五十二話:ウェルディの思惑・上
ウェルディの魔法で眠りについたエイミィは安らかな寝息をたてている。さっきの会話の最中にこっそりと睡眠魔法かなんかを使ったのだろうが、戦闘が一撃で終わるからかあの系統の魔法は成功率が異様に低い。だからこそ、俺は戦闘ではあまり使わなかった。
それをここまであっさりと決められたのは、よっぽど高い精度で行使したのか、それとも膨大な魔力を注ぎ込んだのか。
「こんなところで立ち話をするのもなんですし」と彼女を抱き抱えたままウェルディが先導する。俺はついていくしかない。
何も言葉を交わさず、二人無言で長い廊下を歩く。時折エイミィの吐息が微かに聞こえてくる。
気まずさは、ない。正直、俺はあまりウェルディと話したくなかった。だから今の無言の方がありがたい。
「……着きましたよ」
ある扉の前で、後ろに立つ俺の顔を見ないままに、ウェルディがそう呟く。そしてエイミィを片手で器用に抱え、まったくバランスを崩さないで扉を開いた。
その部屋は、真っ白だ。白いカーペットに壁紙、部屋を照らす明かりの色も白。雰囲気としては、地球での病院に酷似している。
そんな場所で、白くないモノが数点。
部屋の中心に立つ、白と黒の二色の服に身を包んだメイドさん。服を着替えたのか、破けてスリットのようになっていたのが綺麗な物になっている。ただ、服の造りは戦闘をした時のものとまったく一緒だ。同じ服を何着も持っているのだろうか。
モーニングスターはどこかに置いてきたのか見当たらない。入ってきた俺達を見て、その灰色の瞳を瞬かせた。
そんな彼女の右側のベッドに寝込んでいる、長くて綺麗な鳶色の髪を持つ女性。ナナさんだ。
彼女はまだ気を失ったままのようで、目は閉じられてとり身じろぎもしない。それでも、最後に彼女を見た時にあった傷が塞がっており、血色は良くなっている。治りの早さ的に、治癒魔法を使ったのだろう。
そして、バドラー。メイドさんの左側のベッドに寝ている彼は、ナナさんと違って元気そうだ。俺を見て「おー、どうした」と手を上げる。沢山の魔法を撃ち込まれた為、ベコベコにへこんで無惨な事になっていた彼の鎧はベッドの横に置かれていた。だから今のバドラーは薄い服だけだ。
彼も自分で治癒魔法をかけたのか、傷はない。事実元気なようで、ベッドから這い出ようとしてメイドさんに止められていた。
他に木造の机、本が詰まった棚がある。窓ガラスは開かれており、涼しい風が部屋に吹き込んでいた。
「すいません。彼女が寝てしまったので、どこかゆっくり休めるところに連れていって、そのままついていてくれませんか?」
メイドさんにエイミィを差し出しながら、ウェルディが言う。
この部屋にも空いているベッド残り二つほどある。それにも関わらず言われたその言葉の真意を、きちんと仕事は出来るメイドさんは理解したようだ。頷いて了承の意を示した後、ウェルディからエイミィを受け取って部屋を出ていく。
部屋に残った四人。その共通点は、地球から来たという事。
「それでは、話をしましょうか」
「……あの、ナナさんは起こさなくてもよろしいのですか?」
「大丈夫ですよ。彼女にはもう伝えてある事ですから」
ウェルディが俺に向かって座れと手でジェスチャーを送ってきたので、それに甘えて空いているベッドに腰かける。一つ隣にバドラー、反対側は空いているベッドを一つ挟んだ奥にナナさんが居る位置だ。
