四十六話:道化の嘆き
狂笑が広い部屋の中に響き渡る。嬉しそうで、しかし悲哀を含んだ笑い声。
泣いている。コルネリウスは口を歪めながら、涙を流していた。
なんか……痛々しい。
もう彼の目に俺は入っていなかった。状況の変化に取り残され、ついていけない。俺はどうすれば良いのか。
「あの……陛下?」
その呼び掛けに、反応はない。コルネリウスは左手をだらんと力なく垂らし、右手で目を覆い嗚咽をもらすだけ。
……これは、今のうちに逃げられるんじゃないの?
一歩、足を動かす。咎められない。回れ右をし、彼に背を向ける。制止の声は掛けられない。扉を開ける。妨害は、ない。
首を回して、横目でコルネリウスの様子を伺う。力が抜けたのか、椅子に腰掛け俯いていた。糸が切れた操り人形のように、くったりとしている。
……なんでここまで憔悴しているのは分からないけど、いい気味だ。ザマアミロ。
扉を閉じ、歩を進める。高級なカーペットのおかげか、足音はしない。
歩きながら、俺は全然ここを観察していなかった事に気づいた。敵地は隅々まで調べておくべきだというのに。メイドさんに引っ張られて来て、コルネリウスを見て冷静さを失っていたんだよなぁ。要反省。
見たところ隠し扉とかの類いはなさそうだね。トラップとかは、日常的に使う場所なんだから多分ないだろう。それでもあの黒い笑顔が似合うウェルディの居住地だ。罠がないとは言い切れないし、なんらかの魔法がかかっている可能性もあるから警戒は怠らないように。
あるところまで行って、俺は足を止めた。
「…………ルー、ク?」
「……どうしたのですか。そんな呆けたお顔をして」
コルネリウスの前で膝を着き、その目元の涙を手で拭う。俺のとった行動に、コルネリウスは驚き目を丸くした。
「何故、だ?」
「何故とは、なにがでしょうか」
「逃げたがっていたし、ここを去ると思っていたんだが……」
ああ、その事か。別に、たいした理由じゃあないよ。
「私一人で行っても、道が分からず迷うだけですから」
それに、魔法の使えない今の俺じゃあ何かあったらすぐ死にかねない。それに、侵入者がノーヴェさんじゃない、という事も考えられる。出会った瞬間襲い掛かってくるかもしれない。
だから残る。あくまで自分の身の安全の為で、他に理由はない。ないったらない。
立ち上がり、膝の部分をポンポンとはたく。とはいっても、カーペットはしっかりと掃除されていて、ドレスにはまったく埃や汚れはついてないけど。まあ、一応ね。
目の周りを赤く染めながら、愕然とした表情で俺を見つめるコルネリウスから視線を外し、俺も椅子に腰を下ろす。その際、手を後ろに回してスカートを押さえる事は忘れない。
ふう、と一つ息をこぼす。コルネリウスの眼には、会って最初の頃にあった覇気はなくなっていた。空気が重い。
「……陛下、失礼を承知でお聞きします。陛下とノーヴェさんの関係は、どのようなものなのでしょうか」
ノーヴェさんの事を話した後にこうなったのだ。その事が目の前の若き王に大きな影響をもたらしたのは、まず間違いない。
その事を聞くと、コルネリウスは微妙な顔になった。隠すような事ではないけど、おおっぴらに言いふらしたい事でもない、そんな感じ。
「陛下。私には陛下が何故悲しんでいるのか分かりません。話を聞けば理解出来る、共感出来ると、そう豪語する気もありません。また、陛下を慰める術を持っている訳でもありません」
俺は静かに、ゆったりと口を動かす。コルネリウスは黙って聞いている。
「ですから、話す必要はないかもしれません。ですが、ただ吐き出すだけで、楽になる事もありますよ」
あくまでこの暗い雰囲気を払拭する為にコルネリウスの気をまぎらわそうとしているだけだが、今思えば多少好意を得られるかも。もしかしたら逃げるまでもなく解放してくれるかもしれない。逆に凄く引き留められるようになる恐れもあるけど、その時はその時。今、この空気に耐えられないんだ。
果たして、柔らかい笑顔で告げたその訴えは届いたようだ。彼は小さく、微かに口元を吊り上げた後、重い口を開いた。
「ノーヴェは、俺の従妹だ。リーリとシャルルは知っているか?あいつらもそうだ。……皆俺の、大事な家族だ」
「シャルル、という方にはお会いした事はありませんが、リーリさんにはお世話になりました。リーリさんはザッカニアでお店を構えていましたよ。
……何故、ノーベラルの王である陛下の従妹さん達がザッカニアに居て、そして大事な家族の居る場所に戦争を仕掛けたのですか?」
