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六十四話:朝

「……様。お嬢様!」

「う、あ……ここは……」



 ユサユサと強く体を揺さぶられ、その衝撃と慌てたようなしわがれた声によって意識が醒める。まぶたを開けると、視界のほとんどをばあやの心配そうな顔が占めていた。

 俺が意識を取り戻した事に安堵したのか、ばあやはほっと息をつく。俺が寝ている間に、何かあったのだろうか。



「ばあや……?」

「お嬢様が酷くうなされておりましたので、失礼かとは思いましたが、起こさせて頂きました。申し訳ありません。……大丈夫ですか?」



 そう問いかける彼女の視線を受けながら、大丈夫ですよと声をかけて上半身を起こす。少し頭がくらくらするけど、問題はない。



「少し、夢を見ていただけです」



 問題のない事を示すべく微笑みながら、あまり良い夢ではありませんでしたが、と付け加える。うなされているところを見られているのだから、嘘を言っても意味はない。


 夢の内容はいまいち覚えてないというか、まるで記憶に霧がかかっているかのようにぼやけている。その霧をかき分けて思い出そうとすると、それを拒むかのように頭の奥がチリチリと痛む。

 仕方ないと、小さく息を吐いた。記憶を辿るのは諦めよう。所詮は夢、そこまで必死になるものじゃない。


 それに、夢に関する記憶は曖昧でも、悪夢というべきものだったのははっきりしている。そんなもの、無理に思い出しての追体験なんてしたくない。


 ……でも、なんでだろう。夢の中で、とても大事な事を知った気がするのは。



「お嬢様?」



 ばあやの声を聞いて我にかえる。いけない、ぼーっとしてた。

 これ以上夢について考え込むやめよう。沸き上がった好奇心を忘れようとかぶりを振る。

 ああ、背中を濡らす汗が気持ち悪い。今日はそんな汗ばむ程暑くない。それどころか、少し肌寒い位なのに。



「……お嬢様、朝食の準備が出来ております。それとも、先に湯浴みを致しますか?」



 平坦な口調で尋ねつつも、ばあやの顔に浮かぶ心配の色は全然薄れていない。それほどまでに、俺の顔色は悪いのかな。

 それでも「もう一度寝て体を休めなさい」と言ってこないのは、顔色の悪い原因が夢という睡眠によって引き起こされる事だからか、それとも今日は俺のお披露目の日だからか。


 ……そう。今日は俺が、領民達に初めて姿を見せる日。そして、あの脅迫状の内容が決行されるかもしれない日でもある。

 もちろん、脅迫状の主の思惑通りに事を進めさせる気なんて、さらさらないけども。


 昨日一日で、出来るだけの準備はした。後は、つつがなく成功させるだけ。



「……そうですね。食事の前に、さっぱりする事にしましょう」



 余計な思考は、汗と一緒に洗い流してしまおう。そうすれば、少しくらくらする頭も完全に起きるだろうし。


 そう考えてベッドの上を移動し、足を外に出したところで、



「やあやあ良い朝ですなぁルーシー殿! 今日は大切なお披露目の日だが、体調のほどはいかがかな?」



 無駄に大きな声と共に、部屋の扉が開かれた。



「まあ、ワークナー様! このような朝早くに女性の部屋に来られるなど、マナーがなっておりませぬよ!」



 そして扉の先に立つ男の姿を認めると、ばあやからその男に叱責が飛び、俺は毛布を掴んで体を覆い隠す。

 今の俺は、さっきまで寝ていた為に肌着姿だ。人に見せるものじゃないし、その相手の性別が男であるのなら、なおさら。


 決して歓迎しているとは言いがたい雰囲気、それを無視して男はドスドスと弛んだだらしない腹を揺らしながら部屋に入ってくる。



「ワークナー様!」

「ちっ、うるさい、口を開くんじゃない。侍女風情が、この私に指図をするな」



 再度、ばあやは咎める声をあげる。けれどもそれに対する男の対応は、興が削がれたとでもいうように口をすぼめ、侮蔑を隠そうともせず「黙れ」と命令をするというもの。


 肥大した自尊心による傲慢さ。尊大な血統主義。排他的なまでの選民思想。

 それが、彼……ルデナント・フォン・ワークナー伯爵。以前俺に「第三婦人にしてやろう」と言い放った人物だ。


 ワークナー伯爵は貴族第一主義で、平民を下に見ている。彼にとって平民とは、自分に税を納め、気に入らなければ殺す、自分の思い通りになる存在だ。

