五十四話:そして
ザッカニア王国が王都、ミッドニア。その大都市の中央にそびえる城と言うべき王宮に、ザッカニア中からほとんどの貴族が集っていた。
領地を持つ彼らのうち、ある者は信頼出来る家臣や息子に留守を任せて当主直々にやって来て、ある者は仕方なしに家族や重臣を遣わせて。
彼らの目的は、大きく分けて三つある。
一つはしばらく戦争が続いていたノーベラル、その国主の首を確認する為。
戦争によって利益が生じる事もままあるが、今回の戦争ではただただ労力と資金を失っただけなのがほとんどだ。その原因となった者の首を確認したいというのは、人並みに思う事だろう。
ノーベラルに近い領地を治める貴族にとっては、敵国の国主に恨み言の一つや二つも言いたかったに違いない。だが死体となっている為にそれは不可能であり、これ以上資源や資産を浪費する必要はないという安堵と合わせて非常に複雑な心境になっている事だろう。
二つ目は、その王を打倒せしめた英雄を見定める為。
貴族達は、ある者が腐敗したノーベラルの王家を見限りクーデターを起こしたと聞かされていた。そのクーデターを起こし、成功させた英雄を、なんとかして召し抱えようかと思っている貴族も多い。先の戦争で人材が目減りしており、有能な人材は喉から手が出るほど欲しいのだ。
そして三つ目は、その英雄に協力したとされる少女、最近として噂になっている、美しく慈悲深い『聖女様』を一目見る為である。
王宮の中で、騎士の誓いなどを行う広間。その中心に壮年の男と青年、そして少女がたたずんでいる。
男は貴族達も良く知る人物であり、彼を見て尊敬の眼差しで見る者、忌々しそうに睨む者、あまり興味がなさそうな者、様々だ。
貴族達は、少女こそが噂の『聖女様』だろうと推測して、その顔を見ようとする。が、何故か隠すように彼女が着ている青のドレスと同じ色のショールで頭部を覆っており、それが叶わない。
なおも諦めず少女をじっと見つめていたり、隣の者と会話したり、貴族達はそれぞれの方法で時間を潰していると、
「まもなく、国王陛下が参られますぞ!」
登頂部が怪しい事になっている猫背の宰相が、そのこじんまりとした体躯に似つかわぬ大きな声でそう告げる。すると先ほどまでざわついていた場が静まりかえり、また広間の中心に立つ人物達に向けられていた視線が広間の奥へと移った。
彼らの視線の先で、大きく立派な扉が開かれる。その瞬間その場に居るすべての人間が床に片膝をつき、頭を垂れた。
大部分をカーペットに吸収されて、結果的に微かな足音が静まりかえった広間に響く。一人の物ではない。
「──皆の衆、面を上げい」
重厚なその声は、さほど声量は大きくないにも関わらず広間全体にしっかりと届いた。それにより、広間に居るすべての人間が顔を上げ、その言葉を発した者の次の言葉を待つ。
広間に入ってきた人物は、ザッカニア王国第十四代国王、エイブラム三世。そして彼の護衛としてその傍らに控える親衛隊隊長と副隊長。
先頭を歩いていたエイブラムは、周りを固める貴族達と、中心に座する三つの人影を見下ろすように、一段高いところにて立ち止まっていた。
彼は一度広間全体を見渡した後、今回の主役である三人に目を向ける。
三人の中で、彼から見て右にて膝をつくのは『武神』ロナルド・ヴィッセル。集まった貴族の好奇な、そして王の高貴な。二つの意味でこうきな視線に晒されていてもなお堂々としている姿は、元々は平民である事を忘れさせる。
王の御前だからか、彼のトレードマークである二振りの剣は持っていない。
彼自身は今回のノーベラルのクーデターには関与していないらしいが、彼の弟子が関わり、またザッカニアと交渉する為の人材として今回の件に手を出した。
事前の報告では、エイブラム三世はそう聞いている。
中心に座るのは、鮮やかな紅い髪と瞳を持つ見目好い青年。その髪色と瞳は、ノーベラルの王家に連なる者の証。そして彼の紅は歴代のノーベラル王の中でも際立って美しい。まるで、記録に残る初代ノーベラルの武王のように。
その特徴からして、この者が暴君を降した英雄であるコルネリウス・ノーベラルであろうと、エイブラムはそう判断する。
そして左端。面を上げい、と言われた瞬間に頭を覆っていたショールを取っており、その面貌が露になっていた少女。艶やかに光の反射している銀の髪を持つ碧い眼。多くの貴族が彼女の美しさに思わず息をのんだ。
ドレスは肌の露出の少ないタイプで、それがいっそう清楚な美しさを強調している。着ているドレスはかなり良い物なのだろうが、それをのみ込むほど、少女は綺麗だった。
