六十一話: 情報提供
ウェルディに連れられ、俺達四人はとあるお店に入った。
高級そうな、品の良い喫茶店のような雰囲気の店内。おそらく、ある程度成功している商人が利用するようなお店。
ナナさんとウェルディはカジュアルな、しかし質のよさそうな服を着ているから良いけど、しっかり防具を着込んだ人間は俺とバドラー以外に居なくて、少し居心地が悪い。
ウェルディは店員さんになにやら声をかけ、すると俺達はお店の奥の個室へと案内された。
「ここのお代は私が払いますので、お好きな物を頼んでください。レディに出させる訳にはいきませんからね」
「……ありがとうございます」
席に座って、にこやかに笑顔を振り撒きながら、ウェルディはそう言う。
それは、彼の本心か、それともこちらにあまり持ち合わせがない事を見越しての発言か。前者ならキザな女ったらしだし、後者なら嫌な奴だ。
どちらにせよ悪感情なのは、彼の事が嫌いだから仕方ない。
彼に借りは作りたくないし、屋敷に帰ったらお礼の贈り物はしておこうか。
「……俺はレディではないと思うが?」
「……ああ、そうでしたね。まあお気になさらず、私が出しますよ」
「遠慮はしないが、本当に良いのか?」
「ええ、もちろん」
バドラーの問いに、当然のごとくウェルディは頷く。そしてメニューを広げたバドラーだけど、遠慮はしないという言に反して、実際に頼んだのは珈琲のみ。お昼が近くて小腹がすいていたのもあって、俺はボロネーゼのパスタと紅茶を。そしてウェルディも珈琲、ナナさんは紅茶とチラミという果物のタルト。
……こ、これじゃあ俺だけご飯をしっかり食べてて、食い意地がはってるみたいじゃない。時間も時間だし、ちょっと早いけど皆何か食べると思っていたのに……!
ま、まあそれはおいといて。
注文したものがすべて来るまでは、ひたすら他愛もない事を話す。最近どこどこで小鬼が大量発生しただとか、ノーベラルの特産品として、様々なガラス製品の需要が増えているだとか。
彼に詰問する時、なるべく他の人々には聞かれたくない事が数多くある。だから、ウェイターさんが来なくなるまでは本題を切り出さない。
先に来た飲み物を時折すすりながら待ち、その傍ら問いただす内容を頭でまとめる。彼の今までの傾向から言って、きっと聞かれない事はまったく答えない。だから聞き忘れがないように、あらかじめ備えておく必要がある。
……あ、この紅茶美味しい。どうやらハーブティーみたいで、独特の香りと風味。ハーブの甘味が強いけど、紅茶の味を壊す事なく引き立ててる。
美味しさに頬が緩んだ俺とは対称的に、珈琲を頼んだバドラーは渋い顔。なんでも、不味い訳ではないのだけれど、想像していたモノとは違ったとのこと。
その様子を見てクスクス笑っていたウェルディによると、日本で一般的だった淹れ方とこのお店──というよりこの世界の淹れ方は異なるらしい。厳密に言えば、珈琲豆ではない可能性もあると、俺達より遥かに長い間この世界に住み、実情を知る青年は言う。
というか、そもそも世界が違うのに、まったく同じ豆がある方がおかしいよね。同じ世界でも種類が沢山あるのに、世界が変わって差違が皆無な訳がないじゃないか。
そしてそれより疑問に思うのは、俺達の知っている物に似ていて、けれど俺達の知識にある物とは微妙に、そして確かに違う物達。それらを、なぜ当然のように地球の物と同じ名前で呼び、認識しているのかという事。
魔法にしてもそう。ラグナロクやミョルニルなんかは、地球の北欧神話に関する名称。なんでこの世界の魔法は、自分達の世界にありもしない神話体系の言葉を名前にしているのだろうか。
……まあ、それらは今気にする事じゃない。今重要で考えるべきなのは、王都を騒がせている魔薬、ひいてはその情報を、どうやってウェルディから引き出すか、だから。
やって来たパスタの意外に多かったその量におののきつつ、冷めるといけないからと舌鼓を打っていても、ちゃんと事件を見据え頭を回転させている。
う、嘘じゃないよ! ジューシーな肉汁とトマトとワインの深いコクにほっぺたが落ちそうになってたけど、それはそれとしてきちんと魔薬について考えていたよ!
