五十一話:これからの事
ノーヴェさんが語り終え、部屋には微妙な沈黙が流れた。向こう側に座る三人は実際にそのお爺さんに話を聞いたからだろう、特に様子に変化はない。
コルネリウスは考えをまとめているのか、うつむいて目を伏せている。肩が震えているのは……泣いているのだろうか。
それも仕方のない事かな、と思う。人々に憎まれていると思っていて、悪役のまま倒されて人々を安心させようと自分の生を諦めていたのに、そんな事はない、むしろ慕われているんだ。死ぬべきではないと言われたんだ。凄く嬉しいのだろう
「馬鹿野郎、俺が戦争を始めたのはお前らに圧されたからじゃなくて、身勝手な理由なのに……。俺が悪いんだよ、反省してんじゃねえよ、俺なんか見捨てろよ……」
コルネリウスはボソボソと小さく呟く。王としてではなく、おそらく彼本来の口調で。泣きながら、けれど喜びの色をおびながら。凄く小さいから、あっち側の三人には聞こえてないだろうけど……。
これで彼の心が変わったのならば、祝福すべき事だろう。……結局俺は文句を言っただけで、彼の心を変えたのはノーヴェさんだという事が、ちょっと悔しいけど。俺がもっとスマートに説得出来ていればなぁ。
まあ、それはいいとして。
「うん? どうしましたか?」
こいつは、いったいなんなんだろう。
ノーヴェさんの話を聞いている最中も、コルネリウスはコロコロと表情を変化させていたというのに、ウェルディはまったく変わらず微笑を浮かべたままだった。まるですべてが予定調和だったとでもいうように。
それは彼に直接関する事じゃないから、さして興味のない事柄だからかもしれない。彼が自分の感情をあまり面に出さないようにしているだけかもしれない。
でも、主の行く末に関わる事を顔色一つ変えずに平然と聞いている姿は、何か裏があるのではと思わせる。
「いえ……。あまり驚かないのですね、と思っただけです」
「そりゃあ、陛下が民に慕われているなど、当然の事ですから」
小声で、しかしきっぱりと言い切るウェルディ。その顔はいたって真面目なものだけど、だったらなんでコルネリウスがここまで思い込むまで放っておいたのさ。怪しい、怪しすぎるよウェルディ。
創作とかでよくあるよね。王様とか社長とか、一番偉い人を隠れ蓑にして実は執事とか秘書みたいな右腕的な人が黒幕だった、とか。もしかしてウェルディもその例に漏れず、裏で暗躍しながらすべてを操っていたりするのかな……?
どうしよう。そう考えたらますますウェルディが怪しく思えてきた!
「ルークさん?」
「は、はひっ!」
「……先ほどからどうしたのですか。具合でも悪いのですか?」
「い、いえ、そんな事は……」
ウェルディ黒幕説を考えている最中に張本人に突然声をかけられたせいで変な声を出してしまった。訝しげな目で見てくるウェルディから、さりげなく視線を反らす。
「……よし」
その目を反らした先で、意を決したようにコルネリウスが自らの頬を両手で強く叩いた。彼の目には、強い意思の光が灯っている。
突然の行動に皆が一瞬目を丸くするが、すぐにその行為の意味を察した。ロナルドさんは腕を組んで目をつむったまま小さく頷き、エイミィは何故かフンと鼻をならす。そしてノーヴェさんはニヤリと、格好いい笑みをこぼした。
コルネリウスは真面目な顔でぐるっと俺達を見回した後、そっと手を机について頭を下げる。そして一言。
「……そなた達に、謝罪と感謝を。そして……」
溜めて、コルネリウスが顔を上げる。その時の彼は、不敵な、自信に満ち溢れた笑みを浮かべており、
「俺が、コルネリウスという一人の人間として頭を下げるのは、これが最後だ」
よく通る声、はっきりとした口調でそう言い放った。
それはすなわち、これからの彼はコルネリウス個人ではなく、ノーベラルの王であるという宣言。彼が死ぬ気はなくしたという事だ。
でも、ちょっと気負い過ぎな気はするなぁ。さっき二人きりで話した時にも思ったけど、コルネリウスの理想とする王は自らを殺して民の幸せの為だけを考える王みたいだし……。
よし、今の盛り上がっている時に水を指すのもあれだから、また後で忠告しておこうかな。王様は皆の憧れであればよくて、人々に尽くす必要はないんだって。
まあこれは俺の個人的な意見なんだけどね。地球でも天皇陛下や英国の皇室も、国民の為だけに生きている訳じゃないんだし。コルネリウスの理想とするそれじゃあ、規模が大きくなっただけで本質はただの奴隷と変わらないじゃないの。
とりあえず、コルネリウスのおかげで話題が変わって、さっきの俺の変な態度へのツッコミがなくなったね。良かった良かった……。
そう、思っていたら。
「ルークさん。少々お話したい事があるので、後でよろしくお願いしますね」
ウェルディが俺の耳元で、俺以外には聞こえないほどの小さな声で囁いてきた。俺は前に視線を固定したまま、だらだらと冷や汗を流す。……これは、あれなの? 「私の正体を知ってしまいましたか……。ならば、死んでもらうしかないですねぇ」的な展開なの? 嫌だ、まだ死にたくない!
