六十二話:屋敷にて
ザッカニア王国の北部に位置するヴィッセル領。
その領主であった一族が途絶え、ちょうど良いとばかりに当時の戦争で名を轟かせた英雄である『武神』──ロナルド・ヴィッセルに褒美として、そして枷として下げ渡された土地。
そのヴィッセル領の主が住む、質実剛健な造りの屋敷の一室。領主が普段執務を行う部屋にて、俺とお父様は二人きりで向き合っていた。
王都での出来事を報告、相談する為に。
「──という事が、この二日間でありました」
「そうか……。つくづくお前は、厄介事に縁があるな」
俺達が別の世界から来たという事などはぼかしつつ、殿下と会った事や魔薬事件に巻き込まれた事、オルテガさんやウェルディとした会話の内容を報告する。
するとお父様は後頭部を右手で掻いて、はあ、とため息をついた。
本当に、御迷惑をおかけしてます。というか、俺は迷惑しかかけてない気がするよ……。
「ごめんなさい……」
沸いてくる罪悪感に、思わず俯いて小さく謝罪を口にする。それに対し、お父様は苦笑しながら俺の頭を撫でた。
俺を慰めようとしているのだろう。凄く子供扱いされている気がするけど、まあ良いや。多分、エイミィにはよくこうしたんだろうね。彼女、撫でられるの好きそうだし。
「まあ、起こってしまった事は仕方ない。気にするな。お前には黙っていたが、魔薬に関してはもう既にこっちにも情報が来ていたしな。
それにしても、ピルグランドか……」
そう言うお父様の眼光は鋭い。まるで戦場に立った時のように、ここではないどこかを見据えている。抜き身の刀のような雰囲気は、けれど俺を攻めるのではなく、守ってくれるのだという安心感があった。
……ホント、心強いですよ。
「裏付けの調査をしつつ、陛下の耳に入れておくべきか。ピルグランドが怪しい動きをしているのは、ノーベラル王の言からも察せられるしな……」
考えをまとめているのか、お父様は最近人前に出ない事もあって目立ってきた無精髭を撫でながらぶつぶつと呟く。
領内の政治は「俺にはそんな学はない」と部下に任せっきりのお父様だけど、こと戦いに関しての嗅覚は凄まじい。だからこそ、武名によって爵位を得るまでに至ったのだろうけど。
「それで、お父様。私は、魔薬事件に関して協力すべきなのでしょうか?」
一人思考の海に沈みかけたお父様を引っ張りあげ、そう問いかける。当面の問題はそこだもの。断るにしても、早めに決断しなきゃいけない。
お父様という呼ばれ方にいまだに慣れないのか、少々戸惑いを顔に浮かべながら目を俺に向ける。
「ああ……。そうだな、止めておいた方がいいだろう。その方がいいんだが……。気になるのは、オルテガのジジイか」
「オルテガさんがどうしたのですか? そういえば、知り合いのようでしたが……。どういった関係なのでしょうか」
「あの頑固ジジイは俺の……まあ、師匠で、上司だった人だ」
珍しい。お父様がジジイなんて呼び方をするなんて。
礼儀がなっているとはとても言えない、でも親しみが感じられる口調。懐かしそうに、思い出すように。
昔、お父様はオルテガさんにお世話になった。その事が伝わってくる。
「……あの人は、元気だったか」
「はい、とても。おそらく、私では勝てないと思わされました」
「ははっ。あのジジイ、あの年でまだ現役なのか」
嬉しそうにお父様は微笑む。しかしすぐさまそれを一転、何かを警戒するように眉間にシワを寄せた。
「……あの人はああ見えて抜け目のない、狡猾な人だ。そんな人が、明らかに断られる可能性が高い事を提案する訳がない。きっと、何かある」
その何かが分かれば良いんだが、と息を吐く。
俺もお父様も、考え込んだために沈黙が流れる。俺はこれから、どうするのがベストなのだろう。
今、ヴィッセル家にはやるべき事が多すぎる。領民達へ、養子である俺の御披露目。そのうちやってくるであろう、殿下を迎え入れる準備。魔薬に関する対応。そして俺が持ち込んだ案件対処。
……そのほとんどが、俺が原因なのが、凄く申し訳ないんだけど。
少し話し合って、とりあえず協力要請に関しては様子を見る事が決まった。決断を焦っても良い事はないという判断だ。
報告も終わり、俺に出来る事も限られているので、お父様が考えをまとめる邪魔をしないよう退室しようと立ち上がる。
「あー、ルーシー」
「はい、なんでしょう」