 だから、父娘共に元々は平民であるヴィッセル家を、さぞかし忌々しく思っている事だろう。


 そんな彼がなぜここに居るのかというと、俺が目的だ。より正確に言うのなら、俺の体が。彼は煩悩、獣欲のままに、俺を犯し、なぶりたいのだろう。

 その証拠に、今もニヤニヤ笑いながら、毛布に包まれた俺の体を舐め回すように見つめている。毛布の奥の俺の体を想像し、自らの息子で貫く事を妄想している。


 ああ、気持ち悪い。エロオヤジめ、去勢されればいいのに。



「ワークナー様、ご心配ありがとうございます。私の体は健康そのもの、今日のお披露目に問題はありませんわ」



 内心の罵倒はおくびにも出さず、穏やかな笑みを浮かべながら答える。

 残念な事に彼は伯爵、ヴィッセル家より持っているお金も権力も上。戦闘能力という面ではこっちが勝てるかもしれないけど、同じ国の貴族を相手に戦争をする訳にもいかないし、政争では勝ち目はない。

 だから俺やお父様は彼に対し下手にでなきゃいけないし、あちらは偉そうにしてくる。


 ああ、もう。やだやだ、こんな奴に目を付けられる位なら、もっと不細工でも良かったよ。



「……それは良い。無事に終われば良いですなぁ」

「無事に終わらせます、絶対に。……あの、これから着替えなど準備をするので、その……」

「おお、これは失礼! では、私はこれで失礼いたしましょう」



 伏し目がちに、さっさと出てけと明言はせず暗に伝えると、ワークナーは鷹揚に頷く。そして名残惜しそうに俺の体を下から上へ一瞥した後、身を翻して入ってきた時と同じく大きな足音をたてながら退室していった。

 彼が去り、完全に扉が閉まっても、念のために十数秒待つ。それから、俺とばあやは同時に大きくため息をついた。



「……あの方は……。あんな事を言う為だけに、遠路はるばる、わざわざやって来たのでしょうか」

「……それほど、お嬢様に執着……いえ、惚れられているのでしょうね。先日は求婚を断られましたが、心変わりするおつもりはありますか?」

「まさか! あ、いえ、まさかと言ってはワークナー様に失礼ですね。ですがばあや、こう言ってはなんですが、あんなに年の離れた、しかも率直に言ってあまり身形の良くない御人と結婚なんて……」

「お気持ちは分かります。むしろ求婚を受け入れても良いと仰ったのならば、全力で思い止まるよう説得する心づもりでしたよ」

「……ばあや、貴女がそこまで言う程、ワークナー様は酷いのですか?」

「ええ、酷いです。気に入った若い女性を拐っててごめにしている、なんていう悪い噂も、ワークナー伯爵にはありますし」

「……それは」



 思わず絶句する。ニヤニヤと気持ち悪い笑みを向けてくるエロオヤジだけど、まさかそこまでだなんて。典型的な悪徳貴族、という言葉が頭に浮かぶ。

 ホント、最低だ。なんで、そういう男が権力を持っているのだろう。いや、権力を持っているからこそ、そうなってしまうのかな。

 うーん、あの男には元々良い印象は皆無だったけど、好感度が更に落ちる。むしろ、まだ落ちる余地があった事にびっくり。いや、最低まで行っていたのなら、嫌悪感で魔法を撃っちゃってたかもしれないけど。



「……私は、貴族の娘とは政略結婚の駒で、どんなに欠点がある相手でも、どんなに本人が嫌がっても、家に益があるのなら強引に結婚させられる。そう思っていたのですが」



 あいつは止めろ、なんて言われるとは思わなかった。もちろん、強要されても、断固として拒否するつもりだったけど。

 それを言うと、ばあやは一瞬悲しそうな顔をした後、俺の頭を抱き抱えた。

 ……え?



「……もちろん、お嬢様がワークナー家に嫁がれれば、ヴィッセル家は今より力を得られるでしょう。ですが、そんなお嬢様を犠牲にしてまで家を大きくしようなど、旦那様も私達も思っておりません。……従者の身で不遜かもしれませんが、私は、お嬢様を実の娘のように思っています。大事な大事な、可愛らしい愛娘を、あのような男に渡してなるものですか」



 ばあやのその言葉に驚き、目を見開く。ばあやと過ごした期間はそんなに長くないのに、そこまで大切に思ってくれているなんて。

 ……嬉しいけど、ちょっと、気恥ずかしい。



 ──相変わらず、人を誑かすのは一流だな。

「え?」



 なにかが聞こえて、けれど辺りには、ばあやしか居ない。

 ……幻聴、かな?