そんなふうに小さく震えていると、エイミィがウェルディを睨んでいるのに気付いた。もしかして、さっきのウェルディの囁きが聞こえたのかな。エイミィは五感、特に聴覚と嗅覚に優れていると言われている獣人だし。
睨まれているウェルディはまったく気にしていないようで、そんなものどこ吹く風とばかりに無視を決め込んでいる。それが気にくわないのか、よりエイミィの視線は強くなって……。ちょっと、怖い。
殺伐とした空気に耐えられず、首を回してノーヴェさん達を見る。……そっちもそっちで、空気は決して良くないけども。
コルネリウスが処刑をされないようにという考え方になったのは良い事だけれども、さっき彼が言った『戦争を起こした責任』を取るのが誰かという問題は解決されていないのだ。
いったいどうすれば良いのかと、建設的な意見も出ずに沈黙が続いている。皆真剣に考えているみたいだけど……。
「あの、ウェルディさん。ウェルディさんは何か良い案はありませんか?」
「いえ、残念ながら。……なぜ、私に?」
「あ、えーと、ウェルディさんならもしかしたら、と思っただけです……」
この問題も想定済みで、もう解決策が出来ているんじゃないかと思ったんです。でも、そんなに疑うのは良くないよね。創作はあくまで創作。ウェルディは本当に心からコルネリウスに忠誠を誓っている可能性もある訳だし。うん。
「……まあ、そうですね……。では、スケープゴートを用意するのはどうでしょうか」
「ふぇ?」
……反省した俺が馬鹿でした。あっさりそんな事言って、ますますウェルディ黒幕説が有力になったじゃないの……!
ウェルディに皆の視線が集まった。期待の目を、しかし「ふと思い付いただけで、具体的にどうやるかは……」と苦笑いをしながら手をひらひらと振って振り払う。
その言葉にがっかりしたように、うーんと皆が首をひねって……エイミィが何かを思い付いたかのように小さく声を漏らした。
「あ……」
「なに、エイミィ!」
それに、凄まじい勢いでノーヴェさんが反応する。従兄の為に必死なんだろう。
そんなノーヴェさんに若干引きつつ、エイミィは答える。
「いやね、スケープゴートを用意するって聞いてね……。別の人を戦争を仕掛けた王という事にして、コルネリウス……様、を、その王を打倒した英雄という事にするのはどうかなって」
一瞬コルネリウスを呼び捨てにしそうになり、一応しぶしぶといった感じで敬称をつけるその態度は幼いからか、それともコルネリウスの事が嫌いなのか。なんとなくだけど、後者な気がする。
それでも、彼女の意見はすうっと自然に頭の中に入ってきて、納得出来るというか、いけるような気がしてきた。
普通ならそんな上手くいくとは思えないけれど、ザッカニアが王が代わったという情報を掴めていなかった特殊な状況で、それに加えて貴族らしいロナルドさんの後押しがある。こう言ってはなんだけど、上手く騙せると思う。
「どうですか、聖女様?」
「何がですか? それより、聖女様は止めてください」
「ああ、すいませんルークさん。いえ、聖女様としてはこのような詐欺まがいの事は嫌悪感を抱くやもしれない、と」
「……そんな事はありませんよ。必要な事であるのなら、仕方のない事ですから」
一瞬の逡巡。それをウェルディは見逃さない。
「それでも、嫌な事は嫌だと」
ニコニコと笑いながら、嫌らしい質問を重ねてくるウェルディ。このやろう。
俺はノーヴェさん達に男だと嘘をついて、騙してしまった。だからこそ、嘘に過敏に反応してしまうのは確かだ。ウェルディは、それを分かっていて言ってるのだろう。
……本当に、嫌な奴だ。心配そうに俺を見るノーヴェさんに、かぶりを振って「大丈夫」と伝える。
「それより、その方法は可能なのですか? 私は、いける気がするのですが」
「……五分五分、といったところだな」
「それはなぜでしょうか。先ほどの話を聞く限り、ザッカニアはコルネリウス様がノーベラルの王だと認識していなかったようですし、いかようにもごまかしは効くと思いますが」
空気を変える為の俺の質問に、ロナルドさんが答えた。
あまり芳しくない返答だけど、額に深い皺を寄せた彼の表情からは悲壮感は感じられない。それでも、五分五分と判断した理由が分からず、またもや問い掛ける。
「実のところ、コルネリウスが英雄だという嘘は、嘘だと看破されても構わない。例え戦争を起こした張本人だろうと、降ってきて反抗の意思がないのならば攻め立てる必要はないからな。それに無能ならばともかく、数年でノーベラルをまとめて圧倒的な国力差にも関わらず負けなかったその手腕は捨てるには惜しい。
降伏は偽りで、いずれ裏切る為の降伏だという危険はあるが、ギアスで行動を縛るのならばその心配もなくなりこれも問題ない」
その答えに、俺は首を傾げた。
嘘だとバレてもいいのなら、最初から嘘をつく必要はないんじゃ?