一礼をした後に声をかけられ、背を向けようとした体を止めた。俺を引き止めたお父様は同じく立ち上がり、部屋の壁に立て掛けてあった刃の潰された剣を手に取る。
それを握り締め、おもむろに手を上げると、無造作に振り下ろした。その剣の間合いに入っていないから当たらないけど、とても避けられる気がしない一閃。
「……日がくれるまで、やるか?」
それは、鍛練へのお誘い。養父として娘への物ではなく、師匠として弟子への言葉。
転移魔法を使った事により、予定の時刻より早く帰ってこれた。それにより、時間には少し余裕がある。
そして最近は忙しくて、指導を受けるどころかろくに剣すら振れてない。かなり鈍っている事だろう。
だからこその、この提案。でも、
「ごめんなさい。この後ばあやに呼ばれていまして……」
頭を下げて、そう断る。
俺としても教えてもらいたい。強くなりたい。皆を守れるくらいとまではいかなくても、迷惑をかけない程度には。
だけど、先約が入っているのだ。鍛練が終われば汗を流す必要があるし、そうなるとその後はすぐ夕食になる。この世界では夜遅くまで起きている習慣はないため、夕食の後はほとんど時間がない。
するとどうなるかは……。想像するだに恐ろしい。
だから、今日は遠慮させていただきます。
「そうか……。ばあやに呼ばれているなら仕方ない。彼女は怒ると怖いからな」
「せっかく誘っていただいたのに、ごめんなさい」
「別に構わない。それならバドラーの奴をしごいてくる」
「……手加減してあげてくださいね」
「手加減が必要な男じゃないだろう、あいつは」
二人で並びながら歩き、笑う。貴族らしからぬ会話だけど、俺は俺だし、お父様は……ロナルドさんはロナルドさんなのだ。お上品な生き方なんて似合わない。
まあ、こんな考え方だからばあやに「お嬢様はおてんばが過ぎます」と怒られるんだけどね。
色々考えなきゃいけない事があるお父様だけど、きっと部屋の中で頭を抱えるのは性にあわないんだろう。だから俺を誘ったのだし、断られたらバドラーを標的にした。そしてバドラーも無理なら、一人で剣を振る姿が目に見える。
動きながら、自分の体が覚えている事を確認しながらが一番頭が回るのだ。つくづく、武の人だよね。
そんなお父様と別れ、俺は自分の部屋へ。ちょくちょく屋敷を管理している使用人さんやお父様の部下に会釈されて、笑顔でそれに応える。
そして部屋に到着すれば、中には年輩の女性が一人。
彼女がこの屋敷のメイド長であり、俺の教育係でもあるばあやだ。白くパーマがかかった髪を揺らしながら、せっせとベッドを整えている。
どうやら俺を待っている間に部屋を掃除していたらしい。床は埃一つなくピカピカで、今現在ばあやが手をかけているベッドもシワは皆無。
本当にありがたい事です。
入ってきた俺に気付き、ばあやは体を起こして一礼をする。その所作は無駄がなく、教科書のお手本のよう。
「ああ! お嬢様、お戻りになられましたか」
「ごめんなさい。待たせてしまいましたね」
「いえいえ。……お嬢様、お怪我はありませんか? 何かトラブルに巻き込まれてはいなかったか、ばあやは心配でございます」
心配性の彼女に、微笑みながら大丈夫ですよと返す。トラブルに巻き込まれたかといえば巻き込まれたけど、怪我はない。
「それで、ばあや。お話とはなんでしょうか」
そっと差し出された椅子に腰掛け、そう尋ねる。
するとばあやはまだ温かいお茶を俺に差し出し、シワだらけの顔に更にシワを増やすよう口を真一文字に引き締めてこう切り出した。
「明後日の、お嬢様の御披露目の件についてでございます」
「ああ、その事ですか……」
この地を治めるヴィッセル家。その当主であるお父様は結婚をしようとせず、世継ぎが居ない状態だった。
自らはあくまで戦士であり、乱世の時に将としてならばともかく、治世に貴族として民を導く能力などない。そんな私が領主としてふさわしいハズもなく、私が死んだら領土は国に返上する。お父様はそう公言していたらしい。
こう言ってはなんだけど、正直無責任な事だと思う。功績を認められ、この土地を任されたのだから、それを捨てるなんてあってはならない。そんなコロコロ治める領主が変わったら、住んでる人々も混乱するだろう。
まあ、爵位に領土という、英雄をザッカニアに押し止める為の枷が煩わしかった気持ちは、分からなくはないけれど。