「──では、そろそろ本題に入りましょうか」
バドラーに三分の一程手伝ってもらいつつ、最後の一口を飲み込んだ瞬間、ウェルディが咳払いの後にそう告げた。
フォークを音をたてないように置き、ナプキンで口元を拭う。
念のためにと、ウェルディはサイレンスの魔法を発動した後、
「ルークさん……いえ、今はルーシー様と言うべきでしょうか。貴女は魔薬についての情報を欲しがっているようですが、当然、その情報をただで売れとは言いませんよね?」
にっこりと朗らかな、しかし目はまったく笑っていない笑顔で先手を打ってきた。
情報の対価。それが要求されるというのは、十分予想は出来た事だ。彼自身、もしくは彼の主に益がなければ、ウェルディという青年は動かない。
彼が納得出来るような報酬をこちらが提案出来なければ、魔薬に関して何一つ口を割らないだろう。
正直、彼を問い質そうと思い至った時には、そんな事は頭になかった。何も考えずに勢いで突っ走ってしまったけれど、今更引き返せやしない。
こういう短慮なところは俺の改善しなきゃいけないところだけど、それは置いといて。今はどうにかして、彼を満足させる対価を提示する必要がある。
けれど、彼は一国のナンバーツー。彼を納得させるような対価なんて、そうそう思い付かない。
……一応、おそらく彼が受け入れるであろう切り札は持っている。だけど、それを切るには彼に求める物が小さすぎるし、出来る事なら一生切りたくない手札だ。
彼に金は必要ないだろうし、そもそも俺が好き勝手に譲渡出来る額なんてたかが知れてる。俺が冒険者として何か採ってくるにしても、ウェルディ自ら動いた方が絶対に早いだろう。
俺の力では、彼の求めるものが思い付けない。なら、いったいどうすればいいのか。
……脅迫、とかはどうだろう。「私は貴方がこの王都に魔薬をバラ撒いたかもしれないと思っています。これを国に報告すれば、非常に面倒な事になるでしょうね」とでも言ってみれば。
でも、それは人として最低の行為で、彼との関係を悪化させるもの。心情的にもやりたくないし、悪手でもある。
俺は彼の事が嫌いだ。そして彼のしてきた行いは、俺の中では完全な"悪"として認識されている。
でも、国交的にも個人的にも彼を敵に回したくはないし、彼が悪という認識もあくまで俺個人の考えでしかない。ノーベラルの国民達にとって、ウェルディ・バウアーはコルネリウス・ノーベラルと同じく、先王の圧政から救ってくれた英雄なのだから。そしてザッカニアでも、一般的にはそうなっている。
……今、彼の不興を買っては駄目。だから、脅迫という手は使えない。そもそも、彼が疑わしいと思う理由は俺しか知らない事である上、証拠もないのだから脅迫にならない可能性もある。
「……まあ、良いでしょう。聞きたいのは魔薬について、でしたよね? 私が知っている事でしたら話しますよ」
頭を抱えて悩んでいると、ウェルディははにかみながらそう言った。質問をどうぞ、とも続ける。
「……どういう風の吹き回しですか」
「仲良くしたい相手にサービスをするのは、当然の事ですよ、ルーシー様」
彼らしからぬ発言に、訝しみながらジト目で睨み付けると、ウェルディはウィンクをして昨日のシャルルさんと同じような事を口にした。
……胡散臭い。
そんな感情が面に出ていたのか、ウェルディは信用ないですねぇ、と残念そうにこぼす。
へらへらしたその態度に、思わずため息をついた。自らの俺に対する行動を振り返って、信用なんてものがどうやったら得られたと思うのか。いや、分かっていて言ったのだろう。
誘拐犯。マッドサイエンティスト。女の敵。大量殺人犯。それが俺のウェルディへの認識だ。