そんな俺の疑問を察したのか、コルネリウスが説明してくれた。
「国には威信や体面というものがある。敵国の王を降伏したからと許していれば、他国に舐められてしまう。故にザッカニアの王には嘘だと気付かれても構わないが、諸外国には首謀者は死んでいると認識させる必要があるんだ」
……国とか政治って、めんどくさいね。いちいちそこまで考えなきゃいけないんだ。まあ、言われてみれば納得出来る事だけどさ。
それはともかく、まだ五分五分の理由が説明されてない気がする。でも、なんとなく想像はついた。
コルネリウスやノーヴェさんの紅い髪と瞳。赤っぽい髪の人はいくらか見た事があるけど、彼らほど鮮やかな紅の髪の人は居なかったし、瞳に関しては赤系統の色の人は兎の獣人の人だけだ。人間でその特徴を持つのは、ノーベラルの王族だけなのかもしれない。
そうなると、コルネリウスがノーベラルの王家に列なる人間なのは明らかだろう。ノーベラルの悪しき王を打倒した英雄というというのをはたして信じるのか。
王のやり方についていけなくなったのだと主張するという手があるというか、それしか方法はないだろうけど、戦争を起こした王家の人間はザッカニアに協力したとしても皆殺しにされる可能性も否定出来ない。ザッカニアと対立する相手なら徹底的に叩き潰す、お前の行動は家族も巻き込む事になるぞというアピールにもなるし。
……いや、そこまでするとまったく裏切る気のなかった家臣でも、一族が反乱を起こしたら反乱を抑えたところで終わった後にどうせ自分も殺されると思って、敵対するようになるかもしれないから流石にないかな? そこら辺はよく分からないや。
仮にコルネリウスが赦されたとしても、その英雄をノーベラルの玉座に座らせないというのも考えられる。なにせ国の力はザッカニアが圧倒的なのだし、これを期にノーベラルを再びザッカニアの一部とする可能性を否定出来ない。
それでもその領土を治める領主にコルネリウスがなれればいいが、それよりかは信頼出来る家臣に任せた方が良いと判断されれば、失敗だ。
俺と、それとおそらくロナルドさんとが望むのは、戦争が終わり、ノーベラルが安定する事。さっきは感情論でコルネリウスが王をやれと言ったけれど、目的を達成するには必ずしもコルネリウスが治めるの必要性はない。
けれど、他の人が彼以上に上手く治められるとは思えないのだ。
俺はこの館から出た事がないから正確なところは分からないから多分になるけれど、ノーベラルはザッカニアより技術的な面ではかなり進んでる。ウェルディの地球での知識を使っているのだろう、館内にはどこか見覚えのある、けれどこの世界では見た事のない物が数多くあった。窓ガラスがその最たる例だ。
俺はこの世界の事をよく知らない。一番長い間居たのはハルメラだけど、それも一ヶ月とすこしの期間だけだ。だから俺が見た事がないだけで、実はごく一般的とまではいかなくても普通にある物なのかもしれない。
その可能性を考慮して、例え二国の技術力は変わらないと仮定したとしても、ノーベラルは何かとこの世界では異例なところがあると思う。たった十年程度で貧困にあえぐ国民が「コルネリウス様を殺さないでくれ」と頼むほどだ。元地球人のウェルディの存在があるし、生活が格段によくなるなにかしらの改革をしたのは間違いない。
だとすれば国のあり方はザッカニアとかなり違うだろうし、そのギャップに後任者は戸惑うだろう。それに、もしかしたらコルネリウスを慕う人達が反乱を起こしてしまうかもしれない。
……やっぱり、ノーベラルの地はコルネリウスが治める必要がある。でも、問題は山積みで大変だなぁ。なんの権力もコネも持たない俺に出来る事は応援する事くらいだし、ロナルドさん達頑張って!