 そんな事を考えている間にも、ばあやはワークナーの悪い噂をあげていく。その全てが本当かは分からないけど、どれも説得力があって、スジが通ってるのがまた。あまりの酷さに、思わず苦笑する。


 それにしても、ばあやは心底ワークナーを嫌っているらしい。さっきのあの見下した態度のせいか、とも思ったけど、彼女はそんな小さい人間じゃあない。

 まあ、いくつもの悪評があって、本人もその悪評の信憑性が増すような言動をしているのだ。好きになれ、というのは無理があるだろうね。


 普段は俺に、淑女たれと口を酸っぱくして言ってくるばあやに、かなりボロカスに言われるワークナー。ここまでいくと逆に感心する。

 そういえば、求婚しに来た時もアレだったなぁ。俺が受け入れる前提で、凄く上から目線で理不尽な事を言ってきた。断ったら、愕然とした後に顔を真っ赤にして怒りながら帰って行ったっけ。


 ……あれ? でも、今日はそんな様子はなかった。あの時は「平民の小娘が、伯爵であるこの私に逆らうのか!」とまで言っていたのに。

 少し、不可解だ。



「……あ! お嬢様、申し訳ありません。一人で喋り過ぎました。すぐにお湯の準備をいたしますね」



 理由を探して、けれどばあやの声で思考を一旦中断する。今日は大事な一日、全神経を集中させなきゃいけないのだ。どうでもいい事に思考をさく余裕なんてない。

 慌てているばあやという珍しいものに笑みをこぼして、ベッドから下りる。裸足だから床の冷たさが直接伝わってきて、一度身震いをした。


 お湯の用意が出来ましたよ、という声を聞き、部屋と繋がっている小さなお風呂場へと移動する。屋敷には大きなお風呂が別にあるのだけれど、今みたいに朝汗を流したいという時にあられもない格好でうろつかなくてもいいようにと、一部の部屋は小さなお風呂が隣接しているのだ。


 肌着を脱ぎ、既に湯気が充満している浴室に入る。頭からお湯を浴びて木製の椅子に座ると、控えていたばあやの手が伸びてきた。

 香油が髪に塗りたくられ、そのまま優しい手付きで揉まれていく。


 こうやってお風呂でもお世話をされるの、初めは恥ずかしかったけど、慣れてくればこれがけっこう気持ちいい。美容室とかで髪を洗ってもらうのと一緒だ。

 目を閉じ、リラックスして、ばあやのなすがままに。お互いに口を開かない沈黙は、気まずいという事はなく、むしろ安心出来る心地よさがある。



「……お嬢様。昨日立てられていた本日の予定ですが」



 その沈黙を、ばあやはポツリと破った。



「……なんでしょうか」



 昨日、お父様と二人で立てた今日の計画。あの脅迫犯の思い通りにさせない為のそれ。

 一瞬の間の後、話の先を促す。ばあやは息を大きく吸って、すべてを吐き出すように、



「お嬢様。私はあの作戦には反対です」



 きっぱりと切り捨てた。



「……」



 沈黙。二度目だけれど、さっきと違うのは、この沈黙には緊張感が漂っているという事。張り詰めた空気の中、ばあやが俺の髪を洗う微かな音だけが響く。

 そしてそれを破ったのは、これまたさっきとは違い、俺だった。



「……どうしてか、理由を聞いても良いでしょうか」

「あれでは、お嬢様が危険過ぎます。もっと自分を大事になさってください!」



 ばあやはそういうけど、俺に危険がないのは駄目なんだ。理由は分からない、けれどそう思う。



「あれが一番領民に被害が出ない最善の方法です。それにあの脅迫状から考えれば、私が狙われる可能性は低い」

「ですが! 護衛もつけずに一人で回るなんて! もうお嬢様の身は貴女だけのものではないのですよ!」

「ばあや! ……決まった事です。貴女とはいえ、反論は許しません。大丈夫です、私、これでも強いですから」



 ばあやが後ろで強く歯を食いしばる音が聞こえた。俺は立ち上がり、自分でお湯を掬って頭から被り、香油を洗い流し、湯船につかる。温かいハズの湯船が、なぜかぬるく感じた。



「……私はこのまま、すこしのんびりしています。ばあやは、服の用意をしていてください」

「……かしこまりました」



 小さく了承の意を告げて一礼し、ばあやは浴室を出て行く。



「……私の馬鹿」



 か細い声で呟いて、俺はお湯の中に頭までつかるように沈んだ。






 

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