「回りくどい事は抜きにして、率直に言いましょう。貴女方に、協力して欲しい事があります」
いつものへらへらとした笑みを形作っている口元を真一文字に結び、ウェルディはそう切り出した。
「それは、コルネリウス様に関する事とは違う事なのですか?」
「……関係ない、とは言いませんが、今回の事とはまた別件ですね」
「ルークを浚って、人を攻撃しておいて、どの口がそんな事を言っているんだ」
バドラーはきつい目をウェルディに向ける。
俺も同じ気持ちだ。コルネリウスを玉座に座らせようとしているのは、戦争を終わらせてノーベラルという国を安定させる為。ウェルディの所業自体は許すつもりなんてさらさらない。
「これは、貴女方にもメリットがある事ですよ」
しかし、そんな反発心バリバリの俺達を薄目で見ながら紡ぐ言葉には、断られる事など微塵も想像していないような、強い自信がこもっている。
彼がそこまで言うほどのメリット。生半可なものではないだろう。心情的には話も聞かずに突っぱねたいが、一応目で続きを促す。
「まあ、単純に言えば……地球へ戻れる可能性があります」
「なっ!」
「ええっ!」
ウェルディがやや溜めて言った事に、俺とバドラーが同時に声を上げる。
その反応にウェルディは満足気に頷いた後、足音をたてずに本棚の前まで歩く。そしてその中から一冊の本を取りだし、その表紙を俺達に見えるように掲げてみせた。
緑色の装丁に、黒い文字でタイトルが書かれている。そのタイトルは、『大戦期』。
その本は読んだ事がない。だが、大戦期という言葉は別の本で何度も見た。ビスマルクという魔法使いが活躍した、かつての戦乱の時代を指す言葉。
ウェルディはペラペラっとページをめくり、あるところで手を止めて、そのページを指で押さえて俺達に見せる。
そして、そこに描かれていた人物を見て俺は思わず息を飲んだ。
「この、人は……」
そこに描かれていたのは、白く豊かな髭を生やして青いローブを着ている、仙人のような老人。
俺をこの世界に連れてきた、あのお爺さんだった。
「……? この人は?」
バドラーは見覚えがないようで、首をかしげる。そういえば、バドラーはメールによってこの世界に来たと言っていた。このお爺さんを見ていないのだろう。
「この人は、私をこの世界に連れてきた人。多分、バドラーの下に来たメールの送り主も、同じ人だと思う」
目はその人物画に釘付けとなったまま、隣のバドラーに説明をする。それを聞いてバドラーが息を漏らしてこちらを向く気配がするけど、俺に彼を気にする余裕なんてなかった。
「その通り、この人物は私達をこの世界に連れてきた張本人であり、名前をビスマルクと言います。そして、ピルグランドの現宰相の名もまた、ビスマルクです」
そう言うウェルディの声に、感情はなかった。今までは意図的に軽い口調にしていたのだろうけど、その声は自分の感情を圧し殺すような、冷ややかなもの。
バドラーは頭をガリガリと掻いて、「つまり、どういう事なんだ?」と問い掛ける。
あまりそうは見えないが、彼は俺よりもよっぽど頭が良い。だいたいはウェルディの言いたい事を分かっているだろうけど、おそらくは確認の為に、あえて。
「この老人が私の敵であり、また、地球への帰還の鍵を握っている人物である。だから協力して、この老人を打倒しよう。……そう言っているのです」
俯いて、頭を抱える。五百年前の人物が今なお生きていて、一国の宰相になっている。そんな事、本当にありえるの?