彼女は何故自分が連れてこられたのか分からないのか、その瞳に困惑の色を宿している。それでも狼狽を表に出さないのは、年齢を考えれば褒められる物だろう。なにやら縮こまっているのは、このような場に出るのが初めてだからか。
「して、ヴィッセルよ。此度の事、今一度説明してもらおう」
「はっ」
ストレスか、それとも加齢のせいなのか、最近白髪が混じってきた金の髪を撫でながら、王が命じる。それにロナルドは短く了解の意を示し、小さく首肯した後に説明を始めた。
◇
事の発端は十日前にさかのぼる。ザッカニア王エイブラム三世の元に一つの報告がやって来て、エイブラムの寝室にて、他の者の気配がない事を確認して王とその情報を持ってきた者が向き合っていた。
親衛隊の暗部、影の部隊。それは主に諜報員の役割を負う事が多い。稀に暗殺や護衛などをする場合もあるが、基本の仕事は情報収集だ。
部隊長から来たその報告は、にわかに信じ難い情報で、部隊長も首を傾げていた。故に詳しい話を聞く為に、その報告を持ってきた人物を呼び出したのだ。
「ノーヴェ。どういう事か、詳しい説明をしてもらおう。ここしばらく、報告がなかった事も合わせて頼むぞ」
「了解です」
ノーヴェ・アッカーマン。荒廃したノーベラルを出て、ノーベラルの名を捨てたかつての美姫。そんな彼女は今や逞しくも美しく成長し、影の部隊に欠かせない兵士となっている。
彼女が言う事には、彼女が保護していた類い稀なる魔法適性を持つ少女が、戦争している事を悲しんでまず戦地に下り立った。そしてそこで壊滅しかけていた戦線をその強力な魔法の力で立て直して『聖女様』と讃えられつつ、すぐさまノーベラルに行ってしまった。
無謀な事に単身で、戦争を止める為に。
何故その少女の事を報告しなかったのかとエイブラムが問うと、ノーヴェは一瞬驚きを顔に浮かべた後、納得半分苛立ち半分の様子で「すみませんでした」と頭を下げた。どうやら何か事情があったのだとエイブラムは察したものの、そこを突っ込んでも意味がない為「続けなさい」と話の先を促した。
その後、ノーヴェはしばらく行方が分からなくなっていたロナルド・ヴィッセルと合流して、その弟子である少女、ノーベラルに向かった少女の幼なじみらしい青年の四人でノーベラルに侵入しようと試みたとの事。何故武神までもが協力したのかというと、件の少女も武神の弟子であったとノーヴェは説明した。それだけで、その少女が才に溢れている事が分かる。それほどまでに、ロナルド・ヴィッセルという名は重い。
ちなみに、何故そのような人物が行方をくらませたにも関わらず騒ぎにならなかったかと言えば、かの人物の放浪癖は周知の事実だったからである。爵位を与えられても「そういうのは出来る奴にやらせた方が良い」と部下に任せていたツケだ。
まあ、それはどうでもいい。
ノーヴェ達が少女を追ってノーベラルにたどり着いたのは、しばらく時間が経った後の事だ。準備やらなんやらで、すぐに出発する事が叶わなかったらしい。
そして彼女達がノーベラルに着いた時には、その地にてクーデターが完了していた。英雄コルネリウス・ノーベラルに、彼女達が追いかけた少女が協力して。
そこから戦争を止め、講和する為にある程度エイブラムに近しいノーヴェと名高いロナルドの力を借り、その報告をノーヴェが持ってきた。
という事になっている。
事実はかなり異なるのだが……それを知るのは八人だけだ。
ノーヴェは説明を終え、長々と喋っていた為か深く息を吐いた。そしてエイブラムは顎に手を当て、その内容を吟味して、こう告げた。
「……話は分かった。では、ノーベラルの新たな王を連れてきなさい。講和の条件を決めよう」
エイブラムが受け入れた事に安堵しながら、ノーヴェは命令通り、当日のうちにコルネリウスを密かに連れてきた。
ザッカニアの王とノーベラルの王。秘密裏に行われた会談は比較的あっさりと終わり、その内容を貴族達に伝える為、またパフォーマンスも兼ねて大々的に告知した。
「ノーベラルとの戦争が、英雄と聖女様の力によって終わる。気になる者は、十日後に王宮来い」と。
◇
「──という訳でございます」
ロナルドが説明を終える。貴族達に知らしめる為のそれは、確かな驚愕を広めていた。彼らが聞いていたのは断片的な事だけだったのだ。詳しい事情を聞いた事で、より中心の三人に注目が集まる。
しかしエイブラムは知っていた事であり、今回のパフォーマンスにあたって、どうするか話し合ってきた事。あくまで予定調和に、重々しく告げる。