「ふっ。それは俺が愚かな道化だったからだな。俺みたいな男が、王になんかならなければ良かったんだ」
コルネリウスは自嘲するように、自分を責める。その瞳に宿るのは、強い後悔と、自分への怒りと……ここには居ない誰かへの怨み。
一度目を閉じてもう一度開いた時には、すべての感情は消えていた。自分を抑えたのか、納得させたのか。感情を殺した後、彼はポツポツと語りだした。
◇
ノーベラルという国に巣食っていた害虫達。それらを駆除する為に、コルネリウスはウェルディと共に長い間準備をしてきた。己を殺し、愚鈍でクズな王に媚びへつらいその目を掻い潜り、殺す価値もないうつけ者を演じる。そして影で密かに隣国と連絡をとっていた。
時に彼が従妹達をノーベラルから逃がして三年、二十歳を迎えた頃。すべての準備を終え、遂に行動を起こした。
「コルネリウスゥ!貴様、育ててやった恩を忘れたのか!こんな事をしてただですむと思っているのか!」
「貴方から恩を受けた覚えはありませんし、そのようなものは感じていませんね、糞親父様。あと、ただですまないのはそちらの方ですよ」
丁寧な口調。しかし、コルネリウスには会話している男に対して敬意はまるでない。
行動を起こしてからは早く、一月も経たない内に、クーデターは成功した。コルネリウスが王座に座った時に立ち上がるであろう大きな反乱分子は秘密裏に手を回して壊滅させ、彼の父親であるノーベラル王を捕らえた。愚かな暴君は、うつけ者の殻を被ったコルネリウスを、まったくもって警戒していなかったのだ。
まだ敵対するであろう者は居たのだが、既に彼らを打倒せしめる相手は存在しなかった。
縄に縛られ、兵士に押さえ付けられて地面に膝をついている王であった男は、唾を撒き散らしながら口汚くコルネリウスを罵る。ブクブクに肥え、脂ぎった汚ならしい顔の醜い汚物に近寄りたくないとばかりに距離を取りながら、コルネリウスは隣に立つ青年に声をかけた。
「ウェルディ、そなたはこれをどうするべきだと思う?」
「禍根を断つ為にも、処分すべきかと。棄てずに保管しておいたところでこの愚物が何か出来るとは思いませんが、別の誰かが陛下を甘く見て面倒な事になるやもしれません」
「ああ、我も同意見だ」
その会話を聞き、もはや人間扱いされていない元王は青ざめる。そして殺されてはたまらないと、慌てだした。
「お、おい!余を殺したら貴族達や、同盟を結んでいるピルグランドが黙っていないぞ!」
その言葉を耳にしてコルネリウスは目を丸くする。それを見て、よし、と笑みを浮かべる元王。やはりこのうつけ者はそんな事まで頭が回ってなかったのだ、これで余を殺す事はないだろう。そう、思い込んだ。更には、助けが来たならばどう目の前の自分に屈辱を与えた愚か者を痛め付けるか、そういう妄想までし始める。
コルネリウスは驚きを隠せず、隣のウェルディに一瞬視線を向けた後、小さく呟いた。
「……まさか、まだピルグランドが自分の味方だと思っているのですか?」
ピシッと、元王の笑顔が固まる。恐る恐る自らを裏切った息子の顔を見上げると、その息子は憐れな物を見るように一つため息をつき、心底呆れたように説明をした。
「王位継承権はかなり下、そして王には嫌われている。そんな皇子が、どうやって国を転覆させるほどの兵力を得たのか。……他国の力を借りたに決まっているでしょう」
「な……まさか!」
「そのまさかですよ」
生まれた時に与えられた地位に胡座をかき続けていた男の末路がこれだ。ふるふると震えた後、がっくりとうなだれてその動きを止める。呪詛の言葉もない。
ウェルディが無言で手を叩くと、元王を押さえていた兵がそのまま元王を引きずって去っていく。栄華を味わった男にとって耐え難い扱いだったが、抵抗はなかった。
翌日、民を痛め付け、暴虐の限りを尽くした暴君は広場にて公開処刑された。そして、新たな王としてコルネリウス・ノーベラルが即位。
──王が交代したこの日から、ノーベラルは大きく変わり始める。
様々な改革が行われ、まだ反抗する勢力を壊滅させた。休む暇もなく、それでも国の為、民の為に働き続ける。例えその民に批判され、石を投げられても。
すべては、綺麗になったノーベラルを見せるという、従妹との約束の為に。
だが。
「ノーヴェ達が、居ない!?」
ようやく、まだまだ貧しいものの、安定してきたと言える程までなった頃。執務室で、コルネリウスはウェルディに向かって思わずそう怒鳴った。
