってお前が戦闘に参加した事はよしとしよう。緊急事態だったんだからな。ただ、問題は使った魔法だ。どんなものをを使ったのか聞いてみれば、弾丸の雨だと? お前ならあんなものではなく、もっと広範囲を一掃できる魔法を使えるだろう。それなら、みすみす罠に引っかかる事などなかったハズだ。殿下を危険な目に合わせる事もなかったハズだ。なぜ、範囲魔法を使わなかった?」
誤魔化しは許さないぞと、その強い視線に込めて。彼は憤りを隠す事なく、疑問をぶつけてくる。
それでもなお黙っていると、だんだん頭を握る手の力が強くなってきた。孫悟空の頭を縛る緊箍児のように。
……ちょ、痛いって!
「わ、分かったよ! 話すから、手を緩めてぇ!」
バドラーも鬼じゃない。それどころか、とても優しくて気のいい奴だ。そう叫べば、訴えに応じて手を放してくれる。
とはいえ、凄く痛かったのも事実。頭を抱え、涙目で睨む。素知らぬ顔で睨み返される。
……ここで無言を貫けば、より酷いお仕置きがくるのは目に見えてる。観念して口を開いた。
「バドラーに来て欲しくなかったから」
「……はぁ?」
「だから、範囲魔法みたいな規模の大きい魔法は目立っちゃって、そうなるとバドラーが来ちゃうかもでしょ? それを避けるた、め、に……」
説明している途中で、彼の怒気が膨れ上がる。だから言いたくなかったのにぃ!
それでもバトラーは怒鳴る事なく、気を静める為か深呼吸を一拍挟んで、更なる説明を求めてきた。とんとんと右足で床を、胸の前で組んだ右手の人差し指で左腕の二の腕を叩きながら。
彼が納得出来る答えを言えなかったら、いったいどうなるか。震えながら続ける。
「だって、敵がモンスターテイマーっぽかったから……」
そう、それが俺がバドラーが救援に来て欲しくなかった理由。
襲撃者はあらゆる獣を操り、けしかけてきた。もし、俺達を襲ってきたのが操れる全てでなかったのなら。
……残った獣達で、人々が暮らす村や町を攻撃してくるかもしれない。そうなった時、バドラーまでもが俺達の下に駆けつけていて、助けに行けないなんて事があってはならないでしょう。
彼は非常に優秀な治癒魔法の使い手だ。そしてとても強い戦士だ。
そんな貴重な戦力を、無駄遣いする訳にはいかなかった。高台から移動してしまえば異変に気付けないし、なにより彼に渡した転移魔法のマジックスクロールは、たった一枚だけなのだから。
そう一息に説明して、うつむきながらはぁ、と息を吐く。そして恐る恐る彼を見上げてみれば、呆れ返るような渋面。
「……お前の考えは分かった。この、大馬鹿野郎が」
「……ごめんなさい」
大馬鹿野郎と言われても仕方ない。なにせ、俺の判断ミスで殿下を危険に晒してしまったのだから。あそこで殿下に判断を委ねるのではなく、俺が転移魔法で彼を逃がしていれば良かったのに。大失敗だ。
「……おい、ルーシー。お前、なんで俺が大馬鹿野郎って言ったか、その理由を本当に分かっているか?」
「え、それはもちろん殿下を危険な目にあわせたから──」
「やっぱり分かってなかったな!?」
今日一番の声量で、バドラーは声を荒げた。びっくりして思わず肩がビクッと跳ねたし、皆の視線がこちらに集まっているのが分かる。
「お前の言った事はつまり、〝見知らぬ他人の安全の為に、自分の安全性を下げた〟って事だ。違うか?」
「なんか、悪意を感じる言い方だけど、概ねその通りだよ。領主の娘として、領民を守る為に──」
「それでお前が傷ついていたら意味ないだろうがっ! お前、矢に射られていたらどうするつもりだった!」
「大丈夫、私が致命傷を受けたら、シマがバドラーに伝えるようにしておいたから。問題ないよ」
「……致命傷じゃなかったら? ただ気絶するだけだったら?」
「それなら反応しないよ。その程度なら問題ないから」
「お前っ──」
「バドラー、少し落ち着け」
俺の胸倉を掴もうと伸びてきたバドラーの手は、横から来たお父様によって止められた。そして次の瞬間、なにをどうやったのか、バドラーの体は宙を舞い、床に叩き付けられる。
しばらくぽかんとしていたバドラーだったけど、やがて「すいません」と体を起こした。それでも、彼の目には怒りの色が残っている。
……なんで怒っているのかは分かるけど、そんなに睨まないでよ。
「少しは目が覚めたか?」
「……ええ、まぁ、なんとか」
「それならよし」
うんうんと頷いた後、お父様はバドラーの腕を離し、俺に目を向ける。
「じゃあ次、ルーシー。バドラーがなんで怒ったのか、お前の考える理由を言ってみろ」
「……私が自分の優先順位が低く見積もっているので、もっと自分を大切にしろと怒ったんですよね?」
多分、そういう事。お父様にも似たような事を言われたし、そんな早く忘れる訳はない。
バドラーが怒る理由は分かる。それに俺だって痛いのは嫌だし、もしエイミィやバドラーが似たような事をしていたら止めると思う。
けど、俺じゃあ多少の無理はしないと〝聖女様〟で居続けられないんだ。
「……分かっていてこれか……。ルーシー、今日はもう休め。そして明日、またバドラーと話せ。バドラーはそれまでに頭を冷やしておけ」
ため息を吐いてお父様はそう告げる。
ただ、それに待ったをかける声があがった。
「ロナルド、ちょっと待ってくれ。彼女の耳に入れなきゃいけない事がある」
「殿下……。そういえば、殿下は何故こちらへ?」
「ロナルド、ルーシー。二つ、君達に伝える事があってね」
胸元から手紙らしき物を二枚取り出して、殿下はそれをお父様に手渡す。そしてそれを読んだお父様が息を飲むのと同時に、殿下は少し気まずそうに口を開いた。
「まず一つ。ルーシー、君には麻薬をばらまいている犯人を捕まえてもらいたいんだ」
バドラーが音をたてて立ち上がる。その表情は驚愕に占められており、そしてそれは俺も同じだった。
その時この間のお父様の言葉を思い出す。殿下より前に麻薬の取り締まりを依頼してきたオルテガさんは、とても抜け目のない人だと。
王都で会ったあのお爺さんの顔を思い浮かべている俺を尻目に、殿下はもう一つの伝える事を告げる。
「今度、ノーベラルとの親交を深める為という名目でパーティーが開かれるんだけどね。そこでルーシー、君には僕と踊って欲しいんだ」