そんな相手を信用出来るとしたら、キチガイか、よっぽど人が良いか、よっぽど馬鹿であるかだろうね。
それでも、彼の主人であるコルネリウスさんは、まあ信用出来ると思ってる。ノーヴェさんの従兄であるからだけではなく、そんなに多くはないけれど、言葉を交わした結果そう思えた。
少し直情型で思い込みの激しいところのあるシスコンさんだけど、彼は確かな良心と正義感を持った良い人だ。
そしてウェルディは彼に絶対の忠誠を誓っているようで、コルネリウスさんの意に反する事はないだろう。だから、彼を信用する事は出来なくても、こうして取引しようとは思える。
俺がそんな事を考えていると知ってか知らずか、ウェルディは相変わらずの笑顔のまま口を開いた。
「そこまで信用がないなら、私の言葉を信じられないのでしょうか。また、嘘をつかないよう絶対契約でも結びましょうか?」
「いえ、必要ありません」
それに対し俺はすぐさま拒否をする。彼のギアスは、通常のそれとは違うから。
俺とお父様、そしてコルネリウスさんが陛下の前に出た時、コルネリウスさんに結ばれたギアス。それは、ウェルディが以前俺に使ったギアスとは別物だった。あの後調べてみたけど、本来のギアスには少なくともあんな黒い鎖なんて出てこない。問い質してみても、のらりくらりとはぐらされて、結局あの黒い鎖がなんだったのかいっさい話さなかったし。
そんな怪しい魔法を、またかけられたいと思う訳がないでしょう。
あと、ウェルディは嘘はつかない。こっちの思考を誘導しようとしたり、それっぽい事を言ったりはするけど、嘘をついた事は一度としてないのだ。この詐欺師め。
「ギアスは使わなくていいので、私の質問に答えてください。ウェルディさん、貴方は、魔薬についてどこまで知っていますか?」
息を吸って、まるで天使のような笑みを浮かべている悪魔のごとき青年の目を見据えながら、そう尋ねる。
それを聞いて、ウェルディは楽しそうにより頬を吊り上げた。
「どこまで知っているか……。これまた曖昧な質問ですねぇ」
呟いて、彼は懐に手を入れる。取り出したのは、先ほどに見たばっかりの物。金属製の筒に入った、緑色のゲル状の物質──魔薬。
「これは、この街の娼婦が売っていた魔薬です。細かい成分は国に戻って調べないと分かりませんが……。効果のほどは知っていますね。あと、どこの商店がこれを広めているかと、これらは推測になりますが、誰のどのような意思でバラ撒かれているのかと、魔薬の製作者が誰かという事」
魔薬の入った筒を振りながら、淡々とあげた彼の知っている事の多さに、思わず目を丸くした。こんな短期間で、そこまで。
「……なぜ、貴殿方は魔薬について調べていたのでしょうか。わざわざ、ここまで来て」
「同盟国でこんな物が流行っていたら、調べに来るのは当然でしょう。ザッカニアが崩れては、我々にも悪影響があるのですから。……まあ、それは一番の理由ではありません。
実は魔薬の製作者に心当たりがありまして、私はその製作者の男を殺したいと思っているのですよ。そんな相手のやろうとしている事は、妨害したくなるでしょう?」
「あ、貴方は……。いえ、まあ良いでしょう。それにしても、ウェルディさんがそこまで敵視する人物って、もしかして……」
ノーベラルに軟禁されている時、本によってさんざん教え込まれた人物。解放された時に直接「殺すのを手伝え」と言われた人物。俺達を、この世界に連れてきた人物。
「おそらく、ルーシー様の想像通りの人物ですよ。奴が、ザッカニアに混乱をもたらす為に行った事だと、私は睨んでいます」
五百の時を越え、なお現代に生きる魔導師、ビスマルク。
あのお爺さんが、ウェルディが疑っている犯人なのか。