そろそろ従妹達を迎えてもいいだろう。そう判断し、ピルグランドへ使者を送り込んだ。しかし返ってきたのは、「従妹達はピルグランドには居ない」というもの。
「はい。先方が言うには、うちに来ようとして、間違えてザッカニアに行ってしまったようだ、と」
「そ、それは……確かなのか?」
「いえ、使者はピルグランドの宰相殿にそう言われたらしく、渡された書状にもそう記されていましたが、確証はありません」
「ならウェルディ、今度はお前がザッカニアに潜入して真偽を確めてくるんだ!」
「かしこまりました」
そして彼の右腕の持って帰ってきた報告は、若き王に衝撃を与えた。
『どうやら、誤ってザッカニアに行ってしまったノーヴェ達は、スパイ容疑で投獄された後に非公開処刑されたらしい』
その報告を聞き、コルネリウスは呆然と宙をあおいだ。それは彼の目標が消えてなくなったという事に等しい。しばらくボーッとして、突然笑いだした。
「ハハッ。ハハハ、アハハハハ!」
「コルネリウス様?」
「ヴェルディ、隣国のザッカニアの土地は肥沃らしいな」
「ええ。そう聞いていますが」
「ならばそこを奪い取れば、直ぐに民の生活は良くなるだろうな。……戦争の準備だ」
「…………かしこまりました」
それは民の為、という名目のただの復讐。この時、文句を言うだけで未来の展望を見ない無数の自国の民よりも、十数年共に過ごした大切な三人の従妹達の方に天秤が傾いたのだ。
ノーベラルとザッカニアの国力の差は歴然で、勝てる訳がない事は理解していた。それでもよかったのだ。ただ、嫌がらせが出来れば。
その為だけに非人道的な人体実験を行い、ザッカニアにはバレないようにピルグランドから多くの兵を借り受けるなどもしていた。
それでもノーベラルの民は人体実験の対象にせず、さりげなくピルグランドの兵を過酷な場所に、ノーベラルの兵は安全地帯に配置したり、彼自身も気付かぬうちに自国民を大事にしていたのは確かだ。尤も、そんな事は戦争に巻き込まれた人々には関係ないし、コルネリウスも恨まれて当然だと思っていたが。
そして今回、ウェルディがルークを連れてきて、彼の復讐の根底が覆されたのだ。
◇
「……まあ、そんな訳だ。今思えば、ピルグランドは自分達とザッカニアとの関係を悪化させないで、かつ国力を削る為にうちを利用したんだろうな。俺はまんまと騙されていた馬鹿野郎で、上手く手のひらで踊らされていたピエロなんだよ」
「……」
「ウェルディには感謝しないとな。あいつがルークを連れてきてくれたおかげで、それに気づけたんだから」
寂しげに、後悔を滲ませながらコルネリウスは目を伏せる。しかしすぐに俺に向き直り、「ルークやザッカニアの民達には悪い事をした。殴られても、殺されても文句は言えない。……すまなかった」と頭を下げてきた。
……正直、予想以上に重い上に複雑な話で、ちょっと戸惑ってる。つまりは彼は大切な家族を殺されたと騙されて勘違いの復讐劇を展開していたという事か。少し、気の毒に思う。
でも、彼等が行った事は許せる事ではない。戦争を起こして多くの人々を苦しめ、俺からはロナルドさんを奪っていった。そしてその理由が非常に身勝手なもの。俺もかつて似たような事をしようとしていたから、断罪出来る立場ではない。
けれど、それでも言わせてもらいたい事がある。
「……陛下、貴方が行った事は最低な事です」
「分かっている。この命を差し出しても、ぜんぜん足りないだろうな」
「ええ。そして貴方には義務があります。この戦争を終わらせて、戦地を復興させる義務です。死んで楽になんて、させる訳にはいきません」
彼を憎む人は沢山居るだろう。死んでほしいと望む人も数多く居るだろう。そういう人達に責められ、罵られて、それでもその人達の為に馬車馬のごとく働く。死ぬより辛い目にあってもらわねば。
彼の話によれば完璧なクーデターだったハズだ。それを行える優秀な人間で、そしてあのメイドさんのように心酔する人を作れるカリスマ性がある。そんな人を、死に逃げなんてさせてたまるか。
「……それは、難しいな。この戦いを止めるだけなら、俺が降伏すればいい。だが、ルークはそういう考えでも俺を処刑すべきという意見は必ず出る。それに、恐らくピルグランドが黙っていない」
「私には難しい事は分かりません。私は今、凄く変な事を言っているかもしれません。ですから、そういう話をするのは、私相手ではないハズです」
「ならば、誰と?」
その問いに、俺はにっこりと笑顔で答える。
「今ここに来ているであろう、貴方の従妹さんですよ」




