四十三話:バドラーvsナナ
バドラーとナナの戦いは、お互い決め手を欠き、持久戦の体を成していた。バドラーの斧は防御魔法に遮られてナナの身には届かず、ナナの魔法もバドラーが相手では中々致命傷足り得ない。
どちらかと言えば、だが。天秤はバドラーの方に傾いている。身体能力の差は歴然で、圧倒的にバドラーの方が高く、彼の攻撃をナナは一撃たりとも避ける事がかなわない。そして一撃さえ当てる事が出来ればそれでナナは行動不能になる。それに対し彼女が即座に発動出来る魔法はバドラーに大したダメージを与えられず、かといって痛打出来る魔法を発動する為に必要な長い詠唱をする事をバドラーが許すハズがない。
あと少しバドラーの技量が優れていたら。あと少しナナの魔法が強力ならば、もしくは自分に匹敵する相手との戦いに慣れていれば。このような硬直した戦いにはならなかっただろうが、結果として戦況は均衡していた。
「余裕がなさそうだが、大丈夫か?」
「うるさい!」
「おっと」
軽口を叩くバドラーを、鎌鼬が切り裂く。大樹をも斬り倒す風の刃だが、その効果はバドラーの皮膚を軽く切る程度に留まる。
これは持久戦になると判断し、魔力を温存する為なのだろうか。先ほどからナナは魔法の使用を控えていた。攻撃を防ぐ為のプロテクションと、連撃を阻止する為に幾つかの魔法でバドラーを弾き飛ばし距離をとるだけだ。魔力が尽きればバドラーの攻撃を防げない事が明白な為なのだろうが、序盤の魔法連打は見る陰もない。
そんなナナを煽って冷静さを削ごうとしているバドラーだが、その悠然とした態度とは異なり彼にもあまり余裕はない。
そもそも、精神的にはともかく肉体的には守るよりも攻める方が大変なのだ。攻め続けているバドラーのスタミナも無尽蔵ではなく、残りの体力を考えて動く必要がある。更に攻め手を緩めればその隙に大魔法を発動される危険性もあり、常に魔法の気配に気を配らなければならない。
バドラーの体力か集中力が、もしくはナナの魔力が尽きた時、均衡が崩れるだろう。他にも、何かが起これば天秤は容易にひっくり返る。
ナナがもはや幾度目か分からない呪文を唱え始めた瞬間、バドラーは一気に距離を詰め、胴体を狙って斧を振り上げる。それは魔力の壁に防がれ反発し、腕が体の後ろまで行く程強く弾き飛ばされた。そのまま重心が後ろに行き倒れそうなところを耐えながら右足を蹴り上げる。次いで左足で回し蹴り。壁を砕く。
「プロテクション!」
しかし、ナナは詠唱を中断し再び防御壁を作り出す。 更に無詠唱で中規模の爆発を起こした。
左足を上げているバドラーには避ける術はなく、もとより避けるつもりもない。綺麗に直撃して吹き飛ばされ、冷静に空中で翻って足から着地、自らにヒールをかけてすぐにナナに駆け寄ろうとして……足を何かが握っており、動かせない事に気づいた。
足下に視線を向ける。彼の足を押さえ付けているのは、土で出来た何体もの人形達。
(錬金術か!)