「ふむ、なるほど……。
コルネリウス・ノーベラル殿。貴殿が王座についた後、暴君はどうしたのだ?」
「処刑しました。……首は持ってきておりますが、確認いたしますか?」
「いや、必要なかろう」
死体など、好んで見るものではないからな、とエイブラムはまだ幼い少女を見ながらヒラヒラと手を振るが、その時「お待ちくだされ」という声がかけられた。
薄毛で猫背の小男──宰相だ。
宰相は、自らよりも年若い王の甘いところを叱責する。
「陛下。念のため、確認しておいた方が良いかと」
「む、そうか。では、コルネリウス殿よ」
「はい。……ウェルディ」
コルネリウスが小さく家臣の名を呟くと、どこからともなく黒髪黒目の、非常に端整な顔立ちの青年がその傍らに現れた。突然の乱入者に驚く周囲を無視して、ウェルディと呼ばれた青年は手に持つ木箱の蓋を開ける。
果たしてそこには、だらしなく頬を脂肪で膨らませた、くすんだ赤色の髪と瞳の男の首が入っていた。
「……その者が?」
「私の異母兄にて、ザッカニアに宣戦した先代のノーベラル王です」
しばらくの間国交が途絶え、何故か密偵からの報告もなかった為にザッカニアはノーベラルの情勢を把握出来ていない。それ故の宰相の問いに、コルネリウスが答える。
エイブラムには、コルネリウスの言葉が本当かどうかの確証はない。だが、その首の髪と瞳の色はノーベラルの王家の血族に表れる特徴だ。
もう十分でしょう、とコルネリウスがウェルディに首をしまわせると、現れた時と同じように青年は消え去る。それに再び驚きながら、エイブラムは手を叩いた。
「クラークよ、これで満足かの?
……コルネリウス殿、我らも戦争は飽き飽きだ。故に貴殿の持ち掛けてきた講和の申し込みは願ってもない。講和を受け入れよう」
「ありがとうございます」
「では、他に言いたい事はあるかの」
「はい。頼みたい事がございます」
「言ってみなさい」
コルネリウスと会話しながら、エイブラムはさりげなく左端の少女に視線を向ける。
彼女は自分がそこまで有名になっている事を知らなかったのか、狼狽の色をより濃くしていた。彼女はただ自分が出来る事をしただけで、そこまで大それた事をしたという自覚がないのだろう。故に、聖女様として持ち上げられている事に戸惑っている。
いわば、彼女は偶像だ。徹底抗戦派やノーベラルに恨みを持つ者など、講和する事を嫌がる者達の視線を反らし、世論を味方につける為の。
彼女が行った事が嘘だろうが本当だろうがどうでも良い。どうせ確かめる手段などないのだ。彼女は非常に見目麗しい少女、偶像とするにはこれ以上ない人材。
そんな風にエイブラムは少女を観察しているが、会話の途中なのだ。当然コルネリウスは黙っていない。
「此度の戦争は、暴君が無理矢理に行わせたもの。ノーベラルの民に罪はありません。故に、ノーベラルを属国とはせずに、今のまま独立を維持させて頂きたい。また、民の生活にも関わりますので、賠償金も払えません」
その要望に、貴族達から「ふざけるな!」という声が上がる。戦争による損失を補填しなくては納得が出来ないのだろう。
そんな批判も想定内。コルネリウスは声を張り上げる。
「皆様、どうかご容赦頂きたい! 代わりといってはなんですが、我々はクーデターを成功させる為に長きに渡り準備をし、その結果高い技術力を手に入れました! 例えば、これです」
コルネリウスは、懐から一枚の透明な板を取り出した。そしてそれを見せ付けるように掲げ、更に続ける。
「これは硝子でございます。これほどまでに透明な硝子は、我々にしか作れないでしょう。また、これ以外にも、皆様が見た事のない物が多くあります。それを安価で輸出するという事で、どうか!」
貴族達が言葉に詰まった。彼の言葉が本当ならば、その貴重品を転売でもして儲ける事が出来るだろう。いや、限りなく透明なあの硝子、それだけでもかなりの儲けが期待出来る上に、使い道も多岐に渡る。
だが、それならば奪い取れば良い。そういう思考が一部の強欲な貴族の脳裏に浮かび、それを見越したかのようにコルネリウスが更に叫ぶ。
「これらは私の家臣が発明した特殊な魔導具を利用しております。それなしでは作れず、また魔導具はその者にしか作れません。戦争で奪い取る事は不可能です」
その叫びによって、貴族達は皆押し黙る。納得出来ずに顔をしかめる者は居るが、表立って文句を言う者は居なくなった。
貴族達が黙ったのを確認して、エイブラムが頷いた。