確かに、魔薬の効果は、デメリットを無視すれば……。いや、しなくても非常に強力なモノ。そんな物を作れるのは、かなり魔法などに精通している人だけだろう。
でも、だからといって、ビスマルクだと決めつけるのは早いんじゃないか。他にも、魔薬を作れるような人が居るかもしれない。
そう言ったら、ウェルディにしては珍しく、馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「まさか。あんな化け物が複数居たら、たまった物じゃありませんよ」
断言する彼の目は、確信の色が宿っている。ありえない、と。
まあ、彼がそう言うのなら、そうなのだろう。
それにしても、国ぐるみでザッカニアを弱体化させようと、魔薬を広めているのかぁ。そうなると、ピルグランドは本気でこの国と戦争するつもりなんだろう。
……嫌だなぁ。なんで、そうまでして争うのか。
「なぜビスマルク氏は、わざわざ今更になって、ピルグランドに仕えて世界征服をしようとしてるのでしょうかね?」
ため息をついて頬に手を当てながら、下を向いて物凄く小さな声でそう呟く。それはなにか考えて呟いた訳でもない独り言で、誰かに聞かせるつもりもなかった。
だから、答えは期待していなかったのだけれど、
「──最大の犯罪は、欲望によらず飽満によりて引き起こされる」
前から、そんな言葉が耳に入った。
え、と顔上げる。その言葉を発したウェルディは、目を瞑り笑みを消していた。
「アリストテレスという、古代ギリシャの哲学者の言葉です。簡単に言えば、最悪の犯罪は退屈から生まれるという事ですよ」
「それは、つまり……。あの人は、暇潰しに戦争を起こそうとしていると言いたいのですか?」
「正確なところは分かりませんが、おそらくは。五百年という長い月日によって、生きている事に飽きたのでしょう。私達がこの世界に連れてこられたのも、奴の暇潰しの一環だと、私は考えています」
冗談じゃない。そんな下らない理由で、人が沢山死ぬというの。ふざけないでよ。
ビスマルクの思い通りにさせてはいけない。どうすれば戦争が始まる前に食い止められるのか。
それを考えた始めたところで、ウェルディがあっさり話した理由が分かった。
つまりは、この事を教える事で、協力させるつもりだったんだろう。敵の敵は味方、という訳だ。
うーん……。彼の思惑に従うのはしゃくだけど、戦争が始まるのを指をくわえて待っているというは嫌。しかも、身勝手で最低の理由なのに。
王都に来てなければ、魔薬の事件に巻き込まれていなければ。知らなければ良かったけど、知ってしまった今、見てみぬフリは出来ない。
……これも、お父様に相談しないと。ああ、もう。自由気ままに過ごせる日は遠いなぁ。
その後、どこの商店が魔薬の密売を請け負っているのか、魔薬はどこの娼婦から買ったのかなどを聞いてお店を出る。最初に言っていた通り、代金は全てウェルディが支払った。
ウェルディ達はまだ用事があるからと、俺達と別れてどこかへ去っていった。
彼らを見送って、馬車駅へと向かう。まだまだ日は高かったけれど、ウェルディと話をした為に、元々乗るつもりだった馬車は既に出ていた。次の馬車では、おそらく今日中にはヴィッセル領へは帰れないだろう。
「……仕方ないね。転移魔法を使おうか」
「あのお婆さん、お説教が長いしな……。今日中に帰れなかったら、なんて言われるか」
非常に厳格な婆やの顔を思い浮かべて、二人してため息をつく。ちょっとくらいなら、と遅れでもしたら、今後の外出時には毎回ついてきかねない。
だから、路地裏に入って、もったいないなぁと思いながらマジックスクロールを取り出す。そして周囲に人が居ない事を確認して、それに魔力を流し込んだ。