この手段よりも良い方法を思い付ければ良いんだけど、俺はそこまで頭が良くないからなぁ……。
「……替え玉を作る以上に良さそうな案は出ないようですし、その方向で考えましょう。幸い、替え玉のあてはありますからね」
「え、そうなの? むしろこの作戦の一番の難点は替え玉だと思っていたんだけど……。アタシ達みたいな髪と瞳の人間に心当たりがあるのかい?」
「一応はコルネリウス様の兄君にあたる人物が居ります。たまたま殺さないでおいて良かったですね」
うろん気にノーヴェさんが尋ねるが、ウェルディは真顔で答える。
……たまたまとか、白々い。どこからどこまでがウェルディの思惑通りなのか。
ジト目で睨むけれど、彼は平然と無視をする。そしてさりげなく、極めて自然に俺の股の上に一枚の紙を落とした。
円卓の影に隠しながら、それを確認する。
俺以外に読まれないようにする為なのか、そこには日本語で文字が書かれていた。
″何か理由をつけて、この部屋を退出してください″
顔を上げて、ウェルディに視線を向ける。
彼は何事もなかったかのように、俺とエイミィを除いた四人と計画を具体的に煮詰めている。エイミィは話についていけないようで、手持ちぶさたにしていた。
退出するのは、多分さっき言っていた話をする為だろう。だったら、ウェルディも俺と一緒に自然と部屋を出る言い訳が出来る理由がふさわしいかな。
俺は紙を片手で四つ折りにして握りしめ、空いている方の手を上げた。皆の視線が俺に集まる。
「話の腰を折るようで申し訳ないのですが、退室してもよろしいでしょうか。バドラーの様子を見に行きたいんです。
私は難しい政治の建前などは分かりませんし、この場に居たところで力にはなれません。それに、また先ほどのように失礼な事を述べてしまうかもしれませんので……」
立ち上がり、一度頭を下げてそう頼み込んだ。俺のその言に対し、なぜかエイミィはほほえましいものを見るようにニヤニヤと笑っている。
彼女から目を反らし、この場の最高権力者であるコルネリウスに視線で許可を求めると、彼は少し考えた後で「構わない」と頷いた。
お礼を言ってもう一度頭を下げた後に歩きだす。そしてエイミィの隣を通った時に、彼女が小さく呟いた。
「バドラーによろしく。……頑張ってね」
思わず一瞬歩みを止める。その言葉でさっき彼女がニヤニヤしていた理由が分かった。
……恋ばなを期待しているところ悪いけど、バドラーはただの口実だよ。ウェルディの指示に従っただけだよ。
何も言葉は返さず、すぐに再び足を動かす。俺が扉に手をかけたところで、後ろから小さく椅子を引く音がした。見なくても分かる。ウェルディが立ち上がったんだろう。
「ルークさんは部屋の場所が分からないでしょう。私が案内しますね」
ウェルディがそう言った瞬間に、彼よりも数段大きく、慌てたように。ガタッと音をたててエイミィが立ち上がる。でも表情は驚いているという風ではなく、なんかムスッとしているような……。
「……私も、行く」
結局、俺とエイミィ、道案内役としてウェルディが部屋を出る。部屋の扉を閉めると、エイミィが俺を庇うようにウェルディとの間に入り、彼を強く睨み付けた。
「あんたやコルネリウスを、ルークと二人きりにはさせないわ」
「おや……。これはまたずいぶんと嫌われてしまったようですね」
歩きながら、エイミィが一方的に火花を散らして威嚇し、ウェルディが肩をすくめるのを見て舌を打つ。
円卓に座っている時からずっと親の仇を見るような目で彼を見ていたからある程度は想像がついていたけど、エイミィはウェルディとコルネリウスの事をかなり嫌っているらしい。
「当たり前でしょう! あんた達はルークを浚って、その身柄と引き換えに自分達の望みを叶えようとしているだけじゃないの!
そんな自分本意の輩を、好きになれる訳ないじゃない!」
激しく、やや上ずった声でエイミィは訴える。
それに対し、ウェルディは微笑をたたえたまま足を止め、彼女に向き直った。
「確かに、私はルークさん達を利用しようとしています。ですから、嫌われてもけっこうです。私を警戒するのも構いません。
ですが、これからルークさんとする話は貴女には聞かれたくないので……。おやすみなさい」
ウェルディが言いきると同時に、はた目から見て分かるくらい急激にエイミィの体から力が抜ける。倒れそうになる彼女をウェルディが支えて抱き上げ、視線を俺に向けた。
「これで、邪魔な人は居なくなりましたね」
そして彼は、気持ち悪いくらい変わらない笑顔で、そう言った。