「貴殿の要求は分かった。その通りにしよう。
だが念のために、再び戦争を起こさぬように絶対契約を結んでもらおうかの」
これもまた、貴族達を納得させる為のアピール。その言葉と同時に、魔法師団の中でも最も優れた術師が呼ばれる。
その術師がぶつぶつと呪文を唱え、ギアスを発動させた。
青白い光の線が床から浮かび上がり、複雑な幾何学模様を造り出す。コルネリウスは一歩前に進んで指先を噛みちぎった。血が流れている手を魔法陣の上に置き、そして高らかに宣誓の言葉を紡ぐ。
「『我は決して違わぬ契約を結ぶ。我、コルネリウス・ノーベラルは、軍を率いてザッカニアに攻めこむ事を永久に禁ずる』」
瞬間、光がコルネリウスの体を包み込み、そして爆発した。あまりにもあっけなく、簡単にギアスは完了し、コルネリウスを縛る。
ギアスなど、そうそう見る機会はない。故に興味深そうにしている若い貴族も多かったが、実際にはそこまで派手でもなく、微妙な空気になってしまった。ただ一人、聖女様と呼ばれる少女だけが目を丸くしていただけだ。
「コルネリウス殿。今後、我らと貴殿らが良い関係を結べる事を期待している」
「こちらこそ、これからよろしくお願いします」
ギアスがしっかり成功した後にコルネリウスは立ち上がり、エイブラムと握手をする。
こうして、公の場でザッカニアとノーベラルの国交が回復した事が示された。当然こんなおおざっぱなものだけではなく、裏ではより細かい条約が結ばれているが、ひとまずはこれで国交の正常化が成された事になる。
「それでは。ルーシーよ」
「は、はい」
コルネリウスと手を離した後、エイブラムは少女に視線を向けた。
元々少女はルークと名乗っていたのだが、男性名だと都合が悪いという事で女性名で報告されている。彼女もそれは承知で、可愛らしい声で返事を返した。
「そなたは今回の件で多大な貢献をした。故に褒美を与えたいのだが……何か望みはあるかの?」
「私はただ、人々の命が次々と喪われていくのが嫌だっただけです。私がしたい事をしただけで、求める物はございません」
きっぱりと、少女はエイブラムの質問を切り捨てる。その欲のない姿に、貴族達はより彼女が聖女様と呼ばれるに値する少女だという認識を深めていく。
だがエイブラムは、少々困ったような表情を浮かべた。
「ふむ。しかしだな、そなたに何も与えないとなると、今後何らかの戦果を出した者が居たとしても、そうそう褒賞を与える事が出来なくなってしまうのだ。何か受け取ってもらわないと、あまり良くない前例を作ってしまう」
「あ……。考えが及ばず、申し訳ありません」
「謝る事はない。では、そなたに男爵位を授けよう。受け取ってくれるかの?」
「はい。ありがたき幸せです。……ですが陛下、私は学のない平民でございます。爵位を賜ったとしても出来ない事が多くある事でしょう。ですので、新たに貴族家を興すのではなく、どこかの養子として頂けないでしょうか」
彼女のその言葉に、場がざわめく。多くの貴族達が彼女を取り込みたいと考えたのだろう、ぜひ私の養女にという声が大量にあがった。
「ほう。ルーシーよ、そなたはかなり人気のようだな。どうする?」
「私なんかをそこまで評価して頂き、ありがたく思います。ですが申し訳ありません。私は、出来る事ならロナルド様の養子となりたいと思っております」
「ヴィッセルよ、そなたはどう思う?」
「陛下。それはむしろ、私の方から頼み込みたい事でございます」
「ならば、決定だな。ロナルド・ヴィッセルの養子として、ルーシー・ヴィッセルを認めよう」
貴族達はパチパチと手を叩く。だがその中には、悔しそうに顔を歪めている者も居た。平民出身の貴族であるロナルドを認めない者も確かに存在し、その貴族達にとってはロナルドが力を増す事が気に食わないのだ。
ただでさえかつての戦争で名をあげたロナルドは有名であり、更に新たな英雄である聖女様が養女となれば、ヴィッセル家の発言力や影響力がより強力なものになってしまう。
それでも、王に対し文句を言う者は居ない。苦々しく思いながらも、王の決断を肯定するしかないのだ。
そして、パフォーマンスはつつがなく、事前の予定通りに進む。エイブラムは貴族達に今後のノーベラルに対する外交政策の説明や、外交の担当者の任命、その他諸々を終えて、この場はお開きとなった。
今回の事件により、ルーシー・ヴィッセルの名はザッカニアとノーベラルの各地で語られる事となる。
慈悲深く美しい『聖女様』として、本人の予想以上に。