数多くある魔法体型の内の一種、錬金術。その基本にして、術師の腕や規模によっては中隊をも圧倒する一兵士を作る事も可能な機人創成。それによって作られた泥兵士と言うべきヒトガタの何かが、バドラーの両足にまとまりついていた。彼がそれを目視すると同時に、先程までより五割増しで魔力が込められた詠唱が始まる。
そこでバドラーは気づいた。目の前の魔法使いは、彼に気づかれないように他の魔法で誤魔化しながら、こっそりと錬金術で下僕を作り上げ、大魔法を使う為の時間稼ぎにしようとしていたのだと。持久戦なんてとんでもない、そんな時間がかかり勝敗の読めない戦いをするのではなく、自らの力を信じ勝負に出てきたのだ。
バドラーは慌てて泥兵士達を振り払おうとするが、材料がそこらの土で無詠唱のたいして魔力のこもっていない即興のゴーレムとはいえ、二桁を越える数が相手だと中々に引き剥がせない。それだけの数に両足を引っ張られているのにバランスを崩さず、倒れないだけでも凄い事なのだが、今はその程度では駄目なのだ。
「クッ!」
この戦いが始まって初めてバドラーが顔に狼狽の色を浮かべ、反対にナナは大量の魔力を注ぎ込んでいる事もあって少なくない汗を流しながらも頬を緩める。数瞬前とは立場が真逆だ。
そうこうしている内に彼女の呪文詠唱は進み、溢れ出た魔力の渦が彼女の周囲に立ち込める。
バドラーは、足の力だけではこの拘束から逃れる事は不可能だと判断した。膝を曲げて態勢を低くし、斧を振り泥兵士達を切る。急ぎながらも慌てすぎず、迅速に、似たような動作を繰り返す。単純作業をしつつ、片時もナナから意識を離しはしない。
(落ち着いて、出来る事を最速で、最大効率でこなすんだ。慌てちゃ駄目だ)
そう自らに言い聞かせながら、右足に手をかけている泥兵士達の腕を一本一本断っていく。土が原料である為か抵抗は小さい。
一つ切ればまた新たな腕が伸びてくる。切った腕が十六を数える頃にようやく右足が自由になり、それをおもいっきり振り上げて大きく一歩を踏み出した。そして左足の周りを一閃、右足を軸に体を回転させて泥兵士達を一気に引き離す。そして再び足を掴まれないように、地面を触れないようにナナの目の前まで跳んだ。
バドラーが捕まっていたのは彼女が呪文の詠唱を初めてから三十秒に満たない程度の時間。しかし戦場で、なおかつ魔法使い相手にそれだけの猶予を与えるのは、非常に危険な事だ。
居るだけで肌がピリピリする程の膨大な魔力がナナの周囲に溢れている。呪文詠唱中に外に魔力が流れてしまうのは、魔力をコントロールしきれていないという事で、術師が未熟な証でもある。なのだが、流れ出る魔力は、使おうとしている魔法に必要な魔力量の十分の一にすら届かない程度であって。それにも関わらず、周囲に漂っている魔力だけで簡単な魔法を数発撃てそうなのだ。今彼女が使おうとしている魔法が、想像を絶する威力である事は間違いない。
故に、バドラーからすれば詠唱を完了させる訳にはいかない。額に冷や汗を浮かべながら魔法使いの前に降り立ち、重力を乗せた一撃を繰り出す。予想通り、その一撃は不可視の壁に遮られナナには届かない。予想通りなのだが、一刻を争う現状、厄介な事この上なかった。
弾かれた斧から右手を離し、その拳を打ち付ける。鉄を殴ったような痛みが右手に響き、強く弾かれた斧の勢いを左手一本で殺すのは困難で、左腕の筋肉が悲鳴を上げた。だがバドラーはそれを無視してまた斧を叩き付ける。そこに技や美しさなどない。斬ろうとするのではなく、ただ鈍器のように斧を扱っていた。
そのせいか。斧が魔力壁を壊すと同時にその柄が砕け、刃がどこかに回転しながら飛んでいく。 量産品の斧では、力任せで荒々しいこの使い方には耐えきれなかったのだ。
武器を失ったバドラーだが、その顔に悲壮感はない。呪文はあと数節残っている。詠唱を中断して魔法を発動させる事は出来なくはないが、言おうとしていた一連の流れを咄嗟に変えるのも容易な事ではなく、魔法のイメージもあやふやな物になり威力が激減してしまう。それならば例え直撃したとしても、バドラーならば問題ないだろう。
いける、そう確信してバドラーはナナの左肩を掴んだ。だがそこで、この状況下であるというのに笑顔を崩さないナナに、嫌な予感を覚える。
次の瞬間、突如現れた紐がバドラーを縛り上げた。地面に膝をつき、バタフライの途中のように両腕を上に上げる体勢にさせられる。どう力を入れようとも、体を縛る紐のせいで全身がピクリとも動かない。
……それはまるで、刑を待つ咎人のようだった。
(これは……!)