この人は、ビスマルクという人物は人間だと言われているらしい。ウェルディの言が事実なら、人間の寿命は百年もないというのに、五百年以上も生きているという事になる。長寿なエルフですら、長く生きれて三百年と言われているのに。
そんな俺の狼狽を察したのだろう。ウェルディが続ける。
「まず、最初から話しましょうか。
実のところ、私は日本に帰るつもりなどありません。私はこの世界で、この命が尽きるまでコルネリウス様に仕えるつもりです。それ故に、帰る方法などまったく調べてきませんでした」
話しながら、彼は本を閉じ、再び棚に差し込んだ。そして俺とバドラーを交互に見る。
「ある時私はピルグランドに向かいました。ザッカニアとの戦争の準備の為、協力を取り付ける為に。
……そこで、その人物を、ビスマルクと対面したのです」
ウェルディは拳を強く握りしめ、きつく歯を食い縛った。普段は笑顔の裏に隠している彼の心情が、如実に表れている。
「そして驚き、また感謝しました。もとより日本に未練などありませんし、彼にこの世界に連れてきていただいた事は、私にとってはありがたい事でしたから。
……ですが、気付いてしまったのですよ。私は彼に上手く騙されていた事に」
おそらく、無意識の事だろう。険しい表情で語る彼から、明確な殺気が放たれた。
それは俺達にではなく、ビスマルクというここにはいない老人に向けてのもの。けど、その余波ですら背筋が寒くなるような、凄く冷たくて強い殺気。
「騙されていた……? どういう事です?」
微妙に気圧されている事はおくびにも出さないように意識しながら、俺は首をかしげる。
正直、ウェルディが騙されている姿を想像出来ない。頭が良くて腹黒で鬼畜、常に何か企んでいそうな彼を騙す……うん、俺には無理。
「そのままの意味ですよ。
まだ戦争など考えてもいなかった頃、私はコルネリウス様の命でザッカニアに侵入しました。対外的にはノーヴェ様方は処刑され、亡くなった事になっていましたが、その真偽を確かめる為に」
そこまでは、コルネリウスに聞いた内容とほとんど同じ。コルネリウスは、自分の事を ピルグランドの手のひらの上で踊っていた道化だと自嘲していたけど、ウェルディは全ては自分のミスだったのだと言うように息を吐く。
「ノーヴェ様のご母堂の遺体は、確かに私が確認しました。ですが、リーリ様、ノーヴェ様、シャルル様の遺体は見付からず。判断するには早すぎました。
にも関わらず、私は全員が亡くなったと勘違いをして……。いえ、させられました。他でもない、ビスマルクによって」
「それは……。どうやって、ですか?」
俺は、恐る恐る問いかける。
彼は語るうちに穏やかな顔つきになっていっていた。それとは矛盾するようだけど、彼の放つ、静かで、けれども凄く強い怒気と冷徹な眼光。それに、俺は思わず身震いする。
「幻覚、催眠、情報操作……。方法は色々あります。ただ、どうやってかなどは問題ではないんですよ。
私は騙され、間違った情報でコルネリウス様を混乱させて心労を募らせてしまった。仕える者としてあるまじき失態です」
粛々と告げながら、徐々にウェルディは口角を吊り上げ表情を歪めていった。形としては笑み。けれど、それが示すのは当然喜びなどではなく。
「犯してしまった事は取り返せません。その代わりに、私は計画を練りました。騙されていた事に気づいた頃には既に戦端は開かれていましたので、それを終わらせてかつコルネリウス様が害されない為の策を。ビスマルク、ピルグランドに泣きを見てもらう為の準備を」
彼は敵の首を噛み千切ろうとするかの如く牙を剥き、冷たい殺気は一転荒々しいものになる。今にも刀を抜いて暴れだしそうな、いつもの笑顔は演技で、彼の本質は獰猛な獣のようなものだと思わせるような。
「奴等はコルネリウス様に、ノーベラルに、そして私に喧嘩を売りました。ならば、徹底的に叩き潰すしかありません。ですが、ビスマルクは強い。私は一度、奴に負けました。
それでも、二度目はありません。……お二人とも、どう思いますか。私は、強い相手を倒す時が、一番充実感を感じる時だと思うのですよ」
いや、ような、じゃない。まさしく彼は強い相手と戦うのが好きな、戦闘狂だ。コルネリウスに関する事が最優先な忠臣であるのは、ま あ嘘ではないだろう。けれど、二番目に優勢されるのは、強敵との闘い。
「……ビスマルクに関する詳しい事、地球に戻れる可能性がある事などの理由は、貴女方が私に協力すると決めていただければお話しましょう。どうしますか?」
そう締めくくって、ウェルディは普段通りの笑顔に戻った。どうするのか、と俺とバドラーを見る。
……彼の言った事が全部本当である確証なんてない。正直、信用出来るとは言いがたい。彼の思い通りになるのも気にくわない。
でも、地球に戻る手段というのは……気になる。バドラーは判断を俺に任せると、そう目で告げていた。
俺は、どうすれば良いのだろうか。
顎に手を当てて考える。時間はあまりない。ノーヴェさん達の話が終わるまで、と考えた方が良いだろう。それがどのくらいかは分からないけど、一日悩むとかは絶対に無理だ。
ウェルディに協力するか、しないか。数分悩んで、俺は……。
「ウェルディさん。私は、貴方の事が……大っ嫌いです」
満面の笑みで、そう言った。