そんな訳で、後継者が居なかったヴィッセル家に、突然俺という養子が来たのだ。当然人々は驚くし、次代の領主候補がどんな人物なのか、興味がない訳がない。
けれど俺は、ルーシー・ヴィッセルとなってからのこの一ヶ月間、一度も人前に出なかった。正確に言えば、昨日今日と変装をして出掛けていたけど。
とまあそのせいで、俺の噂だけが領内を一人歩きしているのが現状だ。
本当はもっと早くに御披露目が行われる予定だったのだけれど、いかんせん俺は貴族としての立ち振舞いや常識を知らない。御披露目で突拍子のない事をやりかねないから、それを防ぐ為にこの一ヶ月色々と叩き込まれてきたのだ。
……ホント、厳しかった。ミスをするとすぐにお小言が飛んでくるし、歩き方一つにも文句をつけられたのだ。
とはいえ、おかげで付け焼き刃とはいえこの短い期間で貴族の立ち振舞いが身に付いたのだから、ばあやには感謝しなきゃね。
そして数日前にばあやから合格点が出て、御披露目の日が決定。大々的にその事が領民達に発表されつつ、その前に一度、ご褒美として息抜きを挟んでおこうと休日がもらえたのだ。
結局は色々あって、お休みには程遠い二日間だったけどね。まあ、なんだかんだでバドラーと一緒で楽しかったし、良いんだけど。
その、御披露目に関しての話。当日なにかやらかしてしまわないよう、背筋を伸ばしてしっかりと耳を傾ける。
「お嬢様。実はお嬢様がお出かけになられている間、こんな物が屋敷に届けられたのです」
そう言って、ばあやは一枚の折り畳まれた紙を手渡してきた。
それは手紙のようで、いったいなんだろうと、首を傾げながらそれを開く。そしてそこに書いてある内容を一瞥して、俺は目を見開いた。
「ばあや、これ……! お父様はこの事を知っているのですか?」
「はい。きちんと旦那様にも報告致しました」
「お父様は、なんと仰っていましたか?」
「……お嬢様の御披露目をすると告知した今、中止する事は出来ない。最大限の警戒をもって、無事に終らせるしかないと」
「……やはり、そうするしかないでしょうね。でも、何故こんな事を……」
「私としては、お嬢様の安全の為にも取り止めるべきだと思うのですが」
そこに書かれていた内容。
それは、ヴィッセル家への脅迫。
『養女の御披露目を中止しろ。さもなくば、心優しい聖女様が悲しむような事が起こるだろう』
思わず震える。恐怖ではなく、怒りで。ぐちゃりと、その紙を握り潰した。
いったい誰なの。誰が、なんの目的でこんな事を。
直接俺を襲うというのは考えにくい。お父様の戦闘能力は有名で、俺自身も戦える事は知られているハズ。生半可な戦力じゃあ返り討ちにあうだけだ。それに、文面からしても、関係のない人々が被害を被る事が示唆されている。
……ふざけないで。
「ばあや。この事を知っているのは、私とお父様とばあやの他に、誰が居るのですか?」
「バドラー様とエイミィ様が。あとは……」
お父様の部下達の名前をあげていくばあやの声を聞きながら、俺は大きく息を吸って、吐く。
落ち着いて。怒りに身を任せず、冷静に。
誰が、なんの為に。今はそんな事はどうでもいい。
ヴィッセル家を疎ましく思っている家がうちの名を汚す為だとか、ピルグランドが戦闘力の高いうちを陥れる為だとか、金銭目的の浅ましい輩の仕業だとか、思いつく事はいくつかある。けど、それは俺が今考える事じゃない。
俺が考えるべきなのは、どうやれば被害なく収めて、犯人を捕まえる事が出来るのか。
まあ、そういう事は配下の人達が思案する事で、貴族の子女はもっとおしとやかに、か弱い女の子らしくしているべきなのかもしれないけど。そこは、貴族らしからぬ、元平民の冒険者なのだから仕方ない。荒くれ者の冒険者らしく、気に入らない相手は力付くで叩きのめすとしましょうか。
今思えば、お父様が体を動かそうとしていたのは、この事があったからかもしれないね。きっと今も、これに備えて色々動いているのだろう。
……まったく、なんでこうも厄介事が重なるの。お父様のぼやきも当然だね。
「いいでしょう、犯人さん達。私達に喧嘩を売った事、後悔させてあげます」
世間一般でイメージされている聖女様。それに似つかわしくない底冷えするような声で、俺はそう呟いた。
ジークンソフト様より、ルークのイラストを頂きました!
非常に可愛らしく描いて頂きましたよ、奥さん!
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