バドラーは目を見開き、そして歯を食い縛る。彼はかつて一度これをくらった事があった。故にこの魔法の力を知っており、焦りが最高潮に達する。
封印の足枷。以前ウェルディに使われ、今ナナが手に持つ魔法が込められた紙から発せられたそれが、バドラーの体を縛っていた。
ナナの手の中に握られていた紙は役目を終え灰になっていく。
(……終わった、か)
バドラーが頭を下げる。詠唱が終わる。
そしてナナが一言、
「──神々の黄昏」
破裂音が、辺りに響いた。それは空気が弾ける音。大量の魔力が、大きな魔力震を起こす。黒い球体がバドラーを包み込み、土埃がナナの視界をふさいだ。
いったいなんの皮肉なのか。バドラーが助けようとした少女が愛用した魔法が、彼を滅さんとその身を破壊する。
異常な程高いバドラーの魔法に対する抵抗力を破り、ラグナロクは彼に深い傷を与えていく。内臓が潰れ、筋肉が裂けて骨という骨が砕けて、激痛が彼の体を駆ける。全身の皮膚が裂けて、剥けて、だらだらと血を流す。
もはや生きているのが不思議な状態だ。
風が吹いて土埃が去り、ナナの視界が晴れた。彼女はぼろぼろで満身創痍のバドラーを見て安堵する。流石にあれを受けてピンピンしている程の化け物でなくて良かったと。
(でも、跡形もなく消し去るつもりだったのに、なんで原型を留めていられるのよ……。もう戦闘不能よね?こっちはもうほとんど魔力使いきったのよ)
彼女のその考えは、推測というよりは願望に近い。バドラーが少し口を動かして何かを呟き、青白い光を纒だした時は肝を冷やしたが、彼女にとっては何事もなく地面に突っ伏した。しばらく待っていても動く気配はない。ナナはほっと一息つき、その場に座り込む。
「ハァ、ハァ……。なんとか勝てたわね。ああ、魔力の使い過ぎで頭がくらくらする……」
後先考えて魔力を温存するなら、賭けに出る意味がない。気絶する寸前まで魔力をラグナロクに込めた彼女は、もはや一般人と同じだ。いや、体にほとんど力が入らない現状、喧嘩すれば幼い童女が相手だとしても勝てるか分からない。
ずきずきと痛む頭とふらふらの体に鞭を打って立ち上がり、ナナは館へ戻ろうとする。彼女としては万全をきしてバドラーにとどめを刺したいのだが、そうする余力が残っていなかった。
「化け物退治は疲れるわね……」とどこか満足気に呟きながら歩を進め──
左肩からパンっと響いた爆発音を耳にして、彼女の意識は刈り取られた。
小さな爆発音とナナが地面に倒れ込んだ音を聞いて、痛みに悶えながらバドラーはほくそ笑む。
一体何が起こったのか。ナナにはまったく分からないだろう。
バドラーがナナの左肩を掴んだあの瞬間。彼は以前ルークを襲った暗殺者が持っていて、その死体からいただいていた魔法陣が描かれた紙を貼り付けたのだ。あの暗殺者は実際に使った物以外にも、かなりの種類と数を持っていた。バドラーはルークが誘拐される前からこっそりとそれらの実験をし、その有用性から持ってきていたのだ。
今回バドラーがナナに使った物の効果は、触れている対象の魔力を吸いとり、対象の魔力がなくなるか紙が魔力を蓄えきれなくなったら爆発するというもの。その爆発の威力は吸いとった魔力の量に比例する。今回はナナが大魔法を使った直後で吸いとれる魔力が少なかった為威力はけっして高くなかったが、疲労困憊のナナを気絶させるにはそれで十分だった。
バドラーの目論見としては、あのまま呪文の詠唱を阻止してまた仕切り直しにし、時間を稼ぐつもりだった。いかに硬い防御魔法で自らを囲んでも、その内部から爆発すれば防げるハズがない。紙を貼り付けた事に気づかれるかどうかが問題だったが、戦闘中に無傷の左肩に目をやる余裕も考えもないだろう。彼の誤算は、ナナがグレイプニルのマジックスクロールを持っていた事だ。
しかし、暗殺者はおそらくノーベラルの人間であり、ウェルディが使っているところをバドラーは見ていたのだ。だったら同じくノーベラルの人間であるナナが持っている事は想定出来た事であり、考慮すべきであっただろう。彼の失態であり、今激痛に苛まれている原因だ。
しかし、彼が『魔法使いをウェルディと合流させない』という目的を達した事に変わりはない。魔力を使い果たした彼女が起きるのは当分先だろう。そして最上級の治癒魔法を自らにかけている為、拷問かと問いたくなるような痛みがあり、まったく動けなくてもバドラーが死ぬ事はない。
また、バドラーがそんな状態である為、ナナの目的である『これ以上侵入者を許さない』という事も達成されている。
二人とも互いに目的を達しており、どちらも敗者と言えないかもしれない。かといってどちらが勝者とも言えないだろう。この戦いは、引き分けだ。
(でも、だからって再戦は勘弁……。二度とこんな痛みは味わいたくない)
そんな情けない事を考えながら、バドラーは不敵に笑う。そして、ロナルド達がルークを助けてここから逃げだす時に足手まといにならないように、早く治れと自らの体を叱咤激励するのだった